三話 尻
親切な男達の話によると、騎士団の一員がこの船の見張りをしていて、まだ中に居るはずとの情報を得た。
早速船に戻り、甲板を見回してみるがそれらしき人影はない。入れ違いになってしまったのだろうか。
いや、視界の端に一瞬、物陰から伸びるもぞもぞと動く影があった。そちらの方に歩いて行くと、やはり蠢く何かがいる。――なんと、尻だ。
蠢く何かは尻だった。正確には、中々に際どい服を着た女の子の尻だ。尻が振られる度に、やたらと風通しが良さそうなその服がひらひらと風になびき、大変煽情的な光景だ。
耳をすますと、何やらぼそぼそと声が聞こえてくる。
「ない……ない……」
這い蹲るその姿とつぶやきの内容から、どうやら何かを落としたらしい。なんだか凄く間抜けっぽい。
「すいませーん」
「ふえっ!?」
後ろから声をかけると、彼女は間抜けな声を上げた。かと思えば、ものすごい速さで服を整えてこちらに向き直る。
「……なんだろうか」
こちらを向いた彼女の表情は、先ほどの情けない姿とは全く正反対の凛々しいものだった。紅色の鋭い眼光は、歴戦の戦士の風格すら漂わせている。――はずだけれど、目の端に残る涙のせいで全て台無しだ。
「人を探しているんですけど……、ドロワ・ルプスの、方ですか?」
「そ……そうだ。私はドロワ・ルプス所属、イズモ・シキミだ……ぐす」
どうやら彼女がレジネッタの守護を司る騎士団の一員で間違いないらしい。甚だ信じられないけど。
努めてクールに振舞っているつもりらしいが、この感じでソレは無理があるだろう。
「実はあなた達から手紙が届いて……」
「そうか……ぐす」
よほど落とした物が気になるのか、話しかけても心ここに在らずといった様子だ。ぐすぐすとうるさい事この上ない。
「はあ……何を落としたんですか? 一緒に探しますから、見つけてからお話ししましょう」
「ほ、本当か!? ありがとう……ぐす」
「いいえ。で、何を落としたんです?」
「ええと、首飾りなんだが……」
「ええ」
「コインがぶら下がっているんだ」
「うん?」
「そのコインには彫刻が施されていて……」
「あぁ……」
……猛烈に心当たりがある。
「ちょ、ちょっと待ってくださいね」
彼女から見えないようにポケットの中の心当たりを取り出し、体の影に隠しながら見てみる。
「うわ……」
見事に一致している。い、いや、まだだ。
「ど、どんな彫刻が彫ってあるんです?」
「飛竜を象った彫刻だ……ぐす」
やっちゃったわ。完全にコレだわ。
「そ……そんなに大切な物なんですか?」
額によくわからない汗をかきながら訊ねると、彼女は這いつくばったまま更にうつむき、心底悲しげに答えた。
「……私のかあさまの形見なんだ。かあさまは私が小さい頃に亡くなって……その首飾りはかあさまが亡くなる前に私にくれた大切な物なんだ」
そこまで聞いた私の行動は、まさに神速。稲妻の如き速さでポケットから例のブツを取り出し、蛇の如き静かさでそっと優しく床に置いた。こんなに機敏に動けるのは後にも先にもこれっきりだろう。そして――
「あ、ああーっ! これかなーっ! もしかして! これもしかしてそうじゃないかなーっ!」
我ながら呆れるほどにわざとらしい声を上げる。声を聞いた彼女は目を輝かせて、ぐりん! という音が聞こえそうなほどの勢いでこちらを振り向き、縺れる足を振り回して距離を詰めてきた。
「ど、どこどこ!?」
「ほ、ほら! ほらコレ! コレじゃないコレ!?」
焦りと罪悪感が頂点に達し、もはや自分でも何を言っているのかよくわからない。
取り敢えず床に置いた首飾りを拾い上げて、彼女の目の前に掲げる。それを見る彼女の涙腺はもはや決壊寸前、口元などはおよおよと波打ち始めている。
「こ、これだぁ……ありがとう、本当にありがとう……!」
「いやあ良かったですねホントに……」
「うん、私はもう、心無い誰かに拾われて売り飛ばされているとばかり……」
「ゔ」
「ゔ?」
「ゔ? ……うへへへ」
私気持ち悪っ。
「? 変な人だなあ。そうだ、まだ私はあなたの名前を知らないぞ。ぜひお礼をさせて欲しいから、教えてもらえると助かる」
そうだ、と私は我に返った。私は彼女に騎士団の詰所まで案内してもらわなければならない。まだ名前も名乗っていなかったが、これで私の用事がやっと一つ前進するというものだ。
「私はソワレ・バントロワ。人形術師です。実はあなた達からてが……」
「人形!?」
彼女は私の言葉を遮り、食い入るように身を乗り出して話し始めた。
「も、もしかしてさっき船で人形劇をしていた人か!? 私、見張り台から見ていたんだ! こっちに来てから劇を見るのは初めてだから、つい見入ってしまって……」
「ま、まあ、この辺じゃあんまり見ないかも知れないですね」
「うんうん! ソワレ殿は、もしかしてロゼの出身なのか?」
「え、ええ」
「おお……! やはり本場の方の劇は違うのだな! なんというか、真に迫る劇だったぞ!」
まずい、完全に彼女のペースだ。これでは話が前に進まない。どうにかして形勢を巻き返さなくては……。
「あ、ありがとうございます。それで、あなた達から……」
「はっ! そういえば人形劇というのはお代を取るのだろうか!? もしそうなら私はまだお代を払っていない! タダ見という事になってしまうぞ!」
「あの」
「これは失礼した! ソワレ殿、ちょっと待ってくれ!」
「聞けよ」
荒巻く海のような怒涛の勢いで話し続ける彼女は、私の言葉を無視して何やら懐を漁り始め、やがて懐から何やら装飾品のようなものを取り出した。
それは丸く削った翠玉を、金細工で飾った物の様だ。陽の光に照らされた、鉱石特有のとろみのある光沢が美しい。素人目に見ても、かなりの値打ちがあると分かる一品だ。
「これは?」
訊ねると、屈託のない笑顔で答える。先程までの泣き顔が嘘の様だ。
「以前私に贈られて来たものだ。貰い物を渡す様で心苦しいが、かなりの値打ちがあると思う」
「随分高価な物に見えますけど、頂いてしまっても?」
「うん。どうせ私はこういう飾り物に興味がないし、腐らせておくよりも売ってお金にするなりした方がこれも喜ぶだろう」
「まあそう言うことなら、遠慮なく」
私は手渡されたそれを懐に大切にしまった。後でどこかで換金するとしよう。今日は野宿を覚悟していたが、思わぬ収入だ。
しかし、何かを忘れている様な……。
「さて、私はもう行くよ。ソワレ殿、貴女は私の恩人だ。我々の詰所がビスクの北の外れにあるから、困った事があったらいつでも寄ってくれ」
「!」
そうだ、騎士団の依頼! 彼女は騎士団の一員のはずだ。今の内に話を通しておかなくては……!
「あ、ちょ、ちょっと待って……」
「それじゃソワレ殿! 壮健でな!」
そう言い残すと、イズモは勢いよく駆け出し、その勢いのまま高々と跳躍した。
「うわっ」
飛んで行った先を目で追うと、白い髪をたなびかせて、民家の屋根をまるで飛び石を飛ぶ様に渡っていく姿が遠くに見える。
「行っちゃった……」
最後まで話を聞かない子だった。騎士団というのはあんな感じでも務まるものだろうか。
まあ、臨時収入も貰ったし、何だかんだで目的の場所も突き止めた。と来れば次はいよいよ依頼主とのご対面だ。気を引き締めていこう。
そんな事を考えながら、私は船を後にした。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
ドジっ娘女騎士って大変素晴らしいと思うんですけど、どうでしょうか。
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