15. まとめサイト
眼の前にある懐かしの実家の風景に克洋は、最初はこれは幻覚か何かでは無いかと疑った。
しかし頬を抓っても夢は覚めることは無く、未だに意識を失っているティルの手を恐る恐る触れれば幻とは思えない確かな人の温もりが感じられる。
此処が現実世界であればコスプレとしか見えない衣装の男が、同じくコスプレ姿の意識を失った少女の側に居る姿を誰かに見られるとまずい。
そのような保身が働いた克洋は慌てて周囲を見回し、誰も見ていないことを確認した上でティルを抱えながらいそいそと実家の敷地へと入っていく。
某地方都市に存在する猫の額ほどの庭を持つ二階建ての家屋、何処にでもある中流家庭の家の扉は鍵が掛かっていなかった。
本当ならチャイムを鳴らすべきなのだが、実家に戻ってきたのにチャイムを使うのもおかしいと克洋はそのまま扉を開けて玄関へと足を踏み入れる。
「…あら、もう帰ってきたの、美子…、克洋!? 克洋なの!?」
「…ただいま、母さん」
家の外見だけではなく玄関の風景もまた、克洋の記憶と非常に似通った物であった。
靴箱の上に置かれている小物や見慣れる靴などの差異はあるが、確かにそこは克洋の知る家の玄関である。
そんな風に克洋が玄関を観察している間に、玄関にほど近い台所から誰かがこちらに近づいてきたでは無いか。
克洋が開いた扉の音に気付いたらしく慌てて玄関へと駆け寄る女性は、恐らく他の人物が帰ってきたと思っていたのだろう。
しかし玄関に顔を出して克洋たちの姿を見た瞬間、その中年の女性の表情は一変する。
自分の名前を口に出す女性、実の母の姿を見た克洋は本当に自分が"家"に帰ってきたことを実感するのだった。
久しぶりの帰省、どうやら現実世界と冒険者ユーリの世界の時間の流れは同じらしく本当に数年ぶりの帰省である。
加えて軽鎧に刀を装備した克洋、そしてその腕には意識を失った明らかに日本人では無い西洋風の顔立ちをした少女の姿だ。
克洋が早々に質問攻めに合うのは当然であり、母親に全てを話していいか判断が付きかねる克洋はその対応に困ってしまう。
とりあえず話をする前にティルを寝かせたいと無理を通して、客間の布団に彼女を寝かせた所で妹が帰ってきたのは幸運だった。
克洋が最後に見た時は高校生であり、数年の時を経て地元の短大生になった美子は母と兄の間を取り持つ役目を果たしてくれた。
そして美子自身が調べた情報も合わさったことで、克洋は自分の事情を話しながら現実世界の出来事を知ることが出来たのだ。
「はぁ、何度見ても気味が悪いよな…」
克洋が実家に戻ってきてから数日、家に残していた古着を着ることですっかり現実世界の人間へと戻った克洋は目の前の物体を見て溜息を漏らす。
そこにあるのは自分、正確に言えは数年前まえで自分が現実世界で生活していた時の自分自身の体が横たわっていた。
祖父の位牌が置かれている部屋中央に布団での上に横たわる物言わぬ人間の姿は、まさしく死体そのものであり自分ながら気味が悪い。
現実世界から冒険者ユーリの世界へ来訪した自分を含む多数の来訪者たち、その中には明らかにこちらの人間とは思えない能力を持った者たちも居た。
そもそも克洋が最初に出会った来訪者が、ユーリと同じ人魔となれる体を持っていたことで気付いても良かったのだ。
冒険者ユーリの世界に現れた来訪者たちの肉体が、現実世界と同じ物では無いということを…。
そしてザンによって冒険者ユーリの世界から直接こちらに送り込まれた克洋は、現実世界に置き去りにされた自分の体と対面するという奇妙な経験をすることになる。
「カツヒロサンノ、カラダ…、イキテル?」
「"ああ、生命維持とか何もしてないのに、肉体は全く劣化していないらしい。 これも俺たちをあっちに送り込んだ奴のサービスなのかな…"」
克洋と共に現実世界とやって来てしまったティルは、克洋の側で横たわる別の克洋の姿を不思議そうに見ているた。
彼女も方も克洋と同様に妹の古着を着ているが、微妙にサイズがあっていないその服は彼女の西洋風の顔立ちと合わせて違和感を感じさせる。
小柄であるが出る所はしっかり出ているティルと、平均より少し背が高いが日本人らしく寸胴気味の妹の服では合わないのも仕方ないだろう。
ティルは恐る恐る寝かされている方の克洋の体を触り、生者とも死者とも言えない凍りついたように固まってる体の感触を感じている。
「"後、無理して日本語を喋らなくてもいいぞ。 俺ならあっちの言葉も通じるんだし…"」
「レ、レンシュー。 カツヒロサンノコトバ、ジョウズ、ナリタイ…」
未だに来訪者としての体を使っている克洋は、その特典である冒険者ユーリの世界で通用する語学の能力は備わっている。
そのため今でも克洋はティルとあちらの言葉を交わせるのだが、今の彼女が口にしているそれは辿々しいながらも確かに日本語であった。
どうやらティルは克洋が来訪者相手などに使っている日本語を学ぶために、先んじて克洋を通して日本語をマスターしていたフリーダに教えを請うていたらしい。
克洋と同じ言葉を覚えていたという彼女の健気な努力は、現実世界の来訪というまさかの状況で役に立ったようだ。
「本当、大変だったんだからね? 兄貴が音信不通になったんでアパートまで行ってみたら、兄貴の体が凍りついたように固まってて…。
兄貴みたいに体が固まっている人は他にも何人か居たんだけど、原因も何も分からずにお医者様も匙を投げたわよ」
「美子、お前、短大はいいのか?」
「この状況で短大なんて行っていられる訳無いでしょう? ティルちゃんの面倒も見ないと行けないしねー」
「ヨシコサン…」
彼らの背後から声を掛けてきたのは克洋と似た顔立ちの女性、自称では無い本当の彼の妹である美子であった。
記憶にある姿から若干大人びた妹は腰に手を当て、ティルとは対象的な平坦な胸を前に逸しながら仰々しく克洋に対して愚痴を漏らす。
克洋がその意識だけを今の来訪者用の体に移されて、恐らく那由多に振り回されていた頃に彼の家族たちも色々と大変な事があったらしい。
残された物言わぬ克洋の体は、異変に気付いた家族がアパートに駆けつけるまでずっと放置されていた。
その体は凍りついたように固まっており、栄養補給を無しでも衰えることなく平常な状態が維持され続けていた。
そして克洋のように意識を失ったまま、体が固定化された事例は以前から何度かあったようだ。
それらが克洋の同類の来訪者であることは明白であり、人知れず自分の元の体を捨てて冒険者ユーリの世界に来ていた者は前から居たという事である。
「…見たよ、まとめサイト。 異世界から帰ってきたオタクたちの語録、ね…。 明らかに嘘っぽい話もあったが、中には心当たりのある話もあった…」
「冗談みたいな話よ。 兄貴みたいになった人が急に意識を取り戻したら、口を揃えて"冒険者ユーリ"の世界に行っていた、だもんね…。 流石に兄貴のように、あっちの体のまま帰ってくる例は初めてだろうけど…」
克洋と同じく意識不明の状態となった者たちが来訪者であるならば、その大半は既に冒険者ユーリの世界で息絶えている。
その偽りの体が光となって消えた彼らがどうなったかと言えば、普通に現実世界にある元の体に戻ってきて目覚めるのだ。
そして記憶が消されるなどの都合がいいことは無く、彼らは自分たちが冒険者ユーリの世界に来訪したことを語った。
ただ一人の人間がそんな話をすれば夢でも見たのだと一笑されるのが落ちであるが、意識不明だった者たちが揃って同じ話をすれば事情が変わる。
しかし一般常識に縛られた善良な人間たちがそのような与太話を信じるわけも無く、目覚めた者たちが全て冒険者ユーリの読者であると言う理由だけで片付けられたようだ。
彼らの戯言を信じる輩は現実の世界には存在せず、元来訪者たちは自分の話を証明するたちに一致団結した結果がこのまとめサイトである。
「お父さんやお母さんはこんな話は信じなかったけど、私は一応チェックしていたのよね…。
いやー、まさか実の兄がリアルでラノベの主人公紛いのことをしてたとは…」
「最終的には途中下車したけどな…。 全く、あの後でどうなっているのか…」
元来訪者たちがSNSや掲示板なで語った冒険者ユーリの世界の話を収集して、時系列順にまとめたこのサイトに興味を持った人間は、その手の話に抵抗の少ないオタクと呼ばれるマイノリティだけだった。
一部の界隈ではリアル異世界来訪者の登場と話題となり、今もそれなりの人気を誇るこのサイトを美子が知っていたことは幸運だったと言えよう。
サイトにまとめられている本物の来訪者が残した話には、ユーリや那由多と行動を共にする"カツヒロ"という人物の名前が頻繁に登場していた。
自分を差し置いて主人公サイドで活躍する"カツヒロ"への嫉妬や悪意が見え隠れする話が殆どであるが、少なくとも他の来訪者と自分が居た世界は同じであることは確認出来た。
「いやいや、十分に勝ち組だって。 原作主要ヒロインの一角を連れ帰った時点でさー。 ねぇねぇ、もうキスくらいはしたの?」
「ば、馬鹿野郎!? そういう話はな…」
「???」
恐らく克洋が呑気に異世界で遊んでいる間、残された家族には色々と苦労を掛けたのだろう。
その意趣返しという程では無いが、まとめサイトの情報やら直に見た二人の様子から克洋とティルの関係を察した妹はそれをネタにして頻繁に兄をからかってくるのだ。
ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながらティルトの関係を聞き出そうとする美子に、未だにティルの扱いを決めかねている克洋が明確な答えを出せる筈も無い。
まだ早口の日本語には付いて行けず二人の会話が殆ど理解出来ていないティルは、不思議そうな表情で自分の名前を出しなが会話する兄妹の姿を見ていた。
これが平成最後の更新になります。
次回は令和で会いましょう!
では。