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少女と少女は鏡面世界をさまよう  作者: 江戸前餡子
第一章・魂の解放
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10・ラプラスの書はニホンにアリ

「なんで器が目を覚ましてるんだ……?」


 エルシリア城にたどり着くまでは、器が目を覚ますはずがない――そう確信していたのに。私の胸に、忘れかけていた死の感覚が冷たく這い上がってくる。息が詰まり、喉が締め付けられるように震えた。目の前に立つその存在を初めて見た瞬間、巨大な魔力の奔流が空気を歪ませ、私の視界を圧倒した。小柄な少女のはずなのに、その魔力の重圧はまるで巨大な化け物が目の前にそびえ立っているかのように錯覚させる。心臓がドクドクと脈打ち、掌にじっとりと汗が滲んだ。


「あなた、悪い人……」


 少女の声が低く響き、暗闇に溶け込むような虚ろな瞳が私を捉える。その瞳には光が届かず、まるで魂が抜け落ちた人形のようだった。明らかに操られている――その確信が、私の背筋を凍りつかせた。彼女の唇がわずかに動き、無機質な言葉を吐き出すたび、空気が重く沈殿していく。


「始末、しなきゃ……」


 だが、何だ? 魔法の気配が一切ない。それどころか、彼女は両手を固く握り締め、顔の前に構えた。素手で戦う気か? 信じられないその姿勢に、私の頭が一瞬空白になる。なぜだ? なぜ魔法を使わない?


「さよなら」


 その言葉が空気を切り裂くや否や、彼女の足が地面を蹴った。ドンッ!という鈍い音が響き、まるで雷鳴のように私の耳を打ち抜く。一瞬にして隣にいたルビーの懐に潜り込み、彼女の拳が空気を裂く鋭い音を立てた。ルビーは魔力の圧に押され、動きが鈍く、一瞬にしてその拳の餌食となる。グシャッ――骨が軋むような嫌な音と共に、ルビーの身体が宙を舞い、壁に叩きつけられた。瞬殺だ。稲妻のような鋭い動き、人間の域を遥かに超えている。黒灰の魔女が格闘技に長けているなんて、誰も教えてくれなかった。私の心に焦りと恐怖が渦巻き始める。


 次々と仲間たちが吹き飛ばされていく。バキッ! ゴシャッ! 衝撃音が立て続けに響き、地面に倒れる仲間たちの呻き声が空気を震わせた。その中で、私はある事実に気づく。王女が魔法を使わない理由に。


「そうか……呪われた子だからだ。強すぎる魔力の反動で身体が追いついていない。だから、格闘で戦ってるんだ……」


 それでも、この異常なスピードとパワーはどう説明すればいい? 彼女の拳が空気を切り裂くたびに、風圧が私の髪を乱暴に揺らし、肌に突き刺さるような感覚が走る。


「次は貴女」

「いつの間に!?」


 背後から響いた声に、鼓膜がビリビリと震えた。右ストレートが飛んでくる――目では捉えられた。だが、その拳の速度があまりにも速すぎて、身体が反応しきれない。ガツン! 左頬に重い衝撃が炸裂し、まるで巨人の拳が私を殴り飛ばしたかのような痛みが全身を貫いた。身体が浮き上がり、地面に叩きつけられる瞬間、彼女の独特な体臭が鼻腔を掠める。甘く、バニラに似た香り。それで全てが繋がった。


「なるほど、ドラッグか……」


 思考が一瞬途切れそうになる中、私は急いでポケットから魔力を戻す薬を取り出し、震える手で口に放り込む。ゴクリと喉を鳴らし、薬が胃に落ちるのを感じた瞬間、彼女の左ストレートが再び伸びてくる。間髪入れず、私は魔法で岩を出現させ、バンッ!という衝撃音と共に拳を防いだ。岩が砕ける音が耳に響き、手が震える。


「っち、ゴリラかよお前! 可愛くない戦い方するなあ~」


 増強剤だ。身体能力を極端に引き上げる薬。魔力が弱いゴブリン族が死を覚悟した時に使う、あの薬だ。使用者の身体からはバニラのような甘い香りが漂う。黒灰の魔女がこんな手段に頼るとは……私の胸に怒りと呆れが混じり合う。


「ちょっとお姉さんも本気で行くとするかな」


 ローブを脱ぎ捨て、風が私の肌を冷たく撫でる。彼女の回し蹴りが飛んでくる――私は屈んでそれを避け、髪が乱暴に揺れるのを感じた。同時に大杖を手に握り、彼女の胴に叩きつける。ガツン! 大木を殴ったような反動が手に返ってきて、振動が腕を震わせる。


「ワオ、全然効きませんか……」


 彼女の強さが手に取るように分かった。このまま薬が切れるまで消耗戦に持ち込むにしても、ヤバい状況だ。私の息が荒くなり、心臓が喉元で脈打つ。


「そう言えば、ダリナ・バラックはどんな死に方をした?」


 藁にもすがる思いで放った言葉だ。増強剤とは別に、洗脳で人格を失っている可能性に賭けたのだ。多少の自我が残っていることを祈って。すると、天が味方した。王女の動きがピタリと止まる。彼女の瞳が一瞬揺らぎ、息を詰まらせたような沈黙が場を支配した。


「アイツは良い奴だった。お前も大切にしてもらったんじゃないか? ダリナは子供が好きだからな」


「やめ……ろ」


 苦しげな声が漏れ、彼女が頭を抱える。チャンスだ! 逃げるなら今しかない――そう思った瞬間、彼女の眼光が私をしっかりと捉えていることに気づく。苦しみながらも闘争心が消えていない。その鋭い視線に、私は下手に動くより会話で時間を稼ぐ方が賢明だと悟った。


「私もお前と同じで背が小さいから可愛がられたものさ。悲しいよなぁ、戦争ってのは。まともな奴ほどすぐ死ぬ。私らみたいな狂ってる奴ほど長く生き残るんだ」

「も……っと、もっと…………はなす……ノ」


話せと言いながら、彼女の身体はその意志を無視して私に襲いかかる。拳が空気を切り裂く音が近づき、私は大杖の柄でそれを弾いた。ザシュッ! 杖の先を地面に突き立て、彼女の足を岩で固める。岩が軋む音が響き、彼女の動きが一瞬止まった。


「なら静かにしてろっての!」


彼女の力が弱まっているのを感じる。もう一つの自我と葛藤しているのだろう。さっきまでの圧倒的な力は影を潜めていた。


「ダリナには妹がいた。名前はブランカだ。この街に来たなら会ってるかもな。彼女も正義感の強い人だった。本当は姉妹揃ってエルシリア城に入る予定だったけど、ブランカは反エルシリア派の子供たちが心配で残った。あの姉妹が死んだ時、私は疑問に思ったよ。正義って何なんだってね」


すると、彼女が再びフリーズする。「正義……か」と、はっきりした声が響いた。


「意識が戻ったのか?」

「まだ完璧じゃない。少し穴を開けた程度ナノ。すぐ戻るノ」

「なるほど。ちなみに今話してるのは、器とイレナ神のどっちだ?」

「ニュークリアスはニュークリアスナノ。貴女の言う器は別の人格。エルシリアって女に盛られた薬で昏睡状態だけど」

「ニュークリアス?」


 彼女は「う〜ん」と考え込み、「言うなら……ニュークリアスはこの身体に住まわせてもらってる別人格? 赤の他人? ナノ」と答えた。私はイレナ神を解き放つことに成功した安堵と、彼女の奇妙な話し方に聖書のイメージとのギャップを感じ、少しガッカリした。


「イレナ神って聖書の中だけの話で、実物はニュークリアスって名前なんですね」

「イレナは――」


 言いかけた彼女は、「そういう事なの」と言葉を濁した。


「そんなことより一つ質問ナノ」

「なんですか」

「ラプラスの書は何処にあるノ?」

「ラプラスの書は有名な都市伝説ですよ? まさか実在するって信じてるんですか?」

「良いから話すノ」

「ここより別の世界、ニホンって島国にあります。ちなみに、ラプラスの書は夢を一つ叶えてくれる物ですよ」


 もしそんなものが実在するなら、エルシリア軍はバルトロの書よりそれを狙うだろう。でも、そんな動きはない。それが実在しない証拠だ。


「まあそろそろ穴が塞がってきてるからまとめて言うノ。この身体はオストラン城内の北側の塔、地下25階に居る。じゃあ戦いに備えるノ。ヤツが……めざ……める」


 岩が突然砕け、ガラガラと音を立てて崩れる。彼女が腰を低くし、後ろに下がるつま先に力がこもる。来る――そう確信し、私は間合いを取った。


お互いの視線が絡み合い、空気が張り詰める。その瞬間。


「お前はまだ死ぬには早すぎる」


 後ろから声がすれ違うと同時に、風景がパッと切り替わり、真っ暗な洞窟に変わった。死臭が鼻をつき、吐き気を催す。私は慌てて大杖を握り、辺りを照らす。光が揺れ、壁にぶら下がるボロボロの地図が目に入った。ワヴァール街の基地だ。だが、足元に冷たい水が染み込み、下を見れば肉片と血の湖が広がっている。壁には血と肉が飛び散り、常人なら気絶するほどの地獄絵図だ。オストラン騎士の無慈悲さを改めて感じた。


「しっかしあの声は絶対ルイズだよな~」


 アイツは何を考えてるんだ……?


「おっと、先客がいたか?」


 闇の奥から地を這うような唸り声が響き、ゴクリと息を呑む。なぜなら、ここにいるはずのない魔物が不自然に存在していたからだ。私がここに来るのを予見していたかのように。


「来いよ……」


 暗闇が一気に明るくなり、炎の渦が押し寄せる。高魔力のビリビリした感覚が全身を貫き、狭い空間での戦闘はこちらが不利なのは明らかだ。それなのに、私の口角が上がる。死のスリルを楽しむ自分に、改めて狂気を感じた。


「来いよ、バジリスク」


 炎が轟音と共に迫り、私は杖を握り締めた。心臓が早鐘のように鳴り響き、血が沸騰するような興奮が全身を支配した。

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