23. 山頂にあるものは
本来であればこの場は、山神 空に取って心地よい空間になる筈だったのだ。
気の置けない友人と二人で、この日のために予約されたお洒落な飲食店で楽しく飲み明かす予定だった。
しかしプライベートが確保されたその個室の中に居たのは、友人では無く自分の隠したかった過去を暴き出そうとする刺客たちである。
その中には自分の書いたキャラクターと全く同じ姿をした少女の姿もあり、漫画家は自分の絵より綺麗であると現実逃避気味な感想をもってしまう。
「僕は山登りが好きでね。 学生時代の頃は本格的な登山もしたものさ…。
最も本格的に漫画家として活動を始めてからは、山に登っている暇もなくなった。 その間に体も訛ってしまって、若い頃のように山に登るのは難しくなったんだ…」
克洋たちに確保された"冒険者ユーリ"を世に送り出した漫画家、山神 空は全てを諦めたような表情を見せながら淡々と語る。
しかし漫画家の口から出てきた最初の話は、"冒険者ユーリ"とは関係のない自分語りであった。
恐らく"山神 空"というペンネームはこの漫画家の登山趣味から来ているのだろうが、それと"冒険者ユーリ"の話とどのように繋がるのか。
様子から見て話をはぐらかそうとしている意図も見えず、とりあず克洋たちは無言を貫いて漫画家に話を続けさせる。
「大好きな山を捨ててまで打ち込んだ漫画稼業だけど、どうしても上手くいかなかったんだ。 …僕には話し作りの才能が無くてね、どうしても読者を惹きつけるような漫画を描けなかった。
ユーリの前にやっていた連載もすぐに打ち切られてしまった僕は、自分の才能のなさに絶望した。 その時の僕の様子は余程酷かったのか、周りの人間に凄く心配されたよ」
その話は克洋たちがこれまでに調べた話とも一致する。
この漫画家は画力だけ見れば平均を大きく上回るのだが、残念なことにその画力を活かすための話を作ることが出来なかった。
しかし"冒険者ユーリ"という作品は、この評価を完膚無きまでに打ち下く傑作だったのだ。
まるでもう一つの世界を見てきたかのような、綿密な世界感と生き生きとしたキャラクターの描写。
これを本当に漫画家が独力で作り上げたのならば確かに凄いことであるが、克洋たちはこれが漫画家の力だけでは無いことを察していた。
「何か気晴らしをするように勧められたけど、僕はつまらない人間でね。 漫画以外でやること何て、山に登ることしか思いつかなかった。 そして確か友人のだれかから、今の僕でも気軽に登れる山だって■■山を紹介して貰ったんだ」
「■■山!?」
■■山、それは克洋の家がある地域ではそれなりに知られている場所である。
その山は標高がそれほど高くなく、ハイキングコースとして道が整地されていた。
子供の足でも安全に頂上まで登ることが出来るため、遠足などの行事で此処を登らせる学校の数は多い。
この近辺に住んでいる学生であれば、恐らく誰もが登ったことのある山であろう。
実際に克洋は幼い頃に学校行事でその山を制覇しており、漫画家の口から地元の山が出てきた事に驚きを隠せない。
「…そこであなたは出会ったのか、"アーカイブ"に? ふふふ、これで話が繋がった」
「どういうことだよ? 勿体ずらずに、さっさと説明しろ!」
「君たちは疑問に思わなかったのか? "冒険者ユーリ"という漫画作品は、国内だけで無く海外でも展開している。 発行部数で言うならば数千万部単位にもなる人気作品だ。
"冒険者ユーリ"を知っていて、かつ異世界へ逃避行したいと考えている奴なんていくらでも居るだろう。 そんな連中の中で、どうして君や僕がアーカイブに選ばれたのか…」
すっかり解説役として定着した設定厨、春夫は再び眼鏡を怪しく光らせながら語り始める。
確かに春夫の語った通り、有名作品である"冒険者ユーリ"を読んだ人間は世界中に居るだろう。
読者の中には"冒険者ユーリ"の世界に行きたいと夢想する人間も居る筈であるが、これに当てはまる全ての人間が来訪者になっている訳では無い。
来訪者として選ばれる人間の基準に以前から興味を持っていた春夫は、今の漫画家の話で何かを掴んだようだ。
「僕は以前から来訪者に選ばれる基準は何なのか調べていてね、密かに例のサイトで情報収集をしていたんだ。 しかし所詮はネットというフィルターを通した情報、何処まで本当か分からないので有用なデータは得られなかった。
しかし前のオフ会で直接、元来訪者から直接話を聞く機会が得られた。 そこで手に入れたデータを分析した結果、僕はある法則を見つけた」
「何なんだよ、その法則ってのは…」
「実は来訪者に選べらた人間は、ある地域に住まう人間に集中してたんだ。 今は違う場所に住んでいる者でも、少なくとも一度はその地域で生活したことがあったらしい。 そしてその地域とは…」
「■■山がある地域ってこと? 嘘でしょう!?
確かあの山の近くに住んでいた人間なら、殆ど全員があの山を登ったことがあるけど…」
克洋の妹であり、同じく学校行事でその山に登ったことのある美子は信じられないと言った表情で春夫を見やる。
春夫の話が事実であれば、あの何の変哲もない地方のローカル山に現実世界と"冒険者ユーリ"の世界を繋ぐ何ががあると言うのだ。
現実世界ともう一つの世界を繋ぐとんでもない存在が、あの小さな山にあるとはとても信じられないのか美子は戸惑っている様子だ。
「…あなたは■■山に登った。 そこで何を見たんですか?」
「…行けば解るよ、正直に言えば言葉で説明するのは難しいんだ。 僕はそこであの世界のことを知り、それをあたかも自分のアイディアであると見せかけて漫画家を書いたんだ」
そう言って漫画家はそれ以降何も語らず、貝のように口を噤んでしまう。
やはり漫画家の様子からはこちらを煙に巻こうとする意図も無く、本当にその場所について正確に説明する術が無いのだろう。
「…ドウシマス、カツヒロサン」
「行くしか無いだろう、■■山へ! そこに全てがあるんだ…」
■■山、そこに現実世界と"冒険者ユーリ"の世界を繋ぐ何かがあるのだ。
克洋は全ての謎を解き明かすため、懐かしの地元の山へ向かうことを決意した。
善は急げということで山神 空と接触した翌日、克洋たちは早速■■山へと向かっていた。
子供でも登れる整地された道もあり、登山用日などのガチガチな装備はこの山には必要無い。
動きやすい服装にスニーカーで十分であるので、準備は殆必要なく後は時間さえ作ればいい。
そして今や絶賛、無職生活をしている克洋とティルに明日の予定などある筈は無いのだ。
「…さて、久しぶりの■■山だな」
克洋の家で居候を初めてからそれなりの月日が経ち、母や妹とたまに買い物にも行っているティルの装いはすっかり現代人のそれである。
既に妹のお古を卒業しており、今日の服装はアウトドアに相応しいシャツとショートパンツだ。
克洋の方も似たかよったかの無難な軽装であるが、一点だけ普段と違う物があるならば布の袋に包まれた細長い物を手に持っていることだろうか。
これは現実世界に戻ってくる際に所持していた例の刀であり、少し仰々しいが護身用品としてわざわざ持ってきたのだ。
同じく万が一の事を考えて今日は美子や春夫を連れてきおらず、戦闘経験のある克洋とティルの二人で来ていた。
「アマリヒトガイマセンネ?」
「平日だからな…。 土日なら、そこそこ賑わうんだけど…」
路線バスで■■山の登山口までやってきた克洋とティルは、とりあえす周囲の様子を伺う。
平日まっさかりの■■山には若者の姿は殆ど無く、散歩がてらに来ているらしい暇な爺様婆様の姿がちらほら居るだけであった。
時期があえばかつて克洋も参加した学校行事にぶつかることもあるが、今日はそのような予定も無いのか学生たちの姿は見えない。
「よしっ、さっさと登るぞ。 小さな山だ、さっさと登ってしまおう…。 おい、ティル?」
「オカアサマニタノマレマシタ、ココノマンジュウハオイシイカラ、オミヤゲニホシイト…」
「…土産は帰りでもいいと思うぞ、ティル」
一応、観光地の端くれでもあるこの山には、名物として推している饅頭の土産物が存在した。
何の事情も説明していた母は、克洋とティルは今日は単に登山デートに行ったとでも思っているらしい。
甘党である母はこの山の饅頭が好きなので、克洋が知らない間にティルが母から土産を頼まれたようだ。
早速母に頼まれた土産物のある店に向かおうとする、すっかり現実世界に慣れたティルの姿に克洋は思わず脱力してしまった。