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後編

夏にしては珍しく、柔らかく晴れた日の午後のこと。家族はテーブルを囲んでいた。

「文哉、昨日もおじさんは見えたのか」健吾の問いかけに文哉はこくんと頷く。

「どこにいたかママに教えてくれる?」

「公園にいた。ジャングルジムの下から僕を見てた」

「そうか」

リビングに掛け時計の病死の音が響く。

「パパもママも僕が病気だと思ってるんでしょ」

文哉が目を潤ませて健吾を見た。

「ごめんな、文哉。パパたち今まではそう思ってたんだ。でも、でもそう思うのはもうやめにしたんだ」「えっ」「パパたち、文哉を信じる。そして、その怖いおじさんが見えなくなるように一緒に考えたいんだ」

「だからね、文哉がいつから、どんな感じでおじさんが見えるようになったか教えてほしいの」そう言って碧が文哉の小さな頭を撫でる。「いい?」文哉がまたこくんと頷く。

「パパの家に行ってからおじさんが出てくるようになったんだ。黒い服を来てたり、茶色の服を来てたり、最初は夜中に窓の外にいることが多かったんだけど、だんだんと明るい時も出てくるようになったの。僕のことをずっと見てるんだ。そして僕が目を離すといつの間にかいなくなってる」必死に説明しようとする文哉を健吾はどうしようもないくらい守ってやりたくなると同時に自分を思いきり殴ってやりたくなる。我が子がこんなにも思い悩んでいたというのに自分ときたら。

「そのおじさんは誰かに似ているとかはあるのかな」碧が質問する。

「うぅん……」文哉は何か言いにくそうにしている。そして小さくつぶやく。「家のおじさん」「それって、城久さんのこと?」碧が訊くと文哉は小さく頷いた。健吾と碧が目線を合わせる。

「そんなわけ――だって城久さんはそもそも生きてるし……」

とはいえ、文哉は生きている人間を見ていると主張しているんだ。可能性はゼロではないと健吾は考えてしまう。

「似ているってだけだから、本人かは分からないわ。ただ、あのくらいの年代の人が文哉には見えているってことなのね」

仮に生身の人間が文哉を付け回しているとしたら目的が分からない。そして、関係ないはずと分かっていても健吾の頭の中を駆け巡るのは、時同じくして自分の前に再び姿を現した30年前の事件だった。児童複数誘拐監禁事件。犯人は捕まっていないんだ。でも、ここはI県ではない。では、まったく別の犯人が文哉を狙っているというのだろうか。

「じゃあこうしよう。パパもママも文哉がおじさんに何かされたらすごく悲しいし、怖い。それは文哉も同じだろ?」「うん」「だから、できるだけ外に出る時はパパかママと一緒に出るんだ。小さい頃みたいに夜も3人で一緒に寝よう、な」「うん」


その時、健吾のスマートフォンが不意に鳴りだした。被通知からの着信だ。

恐る恐る電話にでる。城久からの可能性もあったからだ。

「もしもし―――」

「あっ、健吾先輩っすか? 俺です、二宮です」

電話口から若々しさが溢れるような声。心霊写真家兼ライターの後輩である、二宮大輔にのみやだいすけだった。今は別の出版社でライターをしていると本人が言っていたのを健吾は思い出した。

「あぁ、大輔か久しぶり。どうした、突然電話してくるなんて」

その声を聞いた碧と文哉の緊張が弛緩するのを健吾は感じた。

「先輩、釣れないっすねぇ。先輩が30年前の誘拐事件を調べてるって風の噂で聞いて、俺、その取材をしたことがあったんで電話したんすよ。ほら最近、見つかった会社員の変死体。あれ、被害者の一人だったんですよ。だから心配になっちゃって。先輩、やっぱりあれの関係者だったんすね。潤谷なんて苗字珍しいし年齢もドンピシャだったから一発でピンときましたよ」

そのワードを聞いて飛び上がった。

「知ってること、教えてくれ」

「もぉ、そんながっつかないでくださいよ。叙々苑一回でいいっすか」

「わかった、何でも奢るから教えてくれ」

その時、潤谷家のチャイムが鳴る。「はーい」と碧が出ていこうとすると、文哉がそれを追い越すように玄関へ向かった。

「おれ、たぶん犯人分かっちゃったんですよ」

「誰なんだ」

「驚かないでくださいよ。あと気を付けてください」

「え」城久の顔がちらつく。まさか。

「健吾さん、浅岡さんよ」玄関から碧の声が聞こえてくる。彼が直接訪ねてくるなんて珍しい。「あぁ、上がってもらって」何かわかったのだろうか。と二宮に生返事を返しながら

健吾は思いを巡らせた。

「ん、お客さんすか」「あぁ、大丈夫だ。それで、誰なんだ」

その時、文哉が全速力で走ってきて健吾にぶつかる。その拍子に電話を床に落としてしまう。

「おっと、どうしたんだ文哉。ほら、浅岡さんに挨拶して」

ぶつかったままくっついて離れない文哉は浅岡を指さすと言った。

「この人が、おじさん」



「先輩、どうしたんすか?先輩?」

床の電話から二宮の声がわずかに聞こえるが、もうその声は誰の耳のも届かなかった。


「え」健吾と碧の動きが止まった。

「やぁ、文哉くん。顔を覚えててくれたんだね」

「そして、潤谷ぁ、いや、健吾ちゃん久しぶりだなぁ」

浅岡が今まで見せたことないぐらいのニタァっとした笑顔を見せた。

「痛かったんだぞぉ、この傷。もう、可愛い可愛い健吾ちゃんは忘れちまっただろうけど、冬になるたびに痛むんだよぉ。でも、その度に健吾ちゃんを思い出してたんだぞぉ。なぁ、もう、おれは時効だろ、だから改めてあの時のご主人様として会いに来たんだ。ずっとこの時を待ってたんだ」

「浅岡先輩、冗談やめてくださいよ。だって、俺と先輩はこの業界に入ってから知り合ったはずじゃ―――」

「健吾ちゃんは何にも変わらないなぁ、純粋無垢っていうのかなぁ。偶然会社で健吾ちゃんを見かけた時はビックしたんだよ。まさかあの時逃げられたペットとこんなところで再会できるなんてってね。甘い顔をして近づいたらひょいひょいと着いてくるのは30年前と何にも変わらなかったよ。お前みたいな名もないカメラマンを起用して編集長に推してここまで面倒見てやるなんてどう考えたっておかしいじゃないか。食うか食われるかのこの業界でよぉ。それを疑いもせず「先輩、先輩」って犬みてぇに。挙句の果てにあの事件の調査まで俺に頼む始末ときた。笑いをこらえるのが大変だったんだぞぉ」

健吾は足元からすべてが崩れていくのを感じた。あの時電話に出た浅岡のどこか嬉しそうな声。若手の頃から常に健吾を支え、アドバイスをくれこの世界での生き方を教えてくれた浅岡があの事件の犯人だなんて。

「でも、どうして、文哉を」

「そんなこともわからないから健吾ちゃんはまだ半人前なんだよなぁ。似てるからに決まってるじゃないか。昔の健吾ちゃんに。可哀想になぁ、パパからもママからも頭がおかしい子だと思われちゃったんだろぉ? ちゃんと俺のことを見てくれてるだけだったのになぁ。大変だったんだぞぉ、窓の外から鏡を使って覗いたり、毎日、毎日文哉君に見えるように生活を重ねていくのはよぉ。俺のペットにしようと思ったんだけど、思ったよりも早くばれちゃったなぁ。ったく、二宮も変な気を利かせるからこんな急ぐ羽目になっちまったんだ」

「なんで大輔のこと……盗聴器か―――」

「察しがいいねぇ。その辺は大人になった証拠か。おじさんはぜぇんぶ知ってるんだ。さ、文哉くん、おじさんと遊ぼっか」

文哉は涙をこらえながら首を横に振る。碧が文哉の元に駆け寄って震える彼を抱く。

その刹那、浅岡の何かが切れた音が健吾に聞こえた気がした。

「親子そろって俺を拒絶するとはいい度胸じゃねぇか。あぁ? もう面倒だ、みんな死ぬか」

浅岡は左手に持っていたサイドバックからサバイバルナイフを取り出す。

「まずは健吾ちゃんだ、その後で嫁さん、最後に文哉くんと遊ぶことにしようかな」

そして、健吾は考えるよりも先に体を動かしていた。まずはあのナイフを奪わないと。そのことだけを考えていた。

「っっっ――――」

そして、右の手のひらに違和感が走る。そして、次に襲ってきたのは急激な熱さ。健吾は一瞬火傷をしたのかと思った。しかし、それも自身の手のひらが先決に染まっているのを見て思い直す。切られたんだ。

「きゃぁぁぁぁぁあ」

碧の悲鳴が室内に響く。

切られながらもなお、健吾は浅岡の右手を抑え続けた。力を込めるたびに血が流れていくのを感じる。フローリングに血だまりが広がっていく。

「もう諦めたらどうだ。誰か一人じゃないんだ、みんな一緒に死ねるんだからよぉ」

浅岡はもう白目を剥かんばかりの表情でナイフを持つ手に力を込める。手負いの健吾にはそろそろ限界が近づいていた、

そして、その時だった。

「もうその辺にするんだ、浅岡」

リビングから玄関に通じるドアの所に男が立っていた。驚いた浅岡はナイフを健吾からその男に向けた。文哉がすかさず健吾の元に駆け寄る。この騒ぎの中で男が玄関から入ってきたことに誰も気が付けていなかったのだ。

「城久さん?」碧が囁くように声を漏らした。

「ええ、遅くなってしまいすみませんでした。すでに警察は呼んであります。浅岡、それ以上罪を重ねる前にもうやめるんだ」

「あぁ?誰だお前?知らねぇ奴に指図される覚えはねぇんだよ」

あくまでも城久は落ち着き払っていた。まるで感情なんて全てどこかへ置いてきたかのように。

「あんたはもう覚えていないのかもしれないけどな、私には息子がいたんだ。今もいれば、健吾さんより少し上だろうな」

「おいおい、もしかしてあのガキがお前の息子だったのか。あぁ、思い出したぞ、その目、そっくりじぇねえか。健吾ちゃんの下の檻に入れてたんだったなぁ」

二段ベッド。鳴き声。健吾の頭の中でまたフラッシュバックが起こる。

「そうか、思い出してもらえたようだな」

「あぁ、ピーピー泣きやがってうるせぇから殴ったら動かなくなっちまってな」

城久の表情がわずかに変わるのを健吾は見た。

「そうだ。あの事件の唯一の死者。それが私の息子。城久凛ぐすく りんだ」

「はぁ!こんなところでまたしても運命の再会があるとはな! 俺はツイてるなぁ」

浅岡は歓喜の咆哮を上げる獣の如く声を張り上げた。

「よし、こんないい日だ。やっぱりみんな一緒に死ぬか」

そうして、浅岡は手にしていたナイフを城久に向けて振り上げた。しかし、早かったのは城久の方だった。機敏に体をひねってナイフを避けるとスッと浅岡の足元にしゃがみ、そこから屈伸で立ち上がる勢いを使って一気に顎めがけて右手で掌底をいれる。頭を揺らされてふらついた浅岡は2,3歩後ずさりする。そして、そこから右、左、右と正拳を溝内に叩き込むと浅岡はいよいよ膝をついた。

「わかった、わかった、もう何にもしねぇから、もうやめてくれ」

息も絶え絶えになった浅岡が城久に懇願する。

「ほら、ナイフも渡すからよぉ」

そう言われて城久は攻勢の手を緩めてとナイフを受け取るそぶりを見せる。しかし、次の瞬間、城久がとった行動はそれではなくかっちりと着込んでいたスーツの胸元から拳銃を取り出すことだった。ぴったりと浅岡の額に当てられた銃身は鈍く光っていた。

「お、おい、降参だって、ほら、警察に生きたまま引き渡さないといけないだろ。お前が殺人犯になっちまうじゃねぇか」

もはやどちらが説得をしているのか分からない状況だった。

「私はお前さえ殺せればもう何でもいいんだ。息子の無念、その他の子供たちに刻み込まれた恐怖の記憶、お前は死をもってしても償いきることなどできない罪の深さだ」

「やめてくれぇ」

浅岡の悲痛な叫びはもう、城久の耳には届いていなかった。ゆっくりと撃鉄を起こす音、その刹那、乾いた音が室内に鈍く響いた。

そして、白目を剥いた浅岡が健吾の垂らした血だまりに倒れ込んだ。城久は拍子抜けしている様子だった。そして、その後ろに立っていたのはこともあろうか、炊飯器を抱えた碧だった。

「重たいものと思ったらこれしか思いつかなくて」

そう言って彼女はハニカミのような複雑な表情を浮かべた。

健吾は痛む掌のことも忘れて家族を抱きしめた。

遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえる。

30年にも及ぶ因縁がようやく終結したのだった。


全てが落ち着いた後で健吾は城久から話を聞くことができた。

事件当時、所轄の警官として勤務していた城久は身内が被害者の事件ということもあり、捜査から外された。失意の城久は警察を退職、実家の不動産屋を継ぎつつ、独自路線での捜査を続けていた。早い段階から浅岡は捜査線上に上がってきたものの、物証が一向に出てこなかった。そんななか、不動産の仕事の中で健吾の父に出会った。息子たちの不遇。そんな共通点で結ばれた父親たちは何かあったときは息子を頼むと依頼して先にこの世を去っていったということだった。たとえ別件だったとしても浅岡を捕まえることができれば何かしらの糸口が手に入るはずと踏んでいた中で健吾一家に接近しだした浅岡をずっと見張っていたそうだ。つまり、文哉は一人は狙い、一人は守ると目的は対極の2人の「おじさん」を確かに見ていたということだった。


「色々あったね」と碧が健吾の背中にもたれた。

部屋の中にできた陽だまりの中で息子が気持ちよさそうに昼寝をしていた。

健吾は背中に感じる大切な温度を感じた。「あぁ、まさか親父が俺の二段ベッド嫌いを克服させるためにあえて2段ベッドを使わせてたなんな」

「お父さんなりに健吾さんのことを想っていたのよ」

「そうだな」

「でも、あたし、文哉のことあんまり心配してないの。不思議よね。あんなに気が気じゃなかったっていうのに。なんだか、あの子、大丈夫がするの」

「俺もそう思う」

「でもね」

「ん」

「心霊写真家やらせるのだけは反対だからね」


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