後編
考えてみて欲しい。
あなたは勇者だと祭り上げられ、勇者であるからこの刺さった剣が抜ける筈だと言われるとしよう。「僕が勇者、世界を救う為に剣を抜かなきゃ」と格好つけて引き抜こうとしてうんともすんともいかなかったら、とても恥ずかしい思いをする事になるだろう。
そんな羞恥に耐えられる筈がない!
王城の敷地内にある枯れ果てようとしてる池の前で、ユナは痛々しさを想像して両手で顔を覆っていた。
いつもの様にご機嫌伺いとして部屋を訪れたマッカイとトルドレイクに連れ出されて来てみれば、綺麗に整えられた庭園に不釣り合いな水嵩の減った池に案内された。マッカイがにこやかに話しかけてくる間、ユナとトルドレイクはお互いに視線で睨み合いをきかせていたが。
そこは、水深が二メートル程あるが、今はその半分以上水が入っていない様だった。
「昨日までは問題無かったんだよ、今朝侍女が見つけて私の所に報告が上がってきた。この城まで原因不明の脅威が迫ってきているみたいだ。何故ここだけ全て干上がってないのかは分からないが、今、街の井戸の状況については調査に向かわせてるよ」
悩ましげに眉を下げるマッカイの説明を、王様は大変だなぁと同情して聞いていたのだが、両脇の男二人に無言の圧力をかけられている事に気付いて慌てた。
「え、ちょ、だから無理ですよ?」
「ユナなら出来る!やるだけやってみよう?」
「お前がやらなくてどうする、なんの為に呼んだと思ってる」
「ええー?」
他人がいると気が散るだろうからと、二人は少し離れた位置でユナを監視している。逃げ出す事も出来ない状況で、どうすればいいかと頭を抱え、混乱していた頭はとりあえず両手を空に掲げてみた所で冷静になった。
そして今、顔から火が出る程の恥ずかしさに耐えている所だ。
指の隙間からチラリと空を見て、先程と変わらぬ快晴に羞恥心が煽られる。
「無理、ほんと無理。死ぬ。恥ずか死ぬ…」
池の縁でしゃがみ込み悶絶する。
「ゔゔぅ〜、ああぁ」
そんな一人悶えているユナの耳に、どこからかおっさんの呻き声が聞こえてきた。
周りには誰もおらず、ユナから離れた後方にいるマッカイとトルドレイクは声が聞こえる距離ではない。
まさかと思いつつ、池の中を覗き込む。
池の底、かろうじて残っている水の表面に、ぷかぷかと透明な魚が浮いていた。
どこを見ているか分からないぎょろりと飛び出した目の魚は、太陽の光に反射して透明な体の輪郭が辛うじて分かる。口をパクパクと開閉して心なしか小刻みに震えている様にも見える。
「気持ち悪いっっ!!」
思わず叫んでしまったユナの言葉を無視して、呻き声の正体であった魚は話し続けている。
「ゔゔぅ〜、熱くて苦しいんじゃあ〜。やめてくれなんじゃあ〜」
野太いおっさん魚の苦しそうな声に、一時気持ち悪さを我慢する。
「日差しが暑いの?水嵩が少ないから、水の中に潜ってもダメなの?」
「水が熱いんじゃあ〜、そいつらを止めてくれなんじゃあ〜」
「そいつら?」
ビチビチと跳ねるおっさん魚を見てると、視界の端に何やらチラチラとしか明かりが入ってくる。
「うわ、何これ」
しゃがんでいるユナの横を、こぶし大の小さい生き物が等間隔に歩いており、それらが一匹ずつ池に飛び込んでいる。
鮮やかなオレンジ色の毛並みはふわふわと揺れて、下から足が二本生えている。目は毛に覆われて見えないが、真ん中に黒い切れ込みが大きく存在している。そこから音が聞こえるので、もしかしなくてもそれが口だろうか。
「もうダメなのー」
「我慢出来ないのー」
「寂しいのー」
小さな毛玉達が口々に愛らしい声で喋る。一匹、また一匹と池にぴょんと飛び込んでいき、着水した瞬間、ジュッ!と音がする。
四匹目の入水を見送った時点で、ハッと我に返る。毛玉達が池に飛び込んでいるからおっさん魚が苦しんでいるのでは?と思い至り、恐る恐る毛玉に話しかける。
「えーっと、とりあえず止まってくれるかな?」
「やなのー」
「苦しいのー」
「寂しいのー」
「ゔゔゔぅ〜、苦しいんじゃあ〜」
歩みを止めない毛玉達とおっさん魚の叫びに、どうしたものかと悩む。
マッカイとトルドレイクに相談しようとそちらを見遣ると、二人は何やら話し込んでいたが、ユナの視線に気付いたトルドレイクと目が合う。
毛玉達を指で指して「これこれ」と意思表示をすると、トルドレイクの動きが固まった。それを不思議に思うも、すぐに大股でこちらに歩いて来てくれているので気のせいかと思う。
「ゔぼおぉぉ!もう無理なんじゃあ〜死ぬぅ!」
「え?!ちょ、ダメ!」
突如大声で叫んだおっさん魚の声が、あまりにも死の瀬戸際の叫びだった為、驚いたユナは思わず飛び込もうとしていた毛玉に手を伸ばす。
「ユナっ!」
名前を叫ばれたのと、毛玉に触れるのは同時だった。火傷した時の痛みが手のひらに走り、強烈な痛さに勢い良く手を引いたせいでバランスを崩す。
「あ」
ぐらりと傾く体に気付くも、池の縁で踏みとどまる事が出来ず、ユナの体は池の中に吸い込まれていった。
+++
一面真っ黒な景色の中で、オレンジ色の毛玉が泣いている。仄かに発光しているお陰でそこだけぼんやりと明るい。
「寂しいの、帰りたいのー」
「何がそんなに寂しいの?」
毛玉の気持ちが伝わって来ているのか、ユナ自身も酷く切ない感情が湧き上がってくる。目玉が無いから涙を流してはいないが、メソメソと泣く毛玉に話しかける。
手を差し出すと、毛玉がぴょんと手のひらに乗っかる。体全体で「あっち」と方向を指し示す毛玉の指示に従い、何の疑問も無くユナの足はテクテクと暗闇を進んでいく。
頭の片隅ではこれが現実じゃない事を理解していた。
「見つけた!」
頭の中に嬉しそうな女性の声が響き、その瞬間景色がガラリと変わる。
暗闇だった足元は砂になり、頭上には太陽が散々と輝き、砂漠の真ん中に涼しそうなオアシスが出現する。
背の高い熱帯植物の下、白い長袖ワンピースを着た女性がこちらに大きく手を振っている。
それまで暗闇の中で辛く、寂しいという感情に支配されていた心が、嬉しいという気持ちで震える。
「何処行ってたのよ!探したんだからね。見て見て、凄い発見よ!こりゃあもう私の好きな物ランキングを覆す代物よ?!」
彼女が興奮気味にくるくると回る事で、透ける様な長い水色の髪がふわりと流れる。虹色に光る瞳と口元は、愛らしい笑みを浮かべている。
手のひらに乗っていた毛玉が飛び降り、彼女の片足にひしりと抱きついた。
「あら、あなたも気になる?ほらこれ、″カカオ″って言うらしいわ。異世界の人の子がそう呼んでいたの!この中から”ちょこれえと”が出てくるのですって。一口食べたら、それはもう甘くて美味しくて、あなたのご主人様と一緒に食べようと思って貰ってきたの!」
満面の笑顔で語る彼女は、毛玉にカカオの実を見せたあと、ユナを見上げる。
「ね!一緒に食べましょ!トルドレイク」
「いや、カカオはそのまま食べられないからー!」
大声で叫んだ自分の声でパチッと目が開く。
異世界に来てから見慣れた天井が視界にある事で、夢から覚めた事を把握した。
やけに鮮明な夢だったせいで、未だ思考が定まらずふわふわしている。ゆっくりと覚醒していく中で、ザアザアという音を耳が拾う。バルコニーの外は明るいが、どうやら雨が降っているらしい。
ベッドの上でむくりと起き上がったユナは、横にトルドレイクが立っていた事に気付き、ギョッと目を見開く。
「おっ、ふぅ…。何してるんですか」
驚いた心臓が痛くて胸を押さえるユナの言葉に、トルドレイクは無表情で無言のままだ。じっとこちらを見つめている姿に、おや?と違和感を感じる。
いつも顔を合わせると不機嫌な顔で睨みつけてくるのに、今は感情が乗っておらず、城内の侍女や兵士に対応すら時みたいに能面だ。
「聞いてます?」
「自分がどうなったのか覚えているか?」
「え、質問に質問を返すスタンス?喧嘩?」
は?と下から睨みあげれば、彼の眉間に皺が寄り、ムッとしてるのが分かる。よしよし、いつものトルドレイクだなと納得する。どうもあの能面の顔は好きではないのだ、それならば怒ってる顔の方がまだ彼の感情が分かりやすい。まぁ、売られた喧嘩は買うが。
「毛玉を触ったら火傷したみたいに痛くてびっくりして、池に落ちそうってとこまでは覚えてますよ」
思い出しながら自身の体を見てみるが、目に見える外傷は無さそうだ。
「悪かった。あれが見えるとも、近づいたあれに触るとも考えてなかった」
「何で貴方が謝るんですか」
頭を下げて謝罪の言葉を述べられても、トルドレイクに直接何かされたわけではない。不思議に思い、首を傾げていると、ふと、夢の中の言葉を思い出す。
「…ご主人様、が、トルドレイク?」
ユナが名前を呼んだ瞬間、トルドレイクがパッと顔を上げ、大きく見開かれた瞳でこちらを凝視する。ジワジワと彼の頬が赤く染まっていき、気まずそうに顔を背けられる。
何故顔を赤らめた?
偽物?トルドレイクの偽物?
何のスイッチ押しちゃった?
ギャップがえぐい。
と、内なるユナ達が審議を始めていると、トルドレイクがぽつぽつと話し出す。
「…あれは、俺の眷属にあたる。俺の力から生まれたと言ってもいい。俺に許可されてない者が火の加護を持つあれらに触ると下手すれば発火する」
「怖っ!危なっ!良かったー、火傷した程度で。あれ?火傷痕無いな?」
「何を聞いていた。許可されてない者だと言っただろうが」
「……許可、されてたんですか?」
「あぁ」
「私の事嫌いなのに?」
「? 誰がそんな事を言ったんだ?」
「は?」
互いに首を傾げ、疑問符を浮かべた頭で黙り込む。状況を整理しよう。兄貴にも良く言われていた。落ち着けと。
トルドレイクの前にすっと手を出し、人差し指を立てる。真顔のユナの行動をトルドレイクは黙って見守っている。
「あなたは、私が嫌いですよね?」
「嫌いではない」
「最初からめっちゃ睨んできてたじゃないですか!あれが円滑なコミュニケーションだとでも?!」
「あれは、お前が悪い」
「王様に勝手に話しかけたのは、王様だって知らなかったからで…」
「違う。お前が、俺より先にマッカイに話しかけたからだ」
「?? 何がダメなんで?」
こんなに二人で会話が続いた事も初めてで、彼が沢山話してる姿も初めて見た。的を得ない内容に、なんだか核心を避けている様にも思える。
彼が本当にユナを嫌っていないのであれば、険悪な関係は改善出来る可能性がある。何より、理由がとても気になる。
辛抱強く食い下がるユナに射るような視線を送った後、トルドレイクが呟く。
「お前を呼んだのは俺だ。マッカイに構う必要も、奴の願いを聞く必要も無い」
拗ねるような物言いに、脳内に雷を落とされた様な衝撃が走る。
そう、彼は一言も私に雨を降らせろとは言っていない。ただ、役目を果たせと。
ではその役目とは?
「…あの毛玉、眷属って言いました?貴方から生まれた?」
「そうだ」
もしかしたら、池の前でやらかした行動よりも黒歴史になり得る発言を、今口に出そうとしている。しかし、まさか、そんな。いやでも。グルグルと凄い勢いで回転する思考で、ユナは意を決して口を開く。
「もしかして、寂しかったから私を呼んだの?」
上目遣いでトルドレイクを見つめ、彼の反応を見る。これで勘違いだったら今度こそ自分で池に身を投げる。
毛玉達は寂しいと言っていた。夢の中で暗闇にいた毛玉も同じで、寂しくて辛くて、光の元へ行きたいと強く願っていたのを感じた。
毛玉が彼の心を見せてくれたのなら、あの感情は彼自身が持っている事になる。
「……そうだ」
長い沈黙の後、口先を尖らせたトルドレイクが答える。眉間に皺を寄せ、頬が少し赤く染まる。
今までの態度から、あまりにも違いすぎるトルドレイクの様子に心臓がドキリと跳ねる。しかしながら、ユナは心の底から叫びたい衝動に駆られ、両手で顔を覆う。
「コミュ症過ぎだろ!!下手くそか!」