第二十一話『乖離』
――ゼントとライラの二人は、準備を念入りに済ませて大洞窟に潜る。
内部の構造や地形、
目標物はどのようなところに居るのかなど。
大洞窟とは言うが名ばかりで、要は地下にできた大きな空間。
所々天井が崩落し、地上から降り注ぐ日の光が光線となって幻想的に見える。
また地下水由来の川が流れ、地下内部だけで完結した楽園が見事に出来上がっていた。
日の光が地下まで降り注ぎ水源もあるという事は、植物が育つ環境と言える。
だが一日に当たる日光の量が限られているため、木々までは育たない。
穴の開いた天井の真下に、短い草の草原ができるのが精々。
角ウサギはその草を糧にして生きている。
そもそも何故、彼らがここに生息しているのか。
理由は定かではないが、地上では天敵が多く生き残れないためと言われている。
洞窟にはウサギの他には小鳥が何種類かいる程度。
地上で過ごすには、強い体や狡猾さが必要。
でもなければこんな湿っぽい場所にわざわざ住む理由が分からない。
つまり、逆を言えば角ウサギは、温厚で危険も少なく初心者向けの相手と言えた。
その毛皮は防寒具に、肉は食料になり、頭部にあるツノは装飾品や道具に加工され、隙が無い。
したがって納品依頼は多いのだが、単価が安いので請け負う者は少なく、
今日、大洞窟に来たのは彼らだけだった。
……結果を述べるのなら、依頼だけは驚くほど簡単に事を運んだ。
なぜゼントが慎重に装備をこだわったのか、分からなくなるほどに、
群れをすぐに見つけ、獲物の後ろに位置就く。
楽園で長い間過ごしていた彼らは警戒心が無く、少し近づいたところで行動に変化はない。
そのままゆっくりと背後に迫り、急所を突くだけだ。
ライラは指導された剣の呑み込みが早く、また気配を消した潜伏も上手だった。
一匹取り逃したが、待ち構えていたゼントが錆びた剣で切り伏せる。
懸念の一つだったライラの暴走も特に起きず、
獲物の頭部にある角で、怪我をすることも無く。
依頼も、初心者でこれだけできれば重畳だ。
彼女が持っていた剣も、変哲もない代物で、
錆びても無く、よく切れる物だった。
どこで手に入れたのかは、未だに謎だが……
順調に事が運び、両者ともに朗らかな雰囲気になる。
だが今日、彼にとってこの一連の流れは、砂粒ほどの出来事に過ぎなかった。
後の災厄に比べれば、生温かく優しい夢であった。
それは獲物を協会で借りたかごに詰め、撤収準備を整えている時だった。
ライラが十数メートル後ろから、突然話しかけてくる。
「ねえゼント、あそこになにかいるけど」
流れる川を挟んでそびえ立つ、崖上を神妙な面持ちで指さし言った。
言葉を掛けられたゼントは、目を凝らして遠くを見る。
崖上には石が積み上がり、柱となりて、言うなれば自然とは言えない光景。
だが、それ以上の情報が読み取れない。
何か見えるわけでもなく、音が聞こえるわけでもなく、
妙な静けさだけがあった。
通常であれば、ここまで何も無く、騙されたと思うはず。
しかし、ゼントは視線を逸らすことをしない。
――それは何故か。
理由はこの上なく単純、
ライラが言ったからだ。
とにかく不思議な存在だった。
おどおどとした様子でいるかと思えば、
いう事を聞かず、勝手な行動を取る。
だからと言って、目的はしっかりと果たすし、
安全面を除けば、正当な思考をしていた。
よく行動を顧みて、冷静に考えれば分かる。
見た目から何まで、謎は多いが、心が引き込まれる何かがあった。
その彼女が言うのだ。“何かがいると”
今までに冗談を言われた記憶は無い。
ここにきて、突発的に出たひょうきんな性格でもないだろう。
だから、彼は目を逸らすことを止めないのではなく、できなかった。
――不幸にも、悪い予感は的中する。
前触れもなく聞こえる地響き。
大地、空気、流れる川面、場にあるもの全てが目に見えて振動しているのがわかる。
それは、まだ近くに居た角ウサギの群れですら、遠くに逃げ帰るほどに、
崖上から大きな影が、姿を現した。
見た目を分かりやすく一言でいうのなら、竜。
現実に即した言い方するのであれば、恐竜。
御伽話に出てくる諸悪の根源、大罪、悪漢、いくらでも呼びようはある。
黒緑の硬い鱗を荒々しく全身に纏い、四本足で地に立つ姿は、自らを覇者とでも言うかの如く。
頭は大きくなったトカゲだが、兜と大差ない。黒い縦筋の入るぎょろりとした目は、睨まれただけでも体がすくむ。
翼竜の名残なのか、前足と体に薄い膜が備わっているが、体は重く空は飛べまい。
だが、崖上から川を飛び越えて、こちら側に来るくらいの事は造作もないようだ。
二つの食料を目玉で見つけると、わき目もくれず飛び出した。
腕を広げ、助走をつけ、崖から対岸に降り立つ。
竜が姿を現した時点で、ゼントは察していた。
須らく逃げるべきだと、
どう考えても敵う二人で相手じゃない。
大洞窟は初心者のための狩場、本来竜などが居ていい場所ではない。
そんな事すら考える余裕が無かった。
「おいッ!!早く逃げるぞッ!!!」
細かい説明をする間も無く、切れた声で言い放った。
「えっ?でも、今日の依頼品が……」
何故かライラは、現れた竜にではなく、張り上げた声に対して驚く。
呑気に籠に詰めた戦利品とゼントとを交互に視線を送る。
「いいから早くッ!!!!」
声と同時に、巨体が地面に接し、咆哮と共に、突進してくる。
もはや、生物ではなく物体だった。
強いて言えば、重く、厚い鉄塊が臆することなく向かって来る。
だというのに、ライラはこちらに意識を向けて、
けたたましい地響きを起こす、後ろの存在に気が付いていないかのよう。
ゼントは焦りすぎた。
冷静に判断すれば、選択を誤らなかっただろう。
だが彼には使命がある。
先に立つ真面な者が、後進を見捨てるなどあっていいものか。
そんなことをすれば、一生町で白い目に晒されるのは想像にかたくない。
「――おらぁぁぁーーーー!!!!!」
雄叫びを上げ、一心不乱にライラの元へ全速力で駆けつける。
そして、砲弾のように彼女に体当たりした。
――直後に走る激しい全身の激痛、
なぜか、後ろからも同様の痛みが襲う。
剣で防御したが、咄嗟の事で完全とはいかず、
鞘と共に木っ端のように砕かれ、皮鎧も跡形もなくはじけ飛んだ。
全てを無に帰して、彼女を守ることだけに注力したのだ。
ここで死んだのなら、それはそれでいいと思った。
だって『ライラ』の元へ行けるのだから……
人として、この世界での役割はもう済んだ。
彼女の居ない世界で、孤独に生きるのは辛い。
もういっそ――
――だが、不幸か幸いか、魂はまだ現世に張り付いている。
数舜の時を得て、ようやく自分が竜の突進により吹き飛ばされ、
後ろにあった岩に叩きつけられたことを悟った。
いや、意識があいまい故、本当に理解できていたかも怪しい。
体がもう動かない。
指先一つですら、動かすと金切声を上げてしまいそうだ。
体の至る全てから血が垂れ流れている。
出血量は多くないが、致命傷だ。
このままでは遅かれ早かれ死ねる。
どうやら激痛に翻弄され過ぎた。
痛覚を和らげるために、体が覚醒することを拒否する。
薄れゆく意識の中、彼が最後に見たのは、
全速力でぶつかったはずなのに、なぜか地面に立って居るライラ。
その顔は歪みきって、茫然と佇んでいる。
壁に叩きつけられた無様な自分を蔑み、あざ笑っているかように感じてしまった。
同時に、彼女の持っていた剣が鞘ごと、ぐにゃりと拉げた事。
折れるではなく、拉げたという表現が正しかろう。
そして、視界は溶暗に消えゆく。




