十三話 オニギリ
「はおぉ……」
独特すぎる唸り声とともに、意識を取り戻したイズモちゃんがのそのそとベッドから這い出てくる。
「お、起きたね」
「うう、ソワレ殿、おはよう……」
「ん、おはよ」
本日二度目となるおはようを交わしていると、待ってましたとばかりにクロコが口を開く。
「隊長、起きたッスね。そんじゃあ早速遺跡に向かってもらうッス」
「うん、分かった。……所で、ユエ殿は何処に?」
不安そうに体を縮こまらせておずおずと尋ねている。よほどあの治療が苦手なのだろう。まああんなのを好き好んで受ける人間もそういないと思うけど。
「十分くらい隊長の寝顔見てから帰ったッスよ」
アンタも一緒に見てただろ、と心の中で突っ込んだ。それを察してか、彼は咳払いを一つして話を切り替え始める。
「さ、準備したらさっさと外に出るッス。馬車はもう手配してあるッスよ」
「流石クロコ、仕事が早くて助かるよ」
「何年隊長のケツ拭いてッと思ってんスか。さ、行くッスよ。ソワレさんも、ほらほら」
彼に導かれるままに部屋を出て、石造りの廊下を渡って正面玄関へと移動する。天気は快晴。絶好の仕事日和だ。
「あーと、鍵はどれだったッスかね……。お、これだ」
クロコが鍵を開けて門を開くと、一台の馬車が道の端に停まっていた。簡素な木製の荷台を一頭の馬が引く、至って単純な物だ。まあ幌が張ってあるだけマシか。
「よーし、早く乗るッスよー」
気の抜けた、間延びした声に促されるまま後ろの荷台に乗り込む。……なんかぎしぎしいってるけど大丈夫なの、これ?
「さー乗ったッスね! じゃ、出すッスよー」
声とともに馬車はごとごとと音を立て、景色が動き始める。
「遺跡には昼過ぎくらいには着くッスから、それまでのんびりしてて下さいッス」
「だってさ。イズモちゃ……」
脇を見ると、イズモちゃんは既に言われるまで無いとばかりに寛ぎ始めていた。
ゆったりと胡座をかく直ぐそばには、いつものお茶と見慣れない食べ物が風呂敷の上に広がっている。
「……けっこー余裕だね、イズモちゃん」
「ううん、今から身構えていてもどうにかなる訳では無いからな。その時になったら気持ちを切り替えるくらいで丁度良いと思う。それに……」
赤い瞳が、真っ直ぐに私の目と合わさる。
「ソワレ殿が一緒だからな。きっと大丈夫だ」
そう答えるイズモちゃんの顔は、優しい微笑みを浮かべている。信用してくれてるのは嬉しいけど、そう言うことを直球で言われるとなんていうか……照れる。
「むっ。ソワレ殿顔が赤いぞ。もう少し日陰に寄ったらどうだ? ほら、こっち」
そう言って膝をずらし、空いた隣ををぽんぽんと叩く。
「あっえ、あぁ、そうだね、ちょっと暑いもんね」
ぐだぐだと誤魔化しながらそちらへと膝を寄せる。すると、唐突に左の頬を柔らかな感触が包み込んだ。
「はひゃっ」
手だ。イズモちゃんの掌が、私の頰に触れている。
「ううむ、やっぱり顔が赤いぞ、ソワレ殿。やっぱり昨日、外で寝てしまったのがマズかったかな」
うわあああ、この心配されてる感じ……! なんか、なんか凄く恥ずかしい! マズい、このままじゃ本当に顔から火が出そう。何とか話を変えないと。
「そ、そう言えばさ、イズモちゃんさっきから何食べてるの? その、白いやつ」
苦し紛れに目に入ったソレを指差す。
「ん、これか? これはおにぎりって言うんだ」
「オニギリ?」
「うん。こっちの人は、みんなパン食だから珍しいかもしれないな」
「ふうん、オニギリ……」
「結構腹持ちが良いから、一つでも割と満足できて重宝するんだ。……所で、ソワレ殿は何か食べないのか? もうお昼過ぎだぞ」
言われて気づいたが、確かに起きてから何も食べていない。まあ起き抜けがあんな感じだったししょうがないと言えばしょうがないのだけれど。
改めて腹具合を確認するが、生憎とそこまでお腹が空いている訳でも無い。昔は一食どころか全食抜く事もザラだったし、空腹には慣れている。
「いや。食べてないけど、お腹空いてないしだいじょぶかな」
「ダメだぞ!」
「えっ」
急に雰囲気が変わった。さっきまで纏っていたほのぼのとした空気感は瞬時にかき消え、今や子供を躾ける大人のそれだ。
「お腹が空いてたら、いざという時力が出ないんだぞ! これから戦闘を控えているのだから、尚更何か食べた方がいい。何か食べ物は持ってきていないのか?」
あまりの気迫に言葉が出ない。投げかけられた問いに、ふるふると首を横に振るのが精一杯だった。
「そうか。では、私のを食べるといい」
そう言って風呂敷の上のオニギリを一つ掴み、私に差し出した。
これが掛け値無しの好意の現れなのはひしひしと伝わる。
けれど、この白いつぶつぶの集合体はどうしても苦手だ。有り体に言って、虫の卵を握って固めた物にしか見えない。
「……」
圧力と化した好意が、私に叩き付けられる。これを跳ね除けられる人間が居るだろうか。もし居るとするならば、それは完全に心を捨て去った人の形をした何かだろう。少なくとも私にはできそうにない。
断った時のイズモちゃんの顔を想像するだけで、胸が張ちきれそうになる。
「……頂きます」
結局私の心は好意に押し潰され、気付いた時には手にオニギリを取っていた。
「う……」
近くで見ると、尚つぶつぶ感が際立つ。ええい、ままよ!
「はぐっ」
目を瞑り、手の中の白い球体を一口齧りとる。味とかはこの際考え――
「ど、どうだ? ソワレ殿」
「……美味ひい」
一つのまとまりだった粒が、口の中で心地よくさらりと解ける。
それらを噛みしめる度に、小麦などとは別種の、素朴な甘みと優しい塩気が広がっていく。
飲み込むと同時にもう一口、もう一口と手が止まらなくなる、不思議な味だ。
「ふふふ、そうか。良かった」
「……ふぅ、ご馳走さまでした。け、結構美味しかったよ」
あれだけ渋った挙句、素直に美味しかったなんて、気恥ずかしくてとても言えなかった。
「結構? ふふ、改善の余地ありだな。本当は中に具を入れたかったのだが、何しろ時間がなかった」
「へぇ、具が入ってるのもあるんだ。何入れるの?」
「うーん……家庭によって色々好みがあるから、なんとも言えないな」
「ふーん……家庭の味って奴?」
「そうだな。私のかあさまは、いつも焼いた魚の身を――」
急に顔つきが変わった。その目は私の顔を一点に捉え、穿つような視線を双眸から放っている。
「そこを動くな、ソワレ殿」
「え、え、何?」
私の顔を凝視したまま、じりじりと距離を詰めてくる。そして――
「ふっ!」
「ひゃっ!」
目にも留まらぬ速さで、私目掛けて手を伸ばす。反射的に目を瞑ると、直後に口元に微かな感触が走る。
恐る恐る目を開けると、指先に何やら白い物を摘み上げている。よく見れば、それはさっき食べたオニギリのかけらだった。
「ごはんつぶついてた」
ぱくり。
摘み上げたそれを、まるでそれが当たり前の行為であるかのように、何の躊躇いも無く口へと運び、丹念に咀嚼し始めた。
「ふんふん、やっぱり改善の余地ありだな。炊き加減が甘い……。どうしたんだ、ソワレ殿。やっぱり顔が赤いぞ」
「はぇっ!?」
そりゃ赤くもなるわ! 私の口に付いてた食べかけを、く、口に! ぱくって!
「やっぱり風邪をひいてしまったのかな……。よいしょ」
腰を下ろしながらするすると距離を詰めてきた。今や膝同士が触れ合うほどだ。そして私の顔を両手で優しく挟み込み、片手で髪をかきあげ、額を露わにさせる。
「えっえっえっ」
一連の動きに一切無駄が無い。翻弄されている間に、同じように額を出したイズモちゃんが迫り――
ぴとり。
額に広がる、冷たく柔らかい額の感触。目の前に広がる、燃え上がる様な瞳と、薄く色づいた唇。
「な、なんだか凄く熱いぞ! 大丈夫かソワレ殿ぉ!」
「だ、大丈夫……」
全然大丈夫じゃない! もはや額だけではなく、唇同士が触れ合いそうな勢いだ。イズモちゃんの吐息が唇を撫でるたびに、自分でも分かるほどに顔面が熱くなっていく。
「は、はへぇ……」
熱が最高潮に達した瞬間、一つの声が横合いから響いた。
「何してんスか、アンタら」
その声に振り向き、ようやく額が離れた。
「む、クロコか。どうした?」
「いや、着いたから呼びに来たらこんな感じだったもんスから……。ほっといた方が良かったスか?」
「だだ、だ大丈夫大丈夫! うん!」
「どうしたんだソワレ殿急に……。やっぱり熱があるんじゃないのか?」
「いや全然! 全然そんなんないし!」
「そうなのか? なら良いんだが」
そう言うと、颯爽と馬車の荷台から飛び降りた。
「遺跡はこの先だ。ソワレ殿も、支度が済んだら来てくれ」
それだけ言い残し、一人でさっさと行ってしまった。いつまでも呆けてはいられない。後を追おうと立ち上がると、変態のニヤケ顔が目に止まる。
「……何ニヤニヤしてんのよ」
「ククッ、いやいや……。ソワレさん、意外とちょれえッスね」
「ちょ、は、はぁ!?」
「いやいや、怒んないでくださいよ。クックッ、あの隊長と自然にイチャイチャできるなんて、羨ましい限りッス。いやホントに」
クソ糸目は尚もくつくつと喉の奥で笑う。凄く不愉快だ。しかもイチャイチャしてた訳じゃないし。向こうからイチャイチャしてきただけだし。
「ソワレ殿ー! 早くー!」
私を急かす声が遠くから聞こえてくる。
「い、今行くよー!」
そう返し、未だににやけているクソ変態糸目を睨んでからその場を後にした。