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掌編小説 自選集

掌編「火山に棲む竜」

作者: 蓮井 遼


お読みいただき有難うございます。




ぺリオスの国ができるずっと昔のことである。まだふもとの山の火山活動が盛んであったころ、人間が勢力を拡げる前は、活発な噴火により地上で暮らす生き物はまだいなく、このペリヴォス山の内部に空洞があり、そこに竜が一頭いたくらいである。竜にとってはいつまでも止まぬ火砕流や軽石、粉塵や噴煙などが舞っていくなかで過ごしていく日々が日常であった。そのため、時々火山から飛び出て空を駆け巡る時には翼は黒ずみ、噴出するものに当たらぬように注意しながら飛び回ればならなかった。

 この竜は千年ほど生きていたが、自分がどのくらい生きているかなど竜は思わなかった。ただ、竜はこの気づいた時にはあった目の前の世界がいったい何なのかと関心があり、飛行して見つけたものや自分の考えたものを固まったマグマに自分の爪で刻んで、記録していくようにしていた。彼なりの記号はあったが、それは見たものの外観の特徴的な部分だけを記号に簡略したり、こうだと思った自分の形而上的な部分は何か新しい記号を自分で発明して、覚えられる範囲で自分の概念を記号化していた。だから彼は若かったころより動きが鈍くなり、身体が疲れやすくなることはあるとしても、いつまで探してもよくわからなくこの目の前に世界に置き去りにされているような感覚に陥り、さっさと目の前の世界から自分自身を消し去ってしまいたいと思うようになってはいたとしても、未だに目の前の世界への関心というのは炎のように消えてしまうことはなかった。つまり、自分が生きている限りこれは最終的な標にはたどり着くことなく続く終わりなくして終わる探究なのだと竜は思った。

 彼はこの山に一頭で暮らしてはいたが、その二百年前くらいには他にも竜がいてともに暮らしてはいた。この竜に子供はいたのだが、幾ら幼かった子供の竜が自分と同じくらいの体格と知力と分別を備えたとはいえ、自分より後に死んでくれるという保証はなかった。竜だって臓器を持つ生き物には変わりなく、竜の子供は獲物を探している間に降ってきた溶岩に運悪く急所に打たれ即死してしまった。当然帰ってこない子供を見て竜は心配になり、子供を探しにでかけたのちに子供の死を目撃し、心が滅入ってしまっていた。竜とは単為生殖できる生き物なのだろうかわからないが、この竜が本当にオスであるかはわからないがたとえそうだとしても番として生活していたのかもよくわからなかった。遥か昔のことなのだ。ぺリオスの学者たちでも竜の生態までを調べるのは困難を要することだった。ただ確かなことは火口の空洞のなかで一頭暮らしていたとはしても、一度は他の竜たちと関わりながら暮らしていたのである。竜たちは空で生活する翼竜たちや鳥類を狙い獲物として狩りをしていたことは化石から推測できた。

 この竜が食事に出かける時には獲物を見つけると素早く突進し、大きい獲物だったら頭突きで即死させていた。獲物を咥えたり背中に担いで持ち帰ると火山の棲み処に持ち帰り、そこで食事をするのだった。その時、竜は捕った獲物にも世界を映していた目があることがより世界自体が自分のものでもこの獲物でもないことを思わせることになった。味は長く生きると然程おいしさを感じなくなっていた。きっと食べなくなればいずれ竜も死んでしまうのだろう。それも構いはしなかったが、実際には彼は律儀に獲物を探し食べ続けていたのであった。

 竜はマグマに自分が見つけたものや考えたことを刻み付けたのでやがてその堆積したものが凝縮し一つの摂理に導き出していくことをたまに竜が気づくことがあった。刻んだマグマ盤も遥か古い物でいえば400年ほどは遡り、しかし未だにその刻み付けた物が存在し解読できることを竜はまじまじと見ると、まるで目の前の世界は絶えず動きのなかにはあるとしても、動いているもののなかに時間が隠されていて、目の前の世界の時間はずっと止まっているのではないかと思ったりするのだった。

 既に死んだ竜がいて、自分が未だ生き、やがて死ぬとは知りつつも、まだ溶岩は降り注ぐだろう。この火山だって動いているのだから時間が隠されているはずだ。ただその時間が自分のとは一致しないのだ。多分自分が死ぬのが先か、それともこの噴火が静まるのが先なのかどちらかなのだろう。自分も火山も静まり返る後で何がこの場所に来るかというのは竜にはわからなかった。まさか自分のことを人間が研究して調査するなどは思わなかったが、自分と同じように目の前に起きていたことを研究する生き物がでてきてもおかしくはないと思っていた。

 竜は自分の生まれた訳より生まれた事実が先行していて、生きる訳を探すことは的外れなことだと思っていた。でも火山で生活することで火山がどのように周期的な活動をしているかはある程度予想できた。起こる現象については因果関係があると思っていた。とすれば自分が生きていることも事前に起きた原因による結果なのだとは思っていた。そして、自分が刻み込んだこのマグマ盤も自分が作り出した行動の現象であることには変わりなく、既にそれはなにかの原因であることを内包している可能性があるとは思えた。自分の考えをより高みへ飛躍させるという結果を結んでいるとはいえるが、もっとそれとは別の自分が死んだあとに見えてくる結果があるような気がした。それは目の前の世界が本当は止まっているという考えが竜のなかにある故の思いつきなのだろう。死んだあとに遺ったものは止まった世界に捨てられ、また何の因果か新しい時間を持つ生き物がその捨てられたものを使いだしていくのだろう。その時は自分の終わってしまった時間がまた逆戻りに動き出すのかもしれない。しかし、自分は死んではいて時間だけが宿主を求めて動き回るようなそんな幻想が竜には思い浮かんできた。なにか自分ではわからなかったことが後にはわかっていくのだろうか。例えばこの空の上には何があるのだろうかとか。竜自身は遥か上空まで昇ったことはあったのだが、灼けつくような熱さでとても突破できなかった。その上には何があるかなんて想像はできても確かめることがわかるならばそのことに自分が関心しないなんてあり得るだろうか。しかし自分がわかるのはここまでで、もしかするとその次の探究する生き物でさえ最後まではたどり着けないかもしれない。ではその次はどうだろう。次の次が駄目だとしてもその次は。そうしてこの空の上も自分の体のでき方もいずれわかっていくのかもしれない。そうしてほとんどがわかってしまったとして関心は尽きないのだろうか。いや関心を尽きさせぬように何か妨害する現象が起きていくのだろうか。そうならば、その妨害に屈せず対抗し探究し続けることが自分達の辿り着く目標なのかもしれない。目標とは最後に何かを見極めるのではなく、その個々体に託された態度のことなのだろうか。わからないが、こうして生き物の体が脆いであるのならば狂ったように何かに没頭し、その成果が自分の生きていた結果であったと思うのではないだろうか。だが本当にそうだろうか、時間が生き物の中に隠されているのなら、その生き物の外側で別の生き物から見るのも不合理なことではないだろうか。はたしてその眼差しで態度を保つことが目標といえるだろうか。目の前の世界に関心のないものだっているだろう。そういう生き物はどうやって生きているのだろう。どうやっても生きてはいるだろう。そして死んでいくのだ。つまりはそこに隠された時間こそが重要であって、この時間は終わりをいつか告げるのである。

 それまで自分は探究を続けるだろう。やがて止まった時間の世界に投げ出されるまで。やれやれ、少し考えすぎた。今日はもう疲れてしまったので、どこかに出かけよう。そう思い、竜は火口から飛び出て、灰色の空の中を進み、しばらくの気分転換に出かけて行った。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 「世界とは何か」。そう考えるのは人間だけだと思っていました。でもそれは人間の傲慢かもしれないとこの作品に気づかされました。拡大解釈ですが、「猫や鳥は生きるの楽そう」と言っても動物達だってこ…
2017/11/01 10:32 退会済み
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