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常日頃から考えていた。
どうすれば生きるための糧を得られるのか。
最善は何なのか。
体を動かし、実践して検証し、合理的に判断していた。
どうすれば彼から食べ物が得られるのか。
とにかく生きることだけが全てだった。
ある晩、彼以外の人物が部屋に現れた。
彼は彼女に、色々なものを渡していた。
そして囁いていた。
“■■■■■”――と。
当時、言葉の意味が分からなかった。
でも、言う時の仕草、艶めかしさ――
それらを見ていた。
そして、言葉を聞いた瞬間、
私は生きていくための食べ物の事なんかどうでもよくなっていた。
『その言葉が欲しい!』
私の思いは、ただその一点になっていた。
初めて聞いたときから、私の中に今もずっと留まっている言葉。
誰でもない、他ならぬ彼からその言葉が聞きたかった。
それもただ聞けたらいいのではない。
私にだけ向けられた、その言葉が聞きたいのだ。
いつからこんな感情を持つようになってしまったのだろうか。
そして……何故……
明らかに合理的じゃない。
――そうだ。これは生きるためなんだ。
彼に囁かれていた人物――その人物はあれからも彼に色々な物を貰っていた。
きっと生きるために必要なものに違いない。
そして、いつもと同じ言葉を何度も囁いていた。
それらは本来、私にこそ与えられるべきだ。
彼の事を誰よりも好きな私にこそ。
でも彼は食べ物以外何もくれない。
実際生きるためにはそれだけで十分だった。
だとしても彼から貰えるものには、それ以上の価値があるのかもしれない。
そして、貰える何かを得るためにはあの言葉が必要不可欠なんだ。
それからというもの、私は頭の中がいっぱいになっていた。
あの言葉が、どうすれば聞けるのか。その一点で、
私が行動を怠っても、彼は何も言わず食べ物をくれた。
おそらく今までの行動は無意味だったのだろう。
彼からは頻繁に言葉を語り掛けてくれた。
もしかしたら中に、あの言葉があったのかも知れない。
仮にもしそうだったとしよう。
――でも違う、そうじゃない。
あの妖艶な声色で!仕草で!笑みで!
私に言葉を語り掛けてほしいのだ………
彼女には何度も言葉を語り掛けているのに、それが私には一切ない。
彼女にあって、私には無いもの――それはなんだろう。
何か条件があるのだろうか。
それを探るために、彼女を模倣することにした。
しかし、この体ではその人物の動きを再現することは不可能だった。
あの人物どころか彼の動きの再現すらできない。
私と彼は違う存在とでも言うのだろうか。
いや、そんなはずはない。
なぜその女なんだ。
彼には他にもっといい人が居るはず。
例えば……私のような……
彼の事をこんなに想っているのに、そんな事があっていいはずがないだろう。
これは、そう。
まだ私が未熟だからに違いない。
いずれ体が成長すれば、私も彼やあの女のように成長できるのだろう。
そう思っていた。
では、今の私が何を模倣できるのか。
私はそれから時間を掛け、二人の会話を聴き続け、おぼろげながらも言語というものを習得していった。
そして会話の中に、頻出する単語を見つけ出した。
二人にまつわる固有名詞なのだろう。
単語を言い合う度、互いに振り向き、笑顔を見せていた。
彼の名前は分かった。
そして、私が成り代わってやりたかった人物のも………
その人物――彼女の名前はライラ――
そしてそう、私の名前はライラ――
過去のお前を含めて、全部私の物にしてやる…………
いや、もう既に私の物だ。
ただ、彼が知らないだけ……
◇◆◇◆
――あれから長い時間が経った気がする。
かつてとは、何もかも違う。
体の一部を振動させて、声を出せるようになった。
容量や質量が増えて、思うがままに操れる。
人間の暮らしを垣間見て、常識を学んだつもり。
全部必要な事だと思った。
大丈夫、記憶は全部、体に残っている。
段々と自分が何者なのか分かってきた。
だが何も問題は無い。
当てもなく、世界を放浪していて、
再び彼を見た。見つけた。
彼はあの時からすべてが変わっていた。
見た目も雰囲気も変わり、微かに顔に残る面影だけが、私のかつて記憶と一致した。
でもまた、私を助けてくれた。
間違いなく、彼はあの時のままだった。
そして、彼は悲しそうだった。
見た目には出していない。でも私にはわかる。
誰が悲しませたんだ?
あの女か?
私なら彼を悲しませることは絶対しないのに……
思わず後を付けた。
記憶と一致しないものがもう一つ。
女が彼の傍にいないのだ。
彼の住居と思しき場所でも、監視した。
辺りが暗くなってくるが、あの女はいつまで経っても現れない。
やがて彼は固い地面で横になり、目を瞑る。
そして異変はすぐに起こった。
体も激しく動き、脈が速くなって、体中から汗が噴き出していた。
うなされていたのだ。
心配になり、彼の元へ近づく。
彼は、うなされながらもあの女の名前を何度も呼んでいた。
彼の体を揺すり、目を覚まさせた。
私は完全にライラを模倣している。
今なら彼を――あの女にとって代われるかもしれない。
そんな安直な考えだった。
「――どうしたの?うなされてたみたいだけど大丈夫?」
その喋り方は完全に、女そっくりに真似ていたものだった。
しかし彼は私の姿を認めると――
「――その姿で!声で!俺に近づくな……!!」
私は今まで聞いたことない彼の怒声に恐ろしくなり、刹那の内に暗闇を後ずさる。
この姿では、何かがだめだったのだと、
瞬時に悟った。
私は見た目を変えた。
伴って声も変わる。
見た目はどうすればいいのかは私には分からない。
だから私は、自分の直感を信じて体を変化させた。
今まで聞いたところによると、
体の表皮は白い方が男性は好きらしい。
そして髪の毛は艶が出やすい黒が、
瞳は彼が好きだった色の赤
人間と同じように細くは再現できない。
どうしても表皮と同じく、大雑把な色合いしか出せない。
……でも、できた。
これなら彼は私を気に入ってくれるかな?
――ふふふっ
翌朝、町の人間に聞くと、あの女が既に亡くなっていたと知った。
これは千載一遇のチャンス。
今なら、彼を私の物にできるはずだ。
昨日の彼の様子、間違いない。
理由は分からないが、あの女を嫌っていた。
だから、あの女の姿じゃ駄目だったんだ。
何か彼に近づく方法があればいいんだけど……
それも、明日以降考えればいいか。
しかし、この時の私は、なんて無知で、愚かだったのだろう。
彼はライラの名を呼んだ。つまり、名前だけは変えなくても良いと思い込んでいた。
彼相手に、姿かたちだけで良いと思い込んでいた。
忘れていたならまだしも、あまりに滑稽だった。
――そしてそれは、私に残ったただ一つの過ちになった。




