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少女と少女は鏡面世界をさまよう  作者: 江戸前餡子
第二章・伝説の魔術師バルトロとダータ島
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15・大魔法都市モズ

「ふぁぁぁあ……釣れたか~?」


 私の声が、だるそうに伸びて湿った空気に溶けた。竿を握る手は既に汗でじっとりと濡れ、指先が微かに震えている。目の前では、濁った川面がゆらゆらと揺れ、魚の気配すらない。隣でニュークリアスがぼんやりと水面を見つめ、ため息をつく。


「釣れないな。ナーシャさんは?」


 ナーシャの声が少し離れたところから響く。彼はしゃがみ込んで、釣り糸を静かに巻き上げる。カチャリ、と小さな音がして、彼の手元にぬめった魚がぶら下がる。


「3匹ですね。でも、エルフの大陸までの食料をここで調達するとなると……余裕を持っても30匹は必要でしょう」


 その言葉に、私とニュークリアスは顔を見合わせる。目の前にぶら下がる魚は、灰色がかった鱗が鈍く光り、泥臭さが漂ってくるような貧相な姿だ。これを永遠に食べ続けるのか――その現実に耐えきれず、三人同時に大きなため息が漏れた。フーッと吐き出された息が、マングローブの濃密な湿気と混ざり合い、胸に重くのしかかる。


 ここはウィル村。ルモー村から近く、エルシリアの支配が及ばない亜人族の隠れ里だ。目の前には、ねじれたマングローブの根が水面に突き刺さり、空を覆うほどの太い枝々が広がっている。その枝には、木の実のように吊り下げられた丸い家々が揺れ、かすかな軋み音を立てていた。大陸なんてものは存在しないこの村で、食料といえば下の川で釣れる淡水魚だけなのだ。


「空気は美味いけど、出される料理は泥臭くて不味いですね」


 ナーシャがそう呟いた時、彼の顔に一瞬だけ嫌気が浮かんだのを思い出す。それでも私たちは、釣り竿を手にエルフの大陸への旅の準備を続けていた。竿を振るたび、ザバン、と水面が割れる音が響き、静寂を切り裂く。でも、釣れるのは虚しさばかりだ。


「そういえばさ」


 竿を地面に放り投げる。ニュークリアスは目を細めて彼女を見た。


「ワーヴァル街でお前、ラプラスの書のことを聞いてたけど、これからどうするつもりなんだ? エルフの大陸に行ったら、下界に降りるのは面倒だぞ?」


 私の声には、少し苛立ちが混じっていた。この果てしない旅路と、魚の泥臭さに疲れが溜まっている。


「ならモズに行こう。ヤナガに会いたい」


 ニュークリアスがさらりと答える。私は眉をひそめた。


「やなが? 誰だよ、それ。」


 彼女は「ないしょ」とだけ呟き、退屈そうにあくびを漏らす。その口から漏れた息が、夜の冷たい空気に白く溶けた。彼女も竿を放って、夜空を見上げる。ウィル村では火や光を出すことが禁じられているため、闇が深く、星々が異常なほど鮮やかに輝いていた。まるで空に散らばった宝石の欠片だ。


「二人とも、見て。綺麗だよ」


 ナーシャが静かに言う。彼の声に釣られて見上げると、星にしては眩しすぎる緑色の光が空を切り裂くように駆け抜けた。シュッ、と風を切るような鋭い音が耳に届く。


「あれって――」


 私の心臓がドクンと跳ねた。緑の信号弾。それはカメレオンの指定色だ。そしてその光が飛んでいく先は、ニュークリアスが言っていたモズの方角。偶然じゃない。あいつが意味もなく信号弾を撃つはずがない。私の胸に、ざわめくような予感が広がる。


「よし! 明日モズに行くか!」

「食料は?」


 ナーシャが冷静に尋ねる。私は彼女を振り返り、目をぎらつかせる。


「それよりこっちが最優先だ!」



 翌朝。モズへの道すがら、風が私の髪を乱暴に揺らし、耳元でヒュウヒュウと唸る。


「魔法都市"モズ"、大戦前は、あらゆる種族の魔導書や杖が売られていました。戦争の傷跡は深いですね」


 ナーシャの声が風に混じって聞こえる。彼の目は、灰色にくすんだ街並みを悲しげに眺めていた。かつての魔法の輝きは消え、黒灰の魔女族の命令で魔術も剣術も禁じられた今、モズはただの市場へと堕ちていた。石造りの建物が立ち並び、埃っぽい風が通りを舞う。商人たちの呼び声が、ガヤガヤと耳にまとわりつく。


「だよな、ナーシャ。つまらない街になった」


 私が吐き捨てるように言うと、ニュークリアスが首を振る。


「そんなに変わったの?」

「お前、周りを見てみろよ」


 私は顎で示す。オストラン軍の騎士が、鎧の擦れるガチャガチャという音を立てながら市場を歩き回り、商品をチェックしている。昔は呪具や部族の武器が自由に売られていたのに、今はそんなものは影も形もない。


「面白いものを生むのは人間だが、壊すのもまた人間だ。馬鹿馬鹿しい話だよ」


 私の声に、皮肉が滲む。


 それにしても、ウィルで服を着替えておいて良かった。あのままだったら、騎士に一発で怪しまれていただろう。私たちは三人で市場を回る。魔力のない置物や骨董品、珍味ばかりが並ぶ棚を眺めながら、かつてのモズの面影を探してしまう。


「そろそろカメレオンに会いに行こう。その次はお前の用事に付き合ってやるよ」


 私がニュークリアスに言うと、彼女は一瞬だけ目を細めた。


「いや、イルマの用事で私の用事も終えられるよ」

「カメレオンと、お前が言ってたヤナガって何の関係があるんだ?」


 私の問いに、彼女は答えず、ただ小さく笑った。



「よっ! カメレオン!」


 私が声をかけると、彼は振り返り、重たいリュックを背負ったままこちらを見た。


「やっと来たか」


 だがその言葉は私に向けたものじゃない。カメレオンはニュークリアスに目をやり、「ホント、遅かったな、ニュークリアス」と呟く。その顔には、安堵と優しさが滲んでいた。私は一瞬、場違いな気分になる。


「やっぱりヤナガだったか。この世界ではカメレオン……か。アイツの言う通りだな」


 ニュークリアスが呟く。私は首を傾げた。


「アイツ? お前の母親と連絡取れたのか?」

「ああ、と言っても一回きりだよ。この世界に転移した時にな」


 何だ? その言葉に、私の頭が混乱する。だがカメレオンは驚いた様子もなく、ただ小さく笑う。


「それでも充分なんじゃないか?」

「フフッ、確かに」


 二人の会話は、私を置き去りにして進む。二人の目には、私には見えない別の世界が映っているようだった。緊迫感が私の胸を締め付ける。こいつら、一体何者だ?


「ラプラスの書を探すなら、城へ戻れ、そっちの方が近道だ」


 ようやく知ってる言語に戻り、カメレオンの言葉に私はハッとする。だがニュークリアスは冷静に続けた。


「そうか。でも、探しに行く前に私はこの貧弱な身体をどうにかしたい。この中にいる邪魔な魂をどかしたいんだよ、良い案とかある?」


 ニュークリアスが聞くと、カメレオンは噴水の縁に腰を下ろし、腕を組んで考え込む。水がチョロチョロと流れ落ちる音が、静寂の中で響く。


「貧弱な身体は、エルフの王に会った時にでも、そこのナーシャに成長薬を貰えば解決する。だが、魂の移動となると……転置魂具てんちこんぐだな」

「おいおい、待て待て待て!」


 私は思わず声を高くなった。


「それはダータに封印されてる呪具だろ? 取りに行けても帰れるかどうか――」


 その言葉に、カメレオンがニヤリと笑い、「ダータ島が何故一回入ったら帰れないか知ってるか?」

とリュックからネックレスを取り出す。鎖がチャリチャリと鳴り、鈍い光を放つ。


「ゼログラビア?」


 私が聞き返すと、声が少し震えた。目の前で揺れるネックレスが、市場の薄暗い光を反射してチラチラと輝く。カメレオンは私の視線に気付いたのか、口角をわずかに上げて説明を続ける。


「そう。このネックレスはゼログラビアっつう、重力を消す魔法と、ニスカヴァーラ城のある場所に移動させる魔法が込められた複合魔具だ。ダータ島のカラクリは単純でさ、そこに逃げ込んだバルトロって奴が掛けた呪文――グラグラビリアのせいで、入った瞬間、飛べなくなるほどの重力に押し潰される。だから誰も逃げ出せない」

「でもそれだけなら、なんでこれを着けてみんな島に行かないんだ?」


 私の言葉に、ニュークリアスが首を振って口を挟む。彼女の目は、ネックレスから一瞬も離れない。


「この魔具が高価すぎて手に入らないからだよ。それに、魔法が使えたとしても、ゼログラビアは扱いが難しい。空高く飛ばされて死ぬ事故が多発してるって話だ、だから誰も使おうとしないし、ダータ島にも近づかない」


 カメレオンが小さく笑う。喉の奥から漏れる低い声が、市場の喧騒に紛れて不気味に響いた。


「ヤナガが人族のオブジェクトを選んだ理由も、そこに納得がいくよな」

「俺とイレナの任務はお前を神界に戻すこと。道具をすぐ仕入れられるキャラも必要だろ?、まあ選んだ理由はそれだけじゃないけど」


 私は眉を寄せる。頭の中で情報が渦を巻き、整理しきれずに焦りが募る。こいつら、何者なんだ? 味方なのか、敵なのか――。


 その時、まるで私の心を読んだかのように、カメレオンが目を細めてこちらを見た。


「俺たちはザラ教だ」


 その一言に、笑みが添えられる。私の背筋に冷たいものが走った。ザラ教。大陸争奪戦から逃げ出した臆病者たちの信仰。それがウィル村の住人たちだった。でも、この二人の雰囲気は、ただの逃亡者とは違う。鋭い眼光と、どこか余裕すら感じさせる態度に、胸が締め付けられるような緊張が広がる。


「そうそう、ダータ島まではドラゴンで行くのがお勧めだ。島を囲う竜巻は箒じゃ耐えられない。強風に強い、根性のあるドラゴン……そうだな、ファフニールがいいんじゃないか?最近、スイート街の闇市で売られ始めたって噂だ。値段がバカ高いから、まだ買い手はいないみたいだがな」

「いくらだ?」


 私が思わず聞き返すと、カメレオンは両手で「六」を示す。左右の手がゆっくりと上がり、その動きに合わせるように彼の口角が怪しく吊り上がった。私は思わず眉を動かす。


「六億リリック」

 

 本当にバカ高くて「そんなの不可能に決まってるじゃねえか」と反射的に言葉が出た。


「この先に闘技場があるはずだ。そこなら今、バーサーカーが7億リリックくらいまで賞金が溜まってるからお勧めだぜ」


 六億リリック。途方もない数字に、頭がクラクラする。でも、私もニュークリアスも、今の状態じゃ闘技場で勝つなんて夢のまた夢だ。息が詰まりそうになるほどの現実が目の前に突きつけられる。カメレオンはそんな私の内心など気にせず、地図を丸めて私の胸に押し付けてきた。ゴソッと紙が擦れる音がして、胸に軽い衝撃が走る。


「頼まれていたエルフの城までの最短ルートだ。大陸を丁寧に進むと時間がかかってしょうがない。飛んでいけ」

「ありがとう」


 私が呟くと、彼はさらに言葉を重ねる。


「箒もある。この都市にいるガイルって奴に会え。そいつが隠し持ってる」


 そう言い残し、カメレオンは人混みに消えていった。背中のリュックが揺れ、市場のざわめきにその姿が飲み込まれる。私は立ち尽くし、手の中の地図を握り潰しそうになるほど力を込めた。


「なあ、ニュークリアス。お前ら何者なんだ?」


 私が振り返って尋ねると、彼女は一瞬だけ目を細めて私を見た。彼女の髪を揺らし、市場の埃っぽい空気が鼻をつく。

「神界ではイレナ派で、この世界ではザラ教の破壊を目指す神だ」

「イレナ派でザラ教?」


 私の声に混乱が滲む。するとニュークリアスは私の耳元に顔を近づけ、囁くように言った。


「イレナの本名を、この世界のオブジェクトは知らないか」


 彼女の吐息が耳に触れ、ゾクッと鳥肌が立つ。そして、その後に続く言葉――


「イレナの本名は――」



 白。どこまでも白い空間。目の前が眩むほどの純白に、最初は息が詰まりそうだった。でも、時間が経つにつれ、その白さが妙に心地良く感じ始める。足音もなく、風もなく、ただ静寂が耳に響くような奇妙な場所だ。


「なんで白いんだろ」


 私が呟くと、声がどこまでも広がって消えていく。何度目だろう、この問いを繰り返すのは。目の前にあるパソコンに手を伸ばすたび、指先が冷たく震え、そんなことを考えてしまうのだ。


「よし……っと」


 キーボードを叩く音が、カタカタと小さく響く。ニュークリアスに託された本のカバーを剥がした時、そこに刻まれていた一つのコードが目に飛び込んできた瞬間、心臓が跳ねた。あのコードが、私をここに導いた。


 もし私が明るい性格だったら、この空間は別の色に変わっていたのかな? でも、そんな仮面を被るくらいなら、自分を偽って誰かに近づくなんてまっぴらだ。コードを見つけた時、そんな思いが胸をよぎった。


「私の声が聞こえますか?」


 遠くから、そよ風のように柔らかな声が聞こえてくる。私はハッとして顔を上げる。


「コアの方です」


 声に導かれるように歩き出す。足音はしない。ただ、白い空間を進むと、青白く光る血管のような線が無数に絡み合う塔のようなコアが見えてきた。その前に、淡く光る透けた女性が立っている。輪郭はぼやけているのに、どこか見覚えがあるような気がして、息が止まる。


《やっと会えましたね、運命の子供よ。書を見つけてください。ニュークリアスではなく、貴女が》


 その声は優しく、けれどどこか切実だ。私は喉が詰まりそうになりながら言葉を絞り出す。


「教えて。何でニュークリアスじゃなくて私なの?」


 女性は静かに微笑み、ゆっくりと語り始めた。


《あの子はバグの類。本来この世界にいてはいけない存在だから、私の声は聞こえないのです。この世界の住人で、神界の従人に選ばれた運命の子供だけが私の声を聞けるんですよ》

「運命の子供……星詠み師にはそんな呼び方があったんですね」


 私の言葉に、彼女は穏やかに頷く。その動きは柔らかく、まるで水面に浮かぶ花のようだ。


「なら教えて! ラプラスの書はどこにあるの?」


 私の声が少し大きくなり、白い空間に反響する。彼女は一瞬目を閉じ、そして――


《惑星チキュウの日本に、います。この人物を訪ねてみてください。》


 パッと光が弾けた瞬間、脳裏に景色が浮かぶ。浜辺。波がザザーッと寄せては引く音が耳に響き、潮の匂いが鼻をくすぐる。そこに立つ人影。性別も分からない。ただ、海を見ながら誰かを待つように佇んでいる。その映像は一瞬で消え、私は呆然と立ち尽くす。


「こんなんじゃ覚えられないし、訪ねようもないよ……」


 困り果てて眉を寄せると、彼女は優しく手を伸ばしてきた。


《安心してください。貴女がこの籠から出て、新たな依り代に辿り着けたなら、この映像を会えるまで夢で見ることができます。その時、浜辺を彷徨いヒントを得て、この人物を訪ねてください。きっとこの方も、貴女に会うために、今も夢の中でこの砂浜を彷徨っていることでしょう》


 その言葉に、私は彼女の手が消える前に掴む。冷たく、けれど温かい感触が掌に広がった。


《鏡合わせの二つの世界は、やがて一つになる。私の創造した世界の片割れ、ラプラスの書を見つけてください。お願いします》


 彼女はニコリと微笑み、安心したような表情を浮かべて光の粒子となって消えた。私はその場に立ち尽くし、手の中の感触が消えていくのを感じる。


「ラプラスの書とあの人に何の関係が……?もしかしてあれがラプラスの書だったり? まさかね」


 呟きながら、胸の奥にざわめくものを抑えきれなかった。鏡面世界で、あの人は今もずっと彷徨っているのだろうか。そんな思いが、頭から離れない。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

もし宜しければ、

『ブックマーク』と広告下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にしていただけますと嬉しいです!

あと、私自身の勉強の為にアドバイスなど頂けるのと幸いです。


皆様の応援が、本作の連載を続ける原動力になります!

どうか応援をよろしくお願いします!

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