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と或る王の物語   作者: 雪野千夏
第一部 国売りのセド

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33/56

3-4

  タラシネ皇子はマルドミ皇帝マグリフィオの十番目の側妃であるナターシャの子として産まれた。タラシネ皇子が産まれた日、皇帝に仕える占い師は言った。


「この皇子は王となる星のもとにあります」


 どのような差配があったのか、その後占い師は人知れず宮廷から姿を消し、その占いは誰の口にも上ることはなかった。


 タラシネ皇子は人より小さかったが利発で愛らしい子供だった。宮廷でもかわいがられた。だがタラシネ皇子が五歳になり、来年は皇帝へとお目見えするというとき、皇太子が変わった。突然タラシネ皇子を虐めだした。

 幼いタラシネ皇子はなぜ自分だけが皇太子である兄の憎悪の対象になったのかは分からなかった。ただ繰り返される暴行に、心を殺した。感じる痛みを熱に変換し、浴びせられる罵声に、うめき声だけをあげ、心の奥から締め出した。幼いタラシネ皇子は皇太子である兄に逆らうことなど思いつかなかった。ただ何が悪かったのかと問いかけた。他の兄弟たちには強く頼もしい兄だったからなおさらだった。


 お労しい、と女官は言った。護衛兵も薬や包帯を差し入れた。だが、誰もタラシネ皇子を助けなかった。兄弟たちも皇太子を止めなかった。唯一同腹の第二皇子のシリルが進言したことがあった。すると、かっとした皇太子が腕を振り上げた。シリル皇子は幼いタラシネ皇子を抱きしめ盾になった。その瞬間、シリル皇子を庇うためにナターシャ妃が飛び出した。

 兄のぬくもりを感じながら、タラシネ皇子はナターシャ妃の必死の形相を見つめていた。それまで母であるナターシャ妃はタラシネ皇子が皇太子に何をされていても助けてくれたことはなかった。皇太子だから、正妃の子ではないから。身分のせいだと思っていたが、そうではないのだとタラシネ皇子は知った。

 七つを数えるころ、タラシネ皇子は父であるマグリフィオ帝に初めて会った。どれだけ学んでも、どれだけ鍛えても体の出来あがらぬ子供であったタラシネ皇子は、兄たちはおろか、姉たちにも勝てることはなく、諦めとともに生きていたころだった。

 マグリフィオ帝は、タラシネ皇子の首からのぞく赤い蚯蚓腫れにすぐに気づいた。じっとその赤い筋に指を這わせた。


「痛いか」

 タラシネ皇子が頷けば、

「そうか」と言った。タラシネ皇子は何かが変わると期待した。


 マグリフィオ帝は長兄である皇太子に何も言わなかった。

 かわりに翌日ヘイリーという男がやってきた。剣と勉学を教えるということだった。

 タラシネ皇子は必死で学んだ。勝てなくても、生きるために、負けないために必死だった。


「お前はいったいなにがしたいのだ?」


 タラシネ皇子が十六になったとき、皇太子からの暴力を甘受し続けるタラシネ皇子にヘイリーは眉を顰めた。そのころにはタラシネ皇子の剣の腕はそれなりになっていた。


「私の力は弱い。皇太子のように強力な外戚もいなければ、シリル兄上のように自分を信じる者たちもいない。今歯向かったところで、一時はやり込めることができたとしても何倍にもなって返ってくるのは目に見えている。自分と同等の相手に鞭つける程度で満足できるなら、構わないよ。命まではとられないからね」


 私の味方はお前しかいない、そう言えば、ヘイリーは呆れたように空を仰いだ。剣の師匠と仰いだヘイリーが、実は皇太子の臣下であるラブレヒト将軍だったというのはずいぶん後になって知った話だ。


「まったく、俺はなんてものを育てたのでしょうかね」

「師匠と父上のおかげですよ。人はうまく使うものだと教えてくださった。そして、命令以外で人を動かすことこそ皇帝の器と」


 領土拡大路線をとるマグリフィオ帝に認められることは、他国を攻めることだった。そしてそれが次代の皇帝への道だと皇太子は思っているようだった。各皇子もそれぞれ遠征にでた。タラシネ皇子も幾つかの国を平定し、帰国した。待っていたのは皇太子からの嫌味だった。

 言葉が通じる相手ではない。皇太子が自分を敵視するのは毎度のことなので、黙ってその弁を拝聴した。

 皇帝である父からはたった一言の労いがあった。

 自宮への帰り道、後を追うようにやってきたのは、同腹の兄、シリル第二皇子だった。


「忙しないことだな」

「兄上」


 落ち着いた物腰のシリルは本当は学者になりたかったのだとかこぼしていた。皇太子のように皇帝になりたいと声高に叫ぶような人ではないが、見る目のあるものなら猪突猛進の皇太子より、深謀遠慮なシリル皇子こそが次期皇帝にふさわしいと思っているのは明らかだった。

 だからこそ、そのシリル皇子の下動くタラシネ皇子が皇太子の派閥からは目の敵にされるのだ。

 タラシネ皇子は形ばかりの礼をとった。シリル皇子は穏やかに笑った。


「大丈夫か?」

「そうですね。明日には発ちます」

「もう少しのんびりしていけばいいのに」

「私がここにいるといらぬ心配を持つものが増えますので」

「兄上か。あの方は単に嫉んでいるのだ。お前の力が必要なことを十分に分かっているからこそな」


 タラシネ皇子は黙って頭を下げた。誰の耳目があるともわからぬ場所で本音などいえるはずもなかった。

 翌日、タラシネ皇子は国を出た。

 二通の書状を託した従者には七日後に届けるように言い含めた。しかし実際にはそうはならなかった。

 普段から皇子たちを見張っている皇帝の手の者によって、その手紙はタラシネ皇子が想定していたよりも五日も早く皇帝の手に渡った。


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