最終話
二人と別れたあと、ゲクトと典子は雪の降る道を黙ったまま歩いていた。
いまだ雪はチラチラと降り続けている。
「典子」
「覚さん」
そんな二人が重苦しい沈黙を破るかのごとく、互いの名前を呼んだ。
二人は立ち止まり、向き合うと見つめ合った。
「えっと…」
「あの…」
再び同時に口を開く。
そして、二人一緒に吹き出した。
「典子が先に言いなよ」
「ううん。覚さんが先に言って」
「そっか…じゃあ」
ゲクトはそう言うと、背筋をしゃんと伸ばした。
「典子、ありがとう」
典子はゲクトにお礼を言われるとは思っていなかったらしく、きょとんとした顔を見せた。
ゲクトはその顔をかわいいと思った。
彼女の良さは他人の言動を持前の天然さで受け流すところにあったりする。それは芸能人の妻にとってもっともなくてはならない資質なのかもしれない。
彼女と結婚した当初も、熱狂的なファンから様々な嫌がらせがあったものだが、彼女はそれは当然のことと当たり前のように受け止め、どんな嫌がらせに遭ったとしても泣き言をもらすことはなかった。それはもちろん、まったく気にしてなかったとは思っていない。恐らく、友人や貴世子に相談もしていただろうし、貴世子あたりは裏でこっそり報復行動に出ていたかもしれない。だが、そういったことはゲクトは聞かされることはなかったので、想像するだけであったのだが。
そのうち、典子もバンドの一員としてキーボードを担当するようになると、彼女の人柄に触れたことにより、彼女自身にも男女ともに多くのファンがつくようになり、最近ではほとんどそういった嫌がらせはなくなった。
(うん。本当に運命の人なんだなと思うよ)
彼は雪子が言っていた言葉を思い出していた。
「覚さん?」
お礼を言ったあと、黙ってしまった自分の夫を不思議そうな目で見上げる典子に、はっと我に返ったゲクトは続けた。
「今日は君がいてくれてよかった。だからありがとう。本当に思うんだ。君がいてくれて、そして、君が僕と出会ってくれて、よかったなあって」
「えーそんな大したことしてないよー」
典子は照れたように笑う。
「いやいやいや、マジほんとだから。ああやって雪子と面と向かって会って、普通に話せて、ちゃんと彼女との間のわだかまりを消して、彼女の幸せを祝うことができたのも、君がいてくれたおかげだ。お礼を言っても言いきれないほどだよ」
「ええーそうかなー」
彼女の頬がますます赤くなる。
そういうところが出会った頃とまったく変わってないなとゲクトは思う。
「ああ、そうなんだよ」
ゲクトはそう言うと、やさしく典子を抱きしめた。
しばらくそうしていたが、ふと気づいてゲクトが聞く。
「そう言えば、典子は何を言いかけたの?」
「あったかいね」
彼女はその言葉に答えずにそう言った。
それからそのまま抱き合ったまま典子は言った。
「あったかい家庭築こうね。三人で」
「え、それって…」
ゲクトはその言葉に込められた意味をすぐに理解した。
そして、何か言おうとした彼を懐から見上げて典子がすかさず言う。
「四週目に入ったって」
「ほ、ほんとに?」
ゲクトは満面の笑みで彼女の身体を持ち上げると、その場でくるくる回った。
「ちょ…覚さん、それはまずいでしょ」
「あ、ごめん。つい嬉しくて」
ゲクトは典子をそっとおろすと謝った。
「あたし、がんばるね。生まれてくることのできなかった赤ちゃんの分までがんばって産むよ」
「もちろん、俺も全面的に協力するよ」
二人はお互い見つめ合うとどちらからともなく手を繋いで歩き出した。
その手はしっかりと握られていて、二人の絆の強さが感じられた。
二人はゆるぎない足取りで歩きだす。
そんな二人の後に降り続く雪が二人の足跡を残していき、そして、消していった。
あとに残るは白い白い雪のみ。
まるで二人の未来を二人の力で色づけていけと言わんばかりに。
雪は降り続く。
僕らは雪の中出会った
雪降る中で出会った
君の笑顔に愛しさが溢れ
君の笑顔を守りたいと思ったんだ
いつしか僕から消えてしまうシアワセだと思わずに
あれから流れる幾年
思い出せば苦しくて
君は思い出すことあるだろうか
僕らが過ごした愛しくも幸せな時を
雪に残る僕らの足跡が
まるで過去の罪のように消えずに残る
消えて欲しいと思いつつも
いつまでも消えて欲しくないと思う
そんな愚かな思いさえも
真っ白な雪は嘲笑うように降り続く
きっといつか言えると信じてアリガトウと
僕らは再び雪の中出会う
その時は幸せな顔をして会えるはず
君には泣顔は似合わないから
きっと幸せに笑っているはず
君の笑顔は最高だから
アリガトウ僕と出会ってくれて
アリガトウ僕を愛してくれて
アリガトウ僕の白い恋人
有難う
ゲクト新曲「白い恋人たち」は彼の子供が生まれた日に発売された。彼にとって人生のターニングポイントにもなった一曲となった。彼は言う。「たとえ、その出会いが最悪なものだったとしても、最初はそうじゃなかったはず。出会ってからその後にどんなことになったとしても、最初の気持ちを否定しないでほしい。自分と出会ってくれてありがとうという気持ちを持ってほしいと思ったんだ。悪いことを忘れろとは言わない。けれど、良かったことの方をもっとクローズアップして思い出せれば、悪かったことも少しは、ま、いっかと思えるはずなんだよ。そうやって、他人を許すってことも大切なんだと、自分の子供が出来て思ったんだよ。だから、みんなも少し、そういうことを考えてみて欲しいな」
さらにゲクトは言う。
「白い白い世界で、これから色づいていく人間関係を思う。どんな色になったとしても、それは自分で色づけしたもの。それを愛しく思う心が人には大切なんだよ。自然と有難うという言葉が出てくる。有難うって本当に良い言葉だよね」
そうして、彼は慈悲深い笑顔を見せた。
それはまるで菩薩のような笑顔だったという。