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少女と少女は鏡面世界をさまよう  作者: 江戸前餡子
第三章•少女の解放
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34・母と娘

 星空みたく無数の蝋燭が照らす戦闘訓練室、静寂が支配する舞台の上で、一本の色気のない白い蝋燭の炎が微かに揺れていた。


 フランカの鋭い目つきが蝋燭の向こうで少女の冷ややかな瞳と交錯し、目に見えない火花が散ったかのように空気が軋む。彼女たちの間に流れる緊張感は、舞台を覆い、重く沈殿していた。足元の木床が微かに軋む音が響き、観客席から漏れる息遣いさえもが凍りつく。


 舞台の下、新は目を細めてその光景を見上げていた。薄暗い観客席に立つ彼の隣で、晃の気配が微かに動く。新の首がわずかに傾き、不思議そうに晃を見た。


「珍しいね、晃がここに来るなんて」


 晃は肩をすくめ、視線を逸らしながら平然と答えた。


「たまたま通りかかっただけだよ」


 その声は軽く、わざとらしいほどに無関心を装っている。だが、新の耳には届かなかった。


 晃の行動範囲の癖――新はそれを熟知していた。彼の唇がゆっくりと歪み、悪戯そうにニヤリと笑う。


「リコリスちゃんか」


 晃は目を逸らし、小さく鼻を鳴らす。


 舞台の上では、決闘のルールが告げられる。


「オストラン帝国の決闘と同じです。技は軽傷程度の威力で戦い、相手が降参したら試合終了。また、舞台から落としても勝利となります。リタイアする場合は、自ら舞台を降りてください」


 声は冷たく、事務的で、まるで刃物のように空気を切り裂く。


 フランカが短く頷き、「分かったわ」と応えた。彼女の声は鋭く、金属が擦れるような響きを帯びていた。だが、少女は目を細め、静かに言葉を重ねる。その声は低く、抑揚を抑えたものだったが、底に宿る力が空気を震わせた。


「言っときますが、『神技』と呼ばれる天界の技は私には通用しませんよ、フランカ・レーベルさん」


 少女の瞳が鋭く光り、冷たくフランカを突き刺す。薄暗い舞台に映るその瞳は、まるで凍てついた湖の底からこちらを見据えているかのようだった。


「エルシリア・オストランとして来てください」


 その言葉が発された瞬間、風が止まり、空気が凍りつく。少女の周りに漂う威圧感は、まるで戦場を渡り歩いた騎士が放つ重圧そのもの。舞台の木床が微かに震え、蝋燭の炎が一瞬だけ激しく揺れた。


 フランカは息を呑んだ。目の前の少女から放たれる圧倒的な存在感に、空気そのものが彼女に飲み込まれそうになる。胸が締め付けられ、心臓がドクンと重く跳ねた。両手で頬を叩き、パンッと乾いた音が響く。気を取り直すように目をぎゅっと閉じ、再び開く。だが、舞台の下で見守る晃にはすでに分かっていた。この勝負の結末が、始まる前から決まっていることを。彼の瞳に映るフランカの背中は、どこか小さく、脆く見えた。


 二人が構えた瞬間、白い蝋燭の炎が不思議な動きを見せた。オレンジから青へ、青から紫へと次々に色を変え、やがてパンッと小さく弾ける。火花が散り、薄暗い舞台に一瞬だけ光が踊った。それが戦いの合図だった。


「動かない、どうしたんだ」


 新が呟く。だが、それは錯覚だった。二人は動いていなかったわけではない。ただ、陰陽師である新の目には捉えられないほどの速さで事が進んでいたのだ。もし魔力の高い魔族がここにいたなら、今起きている光景に顔を青ざめ、膝を震わせていただろう。


 フランカの手が素早く動き、次々と魔法陣が空中に浮かび上がる。赤く輝く紋様が空間を切り裂き、鋭い風がビューンと唸りを上げて舞台を駆け抜けた。 木床に刻まれた古い傷跡がその風に震え、観客席の埃が舞い上がる。だが、少女は無表情のまま手を振るだけだった。魔法陣が砕け散り、ガラスが割れるような鋭い音がカキーンと舞台に反響する。破片のように散った魔力が薄暗い光の中でキラキラと輝き、消えていった。


「魔法は通じない」


 フランカはそう確信し、唇を噛み締める。次の手を打とうと口を開きかけた瞬間――少女が動いた。


 風を切り裂くような速度で少女の足が上がる。鋭い靴音がカツンと空気を震わせ、フランカの顔を狙う。


 フランカは咄嗟に腕を上げ、防ぐ。ガツンッと鈍い衝撃音が響き、まるで大木に殴られたような重さが彼女の身体を襲った。腕に走る痛みが骨まで響き、体が横に軽く飛ばされ、フランカの意識を揺さぶった。


「意味ないって言いましたよね」


 少女の声は冷たく、氷の刃のように鋭い。


「――ッツ」


 フランカは歯を食いしばり、痛みに耐える。唇から漏れる小さな呻きが、舞台に虚しく響いた。


 オストランの血を引く少女。その体内にニュークリアスを取り込めるほどの器を持ち、魔力だけでなく神技にも瞬時に反応できるその実力は、すでにエレナと同じ高みに立っていることをフランカに悟らせた。


 彼女の背筋に冷たい汗が流れ、脳裏にあの夜の記憶が蘇る。敵として対峙した時の恐怖が、手に震えを伝えた。指先が微かに震え、彼女の呼吸が浅くなる。


「もう降参ですか?」


 少女の声が静かに響く。舞台に漂う冷気が、フランカの頬を刺す。


「冗談、私だって……!」


 フランカが言い返すが、声に力がない。少女は首を振る。


「神も人間と変わらない」


 その言葉が終わると同時に、少女の姿が再び消えた。


 フランカが気づいた時には遅かった。背中に突き刺さる衝撃が骨の芯まで響き、ゴッという鈍い音が響く。口から血が飛び散り、赤い雫がポタポタと木床に落ちた。血の匂いが鼻をつき、フランカの視界が一瞬揺れる。


「私の苦しみはこんなんじゃない」


 少女の声が冷たく響く。振り返るフランカだが、そこにはもういない。次の瞬間、懐に現れた少女の拳が再び襲いかかる。消えては現れ、消えては現れるその動きに、フランカの身体は追いつかない。


 新と晃は舞台の下で息を呑む。術師とは思えない武術の冴えに、アカデミー生たちの決闘がまるで子供の遊びに感じられた。観客席の空気が重く、新の手に汗が滲む。


「私のお母さんなのですよね。それとも貴女はフランカ・レーベルという別人?」


 少女の声が静かに響く。


「わ……私、は……」


 フランカの言葉が詰まる。喉が締め付けられ、声が掠れる。


 オストラン一族は魔力の高さから「魔王」と呼ばれていたが、もう一つ――「拳豪の魔女」という異名があった。全種族大陸争奪戦線を渡り歩いたエルシリアは、魔法をほとんど使わず武術で敵を圧倒していた。その理由は、少女と同じく魔力と身体が一致していなかったからだ。


「私を本気にさせたこと、後悔させてあげるわ」


 フランカの目つきが変わる。何かが吹っ切れたのか、それともやけくそなのか。


 彼女は身体を脱力させ、姿勢を低くした。次の瞬間、床を蹴る音がドンッと響き、間合いが一気に縮まる。


 音が遅れるほどの速度に、少女はワヴァール街でのルイズとの戦いを思い出す。あの死を覚悟した瞬間、全細胞が活性化した感覚。自分が戦いを愛していることを知ったあの喜びが、再び胸を熱くする。


「でも遅いですね」


 少女の声が冷たく響き、フランカの拳を片手で軽々と止める。勝ち目はない。そうフランカが思った瞬間、手のひらに伝わる微かな震えに少女は話を続けた。


「だって貴女は強い」


 少女が苦笑しながら呟く。


「あの時、アシュリー・バレッタが死んだ後日の、貴女が言いかけた言葉を覚えていますか?」


 あの日の後悔が蘇り、フランカの心臓が締め付けられるように痛んだ。あの時、言い切っていればと何度も悔やんだ言葉。


「他の人から見たら――」


 少女が言葉を紡ぎ、フランカが続ける。


「他の人から見たら、私達は親子に見えるんですかね。もしもそうなら――」


 その時、少女が舞台を降り、フランカを振り返る。頬を赤く染め、恥ずかしそうに手を差し伸べた。


「もしそうなら、私のママになって、名前を付けて、親子に戻りませんか」


 その言葉にフランカの心が震える。手を握らない選択肢などあり得なかった。


 急いでその手を握り、引き寄せて強く抱きしめる。


「絶対に後悔はさせません」


 涙が頬を伝い、舞台に静かな嗚咽が響いた。



 夜はどこまでも黒く、静かだった。校長室の窓から見える月が、冷たく光を投げかけ、ガラスに映る影が揺れる。


「この頃、人神武装主義(じんじんぶそうしゅぎ)だと思われる人物がよく目撃されています。校長、その子を学生ではなく、プロの陰陽師として迎えるのはどうでしょうか」


 晃の声が重く響き、スマートフォンの画面に映る映像に校長の目が細くなる。


「こんな小さな子を……」


 校長の呟きは小さく、眉間に深い皺が刻まれる。胸が締め付けられ、喉が詰まるような感覚が彼を襲う。


「晃先生、正義とはなんでしょう」


 校長の声は静かだが、鋭い。晃は一瞬言葉に詰まり、唇を噛む。


「気持ちは分かります。でも、現実を見てください。少子高齢化で能力者が産まれるのに一年に数人、しかもC級以下。この子は数百年に一度の人材です。道徳を考える余裕なんて――」


 声が大きくなった瞬間、晃は我に帰り、言葉を飲み込む。


「正義なんてこの世界にはありません」


 校長は視線を落とし、深い溜息をついた。


「私の娘も最近Aランクになりましてね。あと2年で前線に立つと思うと……子供たちを戦場に送るのは抵抗があるんですよ」


 晃は言葉を見つけられず、重い沈黙が部屋を満たす。


「カラクリを前線に立たせればいいじゃないですか。伝統を重んじるのもいいですが、人の命を軽んじる伝統は間違っています」


 校長の声に熱がこもり、晃が反論する。


「カラクリには精霊が嫌う炎や特殊な木が必要です。海外はそのせいで汚染されて草木が枯れていますよ」

「でも人は生きています」


 二人の視線がぶつかり合い、火花が散る。議論は堂々巡りだった。校長は深い溜息をつき、決断を下す。


「なら、私とその子で決闘して、彼女が勝ったら学生として迎えます。ただ、プロの陰陽師ではなく、学生としてあの三人と神戸山半壊事件を解決させましょう」


 晃は少し納得してなさそうな表情を見せながらも頷き、部屋を出る。校長は月を見上げ、「この国は我々の手を握らないか……」と呟いた。冷たい月光が彼の顔を照らし、深い孤独がその表情に刻まれた。

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