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と或る王の物語   作者: 雪野千夏
第一部 国売りのセド

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4-11

サワーウィン砦は濃い朝靄に包まれていた。始めて夜番を過ごした新入りの門番が、ようやくさしてきた朝陽にぶるりと体を震わせる。


「もうじき交代だ、頑張れよ」


勤続十年の門番は肩を窄めて温石を握り締めながら、「温石などいらない」と言っていた新人に小さく笑った。寒暖差の激しさを知らない他所からやってきた新入りが震えるのは毎年のことだった。

新入りは肩をさすりながら頷き、はっと顔を上げた。先輩門番も朝靄の向こうに目を凝らした。

シャガン、シャガ。サワーウィン砦の周囲の煉瓦は蹄鉄がぶつかると甲高い音が出る特殊仕様だ。その音がどんどん近づいてくる。


「ナジキグの奴らが領主館に食糧をもらいに行くには早いな。いつでも動けるようにしとけ」


先輩門番は新入りに持っていた温石を押しつけ、槍を構えた。


「何者だ」

「ラオスキー侯爵名代にて参った。ユースゴ・ラオスクである。火急の要件にてヴォニウス騎士団長に至急お目通り願いたい」


ユースゴは門番を見下ろした。


「失礼ですがどのようなご用件で」


門番は馬上のユースゴを仰ぎ見つつ、ざっと後続に目を走らせた。早朝から侯爵名代が自ら一隊を率いてやってくるのは異例のことだった。


「昨晩、館に大量の火矢が射かけられた」


ユースゴの父親譲りといわれる柔和な眼差しに宿る鋭い光に、門番は息を呑んだ。ヘンダーレ領主とサワーウィン砦の間では何かあったときの場合、互いに兵を融通することになっている。門番は疑うことなく門扉を開けた。


「お通りください。ご案内します。後は任せたぞ」


新入りに門を任せると、門番は案内すべくユースゴの先に立った。

門扉が閉まる。

一行の最後尾、数人の男が列から外れた。門番は気づかなかった。



「ずいぶんとあっさり入れたな」


ブロードは門扉を振り返った。


「今の時間だからだ。夜番と朝番の入れ替わりの時間だ。ちょうど朝飯だ」

「さすがトルレタリアン商会、詳しいな」

「無駄口をきくな。あっちは食堂だ。交代の奴とぶつかると厄介だ、さっさと行くぞ」


足を速めたジエに、ブロードとピート率いるナジキグの男たちも続いた。建物の外側の隙間を辿るように進んでいたジエの足が止まった。目の前から兵士たちがやって来る。楽し気に話していた兵士がブロードたちに気付いた。


「このまま行く」

「おいおい」


ブロードは武器に手をかけたピートの手を抑え、自ら兵士たちに手を上げた。


「この辺りでルシルを見やしませんでしたか?」

「ルシルだと?」


心底困ったようなブロードに兵士たちはぽかんとした。


「へい。真っ白くて首筋のシラリク紋の綺麗なやつなんですが。夕べちょいと目を離した隙に逃げ出しちまいまして、隊商の皆と探していたんでさ。門番の人に言ったら、こちらに一匹いるってことで、入れてもらったはいいんですが、迷っちまいまして」


ブロードは懐から大型獣鑑札を取り出す。


「何せ雑食なくせに、ここ最近は動物ばっか食べたがるもんで。もしかしたら、肉を探してこちらで暴れてたりしないかと。なにせ、こちらにはあいつの好きそうな身のしまった馬がたくさんいる――」

「お前のルシルは馬を食うのか?」


ブロードの言葉に兵士たちは目を丸くした。


「そうでさ。うちのは普段は果物ばっか食べるんですが、発情期前になると肉ばかり食いたがって。この道中も身のしまった軍馬を見るたび涎を垂らすもんで大変だったんでさ。なあ」


急に話を振られたジエは一瞬、間を空けつつ真面目くさって頷いた。元から感情を外に出す性質ではないジエの頷きには妙な説得力があった。


「おい、捕まえたルシルってどこにやったって言っていた?」

「どこって、厩舎の裏に」

「ギャー、ルシルが逃げたぞー!」


遠くから聞こえた叫び声に、兵士たちは真っ青になり顔を見合わせた。

ルシルの狂暴性は主人がいないと一層に増すのは有名だ。

ブロードたちの方へルシルがすごい勢いで駆けてくる。


「リリー」


ブロードの姿を認めると、林檎を加えたまま首を傾げその大きな体に似合わぬ円らな瞳をきょろりとさせたが、すぐに砦の奥へと駆けていく。


「おい、何をぼうっとしているのだ、追え!飼い主なのだろう」

「へい!」


兵士たちの絶叫に、ブロードは「すんません」と頭を下げ、走りだした。ピートとジエたちも即座にその後を追った。

ルシルが走っただろう方向から兵士たちの悲鳴が上がる。ブロードたちはその声の方向へと走った。このままいけば塔がある。


「俺はこのままルシルを追うぞ」


ブロードの言葉に、ピートは手をひと振りし、隊を二つに分けた。ブロードもジエも王女や女たちの顔を知らない。五人がジエの後に続き厨へと向かった。ピートと残りの男はブロードと塔を目指した。

ルシルは塔の前にある林檎の大木に繋がれていた。その周りには塔の見張りだろう兵士五人が肩で息をしていた。


「主人思いのルシルだぜ」


ブロードの目配せを合図に、男たちはいっせいに兵士に襲い掛かった。ルシルに体力を削られた兵士たちは、あっという間に地面に伏した。ナジキグの男たちは手早く兵士の甲冑と剣を奪い、見張りに成り代わる。

ピートは見張りから鍵を奪い、塔の鍵を開けた。


「リリー」

「ブフォ」


リリーは耳をひくりと動かした。つぶらな瞳をきょろりと動かしブロードを確認したが、すぐに目の前に大量に置かれた林檎に齧りつく。


「危なくなったら逃げろよ」


縄を解くとまだ林檎に夢中なルシルを置いて、ブロードはピートの後を追い、螺旋階段を駆け上がった。


ピピ、ピーツ。呼び笛が螺旋階段に反響する。


『マルドミ兵目撃、緊急事態により、脱出する』


何かあったら呼び笛で報せる。あらかじめ決めてあった合図の中でも最悪の笛の音に、ブロードは舌打ちした。


「この距離感だと下の連中か、どうする」


見張りといえど、多勢に無勢。見つかるようなことがあれば撤退するのは最初から決めてあった。王女の救出も大事だが、何より砦内でナジキグの人間やラオスキー侯爵家の者が捕まることなどあってはならないのだ。その後どうするかは任されていた。


「ここを出るときは殿下とともに出る」


ピートはブロードを振り返らなかった。さらにスピードを上げた。


※ ※ ※


「このような朝早くからユースゴ様直々においでとは何かございましたか?」


サワーウィン騎士団の団長、アイリオ・ヴォニウスは朗らかに、それでもこんな時間にやってきた相手に対するいくらかの不審を匂わせた。


「実は昨夜、領主館に何者かが火を放ちまして」


ユースゴは端的に述べた。


「なんと、被害は」


ヴォニウス騎士団長は目を丸くした。ユースゴはヴォニウス騎士団長から目をそらすことなく首を振った。


「すぐに消し止め大事ございません」

「それは――。それで、その賊はどのような者で?」

「いえ、すぐにこちらのサグラフィーに探索させましたが、逃げられました」

「逃げられた?」

「ええ、足の速いものたちです。まあそのようなことはよいのです。私どもの方で追っておりますので、直に捕らえられるでしょう。実はこのような時間から参ったのは、至急お力をお貸しいただきたいことがあるのです」

「……よい。お願いですか」


ヴォニウス騎士団長は戸惑いを露わに呟いた。


「ええ、例大祭に使う祭壇が燃えてしまいまして。すぐに消し止められた火よりもそちらの方が大問題なのですよ」


ユースゴは何でもないことのように肩をすくめた。ヴォニウス騎士団長は一瞬呆気にとられた。すぐに

「それは確かに」と頷いた。


年に一度、収穫を感謝し、来年の豊作を祈る例大祭は領民たちの一番の楽しみだ。祭壇も割り当てられた区域の領民が腕によりをかけて作る、一朝一夕で用意できるものではない。


「そうなのです。二月も前から準備しておりましたので、これから用意するにも人手が足らず。急なお願いで申し訳ないのですが、こちらの人間を幾人かと祭壇をお貸しいただきたく参った次第で」

「あ、いやそれは、うむ」

「何か不都合でも?」

「いやそういうわけではないのです。ただ最近国境がきな臭いですからな」

「兵を割くわけにはいかぬ、と。ですが、国境にいるのはマルドミ軍から逃れてきたナジキグの難民でしょう。我が侯爵家でも食糧を配っております。私も視察しましたが、狼藉をはたらくものなどおらず、きちんと金も払い、働き手としても優秀です。万が一マルドミが国境を越えようとしても、彼らが盾になってくれるでしょう」

「確かに、それはそうだが」


ヴォニウス騎士団長は言葉を濁した。


「何か気にかかることでも? マルドミ軍が攻めてくる気配でも?」


ユースゴはヴォニウス騎士団長の顔色をうかがう振りをして、ベルトにつけた時計を見た。砦に入ってから半刻。合図の笛は鳴らない。


「そうではない、ユースゴ殿。我ら騎士団は王より砦と国境を守るために任命されたもの。いかに平時で、ラオスキー侯爵家からの要請といえど、兵を出すことはできない。それはあなたもよく分かっているでしょう。私が気になっているのは、なぜ今あなたがそのようなことを言うのかです」


ヴォニウス騎士団長は鷲鼻の奥から鋭い眼光でユースゴを見た。着任したときと変わらない。貴族の父と平民の母を持ち、その力で騎士団長の地位まできた男の矜持に曇りは見られなかった。ユースゴはヴォニウス騎士団長に気付かれぬよう、後ろに立つサグラフィー隊長に視線を送った。


『長引かせて』サグラフィー隊長はゆっくりと瞬きした。

だが、そろそろ限界だ。ヴォニウス騎士団長の反応を見るためだけの口実。騎士団に人手を要請するには理由が弱すぎるのは分かっていたことだった。


『限界だ』ユースゴは鼻の頭を触った。

ユースゴたちは疑われるわけにはいかない。ブロードたちのように強行突破して脱出はできない。


「なぜと言われて、ただ領民のためなのですけどね。困りましたね」


歯切れが悪いようにも感じるが、砦の中に内通者がいるのかもしれないが、ヴォニウス騎士団長は白かもしれない。ユースゴが考えたときだった。


ドドド。扉が尋常ではない速さで叩かれた。サワーウィン砦で火急の要件を報せるノックだ。騎士団長はふっと目を伏せた。顔色を変えぬまま、ユースゴを一度だけ困ったような顔で見ると、「入れ」と声をかけた。


「失礼します」


副騎士団長はユースゴに目をやると、戸惑いを押し隠し、如才なく一礼した。


「申し訳ありません。来客中とは知らず、次の間でお待ちしております」

「こちらこそ申し訳ない。副騎士団長直々にいらしたのです。何かあったのでは?」


ユースゴは柔和に首を傾げた。戸惑う副騎士団長に、騎士団長は小さく顎を動かし、先を促した。


「侵入者があり、ただいま追っております」

「侵入者だと?」


ユースゴはふっと息をつき、ヴォニウス騎士団長ははっと息を呑んだ。

マルドミ軍がユースゴの手勢に見つかったのか。騎士団長の言外の問いに副騎士団長は首を振った。


「今朝がた捕獲したルシルの飼い主というものが現れまして、その者が、少し目を離した隙に砦内で行方不明になっております。現在ルシルを陽動にした侵入者として捜索しております」

「数は?」

「十人です」

「目的は?」

「分かりません。ただ、二隊でおっておりますので捕らえるのも時間の問題かと。念のため、三隊を外に出しました」

「三隊?」


ユースゴは首を傾げた。


「最近編成した新隊です。今度の祭りで披露目のつもりだったのですが、皆を驚かせたいのです。しばらく内聞にしてください。それと申し訳ないが」

「いえいえ、このような時に申し訳なかった」


ユースゴは席を立った。ヴォニウス騎士団長も起立し、部屋の扉まで見送った。


「もうよろしいので?」

「ああ、まさかとは思ったがやはり裏切っているらしい。三隊など、見え透いた嘘を」


平時に動かせる歩兵隊は二隊までだ。無事砦の外に出ると、ユースゴは苦々しく砦を振り返った。


「では」

「ああ、マルドミ軍を偽装しているのだろう。急ぎ繋ぎをとれ。兵を集めよ」

サグラフィー隊長は狼煙に火をつけた。


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