第二十三話『残存』
――気が付くと、巨大な緑が息絶えていた。
……私がやったのか?
岩に打ち付けられた彼を見て、
私の中の何かが壊れた。
須臾の悪夢が顕現したのだ。
一瞬で全身に悲鳴を上げ、言う事を聞いてはくれない。
髪は縦に揺れ動き、文字通り怒髪天を現した。
心が憤怒に満ち満ちていたのである。
最後、彼は何故、自分にぶつかってきたのか分からないけど。
血が流れ出て、瀕死の姿が思い出させた。
――人間の脆く儚いことを……
怪物と罵って来るくせに、少し痛めつけると大声を上げて、逃げ帰る。
かと思いきや、今度は大勢でやってきて、また痛めつけると、今度は動かなくなった。
なんて愚かで、醜くて、弱っちい生き物なのだ。
自身の力量も把握してないのに、なぜ向かって来るのだろう。
まだ、本能で生きる他の生物の方が、幾分かマシだ。
でも彼は違う。違うはずだった。
何もかもが完璧で、私の理想の全て。
そのはずだったのに、
結局、全ての人間は、同じだという事を思い知らされた。
少し目を離しただけで、簡単に動かなくなってしまう。
であれば、どうすればいいのかは明白だった。
私が、彼に迫りくる危険を全て排除すればいい。
気が付いたら、体の一部が勝手に動いていた。
大丈夫、見られてはいない。
確認したが既に目を閉じていた。
剣に擬態した体の一部に汚らわしい血が付着する。
私にそんなことを気にする余裕は無く。
血にまみれた彼を救う方法だけを考えていた。
とにかく血を止めないと、声が聞けなくなってしまう。
それは、私の夢が途絶えてしまう事と同義だ。
彼からあの言葉を聞くという夢が。
そもそも、なぜこんなことになってしまったのだ?
今までの自分を顧みて反省した。
私が彼の為を想って行動しても、彼を不愉快にさせるだけだと、
自分の全てを否定して、消し去って、相手の望む全てを受け入れ、変わろうと決めた。
彼の言はきっとすべて正しいんだ。
そう思って、指示に忠実に従っていたのに……
なのに、何故……?
多分あいつだ。あいつが原因。
今はもう気配が無いけど、こちらを覗き見る何者かが居た。
近くに居た緑を、こちらにけしかけたのかもしれない。
手掛かりは無いが、絶対に見つけ出して、最悪な結末を迎えさせてやる。
いや生ぬるい。彼をこんな目に遭わせたのだ。
今後の人生を一生後悔して過ごさせてやろう。
消化の時間を潰すため、生き物で遊んでいたことが役に立ちそうだ。
ともかく今は、彼を助けることが先決。
傷口を全て押さえれば出血は止められるはず。
岩を背にして、座り込んでいる彼に近く。
――その時私は、私の内なる衝動が抑えきれなくなった。
彼の神聖な体から流れ出る血を間近にして、想いが籠る。
――羨ましい。
生物は血液が無いと生きられない。
人間も例に漏れず、血を抜くとすぐに干乾びて死んでしまう。
どこまでも、どこまでも、内側から勤勉に支える血液たち。
私もそんな存在になりたかったはずなのに、
羨ましくもあり、妬ましくもあった。
出来る事なら、成り代わってやりたい。
血液だけじゃない。
骨や筋肉や臓器や四肢や、体の全てそのものに。私が。
もちろん無理だと分かっている。
せめて、私の中に取り込んで一つになりたい……
それくらいなら……いいかもしれない。
皮膚の表面から血液を指で掬い取る。
この一線を越えたら。戻れない気がしたけど、
戻る必要ももう無いだろう。
衝動を解き放ち、舐めてみた。
――おいしい。
今まで数多の物を舐めたが、おいしいと感じたのは、彼のだけだ。
至極に満ちて、もっと欲しくなってしまう。
我慢できない。
する必要もない。
彼のすべて、私の中に取り込んでしまおう。
――“させない”
どこからか、誰かの声が聞こえて、私の自由を奪った。
いや、これは私自身の声だ。
――不意に意識が戻る。
同時に罪悪感が込み上げてきた。
「何をやってるんだ私は!!!?」
思わず叫んでしまった。
何故こんな気持ちになってしまったのだろう。
心の底から好きになって、
彼を助けようと、慕おうと決めたのに、
言葉を聞くと、
今まさに心に誓ったはずなのに、
今すべきことは……そうだ…!
彼を早く助ける事だ!
我に返って、辺りを見渡す。
記憶にない場所だ。
また襲われても面倒……
そうだ。彼が言っていた。町は安全だと、
一先ず、あそこまで戻ろう。
そして、私は彼を生温かい膜で包み、止血しながら運んだ。
◇◆◇◆
――気が付くと、見知らぬ天井が見えた。
いや、何度かお世話になったことがある部屋の天井だった。
通常なら、死にかけた時に必ずここに運び込まれ、
そして……
真っ先にライラが、涙ぐんだ顔で覗き込むのがお決まりだ。
俺もいつもと同じ、言葉を決まって返すのだ。
“そんなに心配するなら、無理させないでくれよ……”
意識が戻った途端、はッと我に返り、跳ね起きるゼント。
辺りを目まぐるしく何度も見渡すが、
思い描き、追い求めた姿はどこにもなく。
代償として、体に再び激痛が走る。
弱り目に祟り目とは、まさにこのことだ。
痛みに悶絶していると、横から声が聞こえた。
「大丈夫?ゼント?」
至上最悪な気分のまま、見ると二人の女性が佇んでいた。
視界には入れていたはずなのに、気が付かなかった。
一人はライラ。
黒いコートを身に着けて、隙間から見えるは、肌寒くも感じる純白、
よく見ていたはずなのに、その姿を新鮮に捉える。
ようやく落ち着いてきたゼントは、ここが何処だかを思い出す。
彼は少なからず後悔した。
また、生き残ってしまったと――




