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少女と少女は鏡面世界をさまよう  作者: 江戸前餡子
第二章・伝説の魔術師バルトロとダータ島

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24・日本へ(中)

確かに、ここに扉があったはずだった。


「壁になってやがる……!」


 イルマの声が低く唸るように響き、洞窟の冷たい空気を震わせた。目の前には、赤茶色の岩肌がまるで生き物のように立ち塞がり、ざらついた表面が薄暗い光の中で不気味にうごめいているように見えた。


「イルマ、幻術じゃないの?」


 私の声はかすかに震え、不安が喉の奥で渦を巻く。幻術なら、そこに魔力の揺らぎがあるはずだ。蒸気のように漂う微かな歪み、かすかな熱の波動。でも、この岩は違う。触れれば冷たく硬い感触が指先に残りそうなほど、圧倒的な現実感を放っていた。


「そこをどいて、破壊する」


 リコリスが一歩前に出て、重々しく言い放つ。背負っていた大杖を両手でしっかりと握り、肩がわずかに上下する。彼女の目は鋭く閉じられ、集中が極限に達している証だった。杖の先端に魔力が集まり始め、シュウッと空気を切り裂くような音とともに、白い球体が現れる。それが黒い稲妻を帯びて膨張するたび、パチパチと火花が飛び散り、洞窟の壁に不気味な影を映し出した。光が鋭く瞬き、空気が重く圧迫される感覚に息が詰まる。


「待て!」


 何をしようとしているのか悟った瞬間、心臓が跳ね上がった。急いでイルマの手を握りリコリスの背後に鋼の壁を呼び起こして非難する。ゴゴゴッと地面が震え、金属が軋む音が耳を劈く。


「馬鹿野郎!洞窟を壊すつもりかよ!」


 イルマの叫びが響き渡るが、リコリスは聞こえていないかのように、唇を固く結んだまま呪文を紡ぎ始める。


「破壊神よ、この壁を焼き払え!ラ・ツェアシュテール!」


 その瞬間、世界が凍りついたかのような静寂が訪れ、直後に轟音が全てを飲み込んだ。

 

 ドオオオオオーン!


 大杖の先から放たれた魔力は、山を塵に変え、海を荒地に変え、人を一瞬で蒸発させるほどの力だった。かつて世界がエルシリアの支配下に落ちる前、禁忌とされていた魔法。その威力は神の領域に踏み込むものだ。


 杖が反動に耐えきれず、先端がバキッと弾け飛び、木片がバラバラと地面に落ちる。天井や床に無数の亀裂が走り、ズズズッと不気味な音が洞窟全体を包んだ。土埃が舞い上がり、鼻をつく乾燥した匂いが肺を満たす。


 イルマは咄嗟に身体に鋼の幕を張り、落下する岩の下敷きになっても耐えられるように備えた。だが、私は息を呑んだまま動けない。土煙が視界を覆い、ゴホゴホと咳き込む音が遠くに聞こえる中、煙が晴れたその先の光景に、全身が硬直した。リコリスもまた、目を丸くして立ち尽くしている。


「なんで……壊れないの……」


 壁や床、天井に走っていた亀裂は確かにそこにあった。崩れ落ちてもおかしいほどの深い裂け目が、赤黒い岩肌に不自然な模様を刻んでいる。なのに、軋む音一つ立てず、まるで最初からそのデザインの一部だったかのように静まり返っている。空気が異様に重く、耳鳴りが止まらない。


「一体どういうトリックなんだ……? 何故……」


 リコリスの声が途切れ、困惑と苛立ちが混じり合った吐息が漏れる。だが、ベティだけは何かを感じ取ったのか、小さく首を振って独り言をつぶやき始めた。


「そういう事ね……でも、なんでこの世界にその術式が……?」


 その声は小さく、まるで自分の思考を確かめるように震えていた。リコリスとイルマは顔を見合わせ、眉を寄せて首を傾げるしかない。


「この壁は決まった術でしか壊せないのよ。しかも魔法じゃなくて――」


―― 陰陽術 ――


 ベティが静かに、だが力強く言い放つ。彼女の腰にぶら下がる長方形のホルスターから、一枚の紙を人差し指と中指でスッと引き抜く。その動作は流れるように滑らかで、まるで何度も繰り返してきた儀式のようだった。だが、壁から放たれる重々しいオーラ――ズンッと腹の底に響く殺気にも似た波動に、彼女の眉がピクリと動く。額に汗が滲み、唇がわずかに震えた。


「陰陽術? 何だそれ?」


 リコリスが怪訝そうに聞き返すが、ベティは答えず、ただ壁を見つめたままだった。彼女の脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。


 耳の奥で響く人々の叫び声、子供の泣き声が混じり合い、頭の中で渦を巻く。あの時だ、まだ物心もつかない幼い日に、そいつ――ダークビショップが現れた。あの不死の怪物は、陰陽師たちが総出で挑んでも頭を失くし、体を切り刻まれても微動だにせず、赤い眼だけが闇の中で不気味に光っていた。絶望が全てを覆った時、突然消えたのだ。天が味方したのか、それとも飽きたのか。以来、二度と姿を見せなかったはずなのに……。


 肩に力が入り、汗が首筋を伝って滴り落ちる。彼女は唇を噛み、決意を固めた。


「壁を消したら、ダークビショップには構わず、二人はその人を救出してすぐに逃げて。私が相手するから」


 正直、無理だと分かっていた。心臓が早鐘のように鳴り、喉がカラカラに乾く。だが、選択肢は他にない。


「ダークビショップって何だよ? てか、一人で大丈夫なのか?」


 イルマの声に苛立ちと心配が混じる。だが、ベティは鋭く睨みつけて返す。


「ダークビショップはこの先にいる化け物の事! いいから従え!」


 彼女の声は鋭く、洞窟に反響して耳に突き刺さる。そして、静かに目を閉じ、札を胸の前で構えた。


「剛壁の主よ、城は守られた。もう眠りたまえ」


 聞き慣れない言葉が響き、札が灰となってスッと消える。次の瞬間、壊れなかった壁が光の粒子となって崩れ落ちた。キラキラと輝く粒子が洞窟の薄暗い空間を照らし、まるで星々が降り注ぐような美しさが一瞬広がる。だが、その刹那――。


「――ッ!」


 目の前に、髑髏の仮面が立っていた。鼻息がかかるほどの至近距離。赤い眼がギラリと光り、底知れぬ闇を宿している。


 頭が真っ白になり、膝がガクンと震え、腰が思わず後ろに引ける。圧倒的な力に全身が呑み込まれそうになる。だが、死にたくない――その一心が、凍りついた体を無理やり動かした。


風霊(ふうれい)よ、今一度でいい、其方の羽衣を貸したまえ!」


 ゼロ距離で放たれた魔法が迫る中、身体を捻って間一髪でかわす。シュンッと風を切り裂く音が耳をかすめ、背筋が凍る。三人は左右に分かれ、神殿の奥へと飛び込む。階段はすでに消え、底へと続く闇が口を開けていた。イルマとリコリスは箒に跨り、ギュンッと風を切って下降する。底にいるニュークリアスへと手を伸ばし、叫んだ。


「救出!」


 その声に、ベティの胸が一瞬緩む。だが、体力の限界が影を落とし、全身が鉛のように重くなった。


「この異世界じゃ、陰陽術の使える回数が限られてるのよね……」


 息が荒くなり、声がかすれる。距離を取ったのも束の間、ダークビショップが再び間合いを詰めてくる。足音がズシン、ズシンと響き、地面が微かに揺れる。


「大技を使いすぎた……」


 もし術が使えたとしても、残りは一回。ダークビショップの心臓は目の前にある。だが、攻撃すればどうなる? 最下層にいるイルマたちとの距離は遠く、彼女らが小さく見えるほどだ。彼女らも術を避けられず、死ぬ未来しか見えない。さっきの術以外で逃げられるのか?

やはり、私はただの生贄なのか――。


「飯田家の失敗作……」


 自嘲が口をついて出る。心が折れそうになり、視界が滲んだ。



「救出!」


 イルマの声が底から響き上がり、ニュークリアスの細い腕が箒の後ろにしっかりと掴まるのが見えた。ズズッと土砂が崩れる音が遠くで鳴り、彼女の鋼の幕が薄暗い光の中で鈍く輝く。私の胸が一瞬軽くなり、ホッと息が漏れる。だが、その安堵はすぐに冷や汗とともに消え去った。背筋を這う嫌な予感が、鋭い針のように心臓を刺す。


「まさか……!」

「私はベティさんの方に行く。二人は先に神殿から出て、遠くまで逃げて!」


 私の声が鋭く跳ね上がり、喉が締め付けられるように痛む。イルマが箒を操りながら振り返る、その目には心配が滲んでいた。


「無茶だけはするなよ」


 彼女の低い声が風に乗り、かすかに耳に届く。だが、私は答えず、ニュークリアスが差し出した一輪の花――転置魂具(てんちこんぐ)を胸に押し付けられるのを感じた。花弁が冷たく柔らかく、微かに甘い香りが鼻をくすぐる。


「日本へ行け、絶対に説得しろよ」


 ニュークリアスの声は弱々しくも力強く、まるで最後の願いを託すように響いた。私はその花を握り潰しそうになるほど強く掴み、頷く。


「エルシリア様から貰った魔具を使うのを予想していたのかね……」


 まさかね、と小さく呟きながら、心の奥で何かが引っかかる。


 首から下げていた“お守り”をギュッと握りしめ、落下するベティへと箒を急がせる。風がビュウッと耳元を切り裂き、髪が乱暴に舞う。


 彼女の姿はどんどん近づくが、何度呼びかけても振り向かない。いや、それどころか、向き合うダークビショップと戦う姿勢すら取らず、ただ虚空を見つめている。その背中からは、死を覚悟したような静けさが滲み出ていた。


 だが、敵もまた同じだった。髑髏の仮面が不気味に揺らめき、タクトを握りしめたその手は微動だにせず、赤い眼だけが虚ろに光っている。まるで互いに睨み合い、時間が止まったかのように、二人はゆっくりと落下していく。私の心臓がドクドクと脈打ち、冷や汗が背中を濡らす。


「敵が動かないなら好都合!」


 箒に魔力を込め、ギュンッと加速する。風が顔を叩き、目が乾いて涙が滲む。指先がベティの腕に届く瞬間、突然――四方八方から魔法陣が展開された。ゴゴゴッと地面が震え、空気が一気に重くなる。赤と黒の光が交錯し、神殿全体が不気味な唸り声を上げた。


「二人同時に葬るつもりか……!」


 ダークビショップが仕掛けた罠だと一瞬思ったが、その仮面は依然として魂が抜けたように動かない。私の頭が混乱に支配される中、ベティがようやく顔を上げた。


「私もつくづく運が悪い……」


 彼女の声は落胆に満ち、かすかに震えている。だが、その手は素早く動き、ホルスターから最後の札を引き抜く。スッと空気を切り裂く音が響き、札が光を放つと同時に、私たちの周りをガラスのような球が覆った。透明なその表面に、神殿の歪んだ光景が映り込む。


「逃げますよ!」


 私がお守りに魔力を込めた瞬間、鋭い光が神殿を白く染め上げた。キイイイーンと耳をつんざく高音が響き、視界が眩むほどの輝きが全てを飲み込む。私は目を閉じ、ベティの手を強く握った。彼女の掌が冷たく汗ばんでいるのを感じながら、心の中で祈るしかなかった。



 その一連の出来事を、転生派の傍観者たちは巨大な画面越しに見つめていた。部屋に響くのは、慌てふためく声とキーボードを叩くカタカタという音だけ。予想外の展開に、誰もが息を詰めて立ち尽くす中、イレナは腕を組んで冷ややかに観察していた。彼女の唇が微かに歪み、周囲に合わせて慌てたふりをしながら、一歩前に出る。


「ちょっとパソコンを貸してもらうわね」


軽い口調でそう言い、一人を肩で押し退けると、ポケットから取り出したUSBをガチャリと差し込んだ。画面が一瞬チカッと明滅し、誰もそれに気づかない。イレナは声を張り上げた。


「とりあえずみんな落ち着いて!」


 その珍しい大きな声に、部屋中の視線が彼女に集中する。驚いた顔、困惑した顔が一斉にこちらを向き、イレナは内心でほくそ笑んだ。


「神殿から逃げただけよ、私とナターシャは惑星ハールスへ向かいましょう。ここまで来たら、今はニュークリアスの消去より、それに近い力を持つエルシリアの娘を仲間にする事、そしてフランカ・レーベルと私に天界から指示を出せるように通信を繋げる事に集中しましょう。まだ……まだ負けた訳じゃない」


 言葉に力を込め、目を細めて全員を見渡す。


「イレナさん、私でいいのですか?」


 ナターシャの声が小さく震え、彼女の瞳に不安が揺れる。イレナは首を振って微笑んだ。


「迷惑だった?」

「いっ、いえ! お役に立てるなんて光栄です!」


 ナターシャが慌てて横に首を振る姿に、イレナは満足げに頷く。


「すまないわね。そう言ってくれると嬉しいわ」


 もちろん、ナターシャを選んだのは適当ではない。綿密に練った計画の一部だ。取り乱した表情の裏で、イレナはあまりにも順調に進む現状に、込み上げる笑いを抑えるのに必死だった。


「じゃあ急いで転生ポッドへ。身体は用意してるわ」


 白い円柱型のカプセルにナターシャが入り、スーッと光とともに消える。イレナは自分もドアを開け、最後に振り返って言った。


「あ、そうそう。そのメモリースティックは私が転生したらすぐに抜いてね。処分するかどうかは任せるわ」

「オブジェクト0の文字が紫に変わってますけど――って、いない、まあいっか。」


誰かが呟いたが、画面上の文字の変色に誰も深く気をとめず、イレナの言う通りメモリをガチャリと抜いた。



「ここが惑星チキュウ……」


 視界が定まった時、私は海面に浮かぶ小さな舟の上に立っていた。潮風が頬を叩き、鼻腔に塩辛い匂いが流れ込む。波がザブン、ザブンと舟を揺らし、木の軋む音が微かに響く。無人の舟がちょうど転移地点にあったのは偶然ではない。あの人が用意したのだろう。


「ナターシャはこれからは坂口由花(さかぐちゆいか)としてここで活動してね。これはやる事を書いたメモだから、よろしく」


 私は紙を渡しながら彼女を見た。ナターシャの瞳が不安げに揺れる。


「イレナさんも私と行動するんじゃないんですか?」

「そうしたいところだけど、会わなきゃいけない人がいるから。通信が繋がったらチョクチョク会いましょう、ね?」


 ナターシャがコクリと頷くのを見届け、私は「期待してるわ」と彼女の肩を軽く叩いてから空へ飛び立った。風がビュウッと耳を掠め、舟が小さく見えるほど高く舞い上がる。彼女の不安そうな顔が遠ざかり、心のどこかで小さく疼いた。



 次に光で眩んだ視界が落ち着いた時、目の前に見覚えのある制服を着たメイドが立っていた。黒と白のフリルが揺れ、彼女の声が柔らかく響く。


「ゼロ様? ゼロ様、大丈夫ですか?」


 全身を包む冷気が骨まで染み込み、私は震えながら辺りを見回した。石造りの壁、薄暗い燭台の灯り、メイドの制服――ここがオストラン軍の第二の城、ニスカヴァーラ城だとすぐに分かった。胸の鼓動が少し落ち着き、息を吐く。


「すみません、急に」

「いえいえ、エルシリア様から『もしかしたら来るかも』と言われていたので、お部屋の準備もしております。ささっ、こちらへどうぞ」


 ありがたくその言葉に甘え、一歩踏み出した瞬間、後ろから服がグイッと引っ張られた。振り返ると、ベティが鋭い目で私を見つめている。彼女の指先が私の服を掴む力に、警戒と不安が込められているのが分かった。


「ちょっと、助けてもらってこんな事言うのは失礼なのは分かってるけど……大丈夫なの?」


 その声は低く、かすかに震えていた。


「ここは私がダータ島に行く前に立ち寄ったオストラン軍の第二の城、ニスカヴァーラ城。日本へ向かうなら箒や杖が揃ってるこの城に着いたのは運がいいかもね」


 私は穏やかに説明し、彼女を安心させようとした。だが、ベティの表情は緩まず、部屋に着いても落ち着かない様子で窓の外を眺めている。


 私はニュークリアスに渡された花を手に持ち、ソファーから立ち上がった。静かな場所へ行こうと一歩踏み出した瞬間、窓ガラスに映る私の姿に、ベティの声が鋭く響いた。


「アンタ、それでいいの?」


 足がピタリと止まる。私は振り返らず、ただ静かに答えた。


「私はただの器ですから。ここから先の物語は私じゃ進められないんです。この子が必要なんです」

「どういう事?」


 彼女の声に戸惑いが滲む。私は花を握りしめ、目を閉じた。


「星が云ってるんですよ。この子じゃなきゃ私の夢は叶えられないって、ベティさんを日本に送るのも――」

「きっと分かる時が来ます」


 それだけ言い残し、私は使われなくなった小さな倉庫へと向かった。ドアをギィッと開けると、埃っぽい空気が鼻をつき、薄暗い部屋に空の木箱が雑然と積まれている。足音がコツ、コツと響き、私はその一つに腰を下ろした。


「ここが私の最後の場所か……」


 埃が舞う中、ぼんやりと部屋を見回す。怖かった。消えてしまう事が。ドメが私じゃなくなったことを知ったら悲しまないか。初めは、存在が残るだけで、私という魂が消える“だけ”だと考えていた。だが、この旅を通じて、それがどれほど大きな事か分かってしまった。胸が締め付けられ、喉が熱くなる。


「けど、乗りかけた船だ。後戻りはできないよね」


 深呼吸をし、震える唇を開く。


「華よ、其方の中に眠る霊魂を私に降ろしたまえ」


 甘い香りがふわりと漂い、花弁が舞い上がる。私の身体から魂がスッと抜け、糸が切れた人形のよう腕がダランと垂れ下がった。意識が遠のき、闇に飲み込まれる。



 深海のような暗闇。白いベールに覆われた部屋には、無数の色とりどりの玉が淡く光り、薄気味悪い静寂が漂う。


「ここが転置魂具(てんちこんぐ)の中……」


 バルトロさんが教えてくれた通りだ。彼は「万華鏡のようで綺麗だ」と言っていたが、この不気味さは何だ。霧が足元に漂い、歩くたびシュッと小さな音が響く。私はゆっくりと進み、息を潜めた。


「初めまして……かな」


 突然、弱々しい声が背後から聞こえ、私はハッと飛び跳ねた。心臓が喉まで跳ね上がり、振り返る。そこには、小さな影が一つ。目を凝らすと、背中を丸めて縮こまる少女がいた。


「もしかしてゼロさん?」


 名前を呼ぶと、彼女は肩越しにチラリと私を見たが、すぐに下を向く。


「貴女が……私の身体になる人?」


 その声はかすれ、やつれた顔に光の届かない瞳が揺れる。王女とは思えない姿に、私は言葉を失った。


 ゆっくり近づき、彼女の背後に立つ。小さく震える背中に触れそうになりながら、私はそっとしゃがみ込んだ。


「そうです。私が貴女の器です」

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