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あれから二日の時が過ぎた。
「日用品は~いらんかえ~」
今日も今日とて物資を運ぶ。
「ありがとう、おつかれさま」
今ではすっかり私の物資の受け取り役として定着したヘーレさん。
今日も洞窟は暗い、あれからヘーレさん達は暗闇の中を過ごす事を選んだ。
「あれから魔物に襲われはしませんでしたか?」
「グレットバットが数匹現れて、一人噛まれた。だけど噛まれただけで済んだから大丈夫だ。傷薬と包帯もあるし、問題ない」
あのコウモリの魔物か。シーニアは森より洞窟に多く生息すると言っていた。音波で周囲を察知する以上明かりの有無は関係ない。
「そうですか、土砂はあと数時間で開通するそうです。ただこれ以上は私がこちらにいると作業ができません。なので今回か次回が最後の配達になります。何か希望はありますか? なければ配達は今回が最後です」
その言葉を聞いてそこにいる皆が沸き立つ。それと同時に必要な物は無いか話し合い始めた。
長かった配達業務もようやく終わりを告げる。シャオも大分疲れているようだし、そろそろ自宅でちゃんと休ませてあげたいと思っていたところだ。
余談だが、シャオは体力が無い。いや、体力が少ないと言い換えるべきか。
その原因は明白で、今私の小指と繋がっている糸が原因である。
シャオは私に常に魔力を流し続けている。魔力の保有量が多いシャオであれば大した事はない量なのだが、人間には魔力の消費と共に消費するものがある。
体力だ。恐らくだがシャオは私に魔力を流すたびに、自分でも気付かない程度の体力を消費し続けている。
普段であればその消費された体力は一眠りするだけで回復するだろう。だがこんな状況であれば話は別だ。危険な森、淀んだ空気、慣れない遠出と慣れない環境。これでは満足に回復するはずもない。
今までは気にせずにいたが、やはりシャオに定期的な運動は必要か。この問題はシャオが体力を付ければ解決する。しかしシャオは生粋の運動嫌いだ。休日はワガママでも言って無理やり街の中を歩き回らせようか。
そんな事を思っていた時である。
私は油断していた、初めこそ周囲の物音一つ一つを警戒していたが、今日で三日目。その間何事も無く順調に進んでいたせいか、ここが魔物の巣窟である事を忘れていたのかもしれない。
と言っても、たとえ私が警戒していたとしても私はそれに気付くことは出来なかっただろう。
奴は無音で近付いて来るのだから。
奴は暗闇の中音も無く近付き、僅かな熱を発するそれに、噛み付いた。
「うわあああああああああああ!?」
狭い洞窟内に叫び声が響いた。
私も咄嗟にヘルメットの殻に篭る。
「どうした!?」
誰かが明かりを点ける。今は非常時だ、見えなければ状況も分からない。
辺りを一瞬で明かりが照らす、そこにあったのは……。
巨大な白蛇。
そこには人を見下ろす程の大きさを持った蛇がそこにいた。
「ロックヴァイパーだ!」
話には聞いていたロックヴァイパー、実物がここまでのものとは思わなかった。
太く、長く、巨大な肉体。しかしその体はしなやかで、明かりを反射する白い鱗はまるで一種の芸術品の様。
しかしその美しさは完成されていることを意味する。あの鱗は恐ろしく強靭でしなやか、ひとたび剣を振り下ろせば、鱗に弾かれ、そしてその体を沿うように受け流される。あの体は一つの鎧として完成されているのだ。
そして極めつけはあの口。
「ひぃ!」
奴は今太い何かを口に咥えている。しかしそれは人の体ではない。
私が運んだ疑似餌だ。ただの肉を丸めて塊にし、それを体温で暖めて布で包んで床に置く。するとロックヴァイパーからは人の体に見えるらしい。
ただの子供騙し……蛇騙しだが、一応効果はあったみたいだ。
「ギルルルル……」
ロックヴァイパーは長い舌をその疑似餌に巻き付かせ、あっさりと飲み込んでしまう。人の太ももくらいの大きさはあるというのに、あっさりとだ。
疑似餌は他にも複数あるが、それはもう通用しない。奴は温度を感知するが、目が見えないわけではない。今度はその目も使って襲ってくるだろう。
「ギルルルル……」
ロックヴァイパーは静かに唸る。疑似餌を飲み込みながら獲物を見つめるその姿はまるで「次は無い」と言われているかのようだ。
「……ッ!?」
私は一瞬で思案する、この状況で私がすべき行動は、最善は何だ?
答えは決まっている。
「さようなら!」
私はヘルメットの殻に篭って即座に土砂の中に逃亡した。
「ちょ!?」
「助けを呼んできますー!」
私は危険があったら直ぐに戻るようシャオに言われている。ならばそれが私の最優先事項だ、それはたとえ数人の、たとえ数百人の人命がかかっていようとも私はそれを優先する。
それに私は唯一の外側との連絡手段だ。この緊急事態、私が伝えずして誰が伝えられようか。
そして土砂も残り僅か、その移動距離はとても短く、直ぐに帰ることが出来る。
この角を曲がれば直ぐそこ……そう思い角を曲がった瞬間だった。
体が勢いよく何かに引っ張られた。
「わ!?」
私を引っ張ったのは私の小指に付く糸、この糸を引っ張れるのは一人しかいない。
「コトナ!」
気分はまるで魚、私は一本釣りでもされたかのように土砂の中から勢いよく引っ張り出される。
そしてそのままシャオに抱き止められた。
「何があった!?」
「え! え?」
フォルスさんが私に問い掛ける。
こっちが聞きたい、突然の事の連続で思考が付いていかない。
恐らくは聞こえていたのだ、あの叫び声が。土砂が多かった最初の頃とは違い今は土砂が少ない。叫べば声が届く距離はとうに過ぎていたのだ。
だからこちら側は目に見えて焦っているし、だから私はシャオに引っ張り出されたのだ。
私を抱き止めるシャオの力が強い。あの叫び声が聞こえてから私が帰って来るまでシャオは気が気ではなかったのだろう、だから私が見えた瞬間にシャオは糸を引っ張ったのだ。
下手をすれば私の小指が取れる。直るけども、壊されたくはない。
「えっと、そうです、ロックヴァイパーが現れました!」
私は混乱した頭のまま一番伝えねばならない事を告げる。
「ッ……遂に出たか! あと数時間だってのに!」
騎士達が懸念していた最も避けたい事態、それが今発生している。
私は彼等に伝えるため、何故それが最悪の事態であるか聞いている。
あの洞窟にはロックヴァイパーよりも危険な魔物は複数いる。なのに何故奴が最大の懸念事項なのか。問題はあの鱗にあった。
私は彼等の持ち物や装備を一つ一つ確認してくるように騎士に頼まれ、そして伝えた。そして判明したのだ。
こちらから運べる物、そしてあちらにある物。これらの物ではあのロックヴァイパーを倒す術が無いと。
そもそもの話、ヘビという生き物には弱点が少ない。本来の倒し方を見ても、首を押さえるといった、ただ単に人間の方が力が強かったからできた技が多い。
それが力関係が逆転すればどうなるか、打つ手が無くなるというわけだ。
では奴に最も有効な攻撃方法は何か? 答えは魔法である。
最も有効なのが火魔法だ、奴の鱗は火にも強いが熱を簡単に通す。数秒火を浴びせれば奴の鱗自体が熱せられ、その肉が一瞬で焼け焦げるらしい。
だがあちらには火の魔法使いはおろか、魔法が使える者は一人もいないらしい。
次点で、巨大な打撃武器で奴を鱗ごと叩き潰すという方法があるらしいが、あちらにそんな都合の良い武器は当然無く、私もそんな武器は運べないし、土砂の中を通れない。
よって今現在、あちらでは奴に対して打つ手がないというわけだ。最後の手段として一つだけ伝えてあることがあるが、実行はされないだろう。
全員でロックヴァイパーにしがみ付く。
あの狭い空間、恐らく一番安全なのが奴自身に張り付く事である、出来れば首筋に。当然その身に張り付かれては噛み付くこともできない。少なくともその手を離すまでは身の安全が保証される最後の最後にとれる手段だ。しかしそれを知ったとしても、あんなのに抱きつくなんて恐ろしいこと、実行に移せるとは思えない。まして全員でだなんて。
騎士達がああしよう、こうしよう、それはダメだ、そんなの無理だと言い争う。
シャオはそれを見てゆっくりと下がった。
これ以上私達に出来ることは何もない。あったとしてもしない。そういう約束で協力しているからだ。切羽詰った騎士達に無理難題を言われでもしたらたまったものではない。
「やはり今からでも小型の爆弾を届けるべきでは!?」
そう、こーんな感じの無理難題が飛んできてもおかしくはないのだ。
それを聞いたシャオは更に洞窟の外を背に下がる。
しかしそれを届ける事が出来るのはこの中で私しかいない。当然騎士達の視線は私に集まる。
「おいお前ら! あまり無茶は……」
フォルスさんが騎士達を宥めるが……。
「届けませんよ? 私は」
私はあえて先んじて回答した。
「しかし……」
騎士は何か言いたげである、だが私達との約束を覚えているのだろう。私達の安全が最優先、これはその約束に反する事である。その約束を反故にして私に行けと言えるほど図太くは無いらしい。
「ふざけないで下さい、あの狭い洞窟内で爆発物を使う? 寿命を縮めるだけです。それにロックヴァイパーに有効なのは火ですが、正確にはその熱です。断じて爆発ではありません。たとえ直撃を受けたとしてもあの鱗を突破できません。それともあれですか? まさか奴の口の中に手を突っ込んで爆弾を放り込めと、そう言っているんですか? それ確実に一人死にますよね」
私は魔物については知らない、当然ロックヴァイパーの事もよく知らない。ただ私の拒否の正当性を主張するために聞いた情報で正論を唱える。
行ってくれ、その一言は絶対に言わせない。その一言を拒否すれば私達が悪者みたいになってしまうではないか。
「私達が協力するのはここまでです、馬鹿な作戦に命を懸けるのは貴方達だけでやって下さい」
私は騎士達に向けて敵意を込めて強く言った。
完全な拒否の姿勢を前面に押し上げて見せ付ける。そしてそれをシャオにさせてはならない。
シャオは罪人である、法律を守る騎士相手では立場が悪過ぎる。ならばそれを運ぶ魔法自身が拒否しなければならない。たとえシャオを説得しても私は説得できないと態度で示すのだ。
洞窟の奥の彼等には悪いが、最優先はシャオの命、次点で私の命である。
「その通りだ、命懸けは僕達だけで十分」
不意に洞窟内に声が響いた。