2・モヤシ
朝日の注ぎ込んでくるカーテンの隙間。その脇にあるベットでは裸の女がシーツに包まりながら寝息を立てている。現在の時刻は7:30。一般的なサラリーマンならスーツを着て身支度を整えている頃であろうが、俺はただただ無言でタイピングをしていた。
そこのベットで寝ている女優をメインに扱った台本、締切には充分時間があるが、刺激を受けたタイミングで書いてしまいたかった。
「…早起きですね」
女が声をかけてきたが、反応する気はない。別に抱きたくて抱いたわけではなくいわば接待だし、相手も乗り気だっただけの話で、夜が明けてまで会話するつもりもなかった。
「そうやって無視して。みんなが言っていた通りですね」
女は後ろから腕を首に絡めてきたが煩わしさから払ってしまった。「ケチ」と呟くとベットに戻り服を着ていることが画面の反射から見てとれた。
こうして、作品を書くために女を貢ぎ物として賜ることになるなんて、7年前には考えてもいなかった。
「豆苗先生って、実は欲ないでしょ?私こう見えて抱きたい女優にランクインしてるから傷付くんだけと」
おおよそ傷付いている声ではない。しかし、これだけ話しかけてくる女も珍しいと思い、首を鳴らして椅子を回転させて向き合うと、下着姿の女…伊藤美樹がベットに腰掛けていた。
「仕方ないだろう?俺に興味がなくてもヤル気満々で皆来るんだから」
「男の恥ってこと?残念、本当に抱きたくないのに抱かれる方が女としては屈辱です」
「少なくともお前は、そう思ってない様子だがな」
「先生と同じです。仕事ですから」
芸能界を牛耳るお偉さん方の頭はまだ昭和のようで、金と女を掴ませておけば言うことを聞くと思っているし、女にも決定権を持つ者に股を開けば良いと刷り込んでいる。そうしなければ売ってやらない、という嫌な習慣に逆らっても良いことは無いのでお互いの体面を保つために受け入れてきた。
作家として名前が売れ始めたときに初めて接待が行われ、そんなのくだらないとスルーしたら脚本家が変えられたことがあった。プロデューサーに問い合わせたところ2人だけの飲み会で「女優を選り好みするからだよ」と言われた時にはあまりのくだらなさにその場で吹き出してしまったが、それ以来仕事のためと最低限のことはするようになった。
養成所に落ちたことは却ってよかったと思う。
当時の俺はコネや繋がりを軽視して、実力が有れば問題なく売れる、人気が有れば役者になれると本気で思っていた。視聴者の意見が絶対だと。
自分が作家になり、決定する権利を持ち始めた時にそんな幻想は一瞬で砕けた。大きな金の動くプロの世界なんて、決まりきったレールに乗れる人間が勝つのだ。
トレンドや流行はすでに決まっている。このファッションを流行らせましょう、今季のトレンドカラーは赤でいきましょう。赤の似合う子をピックアップしてください。それならこの子の認知をあげましょう。
短くても半年。早ければ2年前から決まっている出来レース。そんな出来レースの歯車として工場長の目に止まった形をはめ込むだけの単純作業。
そう言う俺ですら、その歯車のちょっとだけ管理者側に近いだけのパーツにすぎない。
工場長のご要望の作品が書けなくなったらお払い箱なのは理解しているが、役者をやっているより短い時間で金になる。顔も出していないから、人から注目もされない。自由に生きていける。
「仕事の割に楽しんでいたようだが?」
「仕事だから楽しめるんです。ドロドロの恋愛なんてドラマで充分」
清純派女優が乱れる姿を見ても興奮しなくなったのは接待が3回も繰り返された時だったろうか。目の前の女と同じようなリアクションが珍しくない。俺も今までの女も、歯車であることを理解している。むしろ、女の方が強かだろう。
この女にしたって、テレビの中では下ネタNGで有名で、膝肘より先を露出したこともないくらいに徹底した管理をされている。そんなことも珍しくないし、10代前半の話が来たこともあったが流石にリスクの高さから断った。直後別の人間が週刊誌砲をぶっ放されていた時には、自分の危機管理に感謝したものだ。
「今回そんなドロドロの恋愛が制作サイドからのオーダーなんだが?」
「それは、こちらからのお願いでもあるんです。20を超えた人間が清純気取るのも辛いですから」
「濡場の要望はそう言うことか」
「先生には先んじて見ていただいただけですよ」
女はおかしそうにクスクス笑う。そうやって生き残りをかけて予測付かない荒波に乗っかり生きている。俺も、それだけの強かさが有れば今頃は役者でいれたのか、という考えが浮かぶもすぐに頭から取り払う。
今の生活になんの不満があると言うのか。
「さて、そろそろ帰らないと」
「朝帰りなんかしたらすっぱ抜かれるぞ?この前のグラドル、キミのところの後輩じゃ無かったのか?」
「あぁ、あの子?アレは見せしめでこちらからの依頼ですから。先生のところに泊まるのは連絡済み。逆にお話を通しているので出版社の方々はご存知です」
さも当然のように口に出す女に、一瞬背中が冷たくなる。女は下着姿のまま近づいてきてスマホを見せて「LINE、交換しておきましょ?」とアプリを起動する。
「生憎、個人との連絡は交換しないって決めているんでね」
「さっきの話聞いて断る勇気があるなんてすごいですね」
「逆だろう?キミのイメージを守るように動いているなら、ここで断っても俺にダメージはない」
女は苦笑を浮かべて、素直に頭を下げる。
「ごめんなさい、冗談です。…ここで慌てないあたり本当に交換して欲しくなっちゃいましたけど」
「通話が嫌いでね」
「かけませんよ、そんな誰に聞かれるのかわからないことなんて」
「普通ログに残る方が気にしないか?」
「逆ですよ。身の潔白にはログに残った方が」
「なるほどな」
俺はスマホを取ると、QRコードを表示する。
「良いんですか?」
「そっちから通話しなければ」
「了解でっす!」
女は敬礼しながら、QRコードを読み取ると目の前でスタンプを送る。
「これで名前覚えてくれますか?先生、役者の名前覚えないことで有名ですから」
「考えておく」
俺はそれだけ言うと、再びキーボードへと向かった。
今の生活は、満足だ。
そう、自分に言い聞かせながら。