遺書のようなもの
拝啓 世界中の皆様
楽しんでますか? 人生。盛り上がってますか? 気分。
僕はもう、最悪ですよ。最悪最悪。何もいいことないんだもん。どうしたらいいものか。
え? なんでいいことないのかって? 僕の経歴聞いてくださいよー。
「何もない」!!!!!!
すごくないですか? ある意味!! 何もね、いいところないんですよ。
価値とか魅力とか、そういうのないんですよ。だからといって努力もしない。
これ、死ぬしかないでしょ? 困りましたね、でも仕方ないんです。
世の中の人ってね、死にたいって言ったら、こう言うんです。
「そんなことくらいで死ぬなよ、もったいない」
「少し休んだくらいで取り返しのつかないことにはならないわ。休みましょう」
「死ぬのはやめておけ、生きていればいいことがあるよ」
でもね、これらの言葉ってすごいんですけど、どこにも根拠ないんです。
少し休めばずれると思いません? マラソン一緒に走ってて、友達が突然ギアチェンジしたら追いつけないでしょ。僕がマラソン得意で追いこみかける時点を考えているならまだしも、ただ運動音痴な奴だったらアウトですよね?
世界って、すごくすごく無責任。綺麗事は言えるけど、本当のことは言えないんです。
正直に言ってくれればいいのに。無価値な奴はいらないよって。そのほうが、何倍も楽です。
ある年齢になった時点で、これこれのことができていない君は死刑ですよって、言ってくれた方が楽ですよ。変に期待させる世界は、むしろ残酷ですよね。信じていれば夢は叶うんじゃなくて、努力すれば夢は叶うんだって、最初から言ってくれればいいのに。
信じるとか、諦めないとか、そんな精神論と根性論で、何も変わらないことを、僕らは知っているんですよね。信じる者は救われると言うけれど、あれは信じているので、救われている気になるのです、が正解ですよ。神様を信じてるから、神が死ねと言えば殉教なのです。違いますか? そうでしょう。
聖戦があるでしょう? 神が言うなら人も殺すのです。隣人愛とはなんだったのか。所詮人は、精神論を上手に使って生きているのに過ぎないのですよ。
さてさて、これは遺書ですから、僕の話をしますけど、僕ね、人生に失敗しまして。
仕事ないんです。家族も恋人もいない。学歴もない、資格もない。さっき言ったでしょう? 何もないって。
本当に何もないんですよ。何かを作る努力をしてきませんでした。
生身の姿で戦えるって思ってたんです。ありのままの自分が一番だって。
でもね、嘘なんですよね、これって。僕、気付いたのが遅くて遅くて。
最強の戦士は、最強の防具を身につけて、最強の武器を持って戦うんですよ。裸なんかで戦わないんです。
なのに僕ときたら、そのままの姿で生きていけるって思ってたんです。
努力はしたい奴がすればいい。だって、自由な世の中なんだから。
付加価値は、付けたい奴が付ければいい。だって、自由な世の中なんだから。
でもね、よくよく考えたら、ある奴とない奴なら、ある奴を選ぶんですよね、普通。
胸があるのとないのと、どっちとります? 言うまでもないですよね。
今のは失礼でしたけど、でも、そうじゃないですか? ある奴をとりますよね、何事も。
あることが大事なんであって、ないのであれば、意味はないんですよ。ないんだから。
無価値。無意味。そんな存在に、気付けばなっていたんです。
僕は、努力を全て捨ててきました。とりあえず、できることだけやってきました。
だから、何もないんです。付加価値が、何も。
できることというのは、僕だけが、あるいは限られた人間だけができるという意味ではなくて、誰でもできることをしてきたという意味です。つまり、凡人も凡人。何の変哲もない、どうしようもない人間であるということです。そんな僕が、どこで必要とされるでしょう。
人間は、一人では生きていけません。それはなぜか。必要とされなければならないからです。
あなたが必要だから、働いてほしい。その代償として、お金を渡す。お金がもらえれば、とりあえずその日は生きていけますね。そうやって成り立っています。
誰にも必要とされないとどうなるでしょう。何かをしたいと思っても、いりませんと言われます。いてもいなくても一緒ですから、生きていようが死んでいようが構いません。
実態としてはあるかもしれないけど、認識はされない。空気のような存在になります。
空気って、なくなって初めて気付きますよね、そこにあったんだって。そんな感じですよ。
何もないと思われて、実際に何もなくて。だから死んでみたら、あ、そういえばいたねって。
そんな存在になって、どうしようもなくなって、僕はとうとう、死ぬことにしたんです。
あ、0には意味があるじゃんって反論する人いると思うんですけど、違いますよ。0は、ないってことを証明するために存在している、つまり「ある」ものですから、0はないものじゃありません。そこは、悪しからず。
さてさて、そろそろ太陽が昇ってきましたよ。きれー。
明日がまたやってくるんですね。あ、もう今日か。
街はずっと動いてますね。相も変わらず同じことを繰り返し繰り返し。
本当は少しずつ違うんでしょうけど、僕にはその違いがわかりません。何もないので。
でもまあ、こんな人生もよかったかもしれませんね。
何もないし、何も得られないし、必要とされないし、どうしようもなかったけど、最後にこんなに綺麗な朝日が見れて、これはこれで幸せだったかもしれません。
自分の影を見て、まだ生きてるんだなって思ってます。僕たちは、生きている実感を、何かに頼ることでしか得られないんですね。誰かに肯定してもらうのか、鏡を見て思うのか知りませんが、他者と言う存在なくして、自分の存在を知ることはできないんですね。生まれたばかりの赤ん坊は、わけもわからず手を伸ばし、触れられた手を握り返しますが、あれは自己認識の最初かもしれません。
さあ、これくらいにしましょう。長すぎます。遺書とは本来、感謝とか恨み辛みを書くものでは? しかし僕にはその相手がいませんので、宛先も世界中の皆様ですし、特に意味のないことを書き殴っているのです。ああ、そうか。僕には相手がいなかったから、何もなかったのかもしれません。
最後になりますが、皆様どうか、楽しく人生をお過ごしください。
世の中甘くないですから、気を引き締めていきましょう。
夢とか希望抱くのは実力がついてから。愛とか恋とか、そんなのは戦略的にいきましょう。
皆様が善き人生を歩めますよう、心から、お祈りしています。
さよなら、顔も見たことのない皆様。 敬具
飛び降り自殺だった。20階のビルから真っ逆さまに飛び降りたものだから、顔はぐちゃぐちゃ。どうしようもなかった。
「葬儀はどうなるんだろうな」
「遺書に身内はいないようなことを書いているから、こちらでなんとかするしかないだろう」
「生きてりゃなんとかなったかもしれんのに」
「希望が持てない未来なんて、抱えてても辛いだけだな」
誰も困らなかった。誰も何も思わなかった。ただ、ビルのオーナーは少し困った。地価が下がるので。
誰も泣かなかった。誰も苦しまなかった。ただ、少し世間は騒がせた。
何もない者はどう扱うべきか?
何もない者など、はたして実在するだろうか?
彼には、魅力がきっとあったはずだ。周りが気付けなかっただけで?
彼の死は、世界中のみんなの中に引っ掛かりを残した。
「生きるって、なんだろう」