44・卵を巡る試練と、再会の刃
何事もなく卵を購入できた。
スーパーの外で何かが起こるのか?
なんて思ったけれど、外に出てもそこには風が吹いているだけで、特別、怪しい人物は見えず……
「ダメダメ!駄目だよ斉藤 和美、きっとこれから何か起こるはず」
頬を叩き、気を緩めて私は再び歩き出した。
タイムリミットは16時。
今は15時10分。まだまだ時間に余裕がある。
アニメとか映画だと、良くこういう時に何かが起こるのだ。お父さんはこういうのをフラグって言ってたっけ?
なんとなく、ビニール袋の中にある卵のパックを見る。と、驚いたことに一つ無くなっていた。
見間違いなかと、目をこすってみたり、パックを取り出してみるが。
確かに8個中一つだけが綺麗に無くなっている。しかも、開けた覚えもないのに蓋も開いていた。
「え?誰?」
見えぬ誰か。
そう決めつけるのは簡単なことだが、その"誰か"がいつ卵を取ったのか。
それが分からなければ、試験は失格で終わる。
周りを陰の力を強めて見渡す。が。やはり不気味なほどに、辺りは静まり返っていた。
「いや、この静けさが作られていたものだとしたら?」
でも、何処にも結界らしき揺らぎは見えない。
陰陽術で、人が入り込めないよう結界を広げた時は、必ず空を見れば、流れる雲や飛ぶ鳥たちで結界の揺らぎが確認できるのだ。
けれどそれがない。
「えっ⁉︎」
少し目を離しただけなのに、また一つ消えていた。
分かったことはただ一つ——
「立ち止まっちゃ駄目だ!走らなきゃ」
分からない。だからこうするしかない。
陰の力が強ければ、見えない敵でも、そこから発せられる力を見逃さずに、対処できたのだろう。
その時、何故かお姉ちゃんや、リリィちゃんの顔が脳裏をよぎった。
少しでも二人に助けを求めてしまう自分に、未熟さを痛感する。
「ここをクリアしなきゃ。あの人を助けることはできない」
そう言えば。
リリィちゃんが前言ってたっけ。
「黒灰の魔女は、目ではなく、自分の魔力で相手を察知する習性があるんだ。
どんなに低い魔力でも、視力や聴力みたいな五感を塞ぐことによって一時的に高められるんだよ」
私もそれをやればいいのでは?
卵を地面に置いて、妖刀・五月雨を鞘から抜いてゆっくりと構える。
目を閉じて己の深層心理に身を投げる——
と。静かになった瞬間、波紋にも似た感覚が身体に広がった。
構えていた刀をその波紋を切るように振るう。
「見えた!」
卵を盗もうとしたネズミのような魑魅が真っ二つになり、
地面に落ちる前に灰になるのが見えた。
でも喜んでいるその一瞬で、卵がまた一つ取られる。
「いったい何匹いるわけ?」
でも感覚はつかめた。
私は袋を握り、再び構えて深呼吸を一つ。
今度は歩きながらやってみる——が。
「イタッ!」
ゴチン。と電信柱に頭をぶつけてしまった。
さすがに無機質には陰も陽も存在しない。
「五感を閉じてしまっては見えないか。
目を開けていても、心は無にってお父さんは言っていたっけ。
うぅ……人が居るてことは結界は張られていないのか」
冷たく光る真剣の刃と、それには不釣り合いなあどけない顔で殺気を振りまく私に、周りがじろじろと見てくる。
お陰で心を無になんてできず、気が付けば8個あった卵は5分も経たないうちに残り3つになってしまった。
「目をつぶりながらも、時々開けて周りを確認するか」
それしかない。
目を瞑り深く息を吐く。
「来い!」
早く見えていた動きも、だんだん遅く感じた。
テニスボールをラケットで打ち返すぐらいまでには慣れてくる。
だが、虚無楼の試練はそれだけではなかった。
暗闇の中にもう一つ、今までとは桁違いの大きな陰の力を感じ、思わず目を開ける。
「――ッツ!?」
目の前には少女が立っていた。
真冬だというのに袖の無い真っ白な服に、裸足。
頬に“10"と入れ墨が入れられていた。
それを見た瞬間、私の脳は理解するのを拒み、刀を握る手に力が入る。
「ヤットミツケタ——」
少女はパチンと指を鳴らす。
たった一回鳴らしただけだったが、それで全てのネズミ型の魑魅が消える。
—— 11 ——
夢で何度も助けてくれた人、何度も希望をくれた人
「私も探していたけれど、まさか今出会うなんてね」
「ワタシヲコロシテ。コロ コ テ」
様子がおかしい。
頭を抱えて苦しむその姿は、誰かに脳みそをいじられて操られているようだった。
「ヤ……ダ 逃げ 貴方じゃ、殺せ い コ テ に ハ——」
膝から崩れ落ちたと思えば、脳内に居る何かを追い出そうと。何度も何度も、頭を打ち付けると動きが止まる。
「やっと会えたと思ったのに……ごめんなさい」
動きが止まった今を見逃さず、
私は、腰を落とし姿勢を低くしてつま先にグッと力を入れた。
刀を顔の横で構える。
「今楽にしてあげる」
アスファルトをけり上げた。
間合いを一瞬で縮めて、冷たく光る刃を振り落とした——その刹那。
「——ッツ⁉︎」
何をされたのか、分からなかった。
私は空高くに転移させられていたのだ。音もなく。
確かに感じる殺気、そちらを振り向くと10番の拳がすでにそこにあるではないか。
「コロ テ」
紙一枚通さない距離。
逃げる事なんて不可能。
死を覚悟して、もう駄目だと全てを諦めたその時だった。
「逃げるわよ!」
コンマ一秒、手を引っ張られて、その拳は空を砕く。
「リリィちゃんのお母さん!」
〇
時間は私が再びこの世界に降りる時まで——
「ここがご主人様の思い出の地?」
どこまでも広がる海に、ナナ・シマズは演技めいた言葉をこぼした。
浜辺の私達を、心地の悪い沈黙がやさしく包み込む。
「演技は良いわよ。
ナナ・シマズ、反転生派のアナタが私とここに来たのは、私にだって分かってるのよ」
「フフッ!フランカ・レーベル、まんまと騙されたと思っていたけど」
ナナは手のひらから巨大なオノを出した。と思えば、刃が顔の前にすでに迫っていた。
「——ッツ」
背中をそり、仕留め損ねた目の前をオノは、私の汗を切り裂く。
さすがは異世界帰りか。技術は付け焼刃じゃないって事ね。
「あーあ、黙ってやられていれば楽に死ねたのに」
さっきのアイドルのような笑顔と話し方は何処へやら。
舌打ちをする彼女は、まるで悪魔だった。
「冗談言わないでちょうだい」
「平和ボケした神の貴女が、この私を殺せると?」
殺せないわよ。
でもここで死んだら、誰がイレナと瑠奈ちゃんを回収するの?私。
震える片手の手首を握る。
「神は皆人を殺したことないから、天界を制圧するのは楽だったな~。
アハッ★あなたは何かできるのかなぁ?
できないんなら下手に抵抗しない方がいいんじゃない?苦しむだけだよ~」
「随分舐められたものね」
距離を取ろうと飛び退こうとしたが、攻撃の速さに一歩先をゆかれる。
「遅いっつーの!」
オノの背中が私の腹に食い込む。
私は耐えきれず血を吐き出し膝から崩れ落ちた。
「あーあ、もう終わり?こんな奴らに物扱いされてたなんて思うと——」
私の頭に痰を吐きつけて「ほんとイライラする」そう舌打ちした。
「アタシはねぇ、アンタには感謝してるの。
だから10秒だけ待ってあげる。鬼ごっこをしましょ!」
「狂……ってる」
「アハッ★最高の誉め言葉をありがとう」
横っ面を蹴り飛ばすナナは、実に気持ちよさそうに頬を紅潮させた。
「ほんと一方的な暴力はゾクゾクしちゃう……
ほらほら、逃げなきゃぁ。10 9 8」
「クソ!コール・レコード008」
私はカウントダウンをする彼女を睨みながら白い光に包まれた。
〇
そして時間は現在に戻る。
「何故リリィちゃんのお母さんがここに?」
「フランカで良いわよ、あなたが必要なの」
引っ張られる私は、フランカさんの言っていることが理解できなかった。
フランカさんも、10番の攻撃を防ぐのに精いっぱいだった。
その後、言葉を続ける余裕がなく、やっと逃れられたころには、お互い肩で呼吸して、息を整えるので声が出せなくなっていた。
「貴女は、ニュークリアス……
いや、リリィの暴走を止めるのに必要なの。言わば勇者ね」
「急にそんなこと言われても」
私たちの方に、伸びる人影。
フランカさんは重たげに腰を上げて肩越しにこちらを見た。
「先に行ってなさい、レプリカチャイルドは私が倒すから」
しかし、手が震えていた。きっと人を殺したことがないんだ。
私が――
そう言ったところで、脳を金槌で叩きつけたような衝撃が襲い、意識の糸が切れた。
〇
「無茶したのね。こんな小さな子が」
神のやったことは合っていたのか。
後ろで倒れる少女に、私は胸を締め付けられる。
天界での自分たちの愚行を痛感させられた。
「ホント。みんなに恨まれても仕方ないわね」
拳を握り、再び構える目の前のレプリカチャイルド。
私も手のひらを前に突き出す。
感じる魔力からして、目の前に居るのは、リリィの力を受け継いだのだろう。
「コロ シ シ テ」
「言われなくてもそうするわよ」
殺さなきゃ、瑠奈ちゃんが殺される。
「コール!レコード057」
唱えた瞬間、重い重力がレプリカチャイルドにのしかかる。
地面に張り付けられて身動きができなくなった。
間髪入れずに「コール、レコード055」と言い放った。
「ありがとう」
首が跳ね飛ぶその刹那。レプリカチャイルドはその一言を残す。
終わったことに張り詰めた気が緩みかけた。
が、再び頭上から聞こえてくるあの声に、ギリリと奥歯を噛み締める。
後ろに居る瑠奈ちゃんに目をやると、逃げる事ができないのを悟る。
「アハッ★すぐ見つけちゃった〜、弱過ぎ」
デタラメに大きな斧を担ぎ、堂々と距離を縮める。
一歩。二歩——
巡らす思考はただただ身体を呪術のごとくしばりつけて、脳内を散らかすばかりだった。
が。ナナの後ろに現れた人物が視界に入った瞬間に、考えるのを放棄した。
何もかも良くなった。いや。考えること自体が無駄なことが分かった。
「お前がそう言うのなら」
ニュークリアス。彼女は確かにナナの後ろに立っていた。
そして、首元に指を置いてそのまま横に引いた。
早く殺せと挑発するように。
「ありがとう、ようやく目が覚めた」
その言葉に、ニュークリアスは何も言わずただニヤリと笑う。
「何処見てるのかなあ?そんなに余裕なわけ?」
一瞬——相手の吐息さえも感じるその距離で、避けるのは不可能だろう。
後ろで振り落とされた斧の先が脳天に食らいつこうとした。
その瞬間、私は指を弾き、斧の斧頭を粉砕する。
「なかなかやるじゃん」
柄を捨てて次は右膝が脇腹めがけて飛んでくる。
「リリィに比べたら遅いわ」
懐に入り彼女の腹部に拳をめり込ませ、そのまま向かいの建物まで飛ばした。
「コール、レコード090」
手のひらをグッと握ると、白い砂埃に居た人影は、音もたてずに消える。
その後も出てくることはなく、戦いが決まったことを確信した。
ニュークリアスは手を叩き「やっと戦えるようになったじゃないか」と何度もうなずいて感心する。
「何で私の前に?」
リリィだと思っている瑠奈が出ようとしたところで、私は手で制し、警戒する。
「そんな睨みつけられたら怖いじゃないか~。
な?お母さん」
「冗談はよしてちょうだい!」
それに彼女はつまらなそうに息を吐いて、
「ここ一帯、明日は対イレナ戦で火の海になる」そう話し始めた。
「助けてほしい。私一人じゃ大勢を相手にするのは無理なんだ」
今までにない真面目な表情と声色に、嘘ではないのだろうが、それでも信じられなかった。
けれど、彼女からあふれ出る凶暴なオーラが、私の肯定をかき消すのだ。
「ごめん――」
口から出そうになった否定の言葉に、
「まだ渡したUSBメモリーの中を見てないんだろ?」と言葉をかぶせる。
「ハールスが今どうなってるかは、一回天界に戻ったのなら分かってるだろ?」
「それは……」
「あの世界はアンデットで飲み込まれた、どんなに強くても独りじゃ捌ききれずにすぐ積むだろう」
「そこでニュークリアス……を仲間にするわけ?」
彼女は首を横に振る。
「私だけじゃ同じことよ」
「じゃあどういうこと?」
「この身体はリリィだ。そして、この左手の甲にはゴリアックファミリーの入れ墨がある——」
手の甲に刻まれた、剣に絡まる舌を出した蛇の入れ墨を見せて、
あとは分かるだろ?と言いたげに白い歯を覗かせた。
私はそれに息を呑んだ。
「ゴリアックファミリーに力を仰ぐ」
手を差し伸べてニュークリアスは一言放つ。
それが導く先は光か。それとも闇か。そんな事を考えるのは野暮ってものか。
私には時間がないのだから。
「共闘しよう。オストラン城まで」




