リオン〈8〉
関は運転席に乗り込んだ。リオンはその後ろに座る。
「よし、じゃあレンタカー会社に帰るか」
そう言った関をリオンが意外そうな顔で見る。
「私の“修理”とやらは、もう終ったのですか?」
「ん?……まあな」
関が頬を掻いた。
「ま、速度超過に関してはそこまでひどくない限り目をつぶってくれ、っていうのが俺の要求だ。他の交通規則はともかく、速度超過だけはやっぱり今のご時世は避けられないからな」
関の言葉にリオンはうつむいた。そして渋々といった様子で
「分かりました。考慮します」と述べた。
「……ありがとな」
暫く車内は静かになった。おもむろにリオンが口を開いた。
「大幅ではない速度超過には目をつぶることにします。……それにしても、人間はおかしな生き物ですね。何故素直に規則を守れないのでしょう?」
リオンは穴があくほど関のことを見つめた。彼は至極真剣な顔をしていた。
「速度超過さえしていなければ奏汰は事故に遭わなかったというのに」
「……」
リオンの言葉を関は黙って聞く。
リオンは目を伏せて続ける。
「あなたはそこまで詳しく知らないと思いますが、奏汰を轢いた車は元々速度超過で警察に追いかけられていたのです」
リオンはそこでいったん口を閉じた。
「これは私が後から聞いた話です。私の前で奏汰の両親が泣きながら言っていたのを聞いたのです」
関は残っていたコーヒーを飲み干した。それはいつもより苦い味がした。
「私達には人間がわかりやすいように速度計が取り付けられています。ですから、速度を管理することはとても簡単なことだというのに」
リオンはそこでいったん言葉を切り、そして続けた。
「皆が皆、規則を守ればもっと安全に暮らせるというのに」
関はコーヒー缶を乱暴にカップホルダーにおいた。
「お前の言うとおりだよ」
そして呟いた。いつもより低い声であった。
リオンは顔を上げる。関の様子を伺う。
「そうだよな。本当に人間って馬鹿な生き物だよな。安全のためだっていうのに、交通規則さえまともに守れないんだからな」
関は自嘲的に笑った。そしてその後、ぽつりと
「ごめんな」
と言った。
リオンは何も言わなかった。じっとルームミラーに映る関の顔を見ていた。
しばらくの間車内を沈黙が支配した。まるで車内が外界から完全に切り離されているかのようだった。
沈黙を破ったのはリオンだった。
「……レンタカー会社までの道をカーナビで検索します」
関はそれに答えなかった。少し経ってカーナビの登録が終わった音がした。
「関さん、どうです?あの車は直ったのでしょうか?」
レンタカー会社の男性が、リオンから降りてきた関を見つけて走り寄ってきた。
「完全に直ったとは言えませんね」
鞄をあさりながら発せられた関の言葉に男性が怪訝な顔をする。
「と申しますと?」
「この車を使用するお客に、気をつけてもらわなければならないことがあります」
そう言って関が書類を男性に差し出した。男性が首をひねりながらそれを受け取る。
「詳しくはそこに記載されていますが、今ここで簡潔に説明したいと思います」
いまいち状況が読めない男性を差し置いて関が説明をし出す。
「この車の使用者は厳密に交通規則を守ってください。速度違反については、大幅に速度超過しない限り見逃してくれるとは思いますが、できるだけしないようにしてください。それさえ守れれば以後奇妙な現象は決して起こりません」
それを聞いて男性は渋い顔をしてすっかり考え込んでしまった。
関は男性の様子を眺めながら口を開いた。
「……もしあなたがよろしいのなら、この車を私に売ってもらえないでしょうか?」
それを聞いて、驚いた顔をして男性が顔をあげる。
「この車はあなたにとって扱いにくいでしょう。ですから私がこの車を買いとります。あなたは変わった車を手放せるし、そのお金で新しい車が買えるし一石二鳥でしょう。悪くない提案だと思いますが」
男性は少しとまどった後、口を開いた。
「私はいいのですが、あなたは?」
「私は大歓迎です」と関は答えた。そして微笑む。
「あれくらい規則にうるさい車の方が、私にはちょうどいい」
男性はまたまた話が読めないといった様子で首をかしげた。
「というわけだ。これからよろしく頼む」
帰ってきて事の顛末を話す関をリオンが驚いた顔で見つめた。
「私をわざわざ買ったのですか?」
「ああ。そろそろ車が欲しかったんだ」
そうこともなげに話す関をリオンは信じられないといった顔で見つめる。
「これからは俺がお前の持ち主だ。いいな?」
関がそう言えば、リオンは腕を組んで苦い顔をした。しかしそれは心から嫌がっている顔ではないと、関には分かった。
時間はかかるだろうが、きっとリオンとはいいパートナーになれる。関は心の中でそう確信していた。
関の様子を見て、リオンは自分が何を言っても無駄だと分かったのだろう。
「……ええ。いいでしょう」
やれやれといった顔で発せられたリオンの言葉を聞いて関は笑うと
「よし。じゃあ手続きが終ったら、今度は俺の家で会おうな」と言った。
「……そういえばあなた、どちらから来たのです?」
リオンの問いかけに関は「愛知県」と素っ気なく答える。
「愛知県……」
考え込むリオンを横目に関が続ける。
「まあ、行ってみればどんなところか分かるさ。それはともかくお前、福岡を出る前にどこか寄っておきたいところはあるか?」
関に尋ねられ、リオンはまた考え込んだ。そして思いついたように顔を上げて、
「ええ、一つだけ」と答えた。
「よし、じゃあそこに行こう。場所は分かるな?」
「もちろんです」
「なら、前に来い。案内してもらおう」
リオンは関の言葉を聞いて少し戸惑ったようだった。その後ためらいがちに後部座席から姿を消し、助手席に現われた。
居心地が悪そうな顔をしてシートベルトをつけると、薄く笑みを浮かべている関の方に向き直った。
「……安全運転でお願いしますね」
「ああ、任せておけ」
関はにっと口角をつり上げた。
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