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「私に掃除をさせて私を汚しにきましたね!」
普段掃除のしてない箇所を私に掃除させることで、必然的に私が汚れる。
それを大義名分に、シャオは私を洗おうとしていたのだ!
洗濯物が後回しなのは、私が今着ている服も洗ってしまうつもりなのだろう。
強い日差しのある休日、そして朝を選んだのは恐らく私の体が乾き易いから、これがシャオのせめてもの優しさか。それとも塗れた私を学校には連れていけないからか。
「違うよ! 元々今日はコトナを洗おうと思っていたもん! 掃除はついでだよ!」
それこそ違うな、この掃除は間違いなく計算の内だ。私が汚れたら私に逃げ場が無くなる。私も流石に汚れたままの姿で人前に出るのは気が引けるからだ。精神的に逃げ場の無くなった私をじっくり料理するつもりだったのだろう。
ああ、私は悲しいよシャオ。何故こんな悪知恵まで身に付けてしまったのか。
いつもの私に優しいシャオはどこへ行ってしまったのか。
「何度も言ってますが、ちゃんと理解していますか? 私は魔法ですが、木材です! 水を吸うんです! 体が不自由になるんです!」
ご存知だろうか? 私は木材だが植物ではない。水をかけても成長しないし、日光を浴びせても喜ばないのである。
なのになぜ私が植物の如く水を浴び、畑の如く日の光に身を委ねねばならないのか。
いや、私の場合水に沈められるのだから植物のほうがまだ扱いが良いくらいである。
「とぅ!」
私が必死にシャオを説得している中、それを嘲笑うかのような一撃がシャオから放たれる。
私がまだ話しているのに!?
私は全身を翻してそれを回避する。
「……でもコトナの体を洗うことは必須だよ? だからそれは仕方の無い事だよ」
攻撃を仕掛けてきたくせに話は聞いていたらしい。
しかしシャオの言っている事は尤もで、この舌戦における最大の武器になっている。
ならば別の所から攻めるしかない。
「じゃあ水洗いにしましょう。お風呂は止めましょう」
そう、あくまで私の体を洗えれば良いわけで、お風呂である必要はない。
これが私の会心の正論で、最大の妥協点だ。これ以上の譲歩はできない。
さぁ、この正論にシャオはどう返す?
「やだ」
私の期待とは正反対、シャオは再び私に手刀による突きを放ってきた。
舌戦にすらなってない!?
私はその突きを、体を更に浮かせることで回避する。
私の会心の理論を、たった一言でいとも容易く返された。しかもとんでもない暴論で。
酷い、酷すぎる。正論もただの拒否で返されれば私に一切の分が無いではないか。
ならばシャオの精神面を攻めるしかない。
「私は前世の性別が分かりません、つまりは私は前世では男であった可能性が五割程あるわけです。そのような物に無闇に肌を晒してはなりません」
シャオに道徳を教える。前々からシャオはちょっと女性としての意識が足りないと思っていたのだ。良い機会である。
とは言ったものの私が本当に前世が人間だったかも怪しいが。
しかし返ってきたのはシャオの恥ずかしがる声などではなく、むしろとても男らしい手刀による突きだった。
分かっていた、分かっていたとも。シャオだもの。私はその手刀を難なく回避した。
変態に道徳を説くという発想自体が間違いだった。道徳心が欠けているから変態が生まれるのだ。
シャオは研究者志望の癖に、力で解決しようとする事がままある。今回もそうだ。
シャオは面倒になると手が出るタイプである。
「コトナはコトナだよ、どっちでもないし、どっちでもいい。私は気にならないし、気にしないよ。それにコトナは家族だもの、一緒にお風呂くらい普通だよ」
それは違う、もし私に前世の記憶があり、男であったならば、ここで大義名分を以て断る事ができるのだ。
そこにシャオの意思が入る隙間など一切無くなるのだ。
「その家族でお風呂というのもおかしいです。シャオももう14歳でしょう。それくらいの年齢ならば家族でももう一緒には入ったりしないものです、親しき仲にもなんとやらです」
「コトナは人形だから大丈夫」
即答、そして手刀。
ええい、返答と同時に攻撃するでない。
「逆です! 人形だからダメなんです! 何かと入りたければオモチャのアヒルとでも入ってください!」
「アヒルは家族じゃないもん」
即答、そして手刀。
酷い、アヒマロとかいう意味不明な名前まで付けていたくせに家族ではないと申すか。アヒマロが聞いたらなんと思うだろう。
だが手刀にもそろそろ慣れてきた、このまま見切ってしまえばいつまででも回避できるかもしれない。
「そもそもなんでそんなに私の体を洗いたがるんですか」
そう聞くと、シャオは不思議そうな顔でこっちを見た。
「ああ、なるほど……」
そしてシャオは一人で納得した様な表情をする。
今の私の発言から何か感じ取ったのだろうか?
「違う、違うんだよコトナ」
シャオはゆっくりと左右に首を振る。
「私は別にコトナを洗いたいわけじゃない」
? 言っている意味が分からない。その目的がなければそもそもこの話になっていない。
「私はコトナとお風呂に入りたいだけだもの」
「変態だー!?」
衝撃の告白に私は愚かにも叫び声を上げてしまう。
「隙ありッ!」
「はっ!?」
私の刹那の心の揺らぎ、動揺、それをシャオは見逃さなかった。否、待っていた。
今までと同様の鋭い突きによる捕縛。
しかし今までとはわけが違う、明らかに今までよりも速く、鋭い。
温存、していたのだ。シャオは。
この一瞬の隙を正確に突くために。
先程私はシャオの攻撃に慣れたと言ったがそれは違った、慣れさせられていたのだ。私の油断を誘うために。最高の一撃を最善のタイミングで放つために。
その結果私はその突きを見切るどころか、反応すらできず捕まってしまった。
私はシャオの事を完全に理解したと心の内のどこかで思っていた、しかしそれは間違いだったと言わざるをえない。
まだまだ、甘かった。才能はなく成績も普通だが、自分の望みを叶える時だけに限りこの子は天才の域に足を踏み入れる。
その一瞬に賭ける情熱と計画と判断能力がずば抜けている、この子だからこそあの魔法を成功とさせる事ができたのだろう。なぜこれを普段に生かせないのか。
一体どこからが計算だったのだろう? 朝の日差しを見てから? それとももしかして昨日、もしくは前回のお風呂騒動から……。
末恐ろしい、この恐ろしさが今後一生続くのだと考えるだけで頭が痛くなる。
「ふふふ、私の勝ちだね」
「やだー! ばかー! あほー!」
ここで話は冒頭に戻る。
そう、冒頭の時点で私は既に捕まっていたのだ。
私はシャオの両手の中で暴れるが無駄な足掻きである。私は少女にすら力で圧倒される程貧弱なのだ。単純な力勝負では人間相手には勝てる気がしない。
「私の勝ちだから私の好きにしていいよねー」
「そんな話は聞いていない! そもそも私に勝ち目がない!」
「私を説得できたら勝ちだった」
議論を放棄したくせに何を今更!
シャオは手際よく私の服を剥いでいく。
「あーれー」
私の服は私専用で、そもそも脱ぐことを想定されていない超ピッタリサイズの服である。この服は私ですら一人では脱ぐことはできない。
しかしシャオはこの服を手際よく素早く脱がしていく。未だ手の中で暴れもがく私の服を、だ。これが変態のなせる技か。
なんて言ったりもしてみるが、このシャオにとっては当然の事なのかもしれない。
幼い頃から私の持ち主で、しかも最近まで私を魔法の媒介とするための改造を幾重にも行なってきたのだ。シャオの事だからいちいち私の服を戻していたのだろう。
つまりシャオにとっては私の服を脱がす事などおちゃのこさいさいなのだ。
服を剥いで満足したシャオは私を放してくれる。
シャオは知っているのだ、服を取った以上私がもう逃げないということを。
服が奪われてしまった今、私は一糸纏わぬ姿で逃げ出す程恥知らずではない。
シャオと違って私には恥じらいがあるのだ、シャオと違って。
「……アレはどこですか」
「えっと……あった、はい」
アレとは、お風呂初日にシャオがさくっと作ってくれた私専用のミニタオルである。
製作時間5秒程度、タオルの端を少し切っただけの物だ。
薄布一枚だが、こうなってしまった今これが私の最後の砦である。
なお、この砦は一分で瓦解する。
――☆――
「お湯が気持ちいいねぇー……」
「うぇぇー……お湯が気持ち悪いぃ……体に染みるぅ……」
同じ場所にいるのに正反対の感想である。
あれから私はシャオによってお風呂に入れられていた。
身にも心にも私にお湯が沁みていく。体は重くなり、心は荒んでいく。
私は丁度私の半身が浮く程度に、シャオの胸の前で抱えられている。
余談だがシャオはとても平たいので私の邪魔になる事は一切ない。
「……ごめんね、コトナ。無理に付き合わせて」
おや? 前回とは打って変わってしおらしい。
前回は沈められたり掲げられたり浮かべたアヒマロに座らせられたりと、とても騒がしかった。
途中から、私は人形私は人形と当然の自己暗示が必要であったくらいである。
しおらしいシャオは珍しいと言えば珍しいが、シャオらしいと言えばシャオらしいとも言える。
「別にいいですよ、良くないですけど」
「どっちなのそれ」
「どっちもです、人形心は複雑なのです」
本気で嫌ならばもっと本気で逃げている。最終手段も辞さない覚悟だっただろう。
しかしシャオの言い分には全く納得できないが、シャオの気持ちの方はこれでも理解しているほうなのだ。だからこうして甘んじて(?)捕まり、体に湯を沁みさせている。
シャオに両親はいない、父の方は幼い頃かららしいが、母の方は先日酷い事故で亡くしたと聞いている。
それはシャオの心に大きな傷跡を作った。その傷は今でもシャオの中で疼いている。
そんなシャオを支えたのがシャオの研究室のメンバーと、まだ私が宿っていないこの人形であったとそのメンバーの一人、《レイシス・イーグナー》は語ってくれた。
あの時のシャオは本当に色々な意味で怖かった、と。
お母さんのためにも私は死ねないと、口ではそう強く言うのに毎日何かと戦っているかのように疲弊して、今にも死んでしまいそうだったと。
何処からか怪しげな魔法書を拾って、取り憑かれたかのように熱中してとても不安だったと。
そしていつの間にか、私が出来たそうだ。
そこからは、私も覚えている。
初めてシャオを見たときは本当に酷い状態だった。綺麗な紅い長髪がボサボサになっていて、今よりもずっと痩せていて、何日も寝ていないかのように目の下に隈を作っていた。確かに客観的に見れば今にも死んでしまいそうな状態だったとも言えると思う。事実私の目の前で倒れたし。
しかし、その芯は折れてはいなかった。
私を見るその瞳には確かに光があった。
私に語りかけるその彼女の言葉には、心の底から燃え上がるような情熱があった。
『私には君が誰だか分からない、君は私の事を一切知らない。それでも、それでも私には君が必要だ。私は君が欲しい。私の、家族になってほしい』
あの時の彼女の言葉には、急に起こされ記憶が一切ない私の心にも確かに響いた。
もしあれが嘘であったりその場凌ぎ等であったならば私の心には響かなかったと思う。
そしてそのまま禁術の書の示す通り……。
……後にレイシスは語る。あの時から打って変わってシャオは本当に元気になったと。下手したらお母さんが生きてた頃よりもずっと元気になったかもしれないと。
その結果犯罪者になったり王様に呼ばれたりと色々あったけど、これで良かったんだと思うと言っていた。
私はその時のシャオを知らないが、今のシャオは元気だと言えるし、私も今のままで問題ないと思う。
心の傷が気になりはするが、彼女はまだ子供である。正直無理もない。これに関しては時間が解決する事を祈るしかないだろう。
だからシャオが心に区切りを付けるまではこうして無理に答えてやるのもやぶさかでは……。
「えい」
「ごぼぼぼぼ」
唐突にシャオに沈められる。
そしてゆっくりと引き上げられる。
「なにするんですか」
やぶさかである。
ああ、頑張って顔だけは濡れるのを避けていたというのに。
そして全身に満遍なく水が沁みたことで肌の色が変わり、褐色人形の完成である。なお顔だけは陶器で水が沁みないので顔だけはそのままだ。それでもやはり濡れるのはあまり気分が良くない。
「なんか難しい顔してたから」
つまり特に理由はないらしい、なんと酷い。
「そりゃ」
「ごぼぼぼ」
まさかの二度目、二度漬け。
まだ濯がれるには早過ぎないか?
「無意味に沈めるのは止めてくれません?」
流石にこれは抗議せざるおえない。
「えへへ」
しかし何故かシャオはどこか嬉しそうに笑う。
まったく、何が面白いのやら。