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少女と少女は鏡面世界をさまよう  作者: 江戸前餡子
第二章・伝説の魔術師バルトロとダータ島

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23・日本へ(上)

 それは、弓なりに湾曲した三日月が、ぷかりと寂しげに夜空に浮かぶ夜のことだった。冷たい風が頬を撫で、遠くから海の波が囁くように響いてくる。私はドメに手を引かれ、城内の静かな中庭に立っていた。ここは特別な場所だ。天に一番近く、夜空が果てしなく広がり、波音がまるで子守唄のように耳に届く。私は目を閉じ、その音にしばし身を委ねた。


「不安な時は、お部屋に引きこもるよりも外に出た方がいいですよ」


 ドメの声は穏やかで、どこか温かかった。でも、私は彼女の言葉に頷くこともできず、ただ俯いた。私は確かに引きこもっていた。ルイズが敵なのか味方なのか、そしてリコリスが居なくなった今、心が折れてしまったのだ。脆い精神に突き刺さった刃は、あまりにも鋭すぎた。一介の神である私には、人の裏切りを受け止める力が足りなかった。もう誰も信じられない――そう思うたび、胸が締め付けられるように痛んだ。


「信じられないよ」


 私の呟きに、ドメは静かに目を細めた。


「人を信じるには勇気がいるものです。怖くなるのは当然ですよ。特に、この世界じゃ……」


 彼女はニコリと微笑んだ。その笑顔は柔らかく、まるで全てを見透かしているようだった。でもその瞬間、私の心に冷たい疑念が忍び込む。ドメもまた、裏で何か企んでいるのではないか? 彼女の笑顔の裏に隠された意図を想像し、私は恐怖と疲労に苛まれた。すると、ふとゼロの表情が脳裏に浮かんだ。あの子も私と同じ虚ろな目をして、同じ孤独を抱えていた。私はなんてことをしてしまったのだろう。罪悪感が重くのしかかり、息が詰まる。


「大丈夫です! このドメが、たとえ矢が降り注ごうと、幾億の兵が攻めてこようと、オストラン様をお守りしますから!」


 ドメの声は力強く、まるで暗闇に灯る松明のようだった。でも、私はその言葉にすがるどころか、さらに心が沈んだ。


「私は帰りたい……元の世界に帰りたい」


 その言葉は、無意識に口をついて出たものだった。弱り切った心が、抑えきれずに溢れさせたのだ。ドメは不思議そうに首をかしげ、私をじっと見つめた。彼女の瞳に映る私は、まるで壊れかけの人形のようだった。


「まあ、この世界もここまで変わり果てると、私だって今いる場所がまるで別世界に感じますよ。エルフ達は大地を切り刻み、緑はほとんど消えてしまった。残されたのは、恨みだけですね」


 ドメはそう言うと、軽く手を振った。すると、魔法の光が彼女の指先から溢れ出し、目の前にふわりと椅子とテーブルが現れた。彼女は私をそっと座らせ、自分も向かいに腰を下ろした。こんな風に彼女と向き合うのは初めてだった。この記憶の中でも、数年ぶりの距離感だ。私は思わず彼女の顔をじっと見つめてしまう。


「何か、私の顔についていますか?」


 ドメはクスクスと笑い、軽く首をかしげた。彼女の余裕に満ちた笑みが、あの人の記憶を呼び起こす。


「懐かしいんです」

「何がですか?」

「貴女が、私の友人に似ているから。つい、ね」


 ドメの眉がピクリと動き、「それはそれは」と口角を上げた。どこか嬉しそうな彼女を見て、私も知らず知らずのうちに口元が緩んでいた。


「私に唯一、親しく話しかけてくれた人だったの」

「その方は今、どうされているんですか?」


 私がゆっくりと首を振ると、ドメは静かに目を伏せた。


「きっとその方も、寂しがっていますよ。今の空みたいに」


 彼女の声は、三日月を映す夜空のように静かで、どこか切なかった。独りでいる時の沈黙は、耳障りで恐ろしかった。でも、ドメと過ごすこの沈黙は、なぜか心地よかった。もっとこの時間が続けばいいのに――そう思った瞬間、耳の奥でザザッと砂嵐のようなノイズが響き、私は思わず肩を跳ね上げて耳を押さえた。今のは何だ?


「オストラン様、あれ」


 ドメの声に驚き、私は顔を上げた。そして彼女が立ち上がり、夜空に人差し指を向けるのを見た。彼女の指先を辿ると、私は息を呑んだ。夜空に輝く光。それはかつて失った希望の欠片だった。私は立ち上がり、震える声で呟いた。


「取り戻したのね。信じていたわ」



 一方、その光の裏側では、別の戦いが繰り広げられていた。常にノイズが走り、時折文字に変わる不安定な姿。敵――いや、この世界に存在するはずのない《バグ》、ダークビショップ。その姿は歪み、まるで現実を侵食する黒い染みのようだった。


「ッチ、またかよ」


 私は舌打ちをしながら剣を握り直した。目の前の敵は予測不能で、常識すら崩壊させる攻撃を繰り出してくる。金属が擦れるような不快な音が響き、攻撃を受けた場所は一瞬で消え、文字化けした残骸だけが残った。


「もしこれが身体に当たったら、どうなるんだろう……」


 気掛かりなのは、時間が経つごとにダークビショップのノイズが激しくなっていることだ。もしかしたら、そのまま消滅する可能性もある。でも、現実は甘くない。姿が消える頻度は増えても、攻撃は見えなくなるだけでしっかりと命中する。特に厄介なのは、完全に視界から消えたオブジェクトとなるときだ。


「なら、一時的に動きを止めるとか、魔法を封じる方法を見つけるしかないか――」


 そう呟いた瞬間、私はハッと立ち止まった。「なぜ今まで気づかなかったんだ」と自分を責めた。


 ダークビショップの身体は確かにこの世界のプログラム言語ではないからバグっている。でも、王冠を乗せた頭部だけは歪んでいない。つまり、そこに攻撃が通るのだ。この敵はまだ完全な状態でこの世界に投入されたわけじゃない。転生派は性能に力を入れすぎて、身体か頭のどちらかを適当にコピーしたのだろう。なら、両方をコピーすれば――

その時、転生派の意図が透けて見えた気がした。そして、天界の現状も朧げに理解できた。


「もしこれが本当なら」


 ダークビショップも私の思考を察したのか、動きを止めるまいとタクトを指揮者のように構え、しなやかに振ろうとした。だが、次の瞬間、その身体がピタリと固まった。魂が抜けたかのように。


「今だ!」


 このチャンスを逃すわけにはいかない。私は崩れかけた螺旋階段を駆け上がり、足音が石に反響した。脳裏にはダークビショップの髑髏のような顔が浮かび、奇妙に笑っているように見えた。私は奥歯を食いしばり、リコリスたちが戻ってきたらどうなるかを考え、心が締め付けられた。


 下を見ると、ヤツはまだ動いていない。神殿の入り口まであと半分。見上げると、イルマと最初にここへ入った時に使った入り口の灯が揺らめき、安堵の息が漏れた。


「急がなきゃ」


 耳裏に隠していた携帯型の箒を取り出し、魔力を込めて元の大きさに戻してから跨った。だが、高所恐怖症の私には箒を使うのは苦手だった。


「少しの我慢だ!」


 目を瞑り、螺旋階段の外へ身を投げた。頬を切り裂くような冷たい風に、恐怖で全身の産毛が逆立つ。


「飛べー!」


 動揺から魔力の操作を誤り、箒は右に左に大きく揺れながら上昇した。あと少し――そう思った瞬間、横から巨大な炎に包まれた鯨が口を開けて迫ってきた。咄嗟に避けたが、箒の先端をかじられ、バランスを崩して真っ逆さまに落下する。


「フリーズが解けたのか!」


 魔法が発動し、鯨が現れたのだ。私は身体を捻り、再び襲い来る鯨に魔法を放ち、間髪入れずに下へ風の魔法を撃って身体を浮かせた。


「イッデ!」


 着地に失敗し、ドアの前で地面に叩きつけられたが、痛みに構っている暇はない。すぐに立ち上がり、入口へ向かう。だが、次の瞬間、音もなく消えて岩の壁に変わる。


「クソッ! やりやがったな、転生派ァァァァ!」



「ニュークリアスを完全に閉じ込めることに成功しました」


 銃声が消え、死臭だけが漂う部屋。勝利の歓声はなく、ただ重い静寂が広がっていた。長い戦いの後、皆が疲れ果て、机に突っ伏したり、手をだらりと動かしたりしている中、一人だけ余裕の笑みを浮かべる人物がいた。


「ふふふ、よくやったわ。最初フーたんを転生させていた時はヒヤヒヤしたけど、まあ終わり良ければなんとやら……ね」


 イレナ。彼女の苗字を知る者は神界でも片手で数えられるほどだ。私はその一人ではない。


「元気ですね。ニュークリアスとさっきまで同じ世界にいたのに、戻るや否やダークビショップを作り上げるなんて」

「これぐらい余裕よ。さて、これで問題は解決ね」

「オブジェクト0'リコリス、オブジェクト87イルマ、オブジェクト2ベティが近づいてきてますけど、大丈夫ですか?」

「神殿は別言語で作られてるから安全よ。問題は、今世界に蔓延ってる一度死んだはずのオブジェクトが動き出したこと。まったく余計なギミックを作ったものね」


 イレナは肩をすくめ、ため息をついた。人類の繁栄が転生派の思想なのに、こんな仕掛けを考える者は世界を壊したいとしか思えない。


「と言っても……」


 プログラムを消せば問題は解消するが、世界が変わることで新たな危険が生じるかもしれない。重力の変化やウイルスの蔓延など、予測不能な事態が怖い。だから、新しいプログラムを追加するしかないのだ。


 イレナも頭を抱え、ホワイトボードに書きしては消しを繰り返し、大きく息をついた。


「こればかりは下界の人間に解決してもらってはどうですか?」

「う~ん、そうは言っても、エルフと黒灰の魔女が再び大戦を起こすから、下界だけじゃ無理よ。死人の中には伝説の魔法使いや剣士も混ざってるしね」


 確かに、死人のリストにはオストランの先祖を含めた英雄たちが名を連ねていた。その時、イレナがハッと目を見開き、手を叩いた。


「そうだ! 今この世界、惑星チキュウと繋がるバグが起きてるよね?」

「そういえばそうでした。あっ、なら日本の陰陽師をこちらに――」


 言葉が途切れた。ダークビショップの身体がチキュウの言語で作られていたことを思い出した。あれもバグとして修正プログラムに消されつつある。チキュウの者を移すのは無理だろう。


「ならどうする?」


 私の思考を読んだように、イレナがニヤリと笑った。


「なら、チキュウを創った人物にハールスでも適用できるようにお願いしましょ。制作に協力した人物のツテはあるからさ」


 彼女はドアの前で立ち止まり、「とりあえずフーたんことフランカ・レーベルと私の通信を繋げといて」とウインクを残して部屋を出た。



「やっぱり神界の力は凄いわね、H」


 反転生派の反乱が嘘のように、街は見事に修復されていた。石畳の道、色鮮やかな屋根、全てが元通りだ。でも――


「無駄話してる暇はない。長居はできないんだから」


 私は店の壁に背をつけ、裏路地の闇に目を凝らした。反転生派への警戒心が街に漂っている気がした。


「そんな警戒しなくてもさ」


 気怠そうな声が闇から響き、私は息をついた。


「死人を蘇らせるプログラムが起動したせいで、転生派が惑星チキュウの日本人をハールスでも使えるようにしたいそうよ。このままじゃハールスは死者の惑星になる」

「流れ通りとは思ったが……やっぱりあのオブジェクトを起動させたら百鬼夜行のプログラムも動き出すのか。めんどくさい依頼だな」


 無愛想な声が返ってくる。私は小さなメモ用紙を手渡した。


「ふん、それを早く言えよ」


 声色が少し上機嫌に変わった気がした。


「あと、私は日本に行く。青い光を放ったら《ア・レ》を消してね」

「アンタも行くのか? フランカが鈍感でも、影武者が偽物だとすぐバレるんじゃないか?」

「大丈夫よ」

「その根拠は?」

「バルトロの研究資料を複製したプログラムを持ってるの。影武者は100%この世界に馴染んだ私そのものよ」

「僕の仮想パソコンを酷使させるなよ。あれは試作品で壊れやすいんだから」

「そうね。最近動作が重いし……そうだ、H君また新しいの用意してよ、ね?」


 彼は「あまり俺を信じすぎるな、敵か味方か分からないんだから」と舌打ちをして闇に消えた。


「ふふふ、素直じゃないんだから。さて、鏡面世界に行ったさまよう少女は何を見るのかしらね」


 私は壁から背を離し、裏路地にそっと置かれた「第三章」と書かれたUSBメモリースティックを拾い上げた。


 イレナの口元が怪しく歪み、空を支配する重々しい鐘の音が響き渡る。それはまるで、世界の終わりを告げる音だった。


―― 第三章の開幕 ――

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