5. 決着と別れ
結論から言えば勝負は一瞬で付いた、相手は対人に特化した那由多である。
勝負の決着は那由多が瞬殺するか、克洋たちがそれを凌いでやり返す形しかあり得ないからだ。
先手は克洋たち、次の瞬間には首を断たれている可能性がある相手を前に待ちの姿勢などあり得ない。
得意の転移魔法で那由多から距離を取った克洋は、魔法を発動させる準備を始める。
那由多の数少ない弱点、それは彼女が対人に特化し過ぎている事くらいしか無い。
点ではなく面、相手を一人だと考えずに周辺を巻き込む特大の一撃で否応なしに押し潰すのが克洋たちの唯一の勝機であった。
「風刃…」
「遅いですよ、お兄様」
しかし当然であるが、那由多の方も自信の弱点を十分と熟知していた。
わざわざザンから神の書を取り返した時点で、克洋の考えを分からないほど那由多は愚かでは無い。
神の書によって限界まで強化された魔法に巻き込まれれば流石の那由多も一溜りも無いが、要は撃たせなければいいのだ。
先程までのザンとの戦いと同様に、大規模な魔法が放たれるまえに崩す。
神速の如き踏み込みですぐに克洋に追い付き、居合の構えから必殺の抜き打ちが繰り出されようとしていた。
対冒険者の戦いにおいて、大砲役となる後衛型の冒険者を早めに潰すのは必勝法の一つと言えた。
しかし大抵は大砲役の護衛となる前衛型の冒険者が全面におり、後衛型が大砲を放つまでの時間を稼ごうとする。
克洋とティルはどちらも後衛型に属する存在であるので、那由多はこの勝負ではティルが前衛型の代わりとして克洋の盾になると考えていた。
不意打ちでも無ければ那由多が相手に魔法を放つ隙を見せる訳も無く、どうあっても時間稼ぎが必要であることは克洋たちも分かっている筈だからだ。
だから那由多に取ってこれは予想外の結果であった、何の障害も無く那由多の居合が克洋の体を斬り裂くとは…。
「っ!! 痛ぇぇぇぇっ!?」
「何ですって!?」
その表情には何時もの仮面のような微笑みは消えさり、驚きを隠せない彼女の素の感情が見えていた。
視線の先にはせめても防御として構えた黒い刀を巻き込み、魔族の障壁すら貫く那由多の必殺の居合によって両断された克洋の姿があった。
那由多は克洋の即死攻撃を自動回避するオートの転移魔法の種を、以前に敵対した来訪者との戦闘を通して確認している。
それは克洋自信の野生の勘とも言うべき無意識の感覚が迫り来る死の危機を回避するために、意識化の感覚をすっ飛ばして転移を発動させると言う代物であった。
那由多には無意識の感覚さえ騙してオート転移を無効化するという対応策はあるが、あれは相手の意識化・無意識化の感覚を逸らすための幾つかの準備段階が必要だった。
そのため今の一撃は挨拶代わりの何の小細工の無い物であり、本来であれば克洋のオート転移が発動して逃げられる筈なのだ。
しかし現実は克洋は転移魔法で逃げること無く、腹から血と臓物を撒き散らしながら苦痛に悶える克洋は文字通りの死に体である。
流石にこの結末は予想外だったらしい那由多は一瞬、目の前で死のうとする自らが兄と呼んでいた男の姿に目を奪われてしまう。
彼女が前衛役を担うであろうと推測していたティルが、先程の攻防で動きを見せなかった違和感に気付くことなく…。
克洋が那由多に両断される瞬間、ティルは今にも飛び出そうとしている己を自制するために意識して拳を握り込んでいた。
余程強い力を入れていたのかティルの掌の内から血がにじんでいたが、そんな些細な痛みは今の彼女には届かない。
那由多に勝つには準備時間が必要な大規模範囲の魔法で押し潰すしか無く、そのために時間を稼がなければならない。
しかし魔族のザンを単独で切れるほどの力を持つ那由多に、克洋とティルが一体どのような手段でその時間を作れるのだろうか。
克洋の自動発動する転移魔法の存在を知っている那由多がその対策をしていないとは思えず、恐らくオート転移に頼れば何らかの手段でやられてしまう。
ティルに幾ら膨大な魔力があるとは言え、彼女の魔法の腕自体は魔族のそれと比べて大きく劣る。
魔族のザンでさえも切り伏せようとしていた那由多を相手に、ティルの魔法では僅かな時間を作ることすら出来ないだろう。
結局、克洋とティルが持つ手札では那由多を止める手段は無く、あの殺人姫を止めるには彼女の意表を突くしか無い。
「…うわぁぁぁぁぁっ、水圧裂波」
「ティル様!? ではお兄様が前衛役…」
克洋とティルが知っており、那由多が知らないこと。
それは来訪者である克洋の体が"アーカイブ"が用意した作り物であり、この世界での死は克洋の死とイコールでは無いのだ。
己の残機がラストで無いと知っている克洋だからこそ、一回死ぬことに対する覚悟を持つことが出来た。
この死ぬ覚悟によってオート転移を自らの意思で止める事で、那由多の目の前で死ぬことによって克洋はほんの僅かであるが遥か格上の存在である殺人姫の時間を奪うことが出来た。
仮に那由多が克洋のことを何と思っていなければこの時間は生まれず、これも数年間曲がりなりにも兄妹として行動を共にしてきた積み重ねと言えるかもしれない。
そして克洋が命を賭けて作り出した時間は、いつの間にかティルが手に持っていた神の弓によって限界まで強化された魔法を放つ時間を作ったのだ。
他の来訪者たちと同様に光となって消えようとしていた克洋を巻き込み、那由多に対して大津波の如き水の魔法が降り掛かった。
"アーカイブ"の力を借りてこの世界に戻ってきた克洋たちが最初にやったことは、那由多に襲われるザンの救出では無い。
水の力を司る神の弓、この世界で唯一発見されていなかった最後の神の武具を回収していたのだ。
那由多との決戦を予想していた克洋たちは、この神の武具を隠し札として使用することを決めていた。
ティルを使用者として登録した神の弓を密かに地面に隠した状態で、克洋とティルはザンが拘束された空間に乱入していたのである。
そしてザンがあの空間を壊せば、そこには神の弓を地面に隠している元の場所だ。
克洋が命を賭けて那由多の気を逸して稼いだ時、それはティルが地面から神の弓を取り出して魔法を発動するには十分な時間であった。
「…ふふふふ、お兄様とティル様にはしてやられましたよ。 まさかそんな隠し札があったとは…」
「っ!? 水圧…」
「ああ、これ以上は許して下さい。 見ての通り一杯一杯ですのね…。 今日のところはお兄様の意地に免じて、負けを認めますよ」
余り水系統魔法が得意でないティルが使えるのは、精々中級レベルの魔法である。
しかし神の武具によって限界まで強化された中級レベルの波動系魔法は、周囲一面を一時的に水没させるほどの威力があった。
対人に特化している故に対応範囲が狭いティルには問答無用のマップ攻撃は厳しかったらしく、その体はとても戦えるような状況では無かった。
そもそも普通の冒険者であればあの規模の魔法を凌ぐことなど出来る筈も無く、その苦境から生き残れた事が那由多の非凡さを際立たせていた。
那由多からしてみればこの勝負では、まんまと克洋たちの策にしてやられといった所だろうか。
体のダメージを推して戦う術も身に着けている那由多は、本当であればまだまだ戦うことは出来たろう。
けれども此処まで鮮やかに嵌められたのに負けを認めないのは無粋と感じたらしく、那由多は驚くほど素直に自らの敗北を宣言していた。
「…ふふふ、予想以上に成長しましたね、お兄様。 まさかあんな馬鹿な真似が出来るようになっているとは、思いもしませんでした」
「な、那由多。 実は克洋さんは…」
「生きているんでしょう? どんな種かは知りませんですがね…。 ティル様の顔を見れば分かりますよ。
さて、当面の相手は"システム"とやらですね。 とりあえずあの魔族を放置することになりましたし、ユーリ様と合流した方がいいかも…」
最初に出逢った頃は少し殺気を出しただけであんなに怯えていた男が、まさか自分の命を賭けるなどという暴挙に出るとは思いもよらなかった。
ティルの反応から見て恐らく克洋はあれで本当に死んだ訳では無いことは分かっているが、それでも死ぬ間際の痛みや恐怖は本物であった。
克洋に少しでも死から逃れたい気持ちがあれば自動回避は発動しており、あの男はそれを捻じ伏せて見事に果てて見せたのだ。
あれだけの男を見せた兄の顔を立てて、あのいけ好かない魔族の首を取るのを少しだけ待つくらいはしてやろう。
こうして命がけの兄妹喧嘩は兄と兄嫁(仮)の判定勝ちに終わり、ザンの首は"システム"戦後まで保証されるのだった。
そしてこの瞬間、全てのカードが揃ったこの世界が"冒険者ユーリ"のようなビターエンドを回避することが決定付けられた。
"アーカイブ"の思惑通り…。