03・ゴーレムの子(前編)
「不思議な事もあるものだ」
兵器が収められた牢屋の覗き窓を覗き込みながら、私は昨晩の出来事を思い返して小さく呟いた。冷たい鉄の感触が指先に伝わり、暗闇の中からかすかに響く風の音が耳に届く。牢の外は静寂に包まれていたが、私の心はざわついていた。
大した事ではないのかもしれない。でも、オストラン様に深夜に呼び出され、部屋に入るなり「服を脱げ」と指示されたのだ。戸惑いながらも従うと、彼女は私の背中を一瞥しただけで難しい表情を浮かべ、「分かった、もう服を着て良いよ」と言う。それも10分と経たず、私を追い出すように帰してしまった。重要な話かと思ったのに、何も説明がないまま。私は自分の背中を鏡で見てみたが、特に異常は見当たらない。それが余計にモヤモヤを募らせた。ここで何か分かれば納得できるのに……。
「私の背中に何があるんだかなぁ」
溜まった思いが、ため息となって口から漏れた。その瞬間だった。
「また来たの?ここは、オストラン様かルイズ様しか来てはいけない場所なのに」
ドア越しから、冷たく落ち着いた少女の声が響いてきた。石造りの硬そうな椅子が置かれた方向だ。突然の声に、私は言葉を失い、体が凍りついた。人形の兵器だと聞いていたから、まさか喋るとは思ってもみなかったのだ。
いや、それ以前に、この牢の分厚い鉄のドアは音を通さないはずだ。だとしたら、魔力を感じ取って誰か見分けたのか?そんな芸当ができるなら、相当の魔力の持ち主だ。この世界でそれができる者は、両手の指で数えられるほどしかいない。
「私が分かるのか?」
「分かる」
「私の名前はアシュリー・バレッタ。貴女の名は?」
すると、彼女は淡々と答えた。「名前? 何それ。私はゴーレム。名前はないよ」。その言葉を聞いて、私は初めて気づいた。この“兵器”は人間だ。恐らく洗脳されて、自分をゴーレムだと信じ込まされているのだろう。魔族が戦争で兵士不足に陥った時、恐怖心を取り除くために市民を洗脳し、兵器として使うのはよくある話だ。そう考えると、彼女の状況もあり得る。
そうだ、そういえば……オストラン様の赤ん坊が姿を消したという噂が流れていた。あの赤ん坊がもし、この子だったとしたら――。
「やはりオストラン帝国は腐っているな」
“何故”という疑問よりも、まず怒りがこみ上げてきた。私も幼い頃、彼女と同じような境遇だったからだ。鉄の匂いが鼻をつき、暗い牢の壁が私を締め付けるように感じられた。
「名前ってのは……」
感情を抑えるために覗き窓から目を離し、鉄のドアに背を預けて座り込んだ。ゆっくりと息を整え、口角を上げて話し始めた。
「その人を示すタグみたいなものだよ。まぁ、なんだ?認識するための物っていうのかな」
「そう」
「オストラン様やルイズさんはなんて呼んでるんだ?」
「ゼロ」
「ゼロ……か。私も小さい頃は『112』って呼ばれてたんだ」
「そう」
「奴隷商で売られててね。子供はみんな『ナンバーチャイルズ』ってシリーズで扱われてた。今はオストラン様のおかげで奴隷制度がなくなって、そういう人たちは冒険者と名乗って生き延びてるんだよ」
だからこそ、奴隷をなくし戦争を終わらせようとしているオストラン様が、こんな真似をしているなんて理解できなかった。胸の奥で何かが軋むような感覚がした。
「そう」
「でも、わざわざこんな汚い部屋に入れられたんだな。隣に錆一つない綺麗な部屋があるのに」
「真っ暗だから分からない」
そういえば、オストラン様が彼女の目を隠していると言っていたような……。彼女は幼い頃の私そのものかもしれない。考えすぎだろうか。でも、そう思うと、二人目の妹ができたような感覚になり、彼女の冷たい声さえ愛おしく感じられた。
「あと二日も経てば外の世界が見れるよ。その時、私と行動する事になる」
「アシュリーの世界、そこはどんな所?」
「汚いさ。私は綺麗だと思った事はない。でも、私の仲間たちは良い奴らばかりだ。あいつらがいるから、そんな汚い世界も楽しく感じられるんだ」
「そう」
「ゼロもいたら、もっと楽しいんだろうな」
「そう」
「そーだよ」
ゼロが任務を始めるまでの間、私は毎日ここに通った。他愛もない話をしたり、本を読んで聞かせたりした。ゼロは相変わらず機械的に「そう」としか返さない。でも構わず話し続けていると、やがて「そう」から「そうなんだ」と、少し人間らしい言葉に変わっていった。きっと私の真似なんだろう。それでも、それが嬉しかった。
「私を拾ってくれた人も、いつもこうやって毎日話してくれたんだ」
「そうなんだ」
「お前、私に似てるな」
「似てない。アシュリーは人間。私はゴーレム」
「バーカ、お前も人間だよ。立派な」
「何故?」
「その答えは、私と会った時に教えてやる」
すると、いつも即答するゼロが一拍置いて「そう」と答えた。気のせいか、その「そう」は少し寂しそうに聞こえた。牢の外から吹き込む冷たい風が、私の髪を揺らした。
そして、三日という時間はあっという間に過ぎ、任務当日がやってきた。
作戦部屋に第三師団とゼロが集められた。初めて見たゼロの姿に、私は息を呑んだ。おとぎ話の姫君のような、白くサラサラとした腰まで届く長い髪。陶器のように透き通った肌。仲間たちも「可愛い」と彼女を撫でたり抱き上げたりしていた。でも、私はその目元や口元にオストラン様の面影を感じてしまい、胸が締め付けられる思いだった。
「と、いうことで、今のオストラン海域は霧が深く、奇襲には最適と言えるでしょう。みんな、気を付けて」
ルイズが作戦を一通り説明し、ゼロに視線を移した。「今回の指令はアシュリー団長が行う。ゼロは団長の命令に従ってね」。次に私を見て、「コイツは初任務で混乱するかもしれないけど、よろしくね」と苦笑いを浮かべた。
「よろしく、アシュリー」
「宜しく、ゼロ」
ゼロは私から目を離さず、じっと見つめてきた。
「どうした?」
「私が人間なのは何故?」
あの時の質問を今ここで持ち出してきて、周囲の「やるぞー!」と盛り上がっていた雰囲気が一気に腰を折られ、笑いが起きた。
「あ~、今それを聞くか……その顔は人間しか持たないんだよ」
手鏡を取り出して彼女に見せると、初めて自分の顔を見たかのように目を大きく開き、口をポカンと開けて「あ、あなた誰?」と自分の頬を触った。そんなゼロの仕草に、皆は「不思議ちゃん」という愛称をつけ、可愛がるようになった。
「それじゃあ、バルボラ、クレア、インドラ、クラーラ、ネラ、ゼロ、行くぞ!」
◯
その日の夜。
月光に照らされた中庭で、ドメが席に座り、本を手にルイズを待っていた。風がページをそっとめくり、静かな夜の空気が彼女を包む。
「情報部隊も暇なんだな」
「そうツンケンしちゃ駄目よ」
ドメは口元を本で隠し、目を細めた。ルイズは舌打ちをして向かいに立つ。
「夜空に走る青い光のことか?」
「えぇ、ルモー村に向かう船が動き出した。私は向かうわよ」
「勝手にしろ」
ドメは「良かった」と呟き、立ち上がると、去り際にルイズの耳元で「王子様、早く来ると良いわね」と囁いた。
「嫌味か?」
「別に。それともルイズは諦めちゃってるのかしら?」
余裕たっぷりの言葉にルイズが振り返ると、ドメはすでに箒に乗り、夜空へと舞い上がっていた。
「あの阿婆擦れが……」
月明かりの下、ルイズの表情に苛立ちと緊張が混じり合っていた。