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と或る王の物語   作者: 雪野千夏
第一部 国売りのセド
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1-1 借金王ブロード

 太陽が中天に差し掛かる。ギミナジウスの王都、中央広場。いつもは人々の憩いの広場も、セドの今日ばかりは異様な熱気に満ちていた。




「寄っていかなはれ、見ていかなはれ、これから始まるは、ギミナジウス国、月に一度のセドだがな。ほれ、そこ行く旅の方、お足を止めて、運がいい。ぜひに見ていかれるといい」


 客引きの道化が広場の入り口で声を上げた。


「セドとは?」




 旅行者らしき一行が足を止め、主人らしき青年が首を傾げた。この辺りには珍しい藍染めの衣に布をふんだんに使った意匠はもちろん、護衛や従者の男たちの装備もしっかりとしている。見るからに金を持っていそうな一行に、道化は待っていましたと声を張り上げる。




「国に認められた競売さあ。美術品から、工芸品、家に、馬に、昔は身代潰した貴族の価格を売ったことだってあったとか。同意があれば人だって売れる。売れないものも買えないものもないという、国に認められた競売さあ」




 道化は広場の端のレンガ塀に設置された白い幕のかかった大きな掲示板を指さした。




「旅の土産に参加も自由。ただし、怪我をしたって保証はしない。覚悟のあるやつぁ参加しな。品物だけ欲しけりゃ雇うもひとつ。ブラッデンサ商会にご依頼あらば、見事リドゥナを手にしてみせましょう」


「必ず手に入れられると?」


「さて、それは。我らはリドゥナをお渡しするのが仕事。手に入れられるかどうかは、あなたの懐と、お人柄次第。さあさ、ブラッデンサ商会をごひいきに」




 青年が興味を示すと、道化はおどけて額をたたき、歌いながら次の客を探しに去っていった。




「ブラッデンサ商会?」


 青年は案内に雇った男を振り返った。


「最近力をつけてきた商会です。この国一番のニリュシード・ラオロン殿のトルレタリアン商会には及びませんが。ほれあちらに」


 案内の男はちょうど広場にやってきた二人組の男を指さした。




 ※ ※ ※




 噴水を境に綱で半分に区切られた中央広場の東側には、所狭しと男たちがひしめきあう。ぽっかりと空いた西側、男たちの視線の先にあるのは、広場の端のレンガ塀には白い幕をかけられた巨大な掲示板だ。彼らは正午の鐘とともに大掲示板にかけられた白い幕が切り落とされ、大掲示板に張り出されたセドの案内兼参加申込書である《リドゥナ》が露わになるのを、今や遅しと待っていた。 




 ブロード・タヒュウズは中央広場の入り口、殺気立つ男たちの後方から大掲示板に目をやると、照りつける太陽に目をすがめた。ゆったりとした服の胸元を広げ、風を送る。




「あちい」




 しなやかな筋肉が無駄なくついた均整のとれた体は、セドに集まる屈強な男たちの中でもとても目立つ。酒場にいれば女が寄ってくること間違いなしの色男だ。


 ただ壊滅的に覇気がなかった。




「ブロード様」


「分かっているさ」




 ブロードは肩をすくめながら、ブラッデンサ商会統括、ジャルジュ・ヨシナニを振り返った。少し垂れた目尻がさらに下がった、愛嬌のある顔だった。


 ブロードがこういう顔をするときは、人を煙にまこうとしているときだ。


 ジャルジュはため息一つ、眼鏡を押し上げた。


 ブロードの隣に並ぶとその文官風の優男然とした風貌が目立つジャルジュだが、普段はブロードに変わり、ブラッデンサ商会のすべてを取り仕切っている。優男などと侮れば痛い目を見るのは彼と少し付き合ったことのある者の中では常識の男だ。




「でもなあ、俺いるか?」




 ブロードは広場をぐるりと見回した。広場のいたるところにブラッデンサ商会の黄色の制服を着た人間がいた。セドをするには万全の布陣といっていい。今さらブロードが加わる必要はないように見えた。




「当たり前でしょう。何のために今日あなたを連れてきたと思っているのです」


 ジャルジュはため息をついた。


「リドゥナをとるためだろ」


 ブロードはさらりと答えた。ジャルジュは笑みを深くした。




「……ブロード様、前回の首尾は?」


「骨董品、二点。絵画二点。馬が三十くらいか」


「三十四頭です。それで、ギジナミウスの鏡は?」


「ハル・ヨッカーだったか」


「前々回、白い紙束は?」


「ハル・ヨッカーだったな」


「さらに、その前、異国の辞典は?」


「……ああ、ハル・ヨッカー。だな」




 ブロードはどこまでも軽かった。


 ジャルジュの米神が浮き上がる。きっとブロードを睨んだ。




「ブラッデンサ商会を私が統括してからこれまで。一番狙いの品を落とせないどころか、参加すらできないなんて事態はなかったことです。これ以上やられるようなら、うちの評判に関わります。セドは何よりも信頼商売なのですよ」




 セドは知力・体力・時の運といわれる。だが、第一は嗅覚だ。どの案件が金になるのかならないのか。競争相手は誰になりそうなのか。セド本番よりも、事前の情報戦にかかっているといってもいい。ブラッデンサ商会では、ジャルジュ率いる交渉班が情報を集め、その情報をもとに、ブロード率いるセド班がリドゥナを取り、取ったリドゥナをもとに売りさばく。ブラッデンサ商会がセドで名を知られるようになったのはジャルジュが用いた分業制にあった。ジャルジュはこれまでこの情報戦において他の商会に後れを取ったことはなかった。 




 しかしここ数ヶ月、一番の高値がつくリドゥナをハル・ヨッカーと名乗る新米セド業者に持っていかれていた。偽名のお手本のような名前のハル・ヨッカーが手に入れるリドゥナは、誰も目をつけていなかったクズ案件のリドゥナだった。だが、ふたを開けると、どんどん高値になっていく。一度ならば偶然と片づけられるが、三度続けば無視することはできなかった。今回のセドはジャルジュの「打倒! ハル・ヨッカー」の号令の下、ブラッデンサ商会総力をあげてのセドだ。つまり、普段会頭の仕事をすべて統括であるジャルジュに押し付けているブロードも強制参加だった。




「そうは言ってもなあ。別にいいだろ。そいつが俺たちより優れていた。それだけのことだ」


 ブロードはしれっと口にした。


「……それだけって、あなたはブラッデンサ商会の会頭なのですよ?」


「分かっているさ。でもなあ……。ああ、こんな面倒なことになるって分かっていたのなら、こんなもん引き受けなかったのになあ」




 ブロードは左腕に彫られた鷹の紋に触れる。左腕の鷹の紋はセドをする者たちが多く所属するブラッデンサ商会会頭の証だ。




「何を仰っているんです。ブラッデンサの会頭になるのと引き換えに借金を免除してもらったのを忘れたのですか?」


 ジャルジュは眉を顰めた。


「そうだがなあ」




 ブロードは噴水に目をやった。ブロードが他人の借金で、借金王と呼ばれていたのも、セドの才覚と面倒見の良さを見込んだ先代が借金を引き受けるかわりに後継者に、と望んだのも有名な話だ。




「なんか、借金ないとやる気が起きないんだよなあ」




 ジャルジュはブロードをまじまじと見た。恐るべき言い分だがそれが本気だということがわかる程度には、ジャルジュはブロードという男を理解していた。現にブロードは、会頭になってからも頼ってくる女たちの借金の保証人になっている。




「……趣味が借金とはよく言ったものですね。いい加減他人の借金を請け負うのはやめたらどうですか」


「別にちゃんと返してもらっているさ」


「数えてもいないでしょうに。借金の返済が自主申告制なんて聞いたことありませんよ。これではあなたの借金の肩代わりをして、ブラッデンサの会頭に迎えた先代の御苦労が報われませんよ」


「……別に俺が頼んだわけじゃないからな」


「ですが……当時のあなたの借金など十億越えていたでしょう」


「……それでも俺は生きてたぜ。それに、だ。誰が、いつ、そんなことを頼んだ? 俺の記憶が正しければ、当時軒並みお前らの狙う案件をかっさらった俺に手を焼いて、俺の趣味の借金をわざわざ返して恩に着せて、お迎え間近い先代の代わりに会長になってくれ、と足しげく通われたと記憶しているんだがな」




 ブロードの目が不穏に光った。


 ジャルジュははっと唾を飲んだ。


 事実だった。




 数年前、ブロードはセドでめぼしいリドゥナをかっさらう一匹狼のセド業者だった。今のハル・ヨッカーなど目ではない乱獲ぶりだった。ブロードのせいで当時、セド業者が一気に減ったほどだ。そんなブロードを何とかするべく、先代の会頭の指示でブロードについて調べた。だが調べるまでもなく、ブロード・タヒュウズは有名人だった。


 なにせ、他人(主に女性)のべ百人の借金を引き受け続けて作った借金が十億ガリナ。


 借金王だった。借金の返済のためにセドに参加するのは珍しいことではないが、規格外だった。ジャルジュと前会頭は、借金を肩代わりする代わりに、セド荒らしの異名を取る男にブラッデンサ商会という首輪をつけようと考えた。うらびれた家に住んでいる男。そのほとんどが他人の借金の肩代わり。すぐに尻尾をふると思っていた。


 だがブロードは違った。




『借金だって財産だ。返す甲斐性が男だろ』




 強がりでも何でもない、真実そう信じている人間のてらいのない言葉に、あの日、裏路地のさびれた家で、ジャルジュは次の言葉を見失ったのだ。




「もっとも」




 軽やかなブロードの声に、ジャルジュは我に返った。ブロードがふっと口角を上げた。




「助かったのも事実だけどな」




 黒い瞳が悪戯っぽくきらめく。あの日と同じ、黒光りする獣の目だった。普段はのんびりとしているくせに、時々こうやって牙をむく。


 地位も名誉も、金すらもブロード・タヒュウズを動かす動機にはなりえない。


 飼い慣らせない獣のような男。それがブロード・タヒュウズなのだ。


 だが、それは過去のことだ。ジャルジュは息を吐いた。今はブラッデンサ商会の会頭なのだ。立場にふさわしい行動というのがある。そろそろ弁えてもらわなければならない。


 ジャルジュは小さく咳ばらいし、唇に力を入れた。




「とにかく、たまには仕事をしてください。このまま舐められて終わるわけにはいきません」


「だからってなあ」




 ブロードは肩をすくめ、太陽に白く反射する大掲示板に目をやった。




「もし、よいだろうか。ブラッデンサ商会のブロード・タヒュウズ殿とお見受けする」


「なんだ?」


 ブロードは振り返った。

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