十話 ッス
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うーん、この加速。流石は私が作った人形だ。おまけに馬車自体も、魔力障壁のお陰で瓦礫がぶつかったくらいじゃビクともしない。
「おーい、みんな大丈夫?」
街中を走っても問題ない程度にゆったりと馬車を走らせつつ、衝撃で荒れまくった部屋の中へと声をかける。すると机の中に潜って脚にしがみつく、シャリテの怒声が聞こえてきた。
「こ、こらーっ! 何もこんな無茶苦茶する事無いじゃないですか! 怪我しちゃいますよ!」
「やぁ、ゴメンゴメン。この馬車でここを出る時は絶対こうするって、昔から決めてたんだよね」
「どういう暮らしをしていたらそんな発想になるんですか……」
「色々あったんだよ……あれ、イズモちゃんは?」
「あそこで埋まってます」
「埋まって……? あ」
シャリテの指差す先を見ると、ひっくり返った本棚から溢れた本の山に、イズモちゃんの上半身が突き刺さっていた。
助けを求める様に、むき出しの尻をぽいんぽいんと振っている。
「——!! ——!!」
近寄ってみると、悲痛な声ならぬ声が聞こえてくる。このまま見ているのも良いかもしれないけど、流石に可哀想だ。
「せーの、ふんっ」
腰を抱えて思い切り引っぱる。古びた本を撒き散らしながら、もりっと埋まっていた上半身がぽこっと出てきた。
「ぜえ……ぜえ……」
「……ゴメン」
髪を乱し、苦しかったのか肩で息をしている。余りに気の毒なその姿にかける言葉が、これしか見つからなかった。
「ソワレどの……ソワレどのー!!」
普段温厚なイズモちゃんが、涙目で激怒している。よっぽど怖かったのだろう。
「いやあ、ごめん、ごめんて。で、でもほら、馬車ちゃんと走ってるよほら」
訳の分からない誤魔化し方をして、みんなの視線を窓に誘導する。
「……驚いたな。人形術師というのはこういう事も出来るのか」
「ふふん。私の魔力が続く限りどこまでも走る優れものだよ。それよりもほら、あそこ」
私の指差す先を、二人揃って窓から覗く。いかがわしい街並みの中で、一際目立つ大きな建物。大きく開かれた勝手口の前には店から出ているのか入って行くのか、いずれにしても大勢の淫魔でごった返している。
その建物の近くの道の端に馬車を止め、二人を小屋から出した。
「このクピディタースで一番大きな酒場と言えば、ここしかないと思うんだよね」
「はぇぇ……」
「ふわぁ……」
二人揃ってぽけっと口を開けて酒場を見上げている。確かにこの独特の雰囲気は他では味わえない。目を奪われるのも無理はないかも知れない。
「見惚れるのは良いけどイズモちゃん。向こうは私達の事分かるの?」
「んえ?」
「んえ、じゃなくて! この人混みだと、私達を向こうが見つけられるかも怪しいよ」
そこまで言って、ようやく合点が行ったように「ああ……」と声を漏らした。
「ふふん! その辺は抜かりなし、だ! ちゃんと合言葉を決めておいたぞ!」
「合言葉?」
「うん。探っている相手が変装魔術を使って潜伏しているかもしれないからな。念には念を入れて、だ」
そう言うと、懐からぴらりと紙切れを取り出して私に見せてきた。
「どれどれ……」
それを手に取って見てみると、紙一面にあらん限りの肉料理名がずらりと羅列されている。もはや合言葉というか品書きだ。
「あとはこれを店員さんに頼めば、うちの隊員が現れるというわけだ!」
満面に、どやっとした顔を得意げに浮かべる。なんだか嫌な予感がするのは、私だけだろうか。
「うーん……じゃ、まあ、行こうか。ほら、シャリテ」
後ろのシャリテに手を差し伸べる。すると、ぽけっとした顔が途端に不機嫌そうになった。
「……なんですか」
「いや、はぐれそうだから」
手をさらに近づけると更に不機嫌そうな雰囲気を濃くし、手を払いのけられてしまった。
「あいてっ」
「もう! 子供扱いしないで下さい! 大丈夫ですっ!」
そう言い放ってぷりぷりと怒りを露わにし、イズモちゃんを伴って店へと踏み入ってしまった。
「……私が何したってのよ」
手の甲に微かに疼く理不尽な痛みをさすりながら、二人を追って店の中へと入っていく。
店内は、一応日がまだ登っている時間にも関わらず大盛況だ。確かにこの喧騒の中ならば、特定の会話を盗み聞きしようという考えも失せるだろう。
先を行く二人の後を追うと、イズモちゃんはずんずん遠くへと進んでいく。やがてたどり着いたのは、店の奥の個室だった。曇りガラスで仕切られたここは喧騒の壁に声を遮られ、かつ周囲の席にも人の影はない。密談にどうぞと言わんばかりの席だ。――一人の見知らぬ女がいることを除けば。
近くに寄って見た女の肌は褐色で、肌の白い人が多いここにおいて強い異彩を放っている。そして、控えめに言っても美人、という言葉がしっくり来た。黒髪を束ねただけのシンプルな髪型だけど、かえってそれが彼女を引き立てる。
そして伏し目がち……というか、殆ど開かれていない糸のような目が、焼けた肌と相反する儚い雰囲気を醸し出す。イズモちゃんは、その女に構わず席に腰を下ろし、呼び鈴に手をかけた。
「よし。では、注文するぞ」
ちりんと呼び鈴を鳴らし、程なく駆けつけた店員さんにさっきの合言葉をとうとうと叩き込むイズモちゃん。
口が肉料理名を並び立てる度に店員さんの顔が曇っていく。あの顔は、「このクソ忙しいのに誰が持って来ると思ってんだよ」……なんて考えている顔だ。
注文を全て終え、引きつった顔で奥へと戻ろうと踵を返す。その背中を、これまで押し黙っていた女が口を開いて呼び止めた。
「あの、宜しいでしょうか」
「何か?」
振り返った店員さんに、蠱惑的な笑みを向けて言葉を続ける。
「人払いをお願いしたいのです。このお部屋の近くに人を近づけさせないで頂けますか?」
「……なぜです?」
当然の問いに、女はただ黙って笑みを浮かべる。その背中には、うごめく何かの影があった。それは、淫魔の象徴である尻尾。それを怪しくくねらせつつ、再び話しだす。
「個室に、女の子と淫魔。ここで何をするかなんて、分かりきったことでは?」
「ですが……」
答えあぐねる店員さん。それを見た女はおもむろに席を立って目の前に立ち、腕をとってすらりとドレスのスリットから覗く足を足の間に滑り込ませた。
そうして身動きが取れなくなった店員さんの顔に手を当て、耳の側に口を寄せて何事か囁く。すると即座に顔を赤らめ、小さく礼をしてここから立ち去った。
その様子を見ていたイズモちゃんが、何の感慨もなさそうに口を開いて話し出す。
「ふう、合言葉はあっていたようだな。それにしても、さすがだな! 何と言っていたんだ?」
「ええ、あの子とってもかわいらしかったから、お願いを聞いてくれたら後で可愛がってあげる……なんて」
そう恥じらうように口に手を当てて微笑みながら話す。物腰は穏やかだけど、明らかに手馴れている。
「珍しいね、どこかに所属する淫魔なんて」
享楽的かつ奔放な淫魔は基本的に協調性が低く、どこか組織に属することは珍しい。そう思って女に向かって声をかけると、なぜかイズモちゃんが不思議そうな顔をしだした。
「あれ? ソワレ殿、会った事は無かったのか?」
は?
「いや、少なくとも初対面だと思うんだけど……」
言うなり、ぷりぷりと怒り出してその顔を女に向ける。
「こら! クロコ! だめじゃないか、ちゃんと初対面の人にはあいさつしなくちゃ! 詰め所で会っているはずだろう!
「ちょ、団長! しーッス! しーッ!」
――は?
「……え、今なんて? クロコ?」
「ん? クロコだが」
いや、クロコだが、じゃないが……。
「団長、アレッスよ。俺いっつもかっちり着込んでっからわかんねッスよ。見ててくださいね……」
突然口調を砕いた女は懐から黒い覆面を取り出し、顔の下半分を覆う。
「ホラ、これでどッスか?」
――糸目に、覆面。間違いなく、あの詰め所で門番をしていた変態だ。
「はあああああああ?」
褐色ってなんであんなに素晴らしいんでしょうね? 最強ですよアレ




