前編
私の名前はユナ、ギリギリ補欠入学の花の女子高生!今日は初めての彼氏と初デートでウッキウキだったのに、生憎の台風!
も〜、超残念!仕方ないから、今日は大好きなお兄ちゃんと一緒に映画鑑賞でもしようかな!
「勝手なモノローグ入れないでよ馬鹿兄貴っ!」
轟々と風が鳴り、雨粒が激しく窓に叩きつけられている。
今日の為に用意した白ワンピースは、あざといと言われても仕方がないくらい可愛い路線で攻めた。生まれつき色素の薄い茶色の長い髪も、一時間以上かけて編み込みにしてサイドに垂らし、準備は完璧だった。
高校にて初めて出来た彼氏の先輩から、初デートに誘われてこの日を楽しみにしていたというのに、窓の外は季節外れの台風が朝よりも激しさを増している。
リビングの庭に面した窓の前で、ユナは膝から崩れ落ちて悔し涙を流していた。
その様子を楽しむように、兄のユウがニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「だから今日は無理だって言っただろ?」
「うぐぅ、ううううっ!ワンチャン何とかなるかもって思ってたんだもん!」
「その気概は買うが、お前の雨女は筋金入りだろうが」
「ふぐぐぐぐぅっ!」
悔しさで唸りながら、四つん這いで空を睨みつける。
昔から、天気に味方された事の無い過去を思い出す。
楽しみにしていた遠足も修学旅行も、緊張した受験も、最愛のペットが死んだ時も、雨だった。友達からは雨女と言われ、私の気持ちが昂ぶると絶対雨が降る。だから、このデートの前日は自分自身で「楽しみじゃない全然楽しみじゃない」と、呪文の様にブツブツと呟いて自己暗示を掛けていたというのに、この有り様である。
「ほら、早く先輩に連絡しろよ。別日にすればいいだけだろ?」
「……」
「ん?なに、何でそんな死にそうな顔してんの」
顔を覗き込んで来る兄から顔を逸らし、声を絞り出す。
「昨夜…」
「うん」
「携帯さんはお亡くなりになりました…」
「…お前、風呂で水没させたな?」
「うわぁぁぁんん!!だってぇ、先輩からいつ連絡来るか分からないじゃないのー!防水ケースが開いてたなんて気付かなかったんだもんーーっ!」
両手で顔を覆いわあわあ泣くユナに、呆れたと言わんばかりのため息が聞こえる。
こんな台風ではデートは中止になるのは分かっているが、私の頭は待ち合わせ場所に行かなければという強迫観念に駆られていた。
もしかしたら連絡の着かない私を心配して先輩は待ち合わせ場所に向かってるという可能性も無いわけではない。それならば来ない私がドタキャンしたという事態になり、それが理由で振られてしまうかもしれない。
初めて告白されて付き合ったのに、これで終わりでは悲し過ぎる!
泣き続けるユナの頭を兄が撫でる。
「本当に、我が妹は馬鹿で可愛いなぁ。前も好物を池に落として泣いてたもんな。ほら、お兄ちゃんが遊んでやるから着替えて来いよ」
「勝手に過去を捏造するなぁそんな事覚えてないぃ」
ぽんぽんと軽く叩かれ、兄はキッチンへと向かう。きっとユナの為に好きなココアでも淹れてくれるのだろう。
昔から、ユナとは違いしっかりとした性格の兄は成績も人付き合いも良い。ただし、妹に対しては面白いおもちゃを扱う態度で揶揄ってくる。ついた嘘に対してのユナの反応を楽しんでいる節がある。
キッチンに向かった兄をチラリと見て、ユナは静かにリビングを出た。二階の自室では無く、その足は玄関へと向かう。
待ち合わせ場所に行って、先輩がいなければすぐ帰ってくればいい。
よし、と気合いを入れてお気に入りの赤い水玉の傘を手に持ち、ユナは玄関扉を勢いよく開けて飛び出した。
「今行きます!先輩っ!!」
+++
ジリジリと照りつける太陽。王城に与えられた部屋のバルコニーから眼下に広がる景色は、白っぽい石造りの家々の奥に見渡す限りの砂、砂、砂と、広大な砂漠地帯が広がっている。
ユナがこの異世界に来てから数日が経っており、寝て起きても同じ風景に、これが夢じゃない事を嫌でも理解し始めていた。
「兄貴、呆れてるかなぁ」
あの時、兄の言う通り大人しく家にいたらこんな事にはならなかったかもしれないと後悔しても後の祭である。初めての彼氏に浮かれていた自覚があるので、同じような選択を迫られたら飛び出す自信がある。
物心ついた頃から好きな人と結ばれるのに憧れていた。恋愛に縁が無くて、理想を追い求める姿を兄に揶揄われつつ、初めて告白された時は即答で返事をしていた。「大丈夫、付き合ってから好きになる事もあるよ」と友達に後押しして貰った事でこれから好きになる予定だった。
まだ何も始まっていないのに、異世界に召喚されるとは予想外の何物でも無い。
「ユナ、何か面白い物でもあった?」
背後からの声に、ユナはパッと後ろを振り返る。
「あに…王様。別になにもないです」
黒い長髪をポニーテールにし、褐色肌の青年は爽やかな笑顔を浮かべて近づいてくる。
踝丈までの長さがある真っ白な詰襟シャツに、腰にはベルトの様にジャラジャラと装飾品が巻かれている。
若々しいが堂々とした優雅な物腰は、この王城の主人であると言われても納得出来る。
異世界にユナを呼び寄せた集団の一人であり、憎んでもいい存在なのだが、彼は兄にとても良く似ているのだ。
突然見知らぬ世界に放り出された事にパニックを起こさなかったのは、兄と同じその顔と、声のお陰かもしれない。
彼に反抗しようと思う気持ちを抱けないのは、兄との力関係がハッキリしていた為だろう。
「兄様って呼んでもいいんだよ?」
「後ろの方に怒られたくないので遠慮します」
「そんな事しないよ。ねぇ、トルドレイク?」
初対面で「兄貴」と呼んでしまったのを覚えていて、会う度にそれを持ち出して愉快そうに口元を釣り上げる。もしかしたら性格も似ているのかもしれない。
それよりも厄介だと思われる人物が、マッカイの後ろで、薄汚れた赤いローブを羽織り、燃える様な赤髪の背の高い男だ。
マッカイよりも年上に見えるが、その容姿からは年齢が想像出来ない。
毎度の如く、鬱陶しい長さの前髪の隙間から鋭い目付きで睨みつけられている。
この男、周りから魔術師と呼ばれる職に就いているらしく、この魔術師こそ、諸悪の根源である。
先輩との待ち合わせ場所に向かう為に飛び出した際、吹き付ける雨と風で一瞬目を瞑った。瞬きした次の瞬間には、壁面と足元に大きな幾何学模様が描かれている薄暗く狭い部屋の中にいた。
唖然とするユナの前に二人の男が並んで立っていた。
その内の一人が進み出てにこりと笑った為、意識を彼に向けた。
その顔があまりにも兄に似ていた為、思わず「兄貴?」と呼びかけてしまったのだが、王様であるマッカイに軽々しく呼びかけたのが気に食わなかったのか、その時からトルドレイクには刺すような視線を投げつけられるわ、冷たい態度を取られるわで散々である。
基本能面の様な無表情でいるくせに、廊下でユナを見かければすぐさま不機嫌な顔付きになる。怒りたいのはこちらの方である。
侍女の方に、魔術師とやらは凄い存在だと教えて貰ったのだが、トルドレイクが周りに慕われている様子は無く、むしろ恐れられているといった印象を受ける。
性格が悪くて嫌われている可哀想な奴なんだと思う事で少し溜飲を下げる。
「…そんな事より伝える事があったんだろうが」
「こっちもつれないなぁ」
マッカイは王様で偉い筈なのに、トルドレイクは臣下という態度では無い。きっとそういう物言いが許される関係なのだろう。
「ユナ、こちらの世界には慣れたかい?」
「それなりに」
「雲ひとつ無い快晴だよね」
「そうですね」
「雨を呼んでくれる気になったかい?」
「…無理です」
この国を囲む砂漠で、数少ない水源のオアシスが干上がる事件が発生しているらしい。徐々に水量が減るのではなく、一晩で一滴も残らず消えてしまうそうだ。まるで初めから無かったかのように。
雨も殆ど降らない地域で、水源の消失は見逃せないと調査してみるも原因不明。
その影響が街の中にある井戸まで及ぶ事を危惧したマッカイが、トルドレイクに魔術で水を司る精霊を呼び出す儀式を行わせた。
そして呼び出されたのがユナである。
呼び出した説明を聞いたユナが、その儀式は失敗であるので帰還させろと訴えてみたものの、対して魔術師のトルドレイクは成功だと言い張る。
自分の失敗を認めない最低な男でも、こちらの世界では凄いと言われる魔術師である。
だからこそマッカイにはユナの発言は聞き入れられず、トルドレイクに軍配が上がった。
「ユナ」
「…っ、だから私は精霊でも無いし雨を降らせる力も無いんですってば」
落ち着いて呼ぶ声が、酷く兄に似ている。長年の兄妹関係のせいか、お願いというより、やるよな?というニュアンスに聞こえて思わず頷きそうになる。
「そもそも精霊って目に見える存在なんですか!もっとほら、こう、ふわふわーっと、スケスケして神々しい感じなんじゃないの?!」
「生まれたてや力の無い精霊は存在も希薄なようだが、長寿で力のある精霊は人形を保つ事が出来るよ。まぁ、私は過去一人しか見た事はないけどね」
「くっ!折れないな!」
「ユナが精霊なのはトルドレイクが証明してくれてるし、試しに雨を降らせてくれたらいいから」
全く信じてくれない事に地団駄を踏むユナに、マッカイは軽い調子でケラケラと笑っている。暖簾に腕押しな感じが、本当に兄みたいである。
「やっても無理だったら、元の世界に帰してくれますか?」
ここに来てから何度もした質問である。答えは決まってトルドレイクが返してくれる。
「お前が帰れるとしたら俺次第だ」
「ーっ!誘拐!人攫い!鬼畜めぇ!」
雨を呼ぶ為に呼ばれ、精霊だからと豪華な一室を用意された。自由に歩き回る事は出来ないが待遇も至れり尽くせりだ。
精霊ではないと声高に反論しつつ、もし、雨を呼ぶ事の出来ないただの人だと認識されたら、自分の立ち位置がどう変わるか不安で仕方がない。見知らぬ世界で先に言質を取っておきたいと思うのはズルい事だろうか。
不甲斐ない気持ちを隠す為に俯いたユナの視界に、赤いローブが目に入る。トルドレイクが近づいてきた事にビクリと体が強張る。
その瞬間、ぽん、と優しく頭を手を置かれていた。
「トルドレイク、あんまりユナを虐めないでくれよ?精霊云々を抜きにしても、ユナは私の妹みたいに可愛い存在なのだから」
マッカイの手に撫でられ、ユナは思わず顔を上げてマッカイを見つめる。
目があった事で、マッカイが首を傾げてニヤリと笑う。
「ん?兄様って呼んでくれる気になったかい?」
「…呼びませんけど」
「おい」
その撫でている手をトルドレイクが掴み、ズルズルと引き摺って扉へ向かう。有無を言わさずマッカイを外に追い出した後、より一層不機嫌な表情でトルドレイクがくるりと振り返る。
「あまりこいつに甘えるなよ。お前は自分の役目を果たす事だけ考えてればいいんだ」
脅す様な物言いの後、バタンっ!と、力一杯扉を閉められ、思わず肩が跳ねる。呆然としてとしていたユナだったが、ジワジワと湧き上がる怒りに、先程の不安も忘れバルコニーの手摺りから身を乗り出して叫んでいた。
「厨二病魔術師のくそ馬鹿野郎〜っ!」