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少女と少女は鏡面世界をさまよう  作者: 江戸前餡子
第二章・伝説の魔術師バルトロとダータ島
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22•平たい顔

「リコリス、足を止めるなよ!」


 イルマの声が、炎の咆哮にかき消されそうになりながら耳に飛び込んできた。


「遅いのはイルマでしょ! その荷物、捨てなよ!」


 私が叫び返すと、彼女は顔をしかめて背中の風呂敷をギュッと握り直した。捨てる気なんてないらしい。


 島を覆っていた結界が、ガラスが砕けるような鋭い音を立てて散り散りに崩れ落ちていく。眼前には、まるで生き物のようにうねる炎の海が広がっていた。オレンジと赤の波が唸りを上げ、私たちの足元を舐めるように迫ってくる。私は水魔法を必死に繰り出し、ジュウッという蒸気の音とともに炎を押し退けた。熱風が頬を焼き、汗が目に入って視界が滲む。それでも立ち止まるわけにはいかない。


 地面からは無数の手が這い上がり、ぬめるような感触で足首を掴もうとする。海面に目をやれば、ビガッ、ビガッと七色の閃光が炸裂し、次の瞬間、鋭い氷の礫や燃え盛る炎の玉が雨のように降り注いできた。耳をつんざく轟音と、地面を叩く衝撃が骨まで響く。


「バルトロさんの話、ちょっと盛りすぎじゃないかって思ってたけど……いや、これ、話の方がまだ可愛いくらいだよ!」


 私が半ば呆れながら言うと、イルマは「ハッ」と鼻で笑った。


「リコリス、箒で飛ぼう!」


 イルマが突然叫び、私は目を見開く。


「無理だったでしょ!」

「あの時はたまたまさ! 今度は行けるって!」

「そんなたまたまがあってたまるか!」


 私は声を荒げたが、内心では一瞬、彼女の無謀さにすがりたい気持ちがよぎり、試しに箒をに跨る。


 魔法を込めて浮かび上がろうとする——が、ズンッと重い力が全身を押し潰し、膝が地面に叩きつけられた。この島に残る呪いが、重力となって私たちを引きずり下ろすのだ。


「やっぱりダメか……」


 走るしかない。でも、普段怠けてばかりいたツケが回ってきた。洞窟を出てまだ数分しか経っていないのに、息がゼエゼエと上がり、足が鉛の塊みたいに重い。肺が焼けるように熱く、喉がカラカラだ。

 

 魔法を長時間使う魔力はあるのに、こんな時に限って持久力がまるで役に立たないなんて。


「もう限界だ。一旦、木の上で休もう」


 私が喘ぎながら提案すると、イルマが眉を吊り上げた。


「何!? そんなことしたら、海から飛んでくる魔法の的になるよ。あと少しなんだから!」


 確かに、洞窟からバルトロさんとアヌトリュースが待つ試練の祠までは、もう目と鼻の先のはずだ。でも、足が、気持ちが、限界を超えて悲鳴を上げている。


「……こんなに距離あったっけなぁ」


 私が呟くと、背中が急に重くなった。振り返れば、イルマが私の服の裾を掴んでいる。肩で大きく息をしながら、彼女の顔は真っ赤で、今にも倒れそうだ。手を伸ばして引っ張ると、ゼエゼエという荒い呼吸の合間に、か細い声が漏れてきた。


「おんぶ……して」

「もー! 私がされたいよ!!さっきまでの威勢は何処に行ったの!!!」


 叫びながらも、彼女の汗まみれの手を握り直し、欲望に押し潰されそうなイルマを引きずるように進んだ。


 足がもつれて、何度も転びそうになる。熱と疲労で頭がクラクラする中、どれだけ時間が経ったかわからない。でも、やっと——やっと祠の入り口が見えた。


 そこでは、アヌトリュースが落ち着かない様子でウロウロしていた。小さな体が跳ねるように動き、私を見つけるなり、リコリスの頭に飛び乗ってきた。


「早く来て! お爺ちゃんが大変なんだ!」


 その言葉に、心臓がドクンと跳ねた。アヌトリュースに背中を押されるように祠の中へ駆け込むと、床に倒れているバルトロさんの姿が目に入った。


「バルトロさん、大丈夫ですか!」


 彼はまるで抜け殻人そのものだった。髪は全て抜け落ち、浮き出た青黒い血管が全身を這い、爪は異様に長く伸びてギザギザに尖っている。なのに、かすかに開いた目にはまだ意識が宿っていて、唇がゆっくり動いた。


「……早く……お逃げなさい」


 その声は弱々しくも優しくて、胸が締め付けられる。


「今助けます! イルマ、さっき渡された指輪を!」


 呆然と立ち尽くしていたイルマが、「お、おう」と我に返る。ニュークリアスから受け取った賢者の指輪——無限の力と生命を与えるその力を信じるしかなかった。


 バルトロさんの細い指にそっと通す。すると、指輪の石がギラリと鋭い光を放ち、彼の体がまるで時間が巻き戻るように再生されていく。


 血管が消え、髪がふわりと蘇り、爪が元の形に戻る。私たちは息を呑んで顔を見合わせた。バルトロさんは起き上がり、指輪の刻印を見つめて呟いた。


「これは……賢者の石か? ……テレスか」


 眉間に深い皺が寄り、嫌悪感が滲む。彼はエルフ族から自分の研究を守るために逃げてきたのに、そのエルフに助けられるなんて皮肉すぎるのだろう。


「とりあえず、次はニュークリアスを助けに行こう、イルマ」

「あいよ」


 私が言うと、バルトロさんが慌てて止めた。


「ちょっと待って、もしかして最下層に置いてきたのかい?」


 彼の顔がみるみる青ざめていく。頭を抱え、「まずいまずいまずいまずい」と繰り返す姿に、アヌトリュースが代わりに口を開いた。


「実は……あそこにはダークビショップっていう、遥か昔、このダータ島に城を構えていた地上最強の魔王が眠っていたんだ。死んだ時、ゴブリンたちが抜け殻人として地上に出ないよう最下層に封印したんだけど、封印が解けた今、きっとその魔王が蘇って、お友達もどうなってるか……」

「私たちじゃ力不足だと?」


 イルマの鋭い眼光に、アヌトリュースは私の後ろに隠れて、「二人で勝てる相手じゃないんだ……」とモニョモニョと弱弱しく言い震えた。


「イルマ、怖がらせないの」


 私がたしなめると、彼女は舌打ちして続けた。


「だってよぉ、ならどうするんだ? エルフの大陸はここから遠いぞ。往復してる間にテレスがオストラン帝国に奇襲をかけるだろうし、そうなれば助ける暇なんてなくなる。もうここに戻ってこられないよ」

「……そうか。エルフの軍が奇襲をかけるのは、オストラン帝国がエルフ族の大陸に向ける魔動式大砲の点検日——つまり三日後だ。こっから往復でちょうど三日かかるから――」


 無理だ。


 全員が顔を見合わせ、俯いた。重い沈黙が祠を包む。なすすべがない。詰みだ。諦めるしかない。そんな空気が漂う中、私は唇を噛んだ。エルフ族を今敵に回すわけにはいかない。指輪を受け取った以上、イルマは奇襲に参加せざるを得ないのだろう。


 顎を摘み、天井を見上げる。その時、脳裏にヒュンッと一筋の光が走った。頭の中で景色が渦を巻く。ダータ島を上空から見下ろす光景、見知らぬ土地、そして巨大な赤レンガの箱の前に立つ少女の姿——走馬灯なんかじゃない。これは——


「星の導きだ」

「はあ!? 今頃星の導きかよ」


 イルマが大袈裟にため息をつくのを無視して、私はバルトロさんとアヌトリュースを見た。


「ダータ島の近くにハヌ島がある。そこへ行って、赤レンガの家に住む17歳くらいの少女に会おう。彼女がダークビショップ攻略の鍵になるかもしれない」


 シーラの子の血が私にそう告げているのだろう。二人とも不安げな表情を浮かべながらも、「それしかないよね」と頷いた。意外にもイルマも賛成し、「この島に来る時に乗ったファフニールがある」と風呂敷を背負い直した。


「……まぁ、そうなるか」



 私たちは口をあんぐり開けて空を見上げた。そこには、抜け殻人に襲われたファフニールの姿は――


「えっ!?」


 はるか上空にあった。


 賢くてドラゴンの中でも五指に入る強さを持つはずのファフニールが逃げ出すなんて。地面には炎のブレスで抉れた跡が残り、必死に抵抗した形跡がある。でも、敵の数が多すぎて諦めたのだろう。


「賢さが仇になったな。どうするよ、リコリス」

「……どうするって」


 私は途方に暮れながら、思いつきで口を開いた。


「飛行魔法を使える人はいないの?」


 アヌトリュースが首を振る。


「魔族を魔法で浮かすのは高度な技術なんだよ。魔力のない人間や動物なら簡単だけど」

「そんな難しいの?」

「難しいとも。相手の魔力が、浮かそうとする力を拒むんだ」


 その時、頭に稲妻が落ちたような閃きが走った。


「イルマ、背負ってる風呂敷に皆を乗せて飛べないの?」


彼女の顔が一瞬で歪む。眉間に深いシワが寄り、鼻がヒクヒク動く。本気で宝を売りさばくつもりだったのだろう。その表情が全てを物語っていた。


「しょうがないでしょ! 他に方法がないんだよ!」

「何も言ってねえだろ~ッチ。億万長者になるチャンスが……それにさっき飛ぶのは無理って言ってたじゃん」

「結界が完全に消えたからいけるよ」


 渋るイルマを鋭い視線で睨みつけると、彼女は渋々風呂敷を地面に広げた。


「私の安泰な生活が~」

「また取りに来ればいいでしょ」

「戻るのはやめた方がいいんじゃないかい?」


 バルトロさんがそう言い、私とイルマの後ろにアヌトリュースを抱いて立つ。風呂敷は小さく、少しでもバランスを崩せば落ちそうだ。全員が服をギュッと掴んだ。


「それじゃあ飛ぶぞ!」


 抜け殻人が剣を振り下ろす瞬間、風呂敷がヒラヒラと舞い上がり、空高く飛び立った。イルマは宝に未練を残しながらも、ハヌ島へと急いだ。



 ハヌ島には一時間ほどで着いた。


「本当に近いな」

「近いだけあって、抜け殻人がこっちにも来てるどね」


 バルトロさんによると、この島の住民は全種族大陸争奪戦でザラ教と星詠み師に殺されかけたイレナ教の生き残りらしい。世界の端にある孤島だけあって、資源は乏しく、泥で固められたドーム状の家々が山のように連なっていた。


「お前が言ってたのってあれじゃない?」


 イルマが指差す先には、赤レンガの正方形の箱が異様に目立っていた。一体どこからレンガを手に入れたのか……。


「それにしても静かだね〜」

「みんな逃げたのかも」


 でも、赤レンガの家の少女だけは違った。私たちが近づくと、家の前に立つ彼女が鋭い視線を向けてきた。何かを警戒しているような雰囲気だ。私たちはどうしようかと顔を見合わせた。


「やっと来たのね」


 待ちつかれたと言わんばかりに溜息を吐いた。


「まあいいわ! 私の家に来なさい」

「来なさいって……まだ私たちが何者かわからないのに?」


 少女は面倒くさそうに後頭部を掻き、「風が教えてくれたのよ!」と一言。星詠み師のような言い方に、イルマが耳元で囁いた。


「未来が見えてたんだろうな。でもあの顔、星詠み族じゃない……てか知らない種族だ」


 確かに、彼女の顔はどの種族とも当てはまらない。平たく低い鼻、黒い瞳——ゴブリン族も黒い瞳を持つが、黄色い結膜とは異なる。人間とゴブリンの混血かと一瞬疑ったが、空気がピリリと張り詰める中、少女は気にする様子もなく、レンガの壁に近づいた。


「ここ、ここ、ここ……最後に真ん中を3回っと」


 ノックするように拳の甲でレンガを叩くと、ゴゴゴと低くレンガの擦れる音とともに壁が動き、部屋への入り口が現れた。


「この世界にはこういう魔法はないのよね〜不思議だわ」


 イルマと私がレンガに手を這わせると、指先に、微かに文字のような模様が感じられた。


「模様? 文字ならどこの国のだろう?」


 イルマが顎に手をやり、難しい顔をする。


「早く中に入りなさいよ、寒いでしょ?」

「あ、すいません」


 部屋の中は意外と普通だったが、右の壁に炭で大きく書かれた白い紙が貼られていた。私たちの視線に気づいた少女が目を細める。


「もしかして……知らないの?」


 その声には落胆が混じっていた。何を? この文字と何が関係あるのだろう?


「そうか」


 イルマが突然呟き、少女に視線を向けた。


「ニホンって国の文字か?」


 少女の無愛想な顔が初めて緩み、微かに笑った。


「そうよ。私はベティ・ロジャース、この世界での名前。本名は飯田新菜いいだ にいな。んで? 人を助ければ、日本の帰り方を教えてくれるの?」

「悪いけど、それは今から助ける人物しか知らないんだ」

「なら仕方ないわね、 早く助けに行くわよ」

「そう焦るなよ、少し休ませてくれ」


 イルマが床にドスンと腰を下ろし、仰向けになった。


「五分待ってくれ。その間に疲れを癒す」


 飯田さんの呆れた溜息を合図に、私たちも床に座った。


 残りは三日。まだ時間に余裕はある——。



「やっぱりバグのオブジェクトに触れるたび、創った岩も壊れ始めてる」


 魔法では絶対に傷つかないはずの岩が、バグの接触でガリガリと削れていく。攻撃を受けるたび、岩の表面が文字化けしたように歪むのが目に見えた。


 プログラムである私にとって最悪の相性だ——いや、私だけでなく、この世界の全ての生き物がそうだろう。別言語で作られた別世界のオブジェクトでもなければ。


 やがて、岩がバキッと砕け散る。


「最強のプログラムだと思ってたのに……転生派の神々に一本取られたな」


 杖を握る手が震えていた。

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