21. 続く日常
あちらの世界でユーリたちが冒険している頃、現実世界の方では平凡な日常が続いていた。
元来訪者たちによるオフ会によって、全ての鍵を握る人物が"冒険者ユーリ"を世に送り出した作者、山神 空であると言う予想が立てられた。
しかし当の作者はSNSなどを全くやっておらず、現在は次の作品の準備中ということで全く表舞台に立っていない状況である。
権力やコネなどから一番縁遠いオタクたちに有名漫画家と接触する伝手がある訳も無く、克洋は実家で燻っている事しか出来ないでいた。
「今日の肉じゃがはティルちゃんが作ったのよー。 この子は家の美子と違って、覚えが良いわね…」
「ドウデスカ、カツヒロサン?」
「う、うん…。 美味しいよ…」
あちらに行く前は大学生であった克洋も、現実世界で寝たきりになっている間に既に退学手続きが取られたようでは今では立派な無職様である。
ネットであても無く作者の情報を探すか、冒険者ユーリの漫画を読み直すしかやる事が無いそんな克洋とは対象的にティルは毎日忙しく働いていた。
余り家事には積極的では無かった妹の美子と比べて、積極的に家事を手伝ってくれる健気なティルはすっかり母のお気に入りになったらしい。
最初はあちらには影も形もない電化製品などに戸惑っていたティルであったが、所詮は道具であるという事か今ではすっかり慣れていた。
恐らく家事全般に限定するならば、ろくに家の手伝いをしなかった現代人の克洋よりティルの方が余程それらを使いこなせるだろう。
「良かったわねー、ティルちゃん。 お母さんにも気に入られたし、これで何時でも嫁入り出来るわよ」
「ウ、ウレシイデス」
「本当よー、ティルちゃんなら大歓迎だわ。 何時までも克洋と一緒に、この家に居てねー」
克洋の母がティルの事を気に入っているのは事実であるが、それ以上に彼女に積極的に構う理由があった。
細かいことは把握していないようだが、息子の精神が肉体から離れてティルの居た世界に行っていた事くらいは克洋の母も把握している。
そして息子がティルをあちらに返すために色々と動き回っており、あちらの世界にまた行ってしまう可能性があることも理解しているのだ。
ティルをあちらに戻すと言うお題目もあるために表立って止める訳には行かないが、数年ぶりに帰ってきた息子とまた離れ離れになる事を望む母親は滅多に居ない。
克洋を引き止めるために積極的にティルを可愛がる母親の姿に、克洋は複雑な気持ちを覚えながら肉じゃがに箸を付けていた。
現実世界に帰ってきてから結構な時間が経ったが、未だにあちらに戻る手段が見つからない。
そろそろ現実世界に残る可能性も視野に入れるべきだろうが、最大の問題は文字通りの異世界からの異物であるティルの存在である。
仮にティルが不法滞在外国人として警察に通報されでもしたら、どう考えても言い逃れは出来ないだろう。
ご近所さんなどにはティルの存在を、現在家にホームステイ中の美子の海外の友人であると誤魔化していた。
今の所はティルの存在を疑われている雰囲気は無いようだが、このまま都合よく行くとも思えない。
「最悪、魔法でなんとかなるかな…。 ティルは精神操作系の魔法、使えたよな?」
「ガッコウデオソワリマシタ…。 デモ、アンマリツカイタクナイデス…」
「うん、これは最後の手段だって分かってるよ…」
克洋たちの数少ない手札、それは何故かこちらでも使用可能なあちらの世界の魔法の力だろう。
初級程度の魔法しか行使できないとは言え、それに対する対抗策の無い現実世界ではチート級の力と言える。
魔法は何も攻撃系の物ばかりでは無い、精神に干渉して認識を歪める程度な朝飯前だ。
あちらの世界であればその手の魔法に対する対抗策がしっかり存在するため、魔法を悪用した犯罪をしてもすぐに見つかってしまう。
しかし現実世界であれば使い放題であり、やろうと思えばティルの適当な戸籍をでっち上げる事も可能かもしれない。
ただし明らかに犯罪に手を染める手段を好んで使おうとも思えず、克洋にしてもティルにしてもこれは最後の手段と言えよう。
「あー、俺もそろそろバイトでもしようかな…。 流石に家でゴロゴロしているだけってのも、気が引けるからなー」
「今の兄貴ならガテン系も行けるでしょう。 毎日、木刀を振り回している暇があったら、それをツルハシ持ち帰るのも手じゃ無い?」
「まあ、今の俺なら行けると思うけどさ…。 否、いっそ魔法の力で動画投稿者でも目指すのもありか! ははは…」
あちらの世界で克洋の妹を自称していた人斬りの少女、那由多から指示されていた剣の素振りの日課を克洋は現実世界でも続けていた。
仮に現実世界に残された弛んだ肉体に戻っていた止めていただろうが、折角あちらの世界で鍛えた体を腐られるのも惜しい。
流石に現実世界で真剣を振り回すわけにはいかないので、振り回しているのは何時かの修学旅行で買った木刀である。
最悪、肉体強化という魔法もある今の克洋あれば、肉体労働系の仕事も余裕でこなせるだろう。
そして半ば冗談ではあるが、魔法の力と言うアドバンテージを使って生活の糧を稼ぐ手もある。
しかし先の見えない状況にモチベーションが下がりつつある今の状況で、下手に職にでも就こう物ならばそのまま現実世界に居残る事になってしまうだろう。
「くっそー、山神 空に会えれば、話が早いんだけど…。 一体今は何をやっているのか、あの作者様は…」
「確か連載が終わった後、冒険者ユーリとは別の読み切りを一回出していた。 正直、つまらなかったけど…」
「あの作者は元々、絵は良いけど話は駄目な作画屋だったからなー。 冒険者ユーリも、実は原作担当が別に居るんじゃないかって、噂されてたし…。 ああ、それがアーカイブなのかな…」
人を引きつける絵を書けるが、人を引きつける話を作れない、それば冒険者ユーリを世に出す前の山神 空の評価である。
やはり話の平凡さから過去に打ち切りを食らっていた崖っぷちの漫画家が、此処までの人気作を世に出すとは当時の人間は思いもしなかっただろう。
まるでその世界を実際に見てきたかのような世界感、息遣いすら感じられるような生々しいキャラクターの感情、否応なしに引き込まれてしまう物語性。
それはかつての作者であれば絶対に生み出せないであろう要素であり、ストーリーを別に考えた人間が居ると言われた方が納得出来る話であった。
考えれば考える程、山神 空とユーリたちの居るあちらの世界を繋ぐ何かが存在しているようでならない。
「…ん、何々?」
「そういえばスマホも買わないとな…。 何時までも古いパソコンでネットサーフィンするのも面倒だし、やっぱりバイトして買うべきか…」
机の上に置いていたスマホの振動に気づいた美子が、兄との会話を中断してスマホに手を取る。
その様子を以前使っていたスマホを解約されたいた克洋は、若干羨ましそうに見つめていた。
現在、克洋がネットと繋がる方法はかつての下宿先から回収したら、一世代古いノートパソコンしか無い。
それなりに値の張るスマホを親に強請るのも気が引けるので、克洋はスマホ代のために仕事を探す気になり始めていた。
「…兄貴、仕事先を探す必要は無いかもよ?」
「おい、それって…」
「あの気持ち悪いザンの中の人が良い情報を見つけたようよ。 凄く嫌だったけど、あいつとライン交換しておいて正解だったわ…」
「偉い言われようだな、あいつ…」
しかし幸か不幸か、克洋が新しい仕事を探す機会は失われてしまう。
いつの間にか美子と連絡先を交換していた例の設定厨の男から、何らかの新しい情報が齎されたらしい。
仕事をしている筈なのに評価が上がらない設定厨に対して若干の同情を覚えながら、克洋は新たな展開に仄かな期待を抱くのだった。