第十五話『少女』
――とある少女の話をしよう。
彼女は身寄りのない孤児だった。
早朝、教会前で籠と共に捨てられた赤ん坊、
生まれて間もない産声を聖職者が聞きつけ、保護したのだった。
子どもを捨てたのは、やむにやまれぬ事情があったのか、それとも遊び半分にでも出来た子か。
前者であると願おう。でなければわざわざ教会前に置いた動機が分からない。
森の中にでも打ち捨てれば、魔獣共に食べられて証拠も残らないはず。
孤児という存在は、この世界では数え切れぬほどだが、ルブアの町ではかなり珍しい。
それが幸いし、少女は教会の聖職者や修道女に篤い愛情を注がれ、幼少期を過ごした。
なぜ幸いという言葉を使ったのかと言うと、他の町の待遇は大半が悲惨だからだ。
孤児で溢れかえるような町での孤児は、教会の資金不足で食事にもありつけない。
ごく一部だが、裏で心労の捌け口にされる場合すらもある。
孤児ではあったが、普通以上に環境に恵まれている。
だから幸いと言えた。
文字の読み書きなど、基本的な教育を施されながら、すくすくと成長していった少女。
亜麻色の髪を長く伸ばし、見目麗しい。
そんな可憐な少女でも、いつまでも教会にお世話になるわけにもいかない。
独り立ちをして、自らの力で生計を立てていかねば。
修道女として教会に属す、という選択もある。
だが、教会の教えを心のよりどころとしながらも、神の信者とまでは言えない。
過去の栄光しかない神なぞを崇めることができなかったからだ。
故に少女は冒険者協会に入ることを決めた。
教会の方からも、しばらくは住居の提供などの支援がある。何とかなりそうだった。
初めて協会の建物に入った。外に出ることもあまり慣れていないのに、
不安と緊張の狭間、書類に記入するために持った羽ペンが震えていた。
実習教育のために人を見繕うと言われ、受付の前で待たされた。
まわりには、筋肉質な人や、重い金属の鎧をまとった人が居る。
以前と教会に来た人間とは印象が違う。
自分なんかがやっていけるのだろうか。
不安に押しつぶされそうな心境の中、目の前に現れた“彼”を見た。
瞬間、体にあたたかい液体が流れていく感覚を覚えた。
いや、そんな表現はもう過去のこと。
胸の奥から赫い何かがどんどん込み上げてくる。
顔が熱い。見るだけで火傷しそうなほど赤くなっている。
この気持ちは何だろう。今まで感じたことも無い。
違う。こんな感情を抱くことが何度もあってはならない。
つい見惚れていて、口を大きく開いてしまっていた。
間抜けな顔を見せたりはしてないだろうか。
途端に自分の身なりが気になり始める。
服は……汎用性しかない無地で簡素だ。
どう見てもおしゃれな女性が着るものではない。
髪も最低限しか梳いていない……
恥ずかしくなって、顔を俯ける。
要するに少女は――
指導者として現れた彼に、一目惚れしてしまっていたのだった。
「俺が今から君に色々教える。途中で分からないことがあったら何でも聞いてくれ」
「は…はい……その、不束者ですが…、よろしく、お願いします」
……その後の事はあまり覚えていない。
子どもの頃読み聞かせられた本の中に、男性に一目惚れした女性の物語があった。
読み終わった時「一目惚れとはなんと愚鈍な事だろう」と感じていた。
それは、人の内面を見ずに表面上しか見ていない、ということではないかと、
物語でも女性は最初に惚れた男性に騙されて、結局別の男性と結ばれていた。
でも、実際に自分で体感したら、そんな考えは吹き飛んでいた。
自分は騙されない!神は人に二物を与えないと言う。
もしかしたら性格が最悪なのかも。
そう思い込んで気持ちを抑え込もうとした。
身構えもしたが、しかし全くそんなことは無かった。
彼は丁寧に説明してくれていた。
重要な点は何度も繰り返し教え込まれた。
慣れてない所を見て気を使ってくれた。
惚けていたせいで、内容が頭にあまり入っておらず、後で苦労したのだが……
でも嫌な記憶だけはしっかり頭に残っている。
要領が悪くて、不手際が何度もあった。
夜、一人で思い出しては悶絶してを繰り返すのだ。
ひたすら込み上げてくるこの想いが、どうしても抑えられない。
思い切って、自分の気持ちを伝えてみよう。
恥ずかしい、失敗したら……、なんて思考は一切無い。
ただ自分でも、どう対処すればいいのか分からなくて、そうする以外の選択肢が無かった。
翌日、すぐに行動を起こした。
でも……しようと思ってもできなかった。
建物に入って、辺りを見渡し、彼を見つけた。
心が、体が、歓喜に染まっていくのが分かる。
だが、同時に見つけてもしまった。
彼の傍で、親し気に話す茶髪の女性を……
身の丈に合ってない長い剣を持っていた。
彼のなんなのか、すぐに分かる。
二人は至上の喜びに満ちていて、自分なんかよりもずっと幸せそうで…
昨日はずっと一緒に居たが、彼のあんな表情は見たことが無い。
刹那――思わず走り出して、逃げ出して、一日中部屋に籠った。
修道女たちからも、様子の変化に心配されたが、
私の心は表面すら薄黒く、摩耗しきって、それどころではない。
しかし夜、頭が冷えて来た頃、教わった協会の規則を思いだした。
あの女性は恋人ではなく、ただのパーティーメンバーなのでは?と。
再びすぐに行動を起こす。
あの女性の事を、協会で嗅ぎまわった。
初めて話す人とでも、勇気をもって話しかけて、情報を集めた。
……そして絶望する。
彼とあの女性の関係は、恋人なんかよりもずっと深かった。
どうやら将来の婚約を誓い合った仲のようだ。
それからの少女の全ては、黒く、青く、灰色だった。
感情を忘れることができたのなら、どんなに嬉しい事か。
でも忘れられない。初めて味わったこの感動を手放すことなど不可能だ。
――私はどうしたら…………
それから私は、仕事を共にこなすパーティーも組めたし、安定した収入も得られるようになった。
教会にも、僅かばかりだが寄進しては恩を返している。
全くもって順調だった。たった一つの心残りを除いて、
心を紛らわすために、服や髪型にこだわってみるも、むしろ虚しさが募るだけだった。
一目ぼれした彼のパーティーは、自分なんかよりもずっと凄腕で、
古代の遺跡を探索しては、毎回成果を上げてくる。
とても優秀で、町でも一目を置かれていた。
自分とは真逆の存在、元から釣り合う存在ではなかったのだ。
そう自らを卑下し、情緒を保つ。
そして実習教育を終えた後は、接点も無くなった。
――そんなある時、転機が訪れた。
彼の傍にいたあの女性、
いや、あの女がいなくなったのだ。
話によると、亜人の森にある遺跡の探索中に事故が起こったらしい。
それに巻き込まれ、そして……
だが彼だけは生き残って返ってきた。なんと喜ばしい事か。
事故から毎日を廃人のように過ごしているが、これは明らかに好機だ。
彼は今、心に穴が開いてしまっている。
とても広く、深く、大きな穴が、
であれば、私がその穴に埋まろう。
全部塞ぐことは無理でも、それでも罅の隙間は無くせる。
そうすれば、再び彼は立ち直れる。
そして立ち直れた時、彼は何を思うだろうか。
きっと私を褒めてくれる。
私を見てくれるようになる。
初めて会った時のように、私だけを……
三度目の行動を起こす。
様子を見ながらも、食事を作った。
はじめ彼は受け取りを拒否したが、無理やり押し付けるように渡した。
彼の為を想ってでもあったが、それよりは恩を売りたい気持ちの方が強い。
段々会話もするようになったが、彼の前では素直になることができない。
つい天邪鬼な態度を取ってしまうこともある
食事もあまり効果は無かったかもしれないが、時間を掛ければもっと心を開いてくれるはずだった。
今思えば、随分と呑気な事を考えていたもんだ。
……そして今に至る。
後は皆の知っての通りだ。
新しい黒髪の女が突然現れて、なりふり構っていられなくなった。
この目で直接見た訳ではない。
だが、新米ごときにあの彼が動くなんて未だに信じられない。
余程、美しい女性だったのかもしれない、と……
そうだ。“アレ”を使おう。
食事に入れて食べさせる。
前に見かけて、店で破格の値段で売られていたが、今なら買えるはずだ。
実行するだけで、私は心を満たすことができるようになる。
何も心配しなくて済む。
再び彼を取られてなるものか。
あんな思い二度としたくない。
夕方に彼の後をつけた。
思えば彼の住んでいるところを知らなかった。
今まで知らなかった方がむしろ恐ろしい。
新しい女が一緒に居たり、聞き捨てならない会話をしていたり。
女の印象は?と言えば、まあそれなりに美しいと言えただろう。
だが、おどろおどろしい見た目が彼の好みなのか?
趣味が悪いどころの話ではない。
予想外の事がかなり多いが、一切関係ない。
すべきことをする。ただそれだけだ。
私は勇気をもって話かけた。
「楽しそうだけど、親し気に何を話しているの?」




