ダイコン・1
いつもの居酒屋に行くとすでに劇団の3人は出来上がっていて、思い思いのツマミを頬張っていた。
「お、ダイコン。遅かったな」
ビールジョッキを片手に手招きする柳。その声に反応して1組の男女も店の出入り口に目を向ける。
「いつもいつもこんなに遅くまでダメ出し聞くことないのに」
「そういうなって。ダイコンがダメ出しを聞いてくれるから俺らがこうして酒飲めてるんだから。なぁ、ダイコン?」
横川はため息をつきながらカシオレの入ったグラスを傾け、横川を宥めて男に話しかける湯沢。3人の男女の会話の中に「あはは」と笑いながらテーブル席に着く。
「ダイコンさん、いらっしゃい。いつもの?」
「シュウさん、ありがとうございます」
注文を聞きながらも目の前にジョッキを置くとカウンターの中に入っていく。
テーブルの上には焼き鳥が串から外され、ポテトが置かれ、だし巻きにはおろしがたっぷりと乗っていた。この時間、稽古上がりにはいつも立ち寄る個人居酒屋のテーブルはほとんど自分たちの専用席になっていた。
「キミたち、せっかくモヤシくんが忙しい中時間を作ってくれているんだから、ダメ出しを聞いてあげないと」
今、店内にいる客のグループは自分たちだけ。そのためかシュウさんは砕けた様子で話しかけてくる。
「忙しいのは俺らもですよ。毎週稽古で休みなんかありゃしない。店長にぐちぐち文句言われながらシフト組んでいるんですから」
「私も会社休むの大変なんだから。有給、稽古に使えないし」
「ダイコンはシフト組む時なんか言われないか?」
「僕は、自由にさせてもらっているから」
ポテトにケチャップをつけながらみんなの言葉に相槌を打つ。すでにしなり出したポテトを頬張り、ビールを喉に流し込む。
「それは色々大変だね。でも時間用意しているのはモヤシくんも同じでしょう?」
「あいつは自由業じゃん。時間の自由最大だから関係ない」
「作家さんも大変だと思うけど」
すでにシュウさんはカウンターから出てきており、ジョッキ片手にビールを飲んでいる。そういえばさっき暖簾を下げていたように感じる。
「そうは言っても、自分がノルマこなせばあとは自由でしょ?うちらはちゃんとした社会人してる中で稽古してるんだから、こっちのことも考えてくれないと。なぁ、ダイコン」
そう言いながら背中を叩く湯沢の勢いに、ジョッキを落としそうになる。シュウさんの店に来ると決まってモヤシの愚痴をこぼす時間になるのが僕は好きじゃなかった。
徐々に愚痴大会は盛り上がっており、シュウさんは適度に相槌を打ちながら、お酒を飲んでいる。えと、僕たちお客のはずなんだけど。
「この前のノルマの件もさ、今回状況が状況だから少しくらい減らしてくれてもいいじゃん。それなのにヤツ、なんて言ったと思う?『最初に契約したこと、そっちの都合で変えるの?』だってさ」
明らかにバカにしたようなモノマネをしながら柳が言う。
「でもさ、モヤシくんの言ってることもごもっともじゃない?別に急に増やした訳じゃないんでしょ?」
「そうは言っても大雪ですよ、大雪!売ってた分、キャンセル出まくって、見ていないならチケ代払えないって言われたんですから!」
柳が新たに届いた焼き鳥を串ごといきながらビールを流している。酔っているせいもあり、段々とテンションが上がっているのを宥める。
チケットノルマというのは、小劇場界隈で行われるシステムで前もって自分たちでチケットを購入して自分の決まってる分を売ってペイする。
プロであれば自分が出演したことによってギャランティが出るのだろうけど、自分達の芝居にお金を出してくれる人なんていない。自分達でお金を出し合わないと劇場も借りることなどできない。そのためにチケットを先に購入してお金を集めるのだ。
あらかじめその人達に振られたチケット枚数は決まっていて、公演稽古に入る前に契約書を結ぶ。モヤシの打つ公演の場合大抵3,000円のチケット20枚で1人の負担は6万円。これを2ヶ月に
1回モヤシに納めて製作費に充てるのだ。
この額でも割と安い方で、大きい劇団だと4,500円のチケットを30枚ノルマとして課せられることもある。
小劇場界隈はとにかくお金がない。それでも細々と公演を重ねていつしか普通の仕事に就いて卒業していく。その中でも僕たちは恵まれている方だった。
週に1回、月曜日の夜に稽古をしてみんなでこういう風に飲む生活はもう5年にもなるだろうか?きっかけは声優の養成所に通っていた同期で劇団を立ち上げたことだった。
いや、違う。みんなモヤシに芝居をやらせてもらっているのだ。唯一、合格しなかったモヤシに。
所属オーディションの合否通知はカラオケで受けようと決めて、みんなで部屋に集まっていた。僕だけじゃなく合計6人、そこには僕たちの中で合格確実と言われたモヤシもいた。
合否は合格者のみに通知されると言われていて、誰にメールが来なくても応援しようと決めていた。お昼からカラオケを始めて、事務所が空いているのは夜の6時まで。つまりその時までに来なければ不合格と決まっていた。
みんな、電源は切っていた。6時になった時に電源を入れようと約束していた。気が気じゃないカラオケを続けたその日、6時になったらみんな同時に電源を入れた。
僕を含めた5人には通知が来ていた。所属のランクは預かりやジュニアだったが合格には変わりなかった。僕たちの中で1番上手だった、モヤシを除いては。
「ダイコンさん、もう起きな?」
シュウさんの声で目を開けると、いつの間にか机に突っ伏していた。頬に木目のアザが付いていることが手に伝わる感触で分かる。
「ごめんなさい、寝てた?」
「疲れてたんでしょ?いいよ。お題はみんなが払ってくれているから」
「え、悪いよ」
「いいんだよ、みんながダイコンさんに多めに払わせようとしてたから、ダイコンさんが来るまでの料金はきっちりあの子達で割っただけ。ダイコンさんは880円」
ビールとお通しだけの値段を伝えてくるシュウさんに「ありがとうございます」と1,000円札を出す。
「店自体は閉めてるけど、今日もさくらちゃん待つんでしょ?追加なければそのまま居て良いから」
「いつもすみません」
「モヤシくんも来てくれれば良いのに…と言ってもあんな空気じゃ来れないか」
養成所時代に見つけたこの店はモヤシも何度も来たことがあるが、劇団を立ち上げてから1度も来たことはない。
いや、1度だけ。この劇団を立ち上げた時に立ち寄った。
なんとか養成所に残った僕含めて柳、湯沢、横川の4人はそれぞれの立場でプロとして扱われたが、2年も持たずにみんな辞めていた。もう1人残ったさくら…当時から付き合っていた僕の彼女はモヤシの不合格を受けてすぐに辞退の電話を入れていた。「みんなで残れなきゃ意味ないから」と言っていたが、その後僕と同棲を始めて不安定な収入面を支えてくれたことを考えると、僕のためと気付くことにそう時間はかからなかった。
僕たちはバラバラになりアマチュアの劇団で芝居をしていた。そんな日々が1年も続いたある日、モヤシからみんなに連絡が入った。
『劇団を作る。お前も来るか?』
そっけないながらも、モヤシらしい文面に、1も2もなくOKした。さくらには連絡が入っていなかった。
久しぶりに5人で会う、初顔合わせ。モヤシを待つ最中に他の3人が話していたのは、モヤシが脚本家として良いスタートを切っているということだった。
「ふとちゃん、いる〜?」
他の人は呼ばない、僕の呼び方を言いながらさくらは扉を開く。
「さくらちゃん、お迎えご苦労様」
「シュウさんねぎらいのお酒は?」
「暖簾下がってるの見たでしょう?」
「えーいっぱいくらい…あれふとちゃん、顔どうしたの?」
そう言いながら自分の頬に円を描くさくら。「あぁ、さっきまで寝てたから」とシュウさんが答えると呆れた様子で首を傾げる。
「こん詰めるのもいいけどさ、疲れてるんじゃないの?」
「ほら、モヤシくんにコッテリ1人で絞られたから」
その言葉で全てを察したさくらはため息を吐く。
「せっかく忙しいモヤシがみんなに付き合ってるのに、何やってんだか」
「仕方ないよ、僕が1番下手なんだし」
「そうかなぁ?ダイコンさんの芝居、味があって良いと思うよ?」
「シュウさん、もっと言ってやって。ふとちゃん私が何度言っても絶対に認めないんだから」
「そりゃ、モヤシからアレだけダメ出しを食らえばね」
3人がこの店に来るのが早いのは何もみんなが逃げ出しているわけではない。モヤシのダメ出しが終わることが早いのだ。僕が稽古で逐一時間をもらって一個一個直してもらわないとみんなに追いつかない。ただそれだけのことだった。
僕の言葉を聞いて2人はなんとも言えない間を持って同時に頷いていた。
「ほら、本当に店じまいだから。2人は明日も仕事でしょ?」
「はぁい。シュウさん、いつもふとちゃんたちをありがとうございます」
「いーえ。こちらこそいつもありがとうね」
僕らは2人で頭を下げるとシュウさんの店を後にした。
店の前に停めていたさくらの自転車のカゴに、僕の荷物を乗せて押していく。
稽古後にシュウさんの店で閉店まで飲んでさくらの帰りを待つ、そして一緒にアパートまで歩くのはいつものことだった。
正直、僕よりもさくらの方が芝居はうまかったし、期待もされていた。養成所の合格ランクが僕は預かり所属という勉強をする必要がありますが期待を込めて合格だったにも関わらず、さくらはジュニアというプロとしてお願いします合格だった。僕たち5人の中で唯一のジュニア。そんなさくらが僕を支えるために芝居を諦めて、派遣社員をしていることが、正直心苦しかった。
そのことを真剣に話したときさくらは笑いながら「いつまでも、夢見てられないからさ。ふとちゃんが夢を追ってくれたら私は嬉しい」そう言われて、僕は芝居を辞めるタイミングを失ったのだった。
「今日さ、新人の人に電話の取り方教えてて。怖かったかなぁ、声裏返りまくりでさ」
「そっか、もうそんな季節なんだね」
「うん、やっぱりこの時期は初々しい人が多いよね。あ!」
「びっくりした…。どうしたの?」
「さくら!見てない!」
「あ、お花見…」
「毎年楽しみだったのに…。ふとちゃん!タイムマシン!」
「有ったら良いよね」
2人で毎年していたお花見、そのことを忘れるくらいにどっちも忙しかったのかと僕は少し憂鬱になる。
プロではない。そんな僕がこのままいつまで芝居を続けていけるのか。
毎年の約束を忘れてしまうほど余裕を無くした心に、ぶり返した北風が染み入っていった。