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少女と少女は鏡面世界をさまよう  作者: 江戸前餡子
第二章・伝説の魔術師バルトロとダータ島

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24.5・ニスカヴァーラ城へ目指す空と陸

 冷たい夜風が頬を切りつけ、箒の柄を握る手に微かな震えが走る。二つの月が淡い光を投げかける夜空の下で、私たちはまるで時を忘れたかのように漂っていた。風が耳元で低く唸り、遠くに見えるテレスの城が闇に浮かぶシルエットとして徐々に近づいてくる。あと少しだ――その距離が縮まるごとに、胸の奥で何かが締め付けられるような感覚が広がる。


「あの二人をハヌ島に置いてきて大丈夫だったのか?」


 イルマの声が風に混じって届いた。彼女の目は鋭く、しかしどこか不安そうに揺れている。バルトロさんとアヌトリュースに一言告げて別れたあの瞬間が、彼女の中でまだ燻っているのだろう。眉間に寄った皺と、唇を軽く噛む仕草がその証拠だ。


「きっと大丈夫だ。あいつは必ず来る」


 私の言葉は、宙に浮いたまま風に散っていく。正直、自分でも確信が持てない。バルトロをテレスの元へ連れて行けば、彼が再びエルフの大陸の牢獄に逆戻りするのは目に見えている。かつて監禁されていた男を、再び鉄格子の向こうに押し込むわけにはいかない。そんな危険を冒すくらいなら、ハヌ島に置いてきた方がまだマシだ。そう言い聞かせながらも、心のどこかで不安が渦巻く。


 イルマは鼻で小さく息を吐き、不満を隠さない。その音が妙に耳に残り、私の背筋を冷たくさせる。


「てか、ニュークリアスはいつまで私の背中に顔をくっつけてるつもりだよ」


 イルマが苛立ちを込めて言うと、後ろからくぐもった声が返ってきた。


「うるさい、高所が苦手なの」


 私の声は震えていて、彼女の細い腕が私の腰にぎゅっと絡みついているのが分かる。箒が風を切り裂くたびにその力が強くなり、まるで私にしがみついていないと落ちてしまうかのようだ。


 しばらく進むうちに、イルマが突然身を乗り出した。彼女の指が遠くの闇を指す。


「何だあれ?」


 その先に、小さな光がぽつんと浮かんでいた。次の瞬間、その光から白い閃光が天へと突き上がり、夜空に鋭い線を刻む。私の心臓が一瞬跳ねた。イルマは息を呑み、杖を握る手をホルダーに伸ばしかけたが、すぐに力を緩める。


「エルフか」


 彼女の声には安堵が滲み、肩の力が抜けるのが分かった。私もまた、胸を押さえていた重い緊張が少しだけ解けるのを感じた。


 その時、大鷲の羽音が空気を震わせ、私たちに近づいてきた。背に乗るエルフの声が風を切り裂いて響く。


「ちょうど良いタイミングで帰ってきた。来い、明日行うオストラン城攻略戦の作戦会議をする」


 口調は命令的で、彼の顔には歓迎の色がまるでなく、眉間に深い溝が刻まれている。


 大鷲の翼が空気を叩く重い音が耳に響き、私は思わず身構えた。彼の言葉に続けて、城の現状が語られる。


 新調された武具が届き、騎士たちが木箱を抱えて歩く姿が目に浮かぶ。彼らの笑い声や足音が遠くから聞こえてきそうだ。


「今回が恐らく最後の戦争だ。皆、やる気が違う」


 エルフの言葉に、イルマはただ「ふーん」と気のない返事を返す。内心では、彼らの高揚感が逆に私を落ち着かなくさせる。



 会議室に近づくと、ドア越しにテレス王の声が轟いてきた。低く、力強いその声に混じって、騎士たちの雄叫びと剣や槍が床を叩く乾いた音が響き合う。熱気と殺気が木の扉を震わせ、私とイルマは思わず顔を見合わせる。眉間に皺が寄り、足が重くなる。この部屋に入るのは、まるで獣の巣窟に飛び込むようなものだ。彼らはきっと、女王がかつてのように前線に立つと信じているのだろう。その期待が、私には気の毒で仕方なかった。なぜなら――。



「エルシリア・オストランが逃げる? そんな馬鹿な話があるものか! この戯けが!」


 テレス王の声が雷鳴のように部屋を震わせた。彼の鋭い目つきが私たちを貫き、円卓を囲む騎士たちも一斉にこちらを睨みつける。その視線は刃のように鋭く、皮膚を切り裂くかのようだ。


 私は息を詰まらせ、隣のイルマを見やる。彼女は明らかに困り果てた表情で、必死に言葉を紡ぎ出す。


「いや、黒灰の魔女は己の魔力で子を創るため、魔力が落ちるんですよ。まして、今回の第一王女は呪われた子と聞きますし、女王はかなりの魔力を失ったはずです」


 イルマの声は震え、説明するたびに騎士たちの視線がさらに鋭さを増す。彼女の額に汗が滲み、唇が小さく震えているのが分かる。そして突然、彼女の肘が私の胸に突き刺さった。「お前も見てないでなんか言え」という無言の訴えだ。


「しょうがない」


 私は小さく呟き、壁に凭れていた背をゆっくり離す。足音が床に響き、殺気に満ちた空気を切り裂いて中央の円卓へと向かう。


 テレス王の獣のような眼光が私を捉え、まるで獲物を仕留める猛獣の如く離さない。私はその視線を正面から受け止め、睨み返す。彼の口角がわずかに上がり、鼻で笑う音が聞こえた。


「それなら、良い案があるのだな?」


 彼の声は低く、挑戦的だ。視線が円卓に落ち、広げられた地図が目に入る。私は顎を摘み、思考を巡らせる。


 あの女王の行き先は分かっている。だが、それが確実だという証拠がない。根拠を問われた時、どう切り返すか――


 重い沈黙が部屋を支配する。イルマは私の黙り込む姿に絶望したのか、手で顔を覆う。


 テレスもまた、「やはり何もないんだな」とでも言いたげに目を細めた。


 私は考えるのを諦め、ゆっくりと口を開く。指を一本伸ばし、地図の上に落とした。


「女王はオストラン帝国の第二の城、ニスカヴァーラ城へ移動するだろう。だから、明日オストラン城へ向かう軍と、今夜ニスカヴァーラ城へ向かう軍に分けよう。できれば後者の勢力を強くした方が良い」


 私の指先が地図の上を滑ると、テレスの眉間に深い皺が寄る。質問が来るかと思いきや、彼の表情が意外にも明るくなった。笑いはしないものの、納得したような光が目に宿る。


「なるほど。確かにニスカヴァーラにはバーサーカーの複製品がいる。己が弱っているなら、それを使うしかないな」


 その言葉に、私は内心で驚く。そうだ、コロシアムにいたバーサーカーが語っていた。ニスカヴァーラにはヨーグという複製体がいることを、私はすっかり忘れていたのだ。


 テレスは「流石は私の家族だ。よかろう、その案で進めよう」と頷き、周囲の騎士たちは一瞬不満げな顔を見せるが、すぐに従う。この部屋にいるのは選ばれた者たちばかり。王の決定に逆らう者はいない。私はその後、指揮を執ることになり、まるで今にも武器を振りかざして襲いかかってきそうな狂犬たちに指示を出す羽目になった。



「疲れた~」


 私は中庭の石壁に腰を下ろし、冷えた夜風に身を委ねる。


 死ぬかと思った。イルマは会議の途中で姿を消し、私を置き去りにしていたのだ。


「まったく……」


 冬の寂しさを帯びた風が髪を揺らし、遠くの大陸に点在する集落の灯りが雲の下にポツリポツリと見える。だがその灯りは、次々と消えていく。抜け殻人が暴れ回っているのだろう。指で輪を作り覗いてみると、彼らが箒を使わず魔力だけで空を飛んでいる姿が目に入った。だが魔力が尽きると、そのまま海へと落下していく。泳ぐ姿も見えたが、船も使わず、ただジタバタと波に流されるだけだ。


「酸素を必要としないのが強みか。海底を歩いて這い上がってくるなんて……」


 そんなことを呟きながら、私は一人で下界を眺めていた。


 その時、後ろから声がした。


「初めまして、かな?」


 確かに聞き覚えのある声に、私は今さっきまで旅を共にして来ただろと笑う。だが、その言葉に違和感が走る。中身が変わったのではないか――


「誰だ?」


 振り向くと、ナーシャと名乗る誰かが私の横に立ち、壁に腹をつけて外を眺めていた。


「ニュークリアスさんの視界に映ってるログにもナーシャって名前?」


 警戒する様子もなく、彼女――いや、彼――は平然と話す。私は目を細め、「そうだけど」と返す。


「ふむ……成功か。僕はアル。まぁすぐ天界から抹消される存在だから、名前は覚えなくても構わないよ」


 アルと名乗る彼は、四角く薄い機械とケーブルを私に差し出す。何だか分からず受け取ると、「外付けSSDと繋ぐためのケーブルだよ」と説明を始めかけたが、すぐに口を閉じ、指を唇に当てる仕草を見せる。


 私はその意味を察した。


「なるほど。この会話も向こうのログに残るな」


 苦笑すると、彼は肩をすくめる。


「僕を消そうとする連中がログを見てるだろうしね。機械の後ろに紙を貼ってるから、指示はそこを見てくれ」

「お前が消えたらナーシャも消えるのか?」

「恐らく」


 彼は紙切れを置いて去っていった。私はその紙を手に取り、目を落とす。


―― オストラン城にてテレス・アブラ―ㇺを殺せ――


笑いが込み上げた。


「神々に恐れられた私も、上手く使われたものだな」



 湯船の熱い水が肌を包み、湯気が視界を白く霞ませる中、私はぼんやりとこれからのことを考えていた。


 頭の中は霧のように混沌としていて、思考がまとまらない。そんな時だった。


 耳の奥で突然キーンという鋭い音が響き、私は思わず目を瞑る。そして、その音が消えた瞬間、懐かしい声が脳裏に飛び込んできた。


「その声ってエレナ?」


 私の声が湯気のこもった部屋に小さく響く。


《久しぶりね、フーたん。今日中に通信がつながって良かったわ》


 エレナの声は柔らかく、どこか懐かしさを帯びていた。だが、同時にその裏に微かな焦りが滲んでいるように感じた。


「今どこにいるの?」

《惑星チキュウよ》


 チキュウとハールスは別世界だ。異なる次元に存在する二つの惑星が繋がるはずもない。神同士とはいえ、通信など不可能だと私は思っていた。だが、エレナの言葉が続く。


《バグでゲートが開いてね、繋がっちゃったのよ》


 その軽い口調とは裏腹に、彼女の声にはどこか余裕のない響きがあった。私は眉を寄せ、心配が胸を締め付ける。


「いま大丈夫なの?」

《大丈夫よ。それよりも、今すぐに城から逃げて》


 その言葉に、私の心臓が一瞬止まったかのように感じた。水面が小さく揺れ、湯船に浸かる手を無意識に握る。


「えっ!? どうして?」


 私の声が震えると、エレナは落ち着かせるように優しく、ゆっくりと、説明を始めた。


《良い? 明日、あなたの城は対空用の魔法の杖の定期点検日でしょ。代わりにメイド騎士が数人置かれるだけよね?》


 確かにその通りだ。ドメと話したばかりだった。今回の点検は世界大戦以来のことで、長引く可能性が高い。城内の騎士の数も少ないため、ニスカヴァーラ城から援軍を呼ぶ計画まで立てていたのだ。


《それを狙って、エルフ族が奇襲をかけてくるのよ。だから、ドメだけ連れてニスカヴァーラへ行って、バーサーカーを解放するの。良いわね?》


 頭が真っ白になった。突然の情報に言葉が詰まり、湯船の中で膝を抱えるように縮こまる。エレナは私の返事を待たず、畳み掛けるように続ける。


《急いで! もう時間がないから。そこまでやったら私に連絡してね。視界に電話の受話器のアイコンが映ってるはずだから》


 通信がブツリと切れ、湯船に静寂が戻る。水滴が天井から落ちて水面に小さな波紋を作る音だけが、耳に響いた。


「アイコンってこれ?」


 視界の端に、四角い枠に受話器のマークが浮かんでいる。ボタンもなければ、声にも反応しない。恐る恐る指を伸ばすと、タッチした瞬間、画面が開き、連絡先が現れた。


「エレナと――」


その上に、"BM‐125ゾンスト・シノン"という名前が表示されている。どこかで見たような、既視感を覚える名前だ。私は目を細め、じっと見つめる。エレナより上に登録されているということは、遠い昔に会った相手なのか? 忘れてはいけない何かを忘れているような、歯に物が挟まったような不快感が胸に広がった。


 湯船から上がり、濡れた髪から滴る水が床を叩く音を聞きながら、私は立ち尽くす。その時、部屋の外から慌ただしい足音が近づいてきた。


「お召し替え中に申し訳ありません、オストラン様!」


 ドメの声がドア越しに響く。冷静を装ったその口調とは裏腹に、彼女の額を流れる汗と、かすかに震える声が緊迫感を物語っていた。


「対大陸用大砲型魔導式大杖を指揮してる騎士から伝言です。エルフ族の大陸が下がり、領空を侵犯しているとのこと。定期点検日を狙って攻めてくると思われます」


 その言葉が、私の心を一気に煽り立てた。頭の中が再び真っ白になり、逃げたい衝動が全身を支配する。


 痛いのは嫌だ。まして人を殺すなんて、もっと嫌だ。エレナの言う通りに逃げられるのだろうか? もし捕まったら――?


「どうしますか?」


 ドメとメイド達が顔を見合わせ、私を見つめる。その視線に耐えきれず、私は目を逸らす。彼女たちは「念のため鎧ドレスにお召し替えしますね」と言い、一人が部屋を飛び出していった。皆が動き出す中、私だけがその場に取り残されたように感じる。周囲の声が遠ざかり、手に力が入る。


 脳裏に、天界での記憶が蘇った。エレナが珍しく私の仕事場に現れた時のことだ。


「遊びに来たわよ~って、また部屋を暗くしてぇ。私がいないとすぐ汚くしちゃうんだから~」


 彼女は弾む声でそう言いながら、散らかった部屋を片付け始めた。その時の私の返事は覚えていない。だが、彼女のこの一言だけは鮮明に耳に残っている。


「穴熊さんのフーたんは、いつになったら自分の巣から出てくるのかしら?」


 そうだ。私はいつまで安全な場所に隠れていた。一歩を踏み出せなかったから、カメレオンを逃がし、悪い流れに巻き込まれたのではないか。


 頬を両手で叩く。鋭い音が部屋に響き、驚いたドメがこちらを見た。私は彼女を見つめ返す。


「今すぐに私と共にニスカヴァーラ城へ向かいましょう」

「それは騎士全員で、ですか?」

「私とドメだけです。全員で移動すると目立ちすぎる。すぐ察知されるでしょう。周りには、移動中に空へ警戒を知らせる赤い信光弾を打ち上げてください」

「でも、ニスカヴァーラに何があるんですか? まさかバーサーカーを使用するつもりじゃ――」


 私が静かに頷くと、ドメは一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに顔を引き締める。


「すぐに箒の用意をします」


 彼女の足音が遠ざかる中、私は胸の鼓動が収まらないのを感じていた。



「クックック……ビンゴ~」


 私の声が闇に響いた。空に赤い閃光が鋭く突き上がり、騎士たちの視線が一斉に天を仰ぐ。


 だが、私だけは違う。その赤い光を背に、箒で飛ぶ二つの影を見つめていた。


「ニュークリアス、何を見てるんだ?」


 イルマの声が背後から聞こえる。私は視線を動かさず答えた。


「私の予想通り、今、女王とメイド騎士が城から出た」

「なら今すぐ殺せば良いんじゃないか?」

「女王は必要な駒だから殺せないよ。それに、あの城は広すぎる。スマートにヨーグの場所まで行くためにも、王女が向こうに着くまでは泳がせておこう。私たちは一時間遅れて進むぞ」


 イルマは興味なさげにあくびを漏らし、「お前が言うならそうした方がいいのかもな」と呟いてどこかへ消えた。私は一人、空を見上げる。


「にしても、本当に向かって良いんだな。お前の仲間はオストラン城でテレスを殺せって言ってたけど」


 私の言葉に、耳の奥で声が響いた。


《問題ねーよ。全て計画通り。ブリスマルシェはそのままニスカヴァーラに向かってからオストラン城へ行けばいい。相手は臆病者のレーベルだ。すぐ逃げ出すさ》

「簡単に言うなし」

《何か気にする事でもあるのか?》

「オブジェクト0'のエルシリアの娘さ。チキュウへもう向かっていれば良いんだけど……」

《それならまだニスカヴァーラだな。なぁに心配するな、エリートな僕がしっかりサポートするからよ》


 その言葉に、私は思わずフッと笑った。夜風が頬を撫で、遠くの城から聞こえる微かなざわめきが耳に届く。全てが計画通りに進むのか、それとも――


 私の胸に、冷たい予感が広がり始めた。


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