8. 魔人化
人斬りで那由多がその気になっていれば、勇人の腕でなく首が飛んでいてもおかしくは無かった。
那由多があえて勇人の首を落とさなかった事には理由がある。
一応那由多が克洋と共にフリーダの元に現れた理由は、克洋と同類を探すためであった。
当初の目的を忘れていなかった那由多は勇人を殺すことを避け、神の書を奪うことに留めたのだろう。
神の書という切り札を失ってしまった勇人は、端から見たら絶体絶命にしか見えない。
早く治療を施さなければ、そう遠からずに死んでしまうだろう。
しかしどういう訳か勇人は腕を切られた痛みで顔を歪めながらも、その瞳には未だに強い狂気が残っていた。
「"くぅぅ…、はぁはぁ。"
"くそっ、どうやら最後の切り札を出す必要があるみたいだな…"」
「"はぁ、神の書以外に何が有るんだよ!! いい加減、降参しろって!!"」
「"見せてやる、俺の取っておきをっ!! うぉぉぉぉぉっ!!"」
「何だ、この魔力の大きさ…、まさか魔族!?」
全く諦めた様子を見せない勇人に恐怖を覚えた克洋は、虚勢を張りながら降伏を促した。
しかし克洋の言葉に耳を貸す事無く勇人は、この世界に訪れる際に手に入れたもう一つの力を開放する。
勇人が雄叫びを上げるとともに、その周囲にから凄まじい魔力が湧き上がる。
フリーダにはその魔力の波長に覚えがあった、あれは人類の天敵である魔族のそれである。
そして次の瞬間、勇人の姿は人を超えた存在でへと変貌を遂げていた。
追い詰められた所で最後の変身を見せる、本人は本気であろうが端から見たらその行動は完璧に悪役のそれであった。
見た目だけで言えば、勇人の変化は小規模な物であった。
耳の形が人間のそれから先端が尖った魔族特有の物に変化し、瞳の虹彩の部分が小さくなり鋭い三白眼になっている。
そして先ほどまで出血していた右腕の傷口も、何時の間にか塞がっていた。
しかしその体から溢れ出す圧倒的な気配は、勇人が人間から全くの別物になった事を克洋たちに教えた。
冒険者ユーリの原作を知っている克洋は、今の勇人の変化にどのような意味が有るか理解していた。
克洋は恐怖半分、呆れ半分と言う心境で、那由多たちに勇人の変化の原因について説明を始める。
「マジでふざけるなよ!? 魔人化だとっ!?
神の書と言い、どれだけてんこ盛りなんだよ、お前は主人公にでもなる気だったのか!!」
「お兄さま、魔人化って言うのは…」
「物語の終盤で出てくる、主人公ユーリくんの切り札
実は人間と魔族のハーフであった彼が、その両者の力を合わせた時に見せる形態があれ!!」
「人間と魔族のハーフ!? そんな者が居るわけ…」
「少なくとも一人は居るんだよ、勇者の魔王の子供がね。
まああいつがこの世界に来た時に貰った反則技だろうけど…」
魔人化、それは"冒険者ユーリ"の主人公が物語の終盤で編み出した最終奥義である。
此処で原作のネタバレをしてしまうと実は主人公のユーリは、人類側の英雄である勇者ヨハンとそのヨハンが倒したとされている魔王との間に生まれてきた子供なのである。
魔族を統べる魔王は女性で勇者であるヨハンと恋仲になる、ある意味でお約束と言える展開であろう。
そして人類のトップクラスと魔族のトップクラスと言う一級品の血を引き継ぎ、ユーリくんは人と魔族のハーフとして生を受けた。
作中でユーリは魔族の血が齎す凄まじい力に振り回されて、時には力が暴走するなどして色々と苦労する事になる。
しかし最終的にユーリは魔人化と言う、人と魔族の力を組み合わせた最終形態に辿り着くのだ。
本来なら魔人化という技は、世界で唯一の人と魔族のハーフであるユーリにしか使えないオンリーワンの物である。
どうやら勇人は神の書と言うチートアイテムに加えて、主人公しか使えない筈のチート技までも貰ってきたらしい。
仮に勇人が本人の望み通りに原作に食い込むことが出来たならば、これらのチート能力を持って存分に暴れていた事だろう。
もしかしたらこの世界の物語が、"冒険者ユーリ"では無く"冒険者勇人"になっていたかもしれない。
勇人の危険性を察知したフリーダと那由多は、即座に行動を開始した。
先ほどまで神の書の力で周囲に暴風の結界を張っていた時と違い、今の勇人は見た限りでは無防備な状態をさらしている。
この機会を逃すまいと、二人の美しき戦士たちは即座に動いていた。
那由多は神速の踏み込みで勇人の懐に飛び込み、今度は容赦なく首筋に向かって剣を振るう。
同時にフリーダは無詠唱で魔法を発動し、杖から放たれた水の刃が那由多を巻き込まないように弧を描きなら勇人に襲いかかった。
どちらも魔人化した勇人に手加減する気が無いようで、明らかに殺意を持った攻撃であった。
どんなに強い力を持っていも、それを振るうのは一高校生でしか無かった勇人である。
鮮やかと言ってい那由多とフリーダの攻撃に対して、勇人は反応すら出来ずにまともに受けてしまう。
「"ははははは、効かないよ、そんな攻撃は…"」
「あら、剣先が通りませんね」
「魔法も弾かれた!?」
「無理です、魔人化すると殆どの攻撃が通じなくなるんです。
効果があるのは魔人と同一の力だけ…」
那由多とフリーダの攻撃に晒されながらも、勇人は全くの無傷であった。
そもそも今の勇人には、攻撃を避ける必要すら無いのである。
那由多の刀は勇人の皮膚さえも傷つける事が出来ず、フリーダの魔法も勇人に当たる瞬間に砕け散ってしまった。
これが冒険者ユーリの世界のパワーバランスを崩したと数多の読者に批判された、魔人化の恐ろしい能力なのである。
本来なら決して交わる事の無い人と魔族、矛盾した二つの力を合わせた事によってユーリは無敵と言っていい力を手に入れた。
原作において魔人化したユーリを傷つける方法は一つしか存在せず、それは魔人化と同質の力をぶつけると言う物だった。
そして魔人化と言う反則技を使える存在は、世界で唯一の人とハーフであるユーリしか存在しない。
事実上、魔人化したユーリを傷つけられる者は誰も居なくなったのだ。
「"今度はこちらの番だ、死ねぇぇぇっ!!"」
先ほどの攻撃のお返しとばかりに、勇人は左腕を伸ばして掌を克洋に向ける。
次の瞬間、勇人の掌から魔力の弾丸が凄まじい勢いで放たれた。
魔力弾、魔力の弾丸を飛ばすこの世界において初級レベルとされている攻撃魔法である。
常人が発動した魔力弾ならば、拳大程度の魔力の弾丸が飛ばされる程度の威力しか無い。
しかし勇人の放ったそれは、人間を丸々飲み込めるほどの巨大な砲丸と化していたのだ。
初級レベルとは言え何の訓練を受けていない素人が、咄嗟にこの魔法弾丸を避けるのは不可能に近い。
もし転移能力にオート回避を付けていなければ、克洋は何も出来ずに魔力の弾丸に撃ちぬかれていただろう。
「何だ、あの威力は!? あれだけで上級魔法クラスはあるぞ…」
「だから何で俺なんだよぉぉぉっ!? 俺が何かしたのかぁぁぁっ!!」
魔人化の特徴はほぼ無敵と言っていい防御だけは無い、攻撃に関しても反則クラスの性能を持っていた。
原作においてユーリが、魔王である母から受け継いだ魔族特有の強力な魔力を持てましていた事は既に触れた。
使いこなすことが出来れば強大な武器になるが、下手をすれば周囲に被害をもたらす諸刃の剣。
このユーリの持つ魔族の魔力の問題を解決した物が、魔人化であったのだ。
魔人化したユーリはこの強大な魔力を完全に制御出来るようになり、己の持つ全ての力を振るえるようになった。
制限が無くなったユーリの全開の魔力は強大であり、原作においてフリーダが十年以上掛けて編み出した上級を超えた超級魔法を上回る威力を出して見せたのだ。
恐らく今の勇人は、原作のユーリの同等の魔力を持っているのだろう。
その証拠に先ほど勇人が放った魔力弾は、フリーダの見立てでは軽く上級レベル並の威力があったらしい。
術者のレベルによって魔法の威力が変わる事自体はよくある事だが、初級が上級になることは常識では有り得ないレベルである。
そして未だに魔人化した勇人と言う化物に命を狙われている克洋は、恥も外聞もなく情けない悲鳴が辺りに響かせた。
魔人化と言うこの世界の主人公であるユーリしか使えない力を使って見せた勇人は、再び余裕の笑みを取り戻していた。
恐らく魔人化の力に絶対の自身のある勇人は、余裕の表情でこちらの動きを待ち構えていた。
「あれに弱点は無いんですか、お兄様?」
「一つは魔人化は消耗が激しい事、長時間はあの状態で入られないから逃げれば…」
僅かな攻防を経て魔人化の異様な力を理解した那由多は、この場で唯一あの力の詳細を知っている克洋に攻略法を尋ねた。
克洋は那由多の問いに対して、原作で出てきた数少ない魔人化の弱点の一つを告げる。
人と魔族の力を合わせる魔人化と言う技は、ユーリに大きな負担を掛けた。
その負担は作中でこの力を使う度に寿命が縮まると警告されるほど有り、恐らく勇人も長時間は魔人化を維持できないだろう。
原作においても敵はユーリに飽和攻撃を仕掛けて、魔人化の時間切れを狙った。
その時はユーリの仲間たちの助力で何とかなったが、今の勇人にはそのような頼れる仲間は居ない。
恐らく魔人化の時間切れを狙う作戦は、効果を発することだろう。
「却下、私達がこの場を離れたら、あいつが私の家を破壊するかもしれない。
あそこには大事な研究資料が沢山…」
「研究資料なんて良いじゃ無いですか、命あっての物種で…」
「私の十年以上の研究を無駄にするつもり!!」
残念ながら克洋の提案はフリーダによってあえなく却下される。
魔人化した勇人の様子は明らかに常軌を逸しており、あれを放置してしまったら何をするかは解らない。
今はまだ克洋というターゲットが居ることで被害を集中できているが、それが無くなってしまったらあれがどのような行動に出るか解った物では無いのだ。
先ほど魔法の威力を考えると、勇人が本気を出せばどれだけの被害が出るかは解った物では無い。
そしてその被害の中に、フリーダのこれまでの研究成果が集められた住居が含まれる可能性も有るだろう。
長年の研究を台無しにする選択肢を、フリーダは取ることが出来無かった。
「もう一つの弱点、それは…」
逃走という一番楽な手段が取れなくなった克洋は、仕方なく自身が知る魔人化のもう一つの弱点を告げる。
こちらの弱点を狙うのは危険が多いので気を進まないのだが、今の状況では仕方ないだろう。
結局、フリーダたちはこのもう一つの弱点を起点に勇人の攻略に乗り出すことになった。
切っ掛けはフリーダが放った魔法だった。
フリーダの杖から野球ボール程度の大きさの魔力の玉が次々に生まれていき、その数は数百にも登っていく。
そしてフリーダの周囲に漂っていた魔力球は、一つとして同じものが無い様々な軌道を描きながら勇人に向かって飛んで行った。
魔力弾、先ほど勇人も使った初級魔法である。
質より量、作戦のために数を優先したフリーダは魔法の質を落とすことで、凄まじい量の魔法を操って見せたのだ。
幾多の魔力級を前に、勇人は涼し気な表情でそれを受けていた。
しかしこの時の勇人はフリーダの派手な魔法に意識を裂いてしまい、その影で克洋と那由多の姿が消えた事に気づかなかった。
「"ふんっ、そんな物は…"」
「あら、こちらがお留守ですよ?」
「"何っ!?"」
幾らか効かないとは言え、襲ってくる魔法を無視する事は難しい。
自分の左方面に集中する魔力球に集中していた勇人は、無警戒だった右側に那由多を連れた克洋が跳んできた事に気づかなったかった。
先ほどと同じように転移してきた克洋と那由多に対する反応が遅れてしまい、刀が届く範囲にまで那由多に近づかれてしまう そして那由多は抜身の刀を、躊躇いなく勇人の右腕の切断部へと突き立てたのだった。
「"ぐわぁっ!? 右腕の傷を狙ったか…、しかそれくらいで"」
魔人化のもう一つの弱点、それは魔人化前に受けた傷である。
魔人化によって発生する無敵効果は、どうやら無傷な皮膚にしか発生しないらしいのだ。
原作でもユーリが魔人化前に受けた傷口からダメージを受けてしまい、苦戦をした描写があった。
そして勇人には先ほど、那由多が切り落とした右腕の傷口が有った。
原作と同じように魔人前に付けられた勇人の傷は、確かに那由多の刀を通してしまった。
しかし腕を刀で抉られた勇人は痛みで悶えながらも、まだ戦意を喪失していなかった。
「いや、お前はこれで終わりだよ、フリーダさん!!」
「雷撃爆裂波!!」
「"ふんっ、魔法など…!? ぐぁぁぁぁぁぁ!!"」
勇人の腕に刀を突き刺した那由多が克洋の腕に捕まり、克洋の転移によってその場を離れる。
それと同時に事前に打ち合わせしたタイミングで、フリーダが勇人目掛けて上級魔法にあたる雷撃の魔法を唱えた。
迫り来る雷撃の渦に魔人化と言う無敵の状態になった勇人は、全く回避しようとはしなかった。
未だに魔人化の力を理解していたフリーダに、勇人は嘲笑すら浮かべていた。
しかし勇人の予想と反して、フリーダの放った雷撃は勇人に凄まじい痛みを齎した。
雷撃が勇人に襲いかかり、右腕に突き刺さった刀を伝わっていったのである。
刀を避雷針に見立てて勇人を内側に雷を伝わらせる、これが克洋たちの作戦であった。
世界最高峰の魔法使いが放つ雷撃は、無敵である筈だった魔人化した勇人の体を容赦なく焼いていく。
「"ぐぁぁぁぁぁっ!!"」
断末魔をあげる勇人は、やがてその場に突っ伏して倒れてしまった。
魔人化は既に解けたらしく、勇人の耳は何時の間にか元の状態に戻っている。
人間が焦げた嫌な匂いが勇人から上がり、電撃の余韻で痙攣した肉体がピクピクと震えている。
「"お、俺は…、この世界を…救う…"」
それは勇人の最後の未練だったのだろう、初めてこの世界に訪れた時に思っていた純粋な願い。
願いは決して叶わないことを悟り、勇人は悔しさから涙を浮かべてしまう。
最早痛みを通り越したのか身体中の感覚が無くなり、勇人の意識は暗闇へと沈んで行く。
そして黒焦げになった勇人の体は光に包まれてしまい、次の瞬間に勇人だった物の痕跡は跡形も無く消えた。
「あら、死体が消えましたね…」
「うわっ、異邦者は何も残さずにただ消えるのみか…。 俺も死んだらああなるのか…」
「結局、情報は聞き出せませんでしたね、残念です…」
いきなり勇人の死体が目の前で消えてなくなり、克洋と那由多はそれぞれの反応を示す。
克洋は初めて直に見る人の死にショックを受けていた所に、その死体が消えると言うある意味でファンタジーな光景を見せられた事で度肝を抜かれていた。
勇人と同類である克洋もまた、死んだら自分もあのように死体が消えるのか。
先ほどの勇人のように自分が黒焦げになって死ぬシーンを想像してしまい、克洋は思わず顔を顰めてしまう。
那由多の方は死体は見飽きているのか特に動揺した様子は無かった。
彼女はただただ、勇人という新たな情報源が居なくなったことを残念に感じているだけのようである。
「おい、そこのお前ら! まさかこのまま何の説明も無しに帰る気は無いだろうな?」
「解ってますよ、俺の知っていることは全部話します。
そのかわり色々と協力してくださいね、フリーダさん」
「…話の内容による」
成り行きで克洋たちと共闘したフリーダであったが、当然のように彼女は克洋を信用した訳では無かった。
勇人という脅威が無くなった事で克洋たちに集中出来るようになったフリーダは、手に持った杖を向けて警戒を示す。
最早、当初の予定とはかけ離れた状況になってしまったが、少なくとも此処でフリーダと喧嘩を売るのは得策では無い。
克洋は両腕を上げて全面的に降参と言う意思を体で示しながら、フリーダに事情を話すことを決めた。