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第二百八十二話『反論』

 



 ゼントは地面に胡坐をかいて座り込むと同時に、泥の底に沈んでしまいそうなほどの深いため息をついた。

 まだ思考が纏まっていないのだ。自分はどうするべきなのか、これから自分はどうなるのかなど。

 この世で最も不幸な人は自分に違いない。どうしたらユーラへの仕打ちを赦すことができるのだろうか。


 深い、深い、虚ろな笑いと夢見心地の視線がただただ虚しく映る。頭を抱えても尚、負の感情は彼に襲い掛かる。

 これ以上蟠りに煩わされるくらいなら、いっそのこと体から思考の先まで消えてしまいたいとすら思った。


 しかしそれができないから彼は心底困っているのだ。ユーラもジュリも、ゼントの決定についてきてくれるだろうが、選択を強制しているようなもの。だから重圧はのしかかって然るもの。


 泣き言をいっているとますます状況が悪くなってくる。だがゼントの精神はとっくのとうに限界を迎えている。

 甘い囁きでもあればすぐに靡かせることができるだろう。強い精神を持つものでも追い込まれればあり得ない行動を取ることもあるだろう。



 できることなら分からないところを逐一質問したかった。事態を客観的に見るにはもう少し情報が必要だから。しかし一々疑問を抱いていては話が進まない。

 第一に、ゼントは口を開くだけの気力が失せている。ユーラとジュリのもとへ駆け寄ることもできずに、気まずいような、あるいは黙して然るべきかのような時が流れる。


 だからその言葉が出てきたのは十数分後、心が憔悴から僅かに回復して落ち着きを取り戻した後だった。



「なぜ今なんだ? 正体を明かして全てを話すにしても、もっと早く接触してきてくれれば……」


 すると白いライラはすぐに振り返ると、憐れむような優しい笑みでゼントの質問に答える。



「ライラの正体を見たすぐ後に、私に出会って話を聞いてくれるかしら?」


「…………」


 ゼントは黙って暗に否定するしかなかった。すると言い返せないことに気をよくしたのか、聞いてもないような情報をしゃべりだす。



「本当はもっと落ち着いた頃にしたかったんだけど、彼女が勝手に自白して自ら処刑されるとか言い出したから仕方なく……」


 これは白いライラの癖なのかもしれないが彼女はよく自らの過去の言動をひけらかす。

 やはり今まで見てきたライラと容姿は似ていても非なる人格ということなのか、とゼントは疑問に思う。



「……話題を変えよう。お前は今まで何をして、どうやって生きてきたんだ?」


「過去私が何をしてきたかはどうでもいいんじゃない? 大事なのは今と、これからどうするのか、違う?」


 漠然とした感想だがライラは語気を強めて返答した。まるで話したくないことを突かれてはぐらかすかのように。

 何でもいいから情報を引き出したかったのに。いや、化け物なのだから後ろめたいことの一つや二つあるだろう。果たしてこれが偏見でない言えるのだろうか。



 しばらく、また嫌な沈黙の時間が流れる。聞こえてくるのは震えを唆す肌寒い風の音だけ。

 ライラは質問が飛んでこないことを確認すると、床に起伏のある場所で後ろにゆっくり倒れこんで楽な姿勢を取った。

 そのまま何も言わず、地平線の彼方に落ち行く日の空を眺めながら、まるで感慨に耽っているようだ。



「人間ってやっぱり不思議」


 そしてそんな彼女から零れ落ちたようにぽつりと一言。

 捻り出すような微かな声で。しかしゼントの耳には聞き馴染んだ声がはっきり届く。


 一体何が不思議だと言うのか。黙り込んでしまったゼントに憐れんだのだろうか。

 しばらく思索に耽った後、ゼントに助けを求めるように声を掛けてきた。



「例えばゼントは、大きな川で子どもが溺れていたら助ける?」


「もちろんだ」


 ゼントはなるべく時間を空けず、はっきりと答える。というのも今度はこちらに利がありそうな雰囲気だからだ。

 ここで会話の主導権を握れるなら当初の目的である情報を引き出すことがやりやすくなるかもしれない。


 目論見通りライラの目は見開かれた。瞳には好奇心の灯が宿り姿勢と顔がゼントを向く。

 こんな状態で次に来るのは分かっている。質問攻めだ。

 そしてゼントが予想した通りの行動を彼女は取る。全て往なせば状況が好転するかもしれない、とほとんど直感で答えていく。



「全く知らない赤の他人でも? 自身の命が危うくなるとしても?」


「俺も死にたくはない。だがそんなことは分かった上でに決まっている」


 ゼントの気合は空回り気味だがそれでも順調に自信を持った回答ができていた。

 そんな彼と反比例するようにライラの表情には暗雲が掛る。



「やっぱりよく分からない。人間は理性を獲得した生き物のはずなのに。なのに自分の命を捨ててでも他者を助けるなんて……」


「その考え方は分からなくもない。実際多くの人は見て見ぬふりをするかもしれない。でも、少なくとも俺は指を加えて見ていることなんてできない」



 絡み合った状況があったとはいえ、この時のゼントは今までになく輝いていたことだろう。

 この事もなげな態度がいつまで続くのだろうか。あるいは最後まで押し切れるのか。

 白いライラの問答の意図も含めて、全てが見物だ。


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