第2話
その日、ゲクトは鎌倉の寺院巡りをしていた。
芸能界に入ったはいいが、やはりすぐに売れるということはなく、こんなふうに外に出ていても誰にも注目されることはなかった。そんな中、何とか有名になりたいという思いから、芸能に効くという寺院を教えてもらってここまでやってきた。
寺で熱心に祈祷したあと、彼はあてどなく鎌倉を歩いていた。
ずっと何かに追われるように走り続けてきた。
芸能界に入る前に泣く泣く別れた彼女の強い想いも彼を焦燥感に駆り立ててもいたし、その前に別れた年上の彼女のことも思い出すと、更に自分はこの世界で何としても成功しなければと、そういう思いで時折り、心が潰れそうになることもあった。
「だが、俺はやり遂げなければならないんだ」
そんな使命感のようなものもまた同時に感じてもいた。
「あ…」
そんな時に空から白いものが落ちてきた。
「あ…雪」
「え?」
彼は驚いて振り返った。
彼の後ろにはこちらに背中を向けて立っている女性がいた。
そして、振り返った彼と同時に、その彼女も振り返った。
時が止まったように彼には思えた。
だが、それは一瞬で、次の瞬間、振り返った彼女はニコッと笑い、「雪、降ってきましたね」と涼やかな声でそう言ったのだった。
恋に落ちた瞬間だった。
「それからすぐに俺たちは同棲するようになったんだ」
ゲクトは空を見上げた。目を細めて落ちてくる雪を顔面で受け止める。そして、繋いでいた典子の手をさらにギュッと握りしめ、絞り出すように次の言葉を発した。
「一緒に住むようになって半年が経った頃だったか…やっと少しづつ売れるようになって、これからっていう時に、彼女が妊娠したんだ」
「え…」
ゲクトの言葉に典子は戸惑った。
それはつまり、彼にはもしかして隠し子がいるってことなのか、と、彼女は一瞬思ったようだった。だが、それなら結婚する前に典子に言うはずだ。言わずに結婚するほどゲクトは誠意のない卑怯な人間ではないことは、十分すぎるくらいに彼女にはわかっていたからだ。
「ごめん。こんな大事なことを黙ってて」
典子の困惑ももっともだというように彼は苦笑した。
「いつかは言わなければと思っていたよ。でも、まだ君に話せるくらいの勇気は俺にはなかったんだ。話したら君に嫌われるんじゃないか、君に軽蔑されるんじゃないかって、そればかりが気になってしまってね、どうしても言えなかった」
「じゃあ、どうして今?」
ゲクトは典子をじっと見つめた。
「そうだね。なんでかな。うまく自分の気持ちを説明できないんだけど、やっと辛い過去と向き合うことができるようになったからとしか言いようがない。でも、これも君のおかげだと思っているよ」
彼はそう言うと典子をギュッと抱きしめた。
「覚さん…」
「ああ、君はあったかいね。君を抱いてると本当に安心するよ。なんだか全てを許してもらえそうで…こんなふうに本当に甘えてしまっていいのかなって思うんだが」
「全部話してみれば少しはあなたも楽になれると思うよ」
「うん、そうだね。やっと話せるよ。封印していた過去を。俺の罪を」
そして、ゲクトはゆっくり歩きながらポツリポツリと話し始めた。