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少女と少女は鏡面世界をさまよう  作者: 江戸前餡子
第一章・魂の解放
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06・人になる難しさ人形でいる楽さ

「やっと会えたの」


 その言葉が耳に届いた瞬間、私の心臓が一瞬止まったような気がした。目の前には、私と瓜二つの少女が立っていて、その瞳が私の顔をじっと覗き込んでいる。外見はまるで鏡に写したようにそっくりだ。腰まで伸びた白い髪、エメラルドグリーンの三白眼。でも、その生き生きとした表情――まるで命が溢れ出すような輝きは、私の凍てついた表情とは正反対だった。私はただ、呆然と彼女を見つめるしかなかった。


 周囲を見渡すと、そこはいつもの果てしない白の世界。どこまでも広がる虚無のような白さが、私の意識が現実から切り離されていることを教えてくれる。私はまた気を失っているのだと悟った。でも、今回は違う。この白い空間に、私以外に誰かがいるなんて初めてだった。胸の奥で何かがざわめき、自然と口が動いた。


「貴女、誰?」


 少女は歯を見せてニヤリと笑うと、「01は面白い事を聞くナノ」とカラカラと笑い声を響かせた。その声は軽やかで、無邪気で、私の重苦しい気分を嘲笑うようだった。彼女はくるりと背を向け、まるで「着いてきて」と誘うように歩き始める。私は慌ててその背中を追いかけた。白い世界に響く足音が、妙に現実感を帯びて耳に残る。


 すると突然、目の前に奇妙なオブジェクトが現れた。円柱の上に球が乗っただけの簡素な造形なのに、それがこの虚無の空間に不思議と溶け込んでいる。私は息を呑んだ。ここにこんなものが存在すること自体が信じられなかった。そして、この世界をまるで我が家のように歩く彼女に、好奇心と畏怖が混じった感情が湧き上がってくる。


「貴女は誰なの? いつからこの世界にいるの?」私の声は震えていた。知りたいという衝動と、知るのが怖いという気持ちがせめぎ合っていた。


 少女は立ち止まり、振り返って目を細めた。


「ニュークリアスは、人工知能型破壊プログラムBM-124・ニュークリアス。ニュークリアって、お母さんは言ってたノ。01が産まれる前からこの場所にいるよ。だから、先に来た私の方が先輩ってわけナノ」


 その言葉が頭の中でぐるぐると渦を巻く。プログラム? 人工知能? 意味が分からない。私の頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいるようだった。すると彼女は、「さてはなーんにも分かってないでしょナノ」と腕を組んで頬を膨らませ、私をからかうように笑った。その仕草があまりにも人間らしくて、私は一瞬、自分が何者なのかさえ分からなくなった。


「この世界は01の潜在意識。ニュークリアスは常に君の潜在意識の中にいるのだ!どう? ビックリした? ねえビックリしたでしょ?」


 彼女の声は弾むように高揚していた。


 私はただ、無表情で立ち尽くすしかなかった。驚きよりも、彼女の存在そのものが私の心をかき乱す。すると彼女は、「つまらないの、01は」とため息をつき、肩をすくめた。その仕草に苛立ちと親しさが混じっていて、私はますます混乱した。


 彼女はオブジェクトに近づき、手を添えた。


「このオブジェクトは、ニュークリアスのコアなの。だからこれを壊されたら死ぬノ」


 私はその物体に目を奪われた。青白く光る模様が刻まれた表面は、まるで生きているかのように脈打っている。そっと触れてみると、温かい――人の体温のような温もりが指先に伝わってきた。この元気で奔放な少女のコアだというなら納得がいく。でも、私には……もし私にコアがあったなら、それはきっと氷のように冷たく、触れる者を拒むものだろう。そんな考えが胸を締め付けた。


「おっと、もう目を覚ます時みたいナノ。最後に私がこれからの冒険で役に立つ助言を一つ」


 彼女の声が急に真剣みを帯び、私の心に緊張が走った。


「何?」


 私は思わず身を乗り出した。


「これからは魔法は使わない事。次、一回でも使ってみな、01の寿命は5年も持たなくなるノ」


 彼女の唇が怪しく歪み、その言葉が私の胸に突き刺さる。 寿命? 何を言っているのか分からないまま、彼女が指を鳴らすと、視界が一瞬にして暗闇に飲み込まれた。


 そして次の瞬間、全身を包み込む温もりが私を現実へと引き戻す。心地良い感覚に目蓋が重く開き、私は小さく呟いた。「……生きろ、か」


「目を覚ました? 気分は?」


 ルイズの柔らかな声が耳に届く。私は上半身を起こそうとしたが、ベッドの柔らかさと温かさに抗えず、そのまま天井を見つめた。気を失った後、どうやらルイズの部屋に運ばれてきたらしい。白いワンピースは見慣れたものだが、血の汚れが消え、綺麗に洗われていた。現実に戻った安心感と、どこか虚無感が混じる。


 「最悪」と短く答えると、私はただ天井の木目を見つめた。頭の中がぐちゃぐちゃで、何も考えたくなかった。いや、考えるのが怖かったのかもしれない。


「ねえ、ルイズ」


 私の声は自分でも驚くほど小さく震えていた。


「ん? お前から話してくるなんて珍しいな」


 ルイズの声は軽やかで、私の暗い気分を少しだけ和らげてくれる。


「反エルシリア派って悪なの?」


 その質問は、私の心の奥底から溢れ出たものだった。何が正しくて、何が間違っているのか、知りたかった。


 ルイズは私の布団に潜り込み、「悪も正義もないよ」と呟くと、「なんだか妹がいる気分」とニヤリと笑った。その笑顔があまりにも無邪気で、私は一瞬苛立ちを覚えた。


「そっちの方が10センチだけ背がデカいからって」

「歳も上だもーん」


 「あっそ」と私は冷たく返すが、彼女の大あくびを見ていると、少しだけ心が軽くなった気がした。


「アシュリーの本名、ダリナ・バラークだった。知ってた?」私は意を決して切り出した。彼女の反応が見たかった。


「にゃるほどねえ」とルイズは興味なさげに天井を見上げた。


「今回の一件はアシュリーも共犯者だった」

「あのアシュリーが全て話したのか。良く聞き出せたね~」


 彼女の声は驚くほど平坦で、私の混乱をよそに呑気だった。


「別に、聞き出したわけじゃない」


 私は目を逸らし、言葉を絞り出した。胸の奥で何かが疼く。


 ルイズはこちらに寝返りを打ち、「ショックだった?」と静かに尋ねてきた。その声に優しさが滲んでいて、私は一瞬言葉に詰まった。ショックじゃない。怖かったのだ。アシュリーの裏表のある人格が。彼女は優しいと思っていたのに、疑えば疑うほど、その姿が暗い影に染まっていく。あの笑顔の裏に隠されたものが、私を怯えさせた。


「人というのは裏表のある生き物さ。裏の部分を見ようとすればするほど盲目になってくるもの。だから信じろ、それが一番楽だ。裏切られたら泣けばいい。それが一番楽なんだよ」


 ルイズの言葉は穏やかで、まるで私を包み込むようだった。でも、その言葉が逆に私の心を締め付けた。


「信じるのは、怖い」


 私の声は掠れていた。信じることで傷つくのが怖い。裏切られるのが怖い。


「そうだね、信じるのは勇気がいる。さっき、反エルシリア派が悪かどうかって聞いてたじゃん? それも信じる者は善と思うし、悪だと思う者は悪だと思うもんなのだよ。この世が綺麗に善と悪で分かれていたら、きっと法律が要らない世界になっていたと思う。この世がどっちつかずのグレーだから、複雑なんだ」


 彼女の言葉は重く、私の心に沈み込んでいく。


「こんなに複雑なら、私は人形のままでよかった」


 私は目を閉じ、そう呟いた。人形なら、感じる必要もない。考える必要もない。


「なら騎士のままで居な。人間になりたければ反エルシリア派に行くのを勧める。まあ私達を敵にすることになるけれど、奴らは良い。いつも瞳をキラキラさせて希望に満ちていた。死ぬその時まで、生き生きとして、眩しいんだよとにかく。騎士ってのは退屈さ。それこそ人形のようなもんだよ。命じられたままに動いて、死んだら替えが出てきて。それの繰り返し。キミはどう生きる? ゼロ、単純な人形になるか、複雑な人間になるか」


 その言葉が私の胸を突き刺した。どう生きるか? 分からない。人が怖い。でも、興味もある。脳裏に焼き付いた酒場での楽しげな笑い声や温かい雰囲気が、私を揺さぶる。死んだように生きるなら、あんな風に生きたい。でも、その選択が正しいのか間違っているのか分からない。選択を迫られることすら怖い。


「自分で選択するのも怖い」


 私は声を震わせてそう呟いた。


 ルイズは突然私の上に乗り、「良い事を教えてあげる」と笑った。「間違っても後戻りはできる」と両手で私の頬を揉み、浮かない表情の私に活を入れるように言う。その明るさが眩しくて、私は目を逸らした。


「アシュリーは正しい選択をしたの?」


 私の声は小さく、どこか怯えていた。


「さあ、それはあの人にしか分からないよ」


 ルイズの答えは曖昧で、私の不安を解消してくれなかった。


「反エルシリア派に良い印象を持っているように感じるけど、何故ルイズはここに居るの?」


 私はさらに問いかけた。彼女の心の中を知りたかった。


「安定した暮らし。私をここに留めてるのはそれだけさ。私は奴隷を体験したし、最底辺の世界を知っている。だから冒険なんてせずに騎士にんぎょうの世界を選んだ。だから反エルシリア派なんてどうでもいいんだよ」


 彼女はベッドから降り、振り返った。その瞳に一瞬、深い疲れが浮かんだ気がした。


「だから、ゼロがどっちに行ってもどうでもいいのさ」


 でも、彼女が差し出した手は、「こちら側に来い」と訴えているようだった。私はその手を無視してベッドから立ち上がった。心が重いままだった。



 廊下に出ると、第三師団のバルボラがすれ違いざまに声をかけてきた。「お、ゼロじゃねえか。団長の事は残念だったな。廊下が静かなのは別の不審船が見つかったかららしいぜ」その声が遠く響く。確かに普段は忙しなく行き交うメイド達の姿もない。今は皆、城を守る兵として外や城壁に配置されているのだろう。静寂が重くのしかかる。


 自分の部屋に戻ろうと、のんびり歩いていると、「ゼロがこんな所を歩いているなんて珍しいですね」という声が背後から聞こえた。今は聞きたくない声だ。無視しようとしたのに、足が勝手に止まる。逆らってはいけない――本能がそう警告していた。


「エルシリア様、おはようございます」


 私は感情を押し殺し、平然を装った。


「おはようございます。アシュリーの件はよくやりましたね」


 その声は冷たく、感情が感じられない。


「はい」


 怒りを抑え、無表情で答えると、エルシリアは再び歩き始めた。


「何か言ってませんでしたか?」

「アシュリーの素顔は、ダリナ・バラークという反エルシリア派の一人で、今回の事件は彼女が噛んでいたそうです。恐らくあの船はシガノポートの物かと」


 私は淡々と報告した。心の中で怒りと恐怖が渦巻いているのに、声は驚くほど冷静だった。


「なるほど、アシュリーが反エルシリア派でしたか。まだこの城の中にネズミが混じっているかもしれませんね」

「はい」


 エルシリアは背筋を伸ばして歩き続ける。その姿からは温もりが一切感じられず、氷のような冷たさが漂っていた。でも、彼女が私に向ける瞳には、どこか我が子を見つめるような優しさが宿っている気がした。それは錯覚だろうか?


「エルシリア様、どうしましたか?」


 私は思わず尋ねていた。


「ゼロ、私は貴女を信じています。皆はいつか離れるかもしれませんが、貴女だけはずっと私の元にいると」


 その声は自信なさげで、まるで皆に裏切られることを恐れているようだった。彼女らしくない、弱々しい響きに私は戸惑った。


「私はゴーレムです。道具は持ち主を裏切れません」


 私は機械的に答えた。感情を押し殺すのが癖になっていた。すると、エルシリアの顔に一瞬、影が落ちた。寂しさと罪悪感が混じったような表情に見えたのは、気のせいだろうか。


 「それなら、良かったです」と彼女は小さく呟いた。その声は風に吹かれれば消えてしまいそうなほど儚かった。


 エルシリアとこんなに長く話したのは初めてだった。彼女が疲弊しているのは一目瞭然で、その心の弱さがこんな言葉を引き出したのだと私は思った。壁に映る二つの影が揺れる。他人からはどう見えるのだろう? 親子のように見えるのだろうか? そういえば、私の母親って誰なんだろう。静寂の中でそんな考えが浮かぶ。


 もしこの人が……そう思った瞬間、エルシリアが口を開いた。


「他の人から見たら、私達は親子に見えるんですかね」


 彼女が初めて苦笑した。その表情があまりにも人間的で、私は息を呑んだ。


「分かりません」

「そっか。でも、もしもそうなら――」


 彼女は言葉を途中で止め、「こんなの虫が良すぎますね」と呟き、「人生後悔ばかりですね」と苦しそうに笑って誤魔化す。その笑顔が痛々しくて、私は目を逸らした。


「後悔って何ですか?」


 私は尋ねずにはいられなかった。


「過去の言動や行動を悔やむことです。ゼロは後悔のない人生を送りなさい」


 エルシリアはポケットから小瓶を取り出し、目を細めた。アシュリーの部屋にあったものだ。彼女の瞳に深い悲しみが宿っているように見えた。分かれ道で彼女は、「私はドメに用があるので、また別の任務でお会いしましょう」と振り返らずに去った。


「後悔、私も後悔をしている。昨日からずっと」


 私は一人、廊下に立ち尽くした。心が重く、足取りも鈍い。



 夜の海は荒れ狂っていた。海鳥さえも悲鳴を上げ、強風に翻弄され、巨大な波が船を玩具のようにつかんでは沈めていく。漆黒の闇に溶け込むように塗られた一隻の船が、波にしがみつくように進んでいた。甲板に吹き付ける風と水しぶきが、肌を刺すような冷たさで全てを飲み込もうとしていた。


「イルマ! 予想通り黒灰の魔女が群を成して来る!」


 とんがり帽子を押さえた女性が、フラフラと甲板を走りながら叫んだ。彼女の声は風に掻き消されそうだった。


 イルマと呼ばれた少女は、濡れた長い髪を乱暴にかき上げ、鋭い目つきで応えた。「ならエルフを船の腹底に隠した後、この船を止めて甲板の部分まで沈めろ。とにかく予定通りにやれ!」その声は冷静だが、内に秘めた興奮が滲み出ていた。


「了解!」


「それとリコリスはこれから重要になるから、エルフ達よりも奥の方に避難させとくように」


 イルマの命令に、女性は即座に走り去った。


 イルマは舵を握る手に力を込め、唇の端が上がった。


「久々の血祭じゃい」


 その声は嵐の咆哮に負けないほど力強く、彼女の瞳には狂気と喜びが宿っていた。荒れ狂う海が、まるで彼女の心を映し出す鏡のようだった。

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