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少女と少女は鏡面世界をさまよう  作者: 江戸前餡子
第二章・伝説の魔術師バルトロとダータ島
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18・覚えのない過去

 ゴトゴト、ゴトン。耳に突き刺さるような車輪の軋みが、凍てつく闇の中で私の意識を揺さぶった。デコボコの道を跳ねるたび、馬車の木枠が悲鳴を上げ、硬い背もたれが背中に突き刺さる。


 目を開けた瞬間、冷たいシルバーの手枷が視界に飛び込んできた。お腹の前でガチャリと鎖が鳴り、まだ眠気でぼやけた頭でも、この状況が穏やかでないことはすぐに分かった。だが、その手枷に映る自分の顔

—— 青白く、痩せこけた見慣れない少女の顔 ——を自分だと認識したのは、次の瞬間だった。


「アイタタ……!」


 ガタン! と、馬車が大きく揺れ、頭が後ろの壁に叩きつけられたのだ。鈍い痛みが頭蓋に響き、思わず呻く。


「そうか、試練で私は過去にいるんだっけ……」


 言葉が口を突いて出たが、自分の過去を思い出せない。記憶は霧のようにぼんやりとしか浮かばず、この異様な状況がまるで初めての悪夢のように新鮮で、そして恐ろしかった。手枷の重さが両腕に食い込み、冷たい鉄が皮膚を締め付ける感覚が現実を突きつけてくる。心臓がドクドクと早鐘を打ち、不安が胸を締め上げた。


「大丈夫?」


 突然、柔らかな声が耳に届いた。顔を上げると、クリクリとした大きな瞳がこちらを覗き込んでいた。6歳くらいの少女だ。煤けた顔に、ボロボロの布を纏った小さな体。心配そうに眉を寄せるその表情に、一瞬「誰?」と頭が空白になったが、その声と愛らしい見た目にすぐにピンときた。ルイズだ。昔のルイズ。あまり変わっていないな、と妙に冷静に思う自分がいた。


「まさか昔からルイズと知り合っていたなんてね……」


呟きが漏れる。


「るいず?」


  少女がキョトンとした顔で首を傾げる。


「私はドメ・ハカーナだよ? プププ、リコリスってばおっかし~!」


 両手で口を押さえ、クスクスと笑うその仕草に、思わず目を細めた。だが彼女の言葉—— ドメ・ハカーナ

——に頭が混乱する。ドメ? 確かオストラン帝国の……。


 顎に手を当て、散らかった記憶を必死に整理しようとした時、彼女が鼻歌まじりに明るく言った。


「オストラン帝国に行くの楽しみだね! 自由になったら何したい?」


 その無邪気な声に、私は凍りついた。


「オストラン帝国に向かっているの?」

「あんなに楽しみにしてたのに……本当にどうしちゃったの?」


 ドメが心配そうに眉を寄せる。


 記憶はない。ハッキリとした過去の断片は一つも浮かばない。それでも、この状況に得体のしれない違和感が心を覆った。血が騒ぐ。肉が震える。この馬車が向かう先に何か悪い結末が待っている——そんな確信が、言葉にできない直感となって私を苛んだ。オストラン帝国に行ってはダメだ。絶対に。


 その時、ブーツの中で何かが脚に当たる硬い感触に気づいた。手枷に縛られた両手でぎこちなくブーツを脱ぐと、乾いた木の音を立てて一本の杖が床に転がった。目を疑う。細くひび割れた木の表面が、薄暗い馬車の中でわずかに揺れる灯りに照らされている。


「何で……? 奴隷は杖を持てないはずじゃ……」


 疑問が喉に詰まった瞬間、耳の奥で声が響いた。


《弱い自分に抗え》


 それは紛れもなく私の声だった。低く、鋭く、心臓を突き刺すようにハッキリと。確かに、このままオストラン帝国に連れて行かれたら、取り返しのつかない結末が待っている。だが、どうやって逃げる? 馬車の後ろを振り返ると、そこには分厚い鉄格子がそびえていた。本来ならカーテンのはずの場所が、まるで牢獄のように封鎖されている。魔法で壊すことはできるかもしれない。でも——。


 視線を外にやると、白い地獄が広がっていた。寸分先も見えない大吹雪。風が唸りを上げ、雪が鉄格子を叩く音が耳を劈く。薄いローブ一枚と穴の開いたブーツ、空腹で震えるこの体では、外に出た瞬間に凍え死ぬだろう。自殺行為だ。


《いいのか? このままの弱い自分のままで》


 再び響く自分の声に、唇を噛み締めた。分かっている。このままじゃダメだと。空を睨みつけ、奥歯が軋むほど強く噛み締める。悔しさと決意が交錯し、胸が熱くなる。


「リコリス?」


  ドメの小さな声が耳に届く。


「何? ドメ」


  振り向くと、彼女は小さく縮こまってこちらを見ていた。


「寒いね、へへへ……私達、生きて帝国に行けるかなあ」


 その言葉に息を呑んだ。馬車の中を見回す。床には、飢えと疲労で力尽きた子供たちが、糸の切れた人形のよう転がっている。死臭が鼻腔を満たし、生き残った子たちの怯えた息遣いが重苦しく響く。まるで死神の鎌が首元で冷たく光っているかのようだった。


 私は目を閉じ、深く息を吸って決心を固めた。


「ドメ、一緒に逃げるよ」

「え?」


 ドメの驚いた声が一瞬、周囲の静寂を切り裂いた。


 他の子供たちがギョッとこちらを見たが、すぐに力なく目を閉じ、俯く。空腹で動く気力すらないのだろう。私は慌てて指を唇に当てた。


「シッ! 声デカいよ!」

「ごめんさなさい……でも、そしたら帝国に行けなくなっちゃうよ」

「自由になりたいなら、自分で歩かなきゃ。自由は向こうからやってこないよ」


 杖を逆さに握り、手枷に先端を当てる。目を閉じ、低く詠唱を始めた。ガリガリと金属が削れる音が響き、手枷が砂となって崩れ落ちる。解放された両腕が軽くなり、同時にわずかな魔力の消耗が体に重くのしかかった。小さい体だと魔力量はまだ少ない。ちょっとした魔法でも息が上がる。私はドメの手枷も同じように砂に変え、ポケットから取り出した小さな転移の魔具マグを彼女の手に握らせた。


「この小さい体だと負荷が大きくて危険だけど、もしもの時は使って」


 ドメの手を握り、鉄格子の鍵穴に杖を向けた瞬間、新たな声が響いた。


「私達も連れて行って、ここ周辺なら詳しいから」


 振り返ると、少し背の高い少女とその隣に立つ静かな雰囲気の少女が立っていた。首には“112”と“113”の入れ墨。ナンバーチャイルズだ。薄暗い馬車の中で目を凝らすと、星詠み師だけでなく、様々な種族の子供たちが混じっていることに気づいた。


「私はダリナ・バラーク。隣の大人しいのはブランカ・バラーク。よろしくね」


 ダリナがニコリと笑う。ブランカは小さく頭を下げた。


 ここがどの大陸かも分からない私にとって、彼女たちの知識はまさに救いだった。


「私はリコリス・シーラ。この子はルイ——じゃなくて、ドメ・ハカーナ」



 横殴りの吹雪が顔を叩き、目を細める。胸まで積もった雪を掻き分けながら、私とドメ、ダリナとブランカは進んだ。一番背の低いドメはダリナの背に、吹き飛ばされないよう必死にしがみついている。


 風が唸り、凍てつく雪が頬を刺す。足が冷たさで感覚を失い、空腹で体が震えた。それでも立ち止まるわけにはいかない。


「魔物の気配! ダリナさん達、気をつけてください!」


  鋭く叫ぶ。


「よく分かるね」


 ダリナが呑気に返す。


 そんな場合じゃない。私はすっかり忘れていた。今は、エルシリアの法律で魔物の研究は禁じられ、獣道でも遭遇することは稀だが、大戦前は違う。魔族が戦力を増やすため、魔物の研究が盛んだった。故にその失敗作が野に放ているのだ。


 吹雪の唸りに紛れて、低く響く狼のような唸り声が耳に届いた。殺気に満ちたその声に背筋が凍る。群れで行動するタイプだ。距離はまだ遠いが、このまま進めば確実に餌食になる。


「他に道はないんですか? これ以上進んだら死にますよ!」


  声が震えた。


「ここをまっすぐ行けばワーヴァル街に着くよ。どうにかならない?」


 ダリナが冷静に返す。


 胸まで埋まる雪の中、獣型の魔物に隠れるのは無理だ。戦うにも動けない。魔法で雪を溶かせば魔力量が尽きて気絶するだろう。私は唇を噛んだ。


「ダリナさん、ルモー村です! ワーヴァル街から東に行けばルモー村に——」

「何日かかると思ってるの? 却下! 大却下よ!」


  ダリナが声を荒げる。


「じゃあ魔物と戦うとでも? 無理ですよ! この状況で魔法なんて——」


 火花を散らす言い争いの中、ブランカが小さな声で割って入った。「と、とりあえずあそこの洞窟で休みませんか?」


  吹雪に掻き消されそうな声だった。


 洞窟に目をやると、黒々とした口が雪に埋もれていた。


「ここも魔物の住処になってるみたいですね。長居はできなさそう」

「そーだね」


 ダリナが肩をすくめる。


 詰んだのか? 馬車にいた方がマシだったのか? 弱気になる心を振り払うように頬を叩き、「まだ近くに村があるはず」と顔を引き締めた。


「ブランカさん、この近くの村や町を知ってますか?」

「ごめんなさい、私、姉さんと違って地理に詳しくなくて……」


「そうそう、ブランカは生まれてすぐ奴隷になったから外に出たことがないの」とダリナが補足する。


「じゃあダリナさんは?」

「今は魔物に襲われて廃村になってるけど、すぐ近くに一つ知ってるよ」


 私の瞳が希望で輝いた。


「向かいましょう!」



「ここがその村」


 ダリナが雪に埋もれた廃墟を指す。


「トムリ村? 初めてだね、リコリス」


 ドメが首を傾げる。


「そうだね」


 目の前には崩れた家々が広がり、井戸は雪で埋まっていた。唯一、石造りの教会だけがドアや窓が破られながらも残っている。私たちは駆け込み、凍えた体を寄せ合った。壁と屋根があるだけで暖かく感じる。吹雪が治まるまで、ここで凌ぐのも悪くない。


「食べ物あるかもね」


 ダリナが言う。


「長い間廃村だったんでしょ? さすがにないんじゃ……」


 ダリナは人差し指を振って笑う。


「旅人が食糧をお供えするの」


 彼女に手招きされ、二人を置いて私は教会の奥へ進む。お供え物はあった。だが、岩のように凍りつき、黒ずんだ表面は焼いても食べられないだろう。二人でため息をつき、空腹で鳴る腹を押さえたその時、上からドメとブランカの悲鳴が響いた。同時に、亞人族の魔力が空気を震わせ、私は走り出そうとするダリナの裾を掴んだ。


「ちょっと何!」

「嫌な予感がするんです。敵は亞人族、3人います」


 その中の一人の魔力に覚えがあった。反エルシリア派だ。胃が締め付けられるような恐怖が襲う。


「相手も魔力を探知できると想定して慎重に」


 ダリナが舌打ちする。


「そんなの滅多にいないわよ」


 足音を殺して進むと、白地に丸い輪と逆さ杖の旗が見えた。反乱軍だ。昔は旗を掲げていたらしい。オストラン帝国の黒を基調とした六芒星の旗に対し、彼らは平和と魔法否定を掲げる。


「どうする? このまま隠れてるつもり?」


 ダリナが囁く。


「隠れても見つかるでしょう」


 背の低い一人がすでにこちらを見ていた。フードを被った小さな女が、強風で顔を露わにした瞬間、私は吐息をついた。イルマだ。若い頃のイルマ。ユニコーンの血で老いない彼女だ。


「ダリナさん、変に挑発しないでくださいね」

「そんなに強いの?」

「あの真ん中の小さいのはイルマです」

「あらら、私を知ってるのかい?」


 イルマがフードを外し、笑う。


「た、たまたま耳にしただけです」

「そうかい。星詠みのオチビさん、反乱軍は実名を知られちゃいけないんだ。仲間にならないかい? 平和のために動いてるから、子供をいたぶる趣味はないよ」


 ドメが泣き叫ぶ。


「リコリス助けて!」

「平和、ねえ……分かりました」


 この瞬間、私たちは反エルシリア派に加わった。


「ナンバーチャイルズの方も、子供ながらなかなかの高魔力……なんでここにいる? 奴隷商から逃げてきたのか?」

「そんな所です、だから私達を仲間に!」

「良いとも! ようこそ地獄へ」


 イルマが指を鳴らす。 すると糸の切れた人形みたく膝から崩れ落ちて、意識が白い霧の中へ消えていった。 そんな私を何を思ったのか、イルマは瞼を指で開くと、一瞬眉が跳ねた。


「ナンバーチャイルズは基地に持ち帰って、星詠みのガキ二人はルイズの所へ送ろう」


 その言葉に仲間の一人は「なんでだよ、星詠み師は戦力になるぜ?」と、リコリスの杖を天にかざして横目で彼女を見た。


「ばーか、星詠み師はイレナ教だ。 ウチはザラ教の亞人族が多いの、お勉強しましょうね〜」

「なるほど。 にしてもルイズに渡すのか、確かに魔力の高い人材が欲しいとは言っていたけれど……」


 手放すのを惜しそうに語尾が小さくなる。


「安心しろ、きっとルイズが気にいるのはその一番小さなガキだ。 リコリスとか言ったその子は星詠み師の村に捨てられるに違いない。 これから更に酷くなる世界大戦が治ったら仲間に加えようじゃないか。」

「そうだな。」

「きっとその頃になったら、またこの子をルイズも探せって言うに違いないしな」

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