第8話 戦闘と俺にできる事
暗くなる前に野営地に天幕を張った。
リーナ達が持っていたのは、冒険者達に一般的に使われている小さな天幕で、二〜三人が中で寝られるくらいの物だった。
旅に出る前に、俺にも一人用の天幕を買ってくれたので、それもリーナ達の天幕の隣に立てた。
ベイル達はリーナ達の天幕よりも少し大きめの天幕を持っていて、少し離れたところに立てていた。
「じゃあノエルおやすみなさい」
「おやすみ」
三人は手を振りながら天幕の中に入っていった。
夜の見張りは交代制なので、最初は俺がすることにした。
俺は戦っていないし、午後は馬車に乗せてもらえたので、俺よりみんなの方が疲れているだろうから先に休んでもらった。
ベイル達も一人見張りを立てるようで、天幕の前に一人座っている。
依頼人は俺たちと、ベイル達の天幕の間くらいの場所に天幕を張っていて、物音も聞こえて来ないので、もう中で寝ているのだろう。
俺はリーナ達の天幕から少し離れた、焚き火のそばに座った。
リーナの描いた魔法陣の炎は、朝まで消えずに燃え続けるらしいので、この魔法陣がある限り精霊がいてくれるようだ。
小さな精霊が俺の肩にずっと乗っているので、暗い夜も寂しくない。
「お前の炎はとても綺麗だな」
サラマンダーにそう言って頭を撫でると、嬉しそうにすり寄ってきた。
しばらくして、ふと妙な気配に気がついた。
魔物の気配ではない、何か妙だ。
気になって周りを見ると、暗い夜の空が、辺り一面濃い霧のようなものに覆われていた。
霧のせいでさっきまで見えていた月や星が見えなくなっていた。
「何だこれ…」
「睡眠薬入りの魔香の煙のようですね」
独り言に返事があり驚いた。
後ろを振り返ると、口に布を当てたエレナが立っていた。
「ノエルさんの様子を見に来たのですが、平気なようですね?」
「…あぁ、俺は何ともない…睡眠薬入りって事は、この煙眠くなるのか?」
「えぇ、私は解毒効果のあるポーションを飲んで、こうして鼻と口に布を当てていれば平気ですが、リーナ様はぐっすりお休み中です。何かあっても簡単には起きないでしょう。あ、大丈夫ですよ!キアラが守っていますから」
リーナがぐっすり寝ていると聞いて焦ったが、キアラが守っているなら安心だろう。
それより問題は、この魔香が誰によって焚かれたのかという事だ。
「いい加減姿を現したらいかがでしょう。ずっとこちらの様子を伺っているのは分かっていますよ」
エレナが霧の向こうに話しかけた。
すると霧の中から、ベイルとベイルのパーティーの魔導士トムが姿を現した。
「…この魔香を焚いたのはあんた達か?」
俺が問いかけると、
「あぁ、君達に寝てもらう為の物だったんだがな…」
と、ベイルは苦々しい顔で俺を睨みながら言った。
「何でそんな事…」
「なぜだと!?君たちには彼女の価値が分かっていない!あんな高位の回復魔法が使える聖女のような彼女の活躍を、君みたいな初心者が足を引っ張っているなんて俺は許せない!」
ベイルは激怒しているのか、顔を真っ赤にさせ、目を釣り上げ俺を睨んでいる。
「何勝手な事を言っているんでしょうか…そんな事あなたに少しも関係ありませんよね?正直な事をおっしゃってくださいよ、あなた達は私達を殺し、リーナ様を仲間に引き入れたかったのでしょう?…眠らせて殺し、魔物の襲撃にあったとでも証言するつもりだったのでしょうか?」
エレナの冷たい微笑みにベイルがたじろいだ。
「…なんとでも言ってくれ、俺達は君達から彼女を解放したいだけだ!あのような高位回復魔法の使い手を君たちだけで独占していいはずがない!」
ベイルは話を聞こうともせず、腰の剣を抜いた。
「全く、馬鹿馬鹿しい理由ですね。どのような理由であれ、我々のパーティーに危害を加えようとし、冒険者の秩序を乱す行為は許されませせん」
エレナは長いスカートの切れ目から、太腿に着けていたらしい短刀を二本抜き、逆手に構えた。
あれ?エレナって魔導士じゃないの?
俺の視線に気づいたエレナが、
「本職は魔導士ですが、私はリーナ様の護衛ですから。魔導士だけでは務まりません。近接戦闘も得意ですよ」
と、ニヤッと笑いながら教えてくれた。
そんな風に呑気に話していたら、ベイルが叫びながら斬りかかってきた。
が、エレナはその剣を軽く受け流す。
その隙を見て、俺は慌ててその場から離れた。
武器を持っていても戦闘には使えないので、巻き込まれないように逃げ出す。
うっかり霧の濃い方へ逃げてしまったので、二人の剣のぶつかり合う音は聞こえても、姿は見えなくなってしまった。
焚き火から離れてしまうと、ただでさえ暗い夜なのに、濃い霧で月明かりも遮られ、何も見えなくなってしまう。
どうしようかと悩んでいると、近くから呪文を唱える声が聞こえてきた。
男の声だ…いつの間にか姿を消した魔導士トムだろうか?
声を頼りに近づいて行くと、自分の背丈ほどの長い杖を掲げて、呪文を唱えているトムがいた。
俺の姿を見つけるとニヤリと笑い、俺に杖の先を向けた。
徐々に魔力が練られ、周りに精霊が現れる。
流石、専門の魔導士ということか、リーナが呼べるよりも高位の精霊が現れた。
だが、精霊達は魔法を向けられている相手が俺と気づいて驚き、魔法を唱えるトムを睨みつけながら距離を取っている。
トムには協力しないという意思表示だろうか?
俺がそんな精霊達に向かって手招きすると、嬉しそうに俺の方へ飛んできた。
トムが呼び出したウンディーネは、子供くらいの大きさで、青く光輝く美しい精霊だ。
俺の側に来て、嬉しそうに微笑んでいる。
「……切り刻め!!水刃!!」
トムは悪役よろしく悪い顔で笑いながら呪文を完成させた。
水の刃を飛ばす魔法だったと思う。たぶん。
だが、何も起きなかった。
「………?」
トムは不思議そうな顔で、自分の手や杖を眺めた。
魔法を使った反動だろうか?
魔力を沢山消費したらしく、肩でゼェゼェと息をしている。
「何が起きたんだ…??精霊が召喚されない!?そんなまさか…ええい!もう一度だ!」
トムはもう一度呪文を唱え始めた。
俺にちゃんと戦える力があれば、この隙に魔法で簡単に倒せそうだ。
だが、リーナ達がいる天幕を、トムと一緒に吹き飛ばしてしまいそうなので、魔法が使えない。
早めに魔法を制御できるように練習した方がよさそうだ。
そんな事を呑気に考えていると、今度はシルフが二体現れた。
トムは水魔法の方が得意なのか、もう魔力の残りが少ないのか、呼び出したシルフは手のひらサイズの小さな精霊だった。
このシルフも俺を見て驚き、そしてトムを睨みつけた。
ウンディーネと同じように手招きすると、嬉しそうに俺の方へ飛んで来た。
「今度こそ!切り刻め!!風刃!」
また何も起きなかった。
トムは魔法を打ち出す格好のまま、間抜けに固まっている。
「な…なぜ魔法が発動しない!」
トムは自分の手を震えながら見ている。が、特に見た目には変わった所はないだろう。
「何度やっても魔法は発動しないと思うよ?見えてないと思うけど、あんたが呼んだ精霊は全員俺のところにいるからな」
俺の周りにはリーナが呼んだサラマンダーと、トムが呼んだウンディーネ、シルフが二体いる。
呼んだ本人には見えていないようだが、精霊達は俺の背後から、ものすごい顔でトムのことを睨みつけている。
「…は?な、何を言っているんだお前は…」
トムは口を引きつらせながら言った。
「人の精霊を横取りする魔法など、聞いたこともないぞ…」
トムは青い顔で俺を見た。
だが、現実に魔法は発動しなかった。
そのせいかトムは若干震えながら後ずさっていく。
「へー、ノエルさんは対魔導士戦では無敵ですね」
霧の向こうからエレナが微笑みながら現れた。
俺が逃げ出した時にエレナから離れたので、戦いは見えなかったが圧勝だったようだ。
傷一つないエレナと違って、エレナに足を掴まれ引きずられて来たベイルは傷だらけの上にボコボコだ。
気絶してるのか、ピクリとも動かない。
「…エレナって強いんだね…」
俺がベイルに憐みの目を向けながら言うと、
「えぇ、専門外の剣術でも銀級程度には負けませんよ」
と、にっこり笑って言った。
「さて、魔導士トムさん。魔法も使えないこの状況でどうされますか?」
エレナがトムにもにっこり微笑んだ。
微笑んでいるのに笑顔が怖い。何故だろう。
トムはエレナとベイルを交互に見ている。
ベイルでも敵わなかったのを見て諦めたのか、杖を置き、うな垂れるようにしゃがみ込んだ。
「素直な方で良かったです」
エレナはどこからか縄を出し、手早くベイルとトムを縛り上げた。
そして風の精霊を呼ぶ呪文を唱えた。
エレナが呪文を唱え出すと、俺の横にいたシルフ達が、嬉しそうにエレナの方へ飛んでいき、力を貸していた。
『礎は疾風を 望むは抱擁を 天を駆け 命脈を運びし 優しき風の精霊よ 舞い踊るその風で この空を晴らしたまえ 旋風』
呪文を唱えると、小さなつむじ風が起こり、辺りの霧を晴らしていった。
「さて、霧も晴れたし、リーナ様の様子を見に行きましょうか」
エレナと天幕の方へ向かうと、そこにはキアラに縛り上げられた槍使いのグラントと、弓使いのセリスがいた。
「襲って来たから縛った」
キアラも全くの無傷だが、グラントとセリスはボコボコにされていた。
天幕を覗くと、リーナがスヤスヤと眠っていた。
無事な姿を見て安心した。
寝ているリーナに、エレナが解毒の魔法をかけると、リーナが目を覚ました。
体を伸ばしながら起き上がり、眠たそうに目を擦りながら「もう朝?」と寝ぼけた様子で聞いている。
…うん、可愛い。
エレナが事情を話と、とても驚いていた。
「そんな事が…ごめんなさい、こんな時に一人だけ呑気に寝ていたなんて…」
リーナは申し訳なさそうに頭を下げた。
「いやリーナは悪くないよ、見張りは俺だったんだし、それに同じ冒険者があんな事をしてくるなんて思わないだろ」
「そうですよリーナ様、悪いのはあいつらです!気にしないでください」
エレナがそう言うと、キアラもコクコクと頷いた。
「ありがとう」
リーナが安心したように微笑んだ。
「うぅ…」
話しているうちにベイルが目を覚ました。
仲間が全員縛り上げられているのを見て驚いていたが、俺たちに気がつくと、口元を歪ませながら睨みつけてきた。
「恩を仇で返すとはこの事ですね」
エレナがそう言うと、ベイルはエレナを睨みつけた。
「君たちが強いのは最初から分かっている…金級が相手だ、正攻法では勝てないと、卑怯な手を使ったのも認める…しかし、俺達は彼女を君たちだけが独占するのは許せないのだ、彼女はきっと聖女様に違いない!しかるべき場所に連れていくべきだ!」
「ベイルさん…あなたは何を言っているの?そもそもあなたを助けた回復魔法は、彼がいないと私は使うことなんてできないのよ?」
リーナは俺を指差しながら、心底呆れた顔で言った。
「は?」
「あなたを助けた後、魔物に大魔法を放ったのが彼だと気付いているの?怪我の治療で後方に下がっていたのかもしれないけど、大爆発で森が吹き飛んでしまったのは見ていたでしょ?あれは彼の魔法なのよ?私の使った魔法だって、彼に魔力を貸してもらって、やっと使えるような物なの。確かにあの時と姿は違うけど、髪の色は一緒でしょう、覚えてないかしら?」
ベイルは俺を見て、リーナを見て、を繰り返し、だんだん思い出したのか顔色が悪くなっていった。
「あの時の化け物!!」
ベイルがヒッと言いながら、座り込み、縛られたまま器用に後ずさりしていく。
「ノエルをそんなふうに呼ばないで!」
「化け物…」
そんな呼ばれ方をするとは思わなかったので、つい呟いてしまった。
「ノエル違うのよ!一部の人が驚いてそんなふうに言ってしまっただけなの!あなたは決してそんなものではないわ!!」
リーナが俺の腕をつかみ、必死になって言ってくれた。
だが、その瞬間何かを思い出した気がする。
いろんな光景が頭に浮かんだ。
遠い遠い昔、同じように誰かに化け物と呼ばれた気がする。
その光景とともに、ズキンと頭に痛みが走る。
俺が額を押さえると、リーナが慌てたように俺の体を揺すった。
「ノエル!?あんな心無い人の言葉なんて信じてはダメよ!」
リーナは俺がベイルの言葉にショックを受けたと思ったようだ。
「違うよリーナ、ちょっと頭痛がしただけ、もう大丈夫」
俺が笑うと、リーナも安心したように微笑んだ。
しかし、化け物と呼ばれるとは思わなかった。
魔法も確かにやりすぎたなーとは思ったけど…。
そんな事を考えながらベイル達を見ると、ベイルはさらに顔を青くして後ずさりしていった。
「では、朝になったらこの犯罪者達を近くの砦まで連行しましょう。さぁあなた達はこちらに来てください」
エレナはため息を吐きながら、四人の縄を少し離れたところにある樹に縛り付けた。
四人の武装はあらかじめ没収して、天幕の近くに置いてある。
「さ、リーナ様はもうお休みください。私とノエルさんで見張りの続きをしますから」
「え、私は結構寝たから見張りを交代するわよ?」
「いえいえ、犯罪者達を見張らないといけませんから、私達が見張ります。リーナ様は寝てください」
エレナはそう言うとリーナの背中を押して、天幕の方へ連れて行き、そのまま中に押し込んだ。
キアラが黙ってリーナの後に続いて、天幕の中に入っていった。
リーナはキアラに何か文句を言っていたようだが、そのうち静かになったので、眠ったのだろう。
俺とエレナは二人で焚き火の前に座った。
「エレナも休んできていいよ、俺が見張っておくし」
「…ノエルさんこそ寝てもいいのですよ?私は少し寝ましたから」
「……いや、俺はいいよ。なんだか寝れる気がしない」
自分を化け物と言われたことがショックだったのか、初めて体験した対人戦闘のせいなのか……。どちらにしても目が冴えてしまい横になったところで眠れそうになかった。
「…ノエルさんが寝ないのなら、少し話をしてもいいでしょうか?」
「うん…いいけど…どうした?」
エレナに改まって言われると、何を言われるのかとちょっと身構えてしまう。
「…今日みたいな事は今後も起こるかもしれません…ノエルさんにはそれを知っておいて欲しいのです」
「…リーナがまた誰かに狙われるって事?」
「えぇ、そうです」
エレナは一つため息をついて、話し始めた。
「通常の回復魔法では、失った体の部分を再生させる事はできません。初級、中級、上級魔法の更に上の超級魔法、神級魔法ならばできると言われていますが、一人で超級、神級魔法を発動できる人は世界に数人…いるかいないか程度と言われています」
「へ〜…凄い魔法なんだね?」
「そうです、賢者様か…伝説の勇者様…それに聖女様……使えるのはそのくらいの方々です。それをあの古城では、周りからみたらリーナ様がお一人で発動したように見えたんですよ」
賢者や勇者の話なら、子供の頃に母さんが絵本や童話で聞かせてくれたことがある。
世界を滅ぼそうとした魔王と戦い、世界を救ったと絵本で語られていた。
「……ベイル達みたいに、凄く回復する回復魔法の使い手のリーナが他のパーティーに狙われるってこと?」
「……パーティーだけとは限りませんよ。あの古城ではあなたの攻撃魔法が強すぎて、驚いた周りがリーナ様に手を出すことができなかったんです。でもこれは、あの古城の冒険者達だけの話です。この国の王都や他国にはもっと力のある人たちが沢山います。あなたの存在を…リーナ様とあなたの関係を知った周りが、どんな手段であなた方を手に入れようとしてくるか、私には想像する事も出来ません」
エレナは焚き火を見つめながら話した。
その横顔は炎に照らされ、瞳には炎が映り込んでいる。
「ノエルさん、私はリーナ様を守るためにここにいます。ノエルさんも私達と一緒にリーナ様を守っていただけますか?」
エレナは俺の方を向いた。
もう炎は映り込んではいないのに、まるで燃えるような真剣な瞳だった。
「もちろん、リーナは俺の恩人だし、俺はリーナのそばを離れるつもりは無いよ、俺はリーナの使役精霊だからね」
苦笑して答えると、エレナもふふっと笑った。
「えぇ、頼りにしてますよ精霊王様」
そう言って俺を見たエレナは優しい顔で笑っていた。