十七話 骸の令嬢
私の命令に従い、ソレイユは地面に向けて拳を向ける。私の感覚は間違いなくこの真下を示した。ならばこの床は床ではなく、侵入者を欺く防壁!
魔力を込めた拳が叩き込まれ、砲弾の炸裂のような轟音が辺りに響き渡る。
拳がめり込んだ地点から、ヒビが蜘蛛の巣のように広がっていく。
やがてヒビは床の隅々まで伝播していき、次の瞬間。
岩盤は限界を迎え、粉々に砕け割れた。直後に体を包む浮遊感に、思わず悲鳴が漏れる。
落ちていく先を見ると、さらに開けた空間が広がっていた。さらにその奥に、遺跡の裂け目から漏れる陽の光に照らされる黒い球体が、宙に浮いていることに気づく。
日光の下にありながら、一分の光も返さない謎の物体。まるでその空間だけが黒く切り取られているかの様だ。
あそこから膨大な魔力を感じる。間違いない、供給源だ! あれを破壊すれば魔力の供給は止まる。あいつを完全に倒せる!
目の前の大きな問題が片付いた所で、また一つ、次なる問題にぶち当たった。
「ちゃ……」
着地、どうしよう。
考えてみればブチ抜いたその下がどうなっているのかなんて考えてなかった。実際落ちてみると、かなり深い。
見る見るうちに近づいていく地面と、体を叩く風圧に今になって恐怖を感じ始めた。
まずった。ソレイユが近くにいたのならまだなんとかなったかもしれないけど、だいぶ距離が離れている上に空中でひょいひょい動けるわけじゃない。手持ちの人形五体で何が出来るか……。
「ソワレどのぉー!」
不意に、何処かからイズモちゃんの声がした、次の瞬間。
「ぶえッ!?」
横から飛んできた何かが、私の体を包み込み、柔らかな感触と体温が伝わってくる。
呆気にとられていると、私の顔を見知った赤い瞳が覗き込んだ。
気付けば、私の体はイズモちゃんの腕の中。両足と頭を抱えられた、所謂お姫様抱っこの形だ。
「ふぅ。びっくりしたぞソワレ殿。床を抜くならそうと、先に言ってくれないと」
そう軽口を叩きながら、空中を軽やかに翔ける。
たん、たんと響く軽快な足音。信じられないことに、崩れ落ちる岩から岩へ飛び移っている様だ。
「ところでソワレ殿! 供給源は?」
「ああ、うん! ほら、あそこ!」
闇の球体を指で示す。流石のイズモちゃんでも、アレの異常性にはすぐに気づいた様だ。
「あれか……! ソワレ殿! しっかり掴まっていてくれ!」
その言葉を皮切りに、私の視界は急加速した。
「え、え、ふゃあああぁぁぁ……」
私の体を、未知の加速が蹂躙する。
急加速、急停止、方向転換の嵐。それによって腹の奥から込み上げてくる強烈な酸味。
「うぇっぷ……」
や、ヤバい……! ここはイズモちゃんの腕の中、それも高速移動中! 今ここでゲーなんてしようもんなら、私の顔面は確実に愉快な事になる。我慢、我慢……!
空中の足場を蹴る事、都合八度。漸く地面が私の慣れ親しんだ高さまでやって来た。
「ほっ、と。ソワレ殿、着いたぞ」
着地した瞬間、私は抱えられた腕から転げ落ちるように地面にへばりつく。砂漠をさまよい歩いた体に水が染み渡るように、足の裏に地面が接していることの素晴らしさを実感した。地面サイコー。
ついでにソレイユも落ちてきた。地面を殴りつけた反動でダメージを軽減するという、無駄に高度なおまけ付きで。
「あ、ありがど……ゔぇっ」
「わああ、大丈夫か!」
「ゔん……」
不意に後ろから、爆発音にも似た大きな音が轟いた。
振り返ると、どこかに引っかかっていたのか、私達より遅れて落ちてきた騎士が、地面に叩きつけられていた。
地面に衝突した衝撃で、体を構成している骨が粉々に砕け散り、あたりに散乱している。けれど心臓の方は相変わらず元気そうだ。
私もいつまでもへばってはいられない。むしろここからが本番だ。魔力の供給は未だ続いている。まごまごしていたらあいつが復活してしまう。
「さて、と……」
改めて球体を仰ぎ見る。遠目で見ていても異質な風貌だったけど、近づいて見ると尚の事異質だ。
「ソワレ殿、あれは何なんだ?」
「……さぁ。何だろうね、あれは」
まるで分からない。パッと見で分かった事は、球体を形成しているのは物質ではなく、極限まで圧縮された闇の魔素のようだ。
だけど、闇の属性に限らず魔素が自然にこういう風に球体に集まることなんてあり得ないし、よしんばあったとしてもあの密度は異常過ぎる。
どうしたものか。訳が分からなすぎてどう手を出したものか見当もつかない。
悩んでいても答えは出ない。とりあえず初心に帰ろう。闇の魔素は炎の魔素を極端に嫌う。炎の属性魔法あたりを思いっきりぶつけてみようかな?
球体から距離を取り、人形達を整列させて杖を構えさせる。
「重火砲!」
ぽんぽんと五つ連なる破裂音、次いで巻き起こる爆炎。
しかし球体は依然として平然と佇む。魔素は乱れひとつ起こそうとしない。
降りてきてから五分、あるいは十分も経っただろうか。ぐずぐずしていたらあいつが復活して――
『我……ラ……使命……ミ……ハ……!』
「ッ!」
声に振り返ると、騎士がかたかたと動きを取り戻しつつあった。もっとも、回復は完全に済んでおらず、下半身の骨に至っては砕け散ったまま再生できていない。
その悲惨な有様の体をずりずりと引きずりながら、尚も私達を見据えて這い寄ってくる。
「ソワレ殿はそのまま続けてくれッ! 私はこいつを抑える!」
「分かった!」
『安寧……誓イヲ……! オオオオオオッ!』
絞り出された怨念めいた雄叫びが響くと、小揺るぎもしなかった球体の輪郭が一瞬揺らいだ。
「何これ、急に……!」
訳が分からない事だらけだけど、チャンスかもしれない。その揺らぎめがけて火力を集中させる。
集中砲火を受けた揺らぎはさらに大きくなり、やがて球体全面がまるで石を投げ入れた水面の様に波打ち始めた。
唐突に響く、何かが割れる様な音。
見れば、球体に広がる波紋の中心から外側へ向けてヒビ割れが走り、内側から光が漏れている。
攻撃を続けるうちにそれはさらに範囲を広げ、今や私から見えている面は隈なくヒビが入り、さながら乾き切った大地の様な有様になっていた。
そして人形達の最後の攻撃が終わった次の瞬間。
球体は弾け、中から夥しい量の黒い霧が、まるで吹雪の様に溢れ出した。
「うあっ!」
瞬時に目の前が黒一色に染まる。一体どれだけの量を内包していたのか。迸る魔素だけで一国の軍勢に匹敵する量のグールが生み出せそうだ。
やがて黒い吹雪が過ぎ去り、視界が開けてくる。直後に目の前に広がるその光景に、私の思考は凍りついた。
――女の子?
さっきまで球体が浮いていた所に、代わりに一人の少女が現れた。その目は閉じられており、意識は無い様だ。
陽の光を受けて煌めく金色の髪を靡かせながら浮かぶその姿に、まるでおとぎ話の女神の様な、非現実的な美しさを感じた。
呆然と眺めていると、唐突に浮力を失って私の元へと落下し始める。
「うわっ、ちょちょちょ……」
ぽすん。
どうにか胸に受け止めた。小さな体を抱きかかえる腕の中に感じる、確かな温もり。間違いなく、これは現実だ。
「ぷゃ……ぷゃ……」
聞こえてくる安らかな寝息。どうやら眠っているだけの様だ。けど、この子は一体――
思考に浸りかけた私を、背後から聞こえてくる戦闘の音が引き戻す。
振り向くと、中途半端に再生した体を引きずり、大剣を手にイズモちゃんと切り結ぶ騎士の姿が見えた。あの様子だと、無事に再生は止まったらしい。あとはトドメを刺すだけだ。
「お待たせ、イズモちゃん!」
「上手くいったか、ソワ――ソワレ殿、その子は?」
「あ、ええと、意識が無かったから思わず連れて来ちゃった」
「なぜこんな所に子供が……! ここは危険だ、その子を安全な所に!」
「わ、分かった」
「……あのう、すみません」
唐突に腕の中から声が聞こえる。目を落とすと、眠っていた少女が意識を取り戻していた。
「ここは……ここは、どこですか? それに、おねえさんたち……」
か細い少女の声を、騎士の咆哮がかき消した。
「あの人たちは……」
「君、ここは危ないんだ。早く向こうに……」
イズモちゃんの言葉が聞こえていないのか、少女は私の腕から飛び降り、騎士の元へと歩いていく。
「ちょ……! 危ないってば!」
「君! 早くこっちへ!」
構わず歩みを進める少女の手が、騎士の体を支える左腕に触れた。
『オ……オオ……!』
それまで暴れまわっていた騎士の動きが、ぴたりと止まった。
「騎士が……!」
騎士は明らかに今までと違う反応を示している。次第に騎士はその剣を持つ手を下ろし、少女へと首を垂れる。まるで忠誠を誓い、ひざまづく様に。
その不思議な光景を前に、私達はただ立ち尽くしていた。
「ソワレ殿。これは……夢、なのだろうか」
「……分からない」
少女は眼前まで迫った顔を抱きしめる様に両手を広げ、額を付けて静かに呟いた。
「もう、いいんだよ。ありがとうね」
そう囁くと、騎士の空の眼窩から黒い雫が一筋流れ出す。
「おつかれさま。またね」
瞬間、騎士の体は黒い霧となって霧散し、骨片一つ残らず消え去った。同時に、少女の体から力が抜け、ふらりと後ろに倒れ行く。
「おっとと」
すんでのところで抱き止める。安らかな寝息。再び眠ってしまった様だ。
騎士は消え、空間に痛いほどの静寂が訪れた。
「……帰ろうか。イズモちゃん」
「うん……。これは、報告書になんて書けば良いのかなぁ」
こうして任務を終えた私達は謎の少女を抱え、遺跡の壁を破壊して脱出し、ビスクへの帰路を辿った。