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第百八十五話『追突』

 



 案の定と言っていいものか、ユーラは夕方までゼントを放してくれなかった。

 例え喉が渇いたからといって水を飲みに行くことなく、寒くなった時にはまた強く抱きしめて、だなんて言うありさまだ。

 これにはジュリもお手上げ状態。手を尽くしていたが今は諦めて横でふて寝している。


 でも流石にそろそろ終わらないといけない。どうしても続きをしたい時はまた帰ってくる夜にでもできた。

 だから、若干の申し訳なさを感じつつも意思を固めて声に出し紡ぐ。



「――すまないユーラ、実は夕方に人と会う約束があるんだ。時間だから行かないと、もう放してもらえるか?」



 しかし……しばらく待っても返答が返ってくることはなく……

 聞こえなかったのだろうか。自分の頭の中だけで言ったつもりになっていたか。

 いや、そんなはずはない。袖を引っ張る力が少しだけ確かに強くなった。間違いなく聞こえているはず。



「ユーラ?」


 確認のため、そして疑問を解消するため、名前でもう一度聞き返す。

 ……やはり聞こえてはいるのだろう、なぜなら放すどころか締め付ける力がますます強くなっていくから。

 加えて彼女の体は震えだす。周囲の空気にすら伝導するほどの激しい疼き。


 自分はユーラに対して知らせなくてもいいような、余計なことを言ってしまったのだろうか。

 彼女は不安に溺れている。体を密着させていた者が一番よくわかっていた。

 そんな不安が出てきたところで、向こう側からゆっくりと怯えていた口が開く。



「……またあの黒い女の人に会いに行くの……?」


 弱々しく悲しみの声が聞こえた。いや、静かに秘められた怒りと表現するべきだろうか。

 そんな、どちらともとれる複雑な声色。そしてそれはユーラが今日初めて心境を漏らした瞬間だった。

 何か嫌な予感がしたゼントは慌てて彼女の言葉を訂正する。落ち着いて、力強い口調で。



「違う。あいつに会いに行くわけじゃない。別の人との大事な約束があるんだ」



 別に嘘はない、だがゼントは言って間もなく、自身の失言に気が付く。また余計なことを口にしてしまったと。

 大事な約束、だなんて言葉を使ったら余計に悪化するに決まっている。

 ユーラの持っている感情、それはおそらく嫉妬なのだから。



「……そうなんだ。だったらいいよ」


 一体どうなることかと身構えた。しかし数舜の間を埋めたのは彼女からの快諾。

 次いで、あれほど固く握っていた腕をいとも容易く放されてしまう。これには彼も呆気にとられるしかなかった。


 今まで変な動きを見せると睨んできたにもかかわらず、これほど簡単に解放されてしまうとは……

 初めからもっと素直に……いやしかし、それではユーラの為にはならない。

 加えてゼントが感じたのは僥倖ではなく、その変わり身の訝しさだ。



「もしかして、俺があいつのところに行くのが嫌なのか?」


「……別に、でも少し怖いかんじがするの。お兄ちゃんが取られちゃうきがして……それに……」


 そこまで出かかって言い淀む。何かを言いたげな様子は伝わってくるものの、確信が持てないのか地面に視線を落とした。

 尋ねたゼントとてその真意までは分かりかねる。何といえばいいものか、ただただ安心させてやらねばと思った。



「大丈夫、俺はどこにも行きやしない。今日も必ずすぐにここに帰って来るから」


「本当に……?」



「いつもそうだったろ? 昨日みたいにどうしても遅くなる日はあっても、何も告げずに丸一日家を空けることなんて絶対しない!」


「うん……お兄ちゃんを信じる……」


 何ということだろう、儚く信頼を寄せられて、言い訳の言葉もなくゼントは自分自身を責める。

 ユーラが秘めていた感情は嫉妬などではなく、ただ不安の二文字だった。

 そして先程に一瞬でも怖いと感じてしまったこと。ただ本人は嬉しく盲目になってしまっていたことに、彼は今ここでようやく気が付き、同時に申し訳なく思う。



 ゼントの頭の中は罪悪感で満たされる。これだけ一緒にいれば少しは生活にも慣れてきて、己という仮の兄相手でも向き合い方が分かってきたものだとばかり……

 しかし彼女は初めてここに来た時から何も変わっていなかった。未だに自分が捨てられるのではないかと怯えて暮らしている。


 どんな我儘でもできる限りは叶える。そう伝えたにもかかわらず私的な要求は一切なく、むしろ家の手伝いの指示ばかりを打診していた。

 行動の意味するところ即ち、兄に棄てられるのではないかという怯え。決して棄てたりしないと言ったはずなのに。

 彼女にとって一番の理解者の言葉を信用しきれなかった。同時にそれは今に至るまで確固たる信頼関係を築けなかったということ。


 何がユーラをこんなにしてしまったのだろうか。破滅へ(いざな)う呪いとも呼べる不信。

 全ては赤い悪魔の仕業だ。しかしそれ以上に今まで自分は何をしていたのだと感じざるを得ない。



 帰ったらすぐにでもユーラと話し合おう。一から、そして自身の考え全てを。

 悔しくも約束を優先してしまいゼントは家を後にするも、心に置いた思考は表面にも溢れ出ていた。


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