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少女と少女は鏡面世界をさまよう  作者: 江戸前餡子
第二章・伝説の魔術師バルトロとダータ島
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14・二人の星詠み師

「エルシリア様、ルモー村を焼き払ったと、ドメ・ハーカナから連絡がありました……って、エルシリア様、居ない?」


 声が虚しく石壁に反響し、冷たい空気に溶けた。私は立ち尽くす。



 反乱軍の奇襲から3時間が経ち、城内に響き渡っていた鎧の金属音——ガチャガチャと耳を劈く不協和音がようやく消え、静寂が重く降りてきた。足音が床を叩くたび、微かに埃が舞い上がり、鼻腔に古びた石の匂いが刺さる。私は嫌な予感に突き動かされ、ゼロの元へと急いだ。


 ルイズは「無事だ」と言っていたが、その言葉が逆に胸を締め付ける。奇襲の前、いや、ゼロとの決闘から戻った彼女の様子が頭から離れない。あんなにあっさり襲撃を受け、私の出番もなく、ルイズ一人で反乱軍を追い払うなんて——あまりにも不自然だ。彼女の判断はいつも完璧すぎる。犠牲を最小限に抑えるその手腕は、まるで計算された芝居のようで、私の知る過去のルイズとは一致しない。あのルイズは成功を収めるたび、屍の山を築く女だった。犠牲を調整するほどの繊細さなど持ち合わせていなかったはずだ。


 考えれば考えるほど、彼女は謎の塊だった。反乱軍の能ある鷹か、それとも——いや、私の勘が正しければ、すぐに分かる。私は唇を噛み、足を速めた。


「ゼロ!」


 石の椅子に座る少女が、眠そうな目を擦りながらムクリと身体を起こす。その動きは鈍く、まるで糸の切れた人形のようだ。私は一目で彼女がゼロではないと悟った。決め手は瞳だ。母親だから分かったわけじゃない。彼女が普段口にしていた液状の食物が、微かな光を浴びると黒目を紫に変色させる——それはドメが提案した、ゼロが奪われた時の目印だった。秘密を知らない者には気づかないほどの変化だが、私には明らかだった。


 私は息を呑み、レンガの壁を叩いた。ゴンッ、ゴンッと鈍い音が響き、昔の抜け道を探す手が震える。すると、後ろから小さな声がした。


「左端」


 ゼロを装う少女の声だ。私は言われた通りに叩く。コンッ——軽い音がして、レンガを抜くと、暗闇が口を開けた。冷たい風が隙間から漏れ出し、肌を刺す。私は振り返らず呟いた。「今まで気づかなかったけど、なるほど。綺麗な隣の牢屋じゃなく、わざわざこのボロボロの牢を選んだのは、反乱軍を入れやすくするためか」


 少女の瞳を見た。深海のように光が届かず、黒く濁っている。生きることを諦めたような虚ろな目だ。私は胸が締め付けられるのを感じた。「帰り方を知ってるなら、行ってください。追手も送りませんから」


 疲れていた。ただ人と話し、転生を繰り返すだけの平凡な神だった私が、突然王となり、戦争に巻き込まれ、転移先の世界で反転生派を見分けて殺すなんて——不可能に近い。私はもう、何もかもがどうでも良くなっていた。ここに来たのだって、ニュークリアスが城を出たか確認するためだけだ。この状況に、むしろホッとしている自分に気づいてしまう。やつれた顔が映ったのか、無意識に呟いたのか、少女が私を見上げた。


「貴女は、私になっちゃいけない」

「私になっちゃいけないって、誰なの?」

「私はイレナ神を崇拝する星詠み師、シーラの子、リコリス・シーラです」


 星詠み師だと、肌の色で気づいていた。黒灰の魔女族と亜人族から派生した星詠み族は瞳が似ており、種族間で顔が似るのは珍しくない。見分けるのは肌だ。黒灰の魔女は黒に近い灰色、亜人族は白に近い灰色——似せようとしても、人族の肌に近づけるのは難しい。だが、私の足が止まったのは、「イレナ神」という言葉のせいだった。背筋が冷たくなる。


 亜人族は二つの宗教に分かれている。イレナ教とザラ教だ。イレナ教は星詠み族が生まれた時に創られ、平和を願い、神の眼となり口となり、争いをなくすことを目指した。一方、ザラ教は亜人族の誕生時からある古い宗教で、破壊と創造を掲げ、神の命に従い破壊を繰り返す。星詠み師の多くはイレナ教徒だが、ザラ教に傾く者もいる。だからこそ、大陸争奪戦でイレナ教はザラ教徒の亜人族に滅ぼされた。リコリスが「シーラの子」と強調したのは、シーラの一族がイレナ教を開宗した御三家の一つだからだ。生き残るもう一つの御三家は、ドメ・ハーカナの家系だ。


「まだイレナ教の信者に会えるなんてね」

「エルシリア様、生きることを諦めていないなら、星の導きを聞いてください」


 生きる——か。死んでもいいと思ったことは何度もあった。でも、心の奥底で「死にたくない、帰りたい」と願う気持ちも確かにあった。この子も、同じ葛藤を抱えて生きてきたのだろうか。シーラの一族とオストラン帝国軍は親密で、亜人族の派生種族がこの国で働くのは彼女たちのおかげだ。このエルシリアも、大地争奪戦の初めはイレナ教と手を組んだ。誰かに縋りたかった。だから、私は無意識に呟いていた、出会ったばかりの子供に。


「お願い、助けてください」


 リコリスは「分かりました」と表情を緩めた。その顔を見て、ゼロの笑顔が脳裏に浮かび、心が締め付けられた。「あの子もこんな表情をしたのだろうか」ふと顔に落ちた影に、リコリスが心配そうな声をかける。


「どうしましたか?」

「いや、なんでもありません」


 彼女は「なら良かった」と、星の導きを語り始めた。星の導き——神界ではその世界のシナリオだ。星詠み師だけが神の声を聞ける。イレナは神界で会ったことがある。この世界を創った神だが、いつも退屈そうで、「刺激が欲しい。いっそ私の世界を壊そうかな」と笑っていた。


「エルシリア様、今、貴女は全てを諦めていますね。王女を信じて、ただ待ちなさい。もし帰ってきたら、愛を持って接し、ゼロから信頼を築きなさい。さすれば、王女が世界を包む暗闇を打ち破るでしょう」

「でも、もうゼロはいないですよ」

「帰ってきます。私のこの身体を媒体にして」

「どういうこと?」


 その時、廊下から足音が響いてきた。タッ、タッ——石に反響する音が近づく。私はなぜかリコリスを見た。この足音が、ゼロが帰る物語の始まりだと感じたのかもしれない。彼女は「運命は帆を張り進み始めた」と言い、声には出さず「大丈夫」と口を動かして微笑んだ。私は息を呑んだ。


 扉が軋みながら開き、ルイズが入ってきた。彼女の笑顔が何か企んでいるように見えて、私は身構えた。

「こんな所にいたんですか、エルシリア様。」

「どうしたの?」


 ルイズの顔が真剣になり、「ルモー村を焼き払ったと、ドメ・ハーカナから連絡がありました」と言うと、リコリスをチラリと見る。


「村にエルフ族とのやり取りが書かれた手紙が見つかり、ゼロの奪取は、この城を制圧する武器にする目的だったのかもしれません。」


 差し出された泥だらけの手紙には確かにそう書かれていた。私は眉を寄せた。


「当分は襲ってこないでしょう。なので、エルシリア様、バルトロの書の捜索を本格的に再開しませんか?」


 バルトロの書——エルフ族の科学者バルトロが記したクローン製造の研究資料だ。生き物が生き物を創る禁忌とされ、エルフ族が燃やしたが、複製を抱えたバルトロは消えた。おとぎ話とされ、探す者は減った。

私も探してはいたが、全くというほど見つからず、頭を抱えて諦めたのだ。


「探すって、闇雲に探しても見つからないよ? 情報があるなら別だけど」


 ルイズはニヤリと笑い、懐から別の手紙を出した。オストラン帝国の封蝋が押された便箋は、埃でザラつき、長い間引き出しの中で眠っていた事が、容易に想像できた。


「この封蝋は北陸のニスカヴァーラ城?」

「はい、北方のダータという竜巻に囲まれた孤島の洞窟で、バルトロに似た魔力を感知したそうです。行く価値はあるかと」


 ダータ島——剛壁の楽園とも呼ばれる、人族や魔族に恐れられる場所だ。竜巻を抜けても、呪術で出られなくなるという。だが、"楽園"の名はそこに実る甘い果物による。戦争で荒廃した世界では幻の存在で、食べた者は力が湧くと語る。私は目を細めた。


 おかしい、私もニスカヴァーラ城に行ったが、そんな話は聞いていない。


 この世界に来た時、ゼロを産んだ時、ルイズは「何があっても私を信じてほしい」と言ったが……信じるというのは難しい。手紙を持つ手に緊張の汗が滲む。


「島から出れる保証はあるの?」

「もちろんです」


 不安が顔に出たのか、リコリスから大きな咳払いが聞こえた。まるで「黙って従え」と言わんばかりだ。私は乗り気ではなかったが、星の導き——この世界のシナリオなら仕方ないのか。 と、話を進める事にした。


「エルシリア様、ゼロを連れて行って宜しいですか? 未開の地ゆえ、戦力が欲しいんです。」


 咳払いに押され、二つ返事で頷くと、「良かったです」とルイズが微笑んだ。腹の底で何かを企んでいるに違いない。


「なら今日の夕方に出発しようと思います。」

「いや、明日の朝にしよう。ルイズも奇襲で疲れてるでしょ?」


 彼女は不満げだったが、「分かりました」と敬礼して出て行った。


「何故今日じゃないんですか?」

「ダータは危険な島です。リコリスさんを手ぶらで行かせるわけにはいかない。私が準備をしてきます」


 リコリスが驚いて目を見開く。実の娘を牢に送った私を冷徹だと思っていたのだろう。「そんなに優しいなら、なぜ王女をこんな所に?」と聞いてきた。


「怖かったんです。あの子に宿るニュークリアスという力が」


 彼女は首を傾げた。私はため息をついた。


「この世界に来て、突き付けられましたよ。神も人も変わらないって」


 弱音を吐いたつもりだったが、意外な答えが返ってきた。


「やはり、貴女はこの世界の人じゃなかったんですね」

「え?」

「一人、自分を神だと言っていた人がいました。姿は思い出せないけど、オーラが同じだったので」

「神?」


眉に川の字のシワが刻まれる。嫌な予感がした。


「名前は?」

「名前は——ルイズ・アクロイド——」



「あら? ルイズが遊びに来るなんて珍しいわねえ」

「別に来たくて来たんじゃない。ただ、私がしばらくいないので、あのお姫様を頼むとだけ言いに」

「あらあら~、ルイズ、どこか行くの?」


「知ってるくせに」と鼻を鳴らすルイズに、「いいじゃない、自分の口から教えてくれても」とドメが楽しげに笑った。

「ッチ! 私とゼロは明朝、東側諸国で未登録の遠距離用箒型魔動飛行機体を買い、南のニスカヴァーラ城で準備してからダータ島に向かうよ」


 ドメはニンマリと笑い、指を立てた。「なら一つ、この星詠み師であるハーカナの私が導いてあげる」

「何?」

「欲張ると失敗に繋がるわ。本当にやらなきゃいけないことに集中しなさい。いいわね?」


 真剣な眼差しに、ルイズは「分かったよ」と頭を下げて出ていった。

「星詠み師が星詠み師を導くなんてね。フフッ、なんか変な感じ……ハーカナか~」



 太陽がまだ眠る薄暗い朝、白い霧が辺りを包み、静けさが冷たい空気に染み込む。私は重いリュックを背負い、リコリスと共に箒に跨った。吐く息が白く、凍える指先が震える。


「ゼロ、さっきエルシリア様からもらったものは何?」

「お守り。困った時に使えって」


 リコリスは前を向いたまま、「それより、私のこと知ってるんだから、誰もいない時ぐらいゼロって呼ぶのやめたら?」と言った。


「誰が見てるか分からないよ~。ルイズは警戒心が強いからね! アンタと違って」


 彼女は「貴女がル・イ・ズ、ねえ」と、やけにルイズを強調して鼻で笑った。


 彼女が意識的にいったのか、それともたまたまなのか、分からないが、その一言は、私の心を跳ねさせた。思い出したのかと期待したのだ。

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