25•日本へ(下)
横なぶりに吹き荒れる吹雪が、私たちの頬を鋭く切りつけて、凍てつく風が耳元で唸りを上げ、視界を白く染める雪粒が目を刺すように飛び込んでくる。
私は思わず目を細め、凍りついた箒の柄を握る手に力を込めた。
水面を滑るように走る箒の先端が、薄氷を砕くカチカチという音を立て、その振動が指先から腕へと伝わる。黒灰の魔女が魔力を探知できない、ぎりぎりの距離を保っていたため、女王とドメの姿はすでに白いベールの向こうへと溶け込んでいた。雪が舞う中、彼女たちの輪郭さえもぼやけ、まるで幽霊のように消えていく。
「そうだ、イルマとその他全員は、リコリスとベティを確保した後、塔の天辺にある大広間に行って光を上げてくれないか?」私の声は風に掻き消されそうになりながらも、必死に仲間に届ける。
イルマが箒を握る手をわずかに震わせ、眉を寄せて私を見返す。「んでだよ、お前一人で女王を殺すと?」その声には疑念と苛立ちが混じり、吹雪の中でかすかに震えていた。
「なわけ……私は戦えないよ」
私は首を振って笑ってみせるが、唇の端が冷たく引きつるのを感じる。
「見ての通り、リコリスにも第一王女にも似ている。だからそれを利用するのさ」
全員の顔を見渡す。凍てつく風に赤く染まった頬、雪に濡れた睫毛が瞬くたび小さく震えるその瞳には、不安と決意が交錯していた。私は一拍置いて咳払いし、凍えた喉を震わせながら口を開く。
「大魔法都市モズで、カメレオンから渡された物をイルマは覚えてる?」
イルマが目を細め、記憶を掘り起こすように眉を動かす。「たしか……グラビリア……だったよな」その声は吹雪に埋もれそうになりながらも、確かに私の耳に届いた。
「そう、その通りだ」
私は頷き、凍える指先でマントを握りしめる。「グラビリアはダータ島を探索するために黒灰の魔女が作った魔具。使うと重力が消え、今向かっているニスカヴァーラ城の"どこか"に飛ばされるんだ」
イルマの瞳がわずかに見開かれ、凍った息が白く吐き出される。
「そうか、飛ばされる"どこか"って、大広間ってことか。黒灰の魔女が作ったなら納得がいく」
「そういう事、私はゼロに装って女王に近づく。それでイルマが光を上げたタイミングで、グラビリアを使って女王をそっちに飛ばす、後はそっちの手柄になるって作戦。悪くないだろ?」
私の言葉に、吹雪の唸りが一瞬だけ間を埋める。
エルフたちは黙り込み、雪にまみれた顔を動かさない。ただ、風に揺れる髪と、時折聞こえる箒の軋む音だけが、彼らの存在を確かに示していた。納得したのだろうか、それとも言葉を飲み込んだだけなのか。
「でもベティとリコリスはどうするんだ?巻き込む気か?」
背後から響いた声に、私は振り返らずに答える。
「いーや、そこから逃がせば良いよ。大広間は壁も屋根もない、柱に囲まれただけの場所だから問題はないはず」
"はず"という言葉に力を込めた瞬間、胸の奥で冷たい不安が蠢く。もし転置魂具を使っていたら、あの抜け殻のようなゼロが目を覚まし、私たちを見つけた時どうなるか――
主人の命令に逆らえず、敵に回る可能性だってある。その想像が頭をよぎり、凍える指先が一瞬震えた。
そう考えている間に、吹雪の向こうからぼんやりと城影が浮かび上がる。黒々とした輪郭が雪の白さに映え、まるで闇が蠢くように見えた。次の瞬間、ビカッ、ビカッと鋭い光が幾つも点滅し、視界を切り裂く。
「魔弾が飛んでくるぞ!」
後方からエルフの叫びが上がり、風に混じって耳に突き刺さる。私は箒を握る手に力を込め、「じゃあしっかりな」と短く言い残すと、隊列から抜け出し、雪と雲の渦の中へと消えていった。背後で響く仲間の叫び声が、遠くかすかに聞こえるだけだった。
「随分と厳重ね」
ニスカヴァーラ城の別塔に足を踏み入れた瞬間、白い部屋の冷たい空気が私の肌を刺す。
壁一面を覆うルーン文字が、薄暗い光の中で不気味に浮かび上がり、まるで生き物のように脈打っているように見えた。
バーサーカーがそこにいる。暴れれば即座に殺せるよう、魔法の準備が完璧に整えられた牢獄だ。目の前にそびえる透き通ったドアは、魔法陣が彫り込まれたダイヤモンド製で、どんな衝撃にも耐えられるように作られている。その硬質な輝きが、私の鼓動を一瞬重くした。この部屋はバーサーカーのために作られたのだ――そして今もなお生きているという事実は、背筋に冷たいものを走らせる。
ドメが隣で息を吐き、眉間に深い皺を刻む。「本当に戦力になるんですかね」その声には不安が滲み、目の前の光景に耐えかねるように視線を逸らす。
私はバーサーカーに目をやる。椅子に座り、項垂れるその姿は、まるで魂の抜けた人形のようだ。
長い髪が全身を覆い、顔は見えない。ただ、背丈からして子供だろう。研究者の話では、上半身は男で下半身は女らしい。オリジナルはオスだと聞いていたが、この複製体は異様な存在感を放っていた。
私は唇を噛み、胸に湧き上がるためらいを抑え込む。
「ねえ、いつもこんな感じなの?」
私の声は静かに部屋に響き、白い壁に反響する。
ドメが小さく頷く。
「はい、いつも椅子に座ってじっとしています。まるで死ぬのを待っているように」
その言葉に、私はゼロの姿を重ねてしまい、戦場に使うことに一瞬躊躇する。使うべきではない――そんな思いが頭をよぎるが、それを振り払うように首を振った。
「オストラン様、分かってますでしょうが、バーサーカーはまだ未知な部分が多く、兵器として使用するには危険すぎます」
ドメの声が背後から響き、慎重に言葉を選ぶ様子が伝わる。
「今まで無かっただけで、近づいたら襲ってくるかもしれません。本当に宜しいんですね?」
私が黙り込んでいると、彼女の背後から小さな声が聞こえてきた。
「やめた方が良いです……」
その自信のない囁きに、私の身体が反射的に硬直する。聞き覚えのある声だ。
「ゼロ、生きていたんですね!オストラン様が彼女に、帰還するための魔具を渡したんですか?」
ドメが驚きの声を上げ、私の方を振り返る。
「う……ん」
ゼロの返答は曖昧で、どこか虚ろだ。私は目を細め、胸に引っかかる違和感を抑えきれなかった。いくら育児を放棄し、生まれてすぐに別れたとしても、この子は私の娘のはずだ。なのに、目の前の彼女からはゼロの気配が感じられない。まるでゼロの皮を被った何か別の存在にしか見えなかった。
どうやって?もしこのゼロがニュークリアスだとしたら、どこで入れ替わったのか。私は息を呑み、記憶を遡る。そして、気づいた瞬間、目を見開いた。
「リコリスと入れ替わった時、本物はあの穴から逃げたのね」
そうだ。ニュークリアスはすでにゼロの身体を乗っ取り、イルマが助けに来た時に共に逃げていたのだ。
確信が胸を突き刺し、無意識に手に杖を握っていた。周囲が驚き、私を止めようとするが、私は杖先をニュークリアスに向けたまま動かない。
「すみませんでした!」
突然、目の前の彼女が震え出し、歯をガチガチと鳴らしながら地面に額を擦り付けた。涙を堪えた弱々しい声が響き、私はリコリスの予言を思い出す。
「王女を信じて、ただ待ちなさい。もし、帰ってきたら、愛を持って接し、また0から信頼を築き上げなさい、さすれば世界を包み込む暗闇を王女が打ち破るでしょう」
もし、目の前にいるのが本物のゼロで、予言通りに帰ってきたのだとしたら?私は杖を握る手に力を込め、息を止める。ニュークリアスに対抗できる唯一の存在を、この一瞬の過ちで失うかもしれない。神界さえも滅びかねない。
「貴女は本当にゼロなの?」
私の声は震え、冷たい空気に溶けていく。
「申し訳ございません、ご主人様。側から離れてしまい申し訳ございませんでした」
彼女の声は弱々しく、地面に額を押し付けたまま震えていた。
ニュークリアスなら、なぜここまでするのか。時間稼ぎ?何のために?惑星破壊プログラムを持つ彼女にとって、神を殺すことなどアリを踏み潰すようなもののはずだ。それなのに、なぜこんな芝居を?
そう思った瞬間、身体から力が抜け、私は杖を落とし、彼女に近寄って強く抱きしめた。「私こそごめんなさい。我が子を見間違えるなんて最低な親ですね。 」涙が込み上げ、声が震える。
「え?どういうこと……」
彼女が戸惑う声を発した瞬間――
―― なーんてね ――
耳元で囁かれたその言葉に続き、腹部に強烈な衝撃が走る。身体が宙を舞い、息が詰まった。
「親子との感動の再会だと思ったノ?キャハハハハ!ほーんとお人好しさんナノ!」
ニュークリアスの嘲笑が部屋に響き渡る。私は床に叩きつけられ、息を整えながら立ち上がるが、身体がまるで重力を失ったように軽くなっていく。
彼女は手を広げ、踊るようにクルクルと回りながら狂ったように笑う。「まさか予言を信じちゃうなんてねぇ!」その声に、私は凍りつく。
後ろにいたドメや研究員たちが杖を抜くが、次の瞬間、彼女らは呆気なく粉砕され、肉片が床や天井に飛び散った。血の臭いが鼻をつき、耳に響くのは彼女の笑い声だけだ。私は恐怖に染まった顔を彼女に向けるが、ニュークリアスは満足そうに口角を吊り上げていた。
「予言の事をなんで貴女が……」
「なんでって、それを作ったのは私のママだから。リコリス・シーラはイレナ教、いやザラ教?まあ良いや、なんかこの二つ、変だと思わなかったノ?」彼女の言葉に、頭が真っ白になる。
変?確かにイレナ教が"あのイレナ"を指すことは分かっていた。だが、ザラ教はこの世界を作るためのオリジナルではないのか?彼女は私の額に人差し指を押し付け、「ママの本名は、イレナ・ザラ。つまり二つの宗教の予言は、ママがここまでの計画を進めるための言葉に過ぎなかったワケなの」と続ける。
全てが崩れ落ちるような感覚が私を襲う。イレナに指示を受け動いていたのは、彼女の罠だったのか。
「転生派は、この世界が創られた時から敗北が決定していたノ!プッ!……ククククク……キャハハハハ!!」
彼女の笑い声が頭の中で反響する。
ニュークリアスは窓の向こうを横目で見た。一筋の鋭い光が吹雪を切り裂いて登っていくのがみえた。
「あーあ、久し振りにこんな笑っちゃった〜。もうそろそろ時間だね、バイバイなの」
足が完全に地面から離れ、私はニュークリアスが手に握るものを見る。
「グラビリア」
気づいた時には遅く、身体は壁を突き破り、どこかへ飛ばされていった。
「キミはゼロの成長剤なんだから、殺すわけないノ」
ニュークリアスはヨーグの部屋に堂々と入り、俯く彼女に手を差し伸べる。薄暗い部屋に響く彼女の足音が、ヨーグの耳に冷たく突き刺さる。
「私について来な、自由にしてあげるよ。もちろん途中で逃げても良い。ヨーグも必要ナノ」
ヨーグは長い髪の隙間から顔を上げ、かすかに震える手でバーサーカーから貰ったネックレスを見つめる。
「なんでパパのを……あなた、誰?」
「私はニュークリアスなの。んで?来る?」
彼女の声は軽やかだが、その裏に潜む冷酷さが空気を重くする。
ヨーグが腰を上げると、ニュークリアスは「君が逃げるその日まで宜しくナノ」と手を引っ張り、走り出す。目指す先は決まっている。
「手始めにオストラン城にいる、愚かなエルフの王を殺しに行こうか」
「イルマ、遠くに光が……」「グラビリアの光?」ベティの声が震え、指さす先に全員の視線が集まる。私は凍える手で箒を握り直し、いつでも魔法を放てるよう仲間にサインを送る。
ニュークリアスは計画を遂行したようだ。だが、私――いや、私たちは女王を倒せないだろう。カメレオンの言葉が脳裏に蘇る。
「今のエルシリアは俺と同じ類だと思っとけ」
彼が手のひらをかざした瞬間、目の前の建物が音もなく消えた。あれは幻ではない。神に近い力だ。
床のタイルが割れ、砂埃が舞い上がる。私は全身で感じていた。魔力ではない、カメレオンやニュークリアスと同じ――その気配を。
「ベティ、今のうちに逃げろ!」私の叫びに、彼女は箒に跨るが、女王の声が響いた瞬間、身体が硬直する。
「ゼロ?ゼロなの?」
エルシリアの声に、ベティは胸を押さえ、動けなくなる。私は彼女の背中に杖を向け、「ヴェント!」と叫ぶ。風が彼女を吹き飛ばし、ヨロヨロと飛び立つ箒がゼロを落としそうになりながらも、ハヌ島へと向かった。
「ハッ!なんだよ、綺麗な顔が台無しだぜ?女王様」
私はエルシリアと目を合わせ、死を覚悟しながらも解放感に身体が軽くなる。
「さあ、思う存分に殺せ!エルシリア・オストラン」
◯
「まったく、凄い所に身を潜めてるわねぇ」
門を背に立つ二人の大男を見上げ、イレナは鼻から息を吐き、胸ポケットから写真をピラっと取り出す。
「呼んでくださいな」
男たちは写真に目をやり、「あのチャランポランか」と笑う。イレナが首を傾げると、「こっちの話だ」と態度を崩し、豪邸へと案内した。
障子が閉まり、イレナは座布団に座りながら部屋を見渡す。惑星ハールスとの違いが感じられず、「結局は人間ね」とつまらなそうにお茶を啜る。
正座で痺れる足を崩した頃、ヤナガが障子を開ける。「ヨッ!おひさ!」
「女性を待たせるなんて最低よ〜」イレナの声に、ヤナガは頭を掻き、タバコに火をつける。「イケてる漢は待たせるんだよっ……ゲッホゲッホ!!」
イレナは呆れながらお茶を渡し、ヤナガは満月に目をやる。「この世界に、明日には役者が揃う」
「やっと俺が本格的に出れるのか」ヤナガは嬉しそうに笑い、黒いハットを被る。
「ショータイムだ」
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