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十二話 サイコ女医

 全身の痛みが、私の意識を無理やり呼び戻す。


 重くへばりつくような瞼を開くと、石造りの天井と騎士団の紋章をあしらったタペストリーが目に飛び込んできた。

 どうやら気を失った後、騎士団の人にここまで担ぎ込んで貰ったらしい。


 何気なく上げた腕は、所々に血の滲む包帯でぐるぐる巻きにされていた。

 気怠い体を無理やりベッドから引き剥がすと、強烈な痛みが全身に走る。俗に言う筋肉痛ってやつと、傷の痛みが綯い交ぜになって全身を駆け巡る。


「うひゃぁぁ……」


 ベッドの上で悶えていると、横から聞き慣れた明るい声が聞こえてくる。


「おはよう。ソワレ殿」


 そちらに顔を向けると、先に起きていたらしいイズモちゃんが私と同じくあちこちを包帯で巻かれた、痛ましい姿でベッドに腰掛けている。その手にはカップが二つ握られていた。


「おはよ、あいてて……」

「大丈夫かソワレ殿? 昨日は凄かったからなぁ。はい、お水」

「ん、ありがと。いや、凄かったなんてもんじゃないよ……」


 どばん!


 不意にドアが勢いよく開き、変態……もといクロコが現れた。その頭にも、何故か包帯が巻かれている。


 そして私たちの前にずかずかと歩み出るなり、静かに、怒りを滲ませる声色で話す。


「アンタら、何考えてんスか?」

「え?」

「え、じゃねッスよ! どーすんスか今日の仕事! そんなボロボロになっちゃって!」


 仕事……? 今日何かあったっけ……。


「あ」


 完全に忘れていた。今日は遺跡でグールを討伐する予定があったんだ。


「あ、でもねえんスよ! なんか二人してめっちゃ張り切るから訓練場とかすげえボロボロだし! 誰が掃除すっと思ってんスか! あ、あががが……」


 唐突に包帯を巻かれた頭を抱えて唸り出した。その表情は苦悶の色に染まっている。


「あ、えっと……、どうしたの? なんかグルグル巻きだけど」

「アンタにやられたんスよ!」

「えっ」

「なんか思いっきりブッ放すから、瓦礫やらが俺の頭にブッ飛んできたんスよ! 脳みそハミ出るかと思ったッス!」

「ああ~……」

 あの時のか……。確かにあの時は完全に興奮状態だった。冷静に考えれば、あんなのを余所様の敷地内で放つべきではなかった。


 あれ? 全面的に私が悪くない?


 横目でイズモちゃんの様子を伺うと、悲しそうにしゅんと俯いてしまっている。まるでイタズラがバレた子供のようだ。


「はぁ……。まあ、いっスよ。怒っててもどうにもなんねッスからね。重要なのはこの後ッス」

「この後?」

「当たり前じゃないスか。そんな体じゃ任務に支障が出るッス。お二人には今すぐ万全の状態になってもらうッスよ」


 今すぐって……。そんな無茶な。散々暴れまわった私が言うのもアレだけど、まともに動けるようになるまで相当時間がかかるはず。


 その言葉に、俯いていた頭を勢いよく上げるイズモちゃん。


「く、クロコ! お前まさか!」


 慌てた様に口を開くやいなや、細い目をピクリともさせずにぱちん、とおもむろに指を鳴らす。それは妙に耳に刺さる、ただの指鳴らしとは違う音の様に感じた。


「? 何をして――」


 すぐに自分の体の異変に気付いた。


 体がピクリとも動かない。まるで糸の切れた人形の様に、首から下の自由が効かない。感覚がぷっつりと途切れている!


「んぐぐ……! ちょ、ちょっと! 何よ、これ!」

「んー! んんー!」


 横から唸り声が聞こえてきた。


 動く首だけを動かしてそちらを見ると、私と同じ様にベッドを軋ませてもがく姿があった。あっちの方は、どうやら口の動きも封じられているらしい。


「あ、アンタ! 一体何を!」

「俺は何もしねぇッス。先生! お願いしまッス!」


 開きっぱなしのドアの向こうへと声をかける。 やがて奥から、深い灰色の髪を後ろで束ねた女性が一人現れた。顔にニコニコと不気味な笑みを浮かべ、ゆっくりとこちらに歩いてくる。


「先生ェ、すんません突然に。患者は二人ッス」


 先生と呼ばれるその女は笑顔のまま、値踏みをするような目で舐めるように私たち二人を見つめる。


「うふふ、お久しぶりですわ、イズモ様。私が居ない間、お元気でしたか?」


 イズモちゃんの傷だらけの体を見て、『聞くまでもありませんわね』と独りごちる。


 そしてつい、と視線を私に移して話し出した。


「貴女とは初対面ですわね。私はユエ。この街の治療院でお勤めをさせて頂いていますの。今後ともよしなに」

「休暇から帰って来たトコをお願いして来たんスよ! 神妙に治療を受けるッス!」


 治療院、と言うことは、聖術師(プリースト)? 確かに治療は願っても無い事だけれど、拘束される意味が全く分からない。


 再びイズモちゃんの方をちらりと見ると、完全に血の気が引き、完全に青ざめた顔をしている。

 まるでこれから起きる出来事に絶望している様な、そんな顔だ。そしてその出来事は間違いなく私にも降りかかる。そんな直感が走った。


 挨拶を終えた治癒術師はしゃなり、と群青のローブをたなびかせ、上品な振る舞いで私達のベッドの間へと歩を進める。


「さあ、早速治療を始めましょう。まずは、イズモ様からに致しましょうか」


 言うなり、拘束されて身動きの取れない彼女の包帯をしゅるしゅると解く。布の下からは、ソレイユの鎌による無数の切り傷が露わになる。


「むぐぐー! んんー!」


 必死の唸り声をよそに衣服をがばっとたくし上げ、露わになった素肌に手を這わせる。


「全身の裂傷。左前腕部に打撲。それに伴って尺骨にヒビ……。あらあらまあまあ、昨晩は随分とお楽しみでしたのね……!」


 行為を始めた彼女の顔は次第に紅潮していき、目は潤み始めている。間違いない! コイツ、ヤバい人だぞ!


「ご安心下さいませ、イズモ様。この程度、問題なく治療いたしますわ。ただ……」


「今までで一番、痛みますわよ?」


 言い放つと同時に、素肌を撫で回していた手が妖しく光を放つ。


「んぐゔゔゔゔゔぅぅぅッ!?」


 瞬間、獣の雄叫びの様な絶叫が部屋中に響き渡る。叫びと共に時折体がびくんと跳ね、ベッドが軋む。


「ぐゔッ! ゔゔゔゔゔぅッ!」


 明らかに異常な光景だ。通常の聖術でこんな反応を示す筈がない。


「な、何、これ……! あ、あんた! これ、ただの聖術じゃない! 一体、何を!」

「あら、バレちゃいました? 実は私、聖術師ではなくて死霊術師(ネクロマンサー)なんです」

「死霊術師って――」


 混乱する私の目に、信じられない光景が飛び込んできた。


 傷が光を浴びた所から、急速に塞がっている。

 浅く裂けた肉の両端から筋繊維が伸びてお互いを繋ぎ合わせ、左腕の痣は時を巻き戻しているかの様に引き始めていた。


「これは……?」

「うふふ。死霊術(ネクロマンシー)の本質は、死者をも目覚めさせる生命の奔流……。それを生者の体に直接吹き込むのです。素人の手習いの様な、眠たい聖術とは比べ物になりませんわ」


 まあその分ちょっぴり痛みますけど、と言葉を締めくくる。

 何を言っているんだ、どこをどう贔屓目に見ても『ちょっぴり』の痛がり方じゃない!


「おっ、があああああッ! ひぎゅッ……」


 一際大きな悲鳴を上げ、そのまま白目を向いてがくりと力なく腕をベッドの淵から垂らす。どうやら意識を失ったらしい。


 しかし筋肉に伝わる信号は止まる事なく流れ続け、無意識に激痛を叩き込み続ける。

 その後、誉れ高き騎士団の隊長は数十分間に渡り、声も無くベッドの上でのたうち回り続けた。


「――よし、と。これでバッチリ元気になりましたわね!」

「バッチリ気絶してるんですけど……」


 ベッドの上には虚ろに目を開き、身体中を汗まみれにしてぐったりと横たわる哀れな姿があった。


 その代わりに、身体中の無数の傷は跡も残さず完全に癒えている。死霊術は専門ではないけれど、並みの技術ではない事だけは分かる。


「アンタ一体、何者なの? 死霊術を治癒に転用するなんて、聞いたこともない」


 私の問いに、彼女は微笑みだけで答える。正体を明かすつもりはないようだ。


「私のことはお構いなく。さあ、次は貴女ですわ。ええと、お名前は……」


 二つの灰色の瞳が私を映し出す。このユエという女、治療法は無茶苦茶だけど腕は一流らしい。


 並みの腕では、さっきの怪我をここまで早く癒す事は不可能、精々数日かかってやっとのはずだ。このままでは仕事どころではないし仕方ない。

 腹を括ろう。どっちみち今の状態じゃ抵抗なんかできないし。


「……ソワレ。ソワレ・バントロワ」

「ソワレ様。ああ、可愛らしいお名前ですわ。心配なさらないで。さあ、体の力を抜いて、お体をよく見せて……」


 そう言ってユエは私の服をゆるゆるとはだけ、脚に冷たい指を這わせて慣れた手つきで包帯を解く。


「んんっ……」


 蠢く手は私の膝を割り開き、白く細い指が内股に滑り込む。


「ちょ、ちょっと。そんなとこ怪我してない……、く、ふぅっ」

「裂傷多数、極度の筋肉疲労。うふふ、普段はあまり運動はなさらないのかしら」

「ぁはあっ……。魔法職の連中なんか、みんなそんなもんでしょ。アンタだってそうじゃなの?」


 会話をしている間にも、肌の上を這い回る手が徐々に上の方へと移動していき、太腿、臍、脇腹と冷たい感触が這い上がってくる。


「さあ、どうでしょうか。でも、このお肌に傷が付くのは惜しいですわ。とっても綺麗なんですもの。ほら、ここにも……」


 言いながらユエはベッドに腰掛けて大きく屈み込んで私の顔を覗き込み、頰についた傷を親指でなぞる。その表情はどこか蠱惑的だ。


 私の頭の周りにしゃらりと滑らかな髪が垂れ、灰色のカーテンが広がった。呼吸をする度に、薬草の様な独特の香りが漂ってくる。


「んくぅっ……。い、良いから、早く治療してよ。痛いのは慣れてるから」

「うふふ、そうですわね。どうやらお急ぎの様ですし、ここまでに致しましょうか」


 そう言うとユエは手を引っ込めてすくっと立ち上がり、後ろに控えていたクロコに声をかける。


「え、あれ」

「クロコ様。もう結構ですわ」


 その言葉を合図に、彼は私達を拘束した時と同じく指を鳴らす。すると、夢から覚めたかの様に首から下の感覚が戻ってきた。


「え、あれ? 終わり? 痛く、無かった?」


 体を起こし、腕や手の感覚を確かめながら体を撫で回す。

 あれだけあった全身の傷が跡形も無くなり、痛みも嘘のように消え去っている。


「うわ、すっご……」

「当然ですわ。治療院でお世話になっている以上、患者様を苦しめる訳には参りませんもの」

「え、いや、だって、イズモちゃん、アレ……」


 今なおベッドにぐったりと横たわる哀れな姿を指差すと、ユエは優しく微笑みながら口を開く。


「それとこれとは別ですわ」

「は?」

「だってイズモ様が痛がる姿、とっても可愛いんですもの。私、自分に正直に生きることにしていますの」


 うっすらと頰を赤みの差す頰を恥じらうように手で覆い、訳の分からない事を口走った。

 ……ここに来てから、まともな人殆ど見てないなぁ。洗濯屋のお母さん、元気かな。

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