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と或る王の物語   作者: 雪野千夏
第一部 国売りのセド

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4-9 国境の火種

 薄靄の切れ間に、深紅を基調にしたダジュリオ皇太子傘下を示すマルドミの軍旗が揺れる。白い薄靄に血が揺らめくようなその様に、無頼者の集団を装った一団は静かに馬を降り、徒歩で天幕へと近づいた。だが四つある天幕に人の気配が極端に少ない。ブロードはぶるりと体を震わせ隣を歩くジエに目をやった。


 気配を完全に消したジエは、全身を神経にしたような鋭い目で辺りに視線を走らせ、空を見た。ジエが索敵のために空に放った鷹が悠々と白み始めた空を飛んでいる。

 不気味なほどに静かだった。


 違和感を覚えたのは賊に扮したナジキグとヘンダーレの精鋭たちも同様だった。それぞれの指揮官を見やった。ナジキグ兵を率いるピートは唇を引き結び、ヘンダーレ領兵を率いるサグラフィー第二隊隊長を見た。誰よりも賊っぽい出で立ちのサグラフィー第二隊隊長は静かすぎる現状に息を整え、ピートに頷きを返した。


 変更はなし。


 その頷きだけで男たちは全ての意思疎通を果たした。それぞれが事前の打ち合わせ通り、制圧すべき天幕へと走りだした。



「どういうことだ。確かにここにいたのか?!」

 一番大きな天幕の入り口を切り裂き、天幕へと入ったピートは斥候に出ていた男を振り返った。

「間違いありません」

「だったらこれはどういうことだ! 誰もいない」


 ピートは声を張り上げた。

 続いて天幕に入ったブロードとジエはさっと天幕内を見渡し、荷箱に駆け寄りこじ開ける。戦場で女を調達するような兵が用の済んだ女をどうするかなど、考えるまでもないことだった。最悪の可能性を脳裏に、人が入りそうな『入れ物』を片端からひっくり返す。ジエはすでに三つ目の箱を開けていた。

 迷いのないブロードとジエの様子に、ピートも我に返ったかのように荷箱を開けだした。


「どう思う?」ブロードはジエに声をかけた。

「何がだ」

「おかしいだろう。わざわざ難民の野営地へ行って女を攫う。そんなことをこれから敵地を攻めようという兵を許す将がいるか?わざわざ自分たちの存在を報せるようなものだ」

「略奪も狼藉も珍しくはない」


 ジエは顔を上げることもなく次の箱に手をかけた。


「攻めた後ならな」

「攻めた後だろう?」

「なんだと?」

「マルドミはナジキグを攻めた後だ。生き残りの王族狩りなのではないか。それなら彼らの焦り方も納得できる。マルドミでは負けた国の王族を姻戚にして国を治めていくという。王女なら使い道がある」


 淡々としたジエに、ブロードとピートは手を止めた。


「いない、ようだな」


 ジエは最後の荷箱の蓋を開けると息をつき、乱暴に閉じた。

「ピート、こっちには誰もいないぞ。どういう――」


 他の天幕を見に行っていたナジキグの男は入って来るなり、口を閉じた。

 ピートは舌打ちを堪えるようにジエから視線を外し、首を振った。


「気づかれたか。周囲にマルドミ兵は」

「いません」

「いたぞ!」

 大きな声が響き渡った。ピートが天幕を飛び出した。ブロードとジエも後を追った。


 ※ ※ ※


 ブロードたちがその天幕に入ったときには、マルドミの軍服を脱ぎ掛けた男がヘンダーレ領兵に取り押さえられ、その横には抜き身の剣が転がり、少し離れたところで少女が一人、震えていた。少女に寄り添っていたサグラフィー第二隊隊長は、ピートの姿を認めると、駆け寄ってきたピートに場を譲り、少女の視界からマルドミ兵が少しでも見えないようにと、少女とマルドミ兵の間に立った。


「無事か?」

「私は大丈夫です、イリシャ様は?別に連れていかれたのです」


 ピートの問いに、栗色の髪の少女はさっと身支度を整え、気丈に返した。

「なんだと」


 ピートの眉間に皺が寄る。ナジキグの男たちが一斉に天幕の外へと駆けだした。

「何があった?」


 少し離れて膝をついたピートが少女の顔をそっと覗き込んだ。

「彼らはここに私たちを連れて来たあと、宴の準備を始めたのです」

 少女は天幕に用意された膳をちらと見た。天幕の中には煌々と火が灯り、十人分の膳が並んでいる。白パンに肉と野菜のたっぷり入ったスープ、女たちが喜びそうな甘味もあった。


「でも、急に……移動すると。……でもここに陣を残す必要があるからと、私は置いていかれ……」

 少女は肩を震わせた。

「他の女たちも一緒に連れていかれたのか? どこへ行った?」

「分かりません。ただ……」

「ただ?」

「いいえ、分かりません」

 少女は首を振った。

「気づかれたか、囮か」


 ピートはぽつりと呟くと、脱ぎかけの下衣が引っかかったままのマルドミ兵の前でしゃがんだ。


「お前、イリシャ様をどこへやった」

「イリシャ様?誰だそれ。知らないな」


 マルドミ兵は怪訝そうな顔をした。

 そのとき、別の天幕へ行っていたナジキグの男が駆け込んできた。


「イリシャ様がいない」

「なんだと?」

 

切羽詰まったやり取りに、思案顔だったマルドミ兵は、取り押さえられた格好のまま、ははんと顔をそらせた。


「……イリシャ様……お前らナジキグの生き残りか」


 嘲りを含んだその言葉に、ピートはマルドミ兵の脱げかけのベルトに剣先を引っかける。一振りで下衣を切り裂くと、マルドミ兵の丸出しになった股ぐらに剣を振り下ろした。


「ひっっ」

「分かっているなら話は早い。俺はな、今とても狂暴な気分なんだ。マルドミと名の付くものなら根こそぎ殺したい気分なんだ。こんなところで女を手籠めにしようとするような人間など切り落として捨てるのが相応しいと思うのだ」


 そうだろう、と言ったピートに、マルドミ兵は恐怖に目を見開き、後ずさりするも、後ろにいる兵士に肩を掴まれ逃げられない。


「だ、だから、知らないんだよ」


 ピートの顔に本気を見たのか、下衣を露出したまま死ぬのは嫌だったのか、マルドミ兵は青い顔で首を振った。

 だが言っていることは前と変わらない。

 ピートは剣を振りかぶった。


「ま、待て待ってくれ! ほんとだよ、本当。本当に知らない!しばらくここで陣を張っていろって言われただけで。女たちだって、ただ待つのじゃ俺らが暇だろうからってさ、最近合流した奴らが連れてきてくれたんだ。本当だよ。本当だ!信じてくれ!」

「お前たちが女を連れてきたんじゃないのか」

「違う!遠征中に誰がそんなことするかよ」

 ではなぜ手籠めにしようとしていた、という言葉を誰もが飲み込んだ。

「では誰が女を連れて来た」

「誰って……どういうことだ?」


 マルドミ兵は質問の意味が分からぬと首を傾げた。

 激高しようとしたピートを制し、ブロードが口を開いた。


「……待て、まさかお前誰を攫ってきたか知らないのか」

「ナジキグの王女だろう、お前らがさっき言っていたじゃないか」


 あまりにも当然のように言ったマルドミ兵にピートが目を見張った。ひゅっと息を呑み、ブロードを見た。

 ブロードは首を振った。



 何かがちぐはぐだった。とぼけているようには見えなかった。

「じゃあ、教えてくれ。お前たちはなんのためにこんなところにいた。ナジキグの残党の掃討か、ギミナジウスを攻めるのか」


 マルドミ兵はブロードたちを回し見た。逃げ道はないと悟ると観念したように首を振った。


「話すから剣をよけてくれ」


 ピートは大きく頭を振ると、剣を納めた。


「タラシネ皇子だ」

「タラシネ皇子だと?」

 よく知った名前にブロードは眉を顰めた。


「俺もよくは知らない。ただ、ラブレヒト将軍から聞いているのはタラシネ皇子を連れ戻す。それができなければ殺すと」


 マルドミ兵は震えながら言った。


「殺すとはタラシネ皇子をか?ナジキグの掃討ではないのだな」


 ピートの言葉にマルドミ兵は頷きつつ、心底不思議そうな顔をした。

「……逃げた人間を追う必要があるのか」


 それは国を喪った男たちの神経を逆なでするには十分だった。

「なんだと!」

「殺す、とは穏やかではないな。それで将軍はどこにいる。こんなところで羽を伸ばすのを許す将軍などいるとは思えぬが」


 ブロードは殺気立つナジキグの男たちとマルドミ兵の間に割り込み、ことさら明るく首を傾げた。

「将軍はいない」

「いない、だとそれはどういうことだ。兵を率いて移動したのじゃないのか?」

「違う。二日前にどこか行かれたんだ。行先は知らない。本当だ」


 マルドミ兵は慌てたように言った。


「放してやれ、それは本当だろう。だが、どうやってタラシネ皇子を連れ戻すつもりだ」

「知らない。本当に知らないんだ。しばらくここで陣を張っていろって言われただけで。女たちだって、ただ待つんじゃ俺らが暇だろうからってさ。俺だって酒を飲んでたら眠くなって。目が覚めたらあんたたちがいたんだ。どこへ行ったかなんて、俺がききたいくらいだ。本当だ信じてくれ」

「兵の数は」

「千だ」


 ブロードとピートは顔を見合わせた。敵地を攻めるには少なすぎる数だった。



 イリシャ王女がただの女として見初められたのならまだいい。だが女たちを守るため、身分を自ら明かしたのだとしたら。

 ブロードは手付かずの膳に目を落とした。遠征地において、食糧調達は生きる上での要だ。スープに入っているのは干し肉ではないし、野菜もこの辺りで最近売り出された名産品だ。柔らかな白パンは庶民の口、まして遠征先になど持って行かない。豊かだとされるヘンダーレ領のパン屋でも売られているのは専ら黒パン。肉と野菜は現地調達できたとしても、白パンは簡単には手に入れられない。

 そう、トルレタリアン商会のように資金力のある商人か、領主のようにお抱えの料理人を持つ人間でなければ――。ジエが膝をつき、膳に手を伸ばした。


 タラシネ皇子がここまで見越して自分をここに寄こしたのなら――。ブロードは新たな火種の予感に、ため息を飲み込んだ。


「まだ冷め切ってはいない。悟られたか。だとするとそう遠くには行っていないはずだ」


 ジエは膳の汁物に突っ込んだ指を取り出し言った。


「だったらどこに?ここは平野だぞ。姿が見えないなんておかしいだろ」

「あるだろう。大勢を隠すのに一番簡単で怪しい場所が」

 ジエは国境にそびえ立つ砦を指さした。



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