13. 人斬り
対人という括りで言うならば、この世界で那由多を上回る者は殆ど居ないだろう。
魔物や魔族という危険な隣人と同居するこの世界の住人にとって、人間より優先しなければならない相手が居るのだ。
東の国で対魔族の剣を磨き上げていた筈が、道を外れて対人へと方向転換した異端の一族。
その業を受け継ぐ一族の末裔である那由多で無ければ、これ程の剣技を身につけることは出来なかっただろう。
そんな彼女であればこそ、自分より明らかに上と分かる対人用の剣技に出くわした事で珍しく驚愕を表情に表していた。
「はははははは、その程度かよ! こんなんじゃ、殺人姫の名が泣くぜ!!」
「…この力は!?」
「驚いたか、これが俺の力だよ! 俺が剣を振るえばどんな相手でも真っ二つだ。
こんな世界なんて俺の力で全て壊してやるよ、はははは!!」
来訪者、陸にとってこの世界は都合のいい遊技場でしか無かった。
彼にとってこの世界の住人は生きた人間では無く、現実世界で毎日のようにやっていたゲームのエネミーと対して違いは無い。
現実世界でどんなストレスが溜まっていたのかわからないが、陸がこの世界に来訪した理由は単なる憂さ晴らしなのだ。
一人一人倒した方が楽しめるだろうと言う理由で絶対に負けない剣技を特典として得て、陸はこの世界へと舞い降りた。
そして名もなき冒険者を相手に試し切りをしていた陸は、ある日ザンにスカウトされることになったのである。
「…目に追えていない剣にも反応している。 自動発動するタイプの特典ですか?」
「そのとおりだ! 俺にどんな奇襲も通用しない! お前がどんだけ強くても、俺に斬られる運命なんだよ!!」
那由多と互角以上に渡り合う剣捌き、その剣速は最早常人の目ではついて行けない領域に達している。
事実、陸は自らの振るう剣が見えていないようで、その姿はまるで刀が自らの意思を持って自分から動いているようだ。
自らの意思に関わらずに発動する特典、克洋の転移魔法と言う前例を知っている那由多はすぐにその種を察した。
ふざけた話であるがこの男は恐らく、この世界の誰より強い剣などと言う頭の悪い能力を得てこの世界に来たのだろう。
しかしそれを得た経緯がどんなにくだらない物とは言え、那由多を上回るその実力は確かに本物であった。
このまままともに戦っていれば自分は負ける、那由多がこの来訪者に勝つには普通のやり方では駄目だと理解した。
来訪者、克洋を含むこの世界にやってきた異物。
彼らは皆等しく克洋が特典と読んでいる、奇妙な能力を一つ以上携えていた。
これまで幾多の来訪者たちと出会い、時には斬ってきた那由多は彼らの特典とやらには一つの大きな法則があることに気付いていた。
それらの能力は来訪者自身に宿る物であり、どんなに特異な能力であってもそれは来訪者自身が発生源であるのだ。
「…貴方様が貰った特典とやらは、そのふざけた剣だけでは無いですよね。
その作り物のような容姿…、否、その体自体が下の体と別物なのでは?」
「っ!?」
例えば克洋の即死攻撃を自動回避する転移魔法は、一体誰がどのような判断基準で発動させているのか。
密かに克洋を観察していた那由多は、その種は克洋自身が無意識の内に発動させている物であると解釈していた。
人間の感覚という物は意外に侮れない、意識下では気が付いていない事柄も無意識下では意外に察している物である。
その無意識下に感じ取った物を人は漠然とした情報として意識下に渡され、それは虫の知らせと呼ばれることもあった。
そして自身に対する害意、特に死を孕む気配を人間が待つ野生と言うやつが無意識の内に敏感に感じ取っている。
恐らくあの自動回避は克洋自身に刷り込まれた条件反射でしか無く、彼は無意識下で感じ取った死の気配から逃れているだけの事だろう。
「動きを見れば分かりますよ、幾ら勝手に振るわれる剣とは言え、貴方様の動きは何処かぎこちない。
もしかして本当の貴方様は、もっと恰幅がいいお方なのでは無いでしょうか?」
「だ、黙れっ!? これが今の俺だ、俺の力だっ!!
よーし、遊びは此処までだ。 ローラにやられた中ボスキャラなんて、俺が一瞬で切り捨ててやるよ!!」
今日まで人斬りの技術を鍛え上げてそれ実践してきた那由多の観察眼は、一目で眼の前の来訪者の歪さに気付いていた。
恐らくこの世界に来てからまだ数ヶ月くらいしか無い陸が、今の新しい体に完全に慣れていないことに…。
その一挙手一投足は十数年使っていた以前の体の感覚を引き摺っており、何処か違和感を覚える動きなのである。
此処に克洋が居ればこの来訪者の体が異なることの理由を察して、生暖かい目を陸へと向けていただろう。
一体どのような理由で陸が自らの元の体を捨てたかは分からないが、それは彼に取っては触れてはならない箇所だったようだ。
明確な怒りを見せる陸の剣の冴えは加速的に増していき、このままでは来訪者の宣言通り那由多の敗北は確定的であった。
意識下では全く気付いていない奇襲にも反応した相手の剣技は、恐らく克洋の自動回避と同様のシステムで発動した物の筈だ。
これを回避する方法はただ一つ、相手の意識だけで無く無意識下の感覚さえを騙しきればいい。
那由多の軽口によって怒りという感情に支配された陸の意識は、自然とその対象である那由多へと向けられる
そして陸の無意識下の感覚もまた、意識のそれに引き摺られて一点へと集中してしまった。
己にぶつけられている怒りを感じ取った那由多は、何時も通りの楚々とした笑みを絶やすことなかった。
「もうお前は終わりだ! はははははは…、っ?」
「…ええ、これでお終いです」
結果だけ見ればそれは一言で表せた、那由多が陸の首を落としたのだ。
相手の意識・無意識の感覚を全て騙しきった那由多の一振り、陸がそれに気付いたのは自分の頭が地面に落ちていく光景を目の当たりにした瞬間であった。
意識下・無意識下を問わずに相手に全く悟られる事無く振られる剣、それは対人に置いては究極と呼べる一撃である。
ある程度の領域に達した達人であれば、本来であれば制御することが出来ない無意識下の感覚を半ば支配することが出来た。
意識下を騙した程度では通用せず、それらを上回るために無意識下にすら悟られない剣を磨くのは対人を極めるための必須事項である。
しかしそれは対人間相手に絞った故に完成した絶技であり、その剣は魔物どころか人に近い魔族にも通用しない対人特化の欠陥技だった。
対魔族という道すら外れて、ただひたすらに人を切ることのみに主眼を置いて磨かれてきた那由多の邪剣は人間以外には無意味だ。
だからこそこの剣は人間のカテゴリーに入る来訪者には、彼女の邪剣は極めて有効に働くのである。
「他愛ない、これならお兄様の方が余程上等ですよ…」
万が一にも克洋がこちらを裏切ったとき、あの煩わしい転移魔法を掻い潜って斬るための奥の手。
思わぬ所で那由多は、克洋が万が一にも裏切った時の予行演習をすることが出来たようだ。
ただしただ自分の特典に溺れている陸とは違い、克洋が相手では今回のように容易く切り捨てることは難しいだろう。
同じく特典の転移魔法頼みとは言え、この世界に来てから幾度も無く体を張りながら修羅場を潜り抜けた克洋の感覚はそれなりに鍛えられている。
今のように口先一つで手玉に取れるような輩と一緒にしては、流石にあの兄と呼んでいる男に失礼であろう。
「おい、那由多。 お前、人を…」
「死体が消えた。 …見た目は人間のようでしたが、やはり中身は他の連中と同類でしたね。」
ユーリ様、申し訳ありませんが、その剣を回収してくれますか。 ああ、他の方には手を触れさせないように…」
「あ、ああ…」
ユーリは初めて見た那由多の人斬りの光景に驚きを隠せないようだが、那由多は平然と死体が消える来訪者の特徴を盾に自らの殺人を否定する。
そして動揺するユーリを誘導し、先程まで陸が持っていた神の剣をユーリに拾わせようとした。
どうやら那由多は現状の所有者である陸が死亡したことによって、所有者が空白状態となった神の武具を主人公に預けるつもりらしい。
言われるがままにユーリは地面に転がる神の剣を元へと向かい、まるで道端に落ちたゴミを拾うかのようにあっさりと手に取った。
自らの剣技に余程の自身があったのか、陸は神の剣の力を全く使おうとはしなかった。
もしかしたら剣の技術を特典として得ていた陸には、これを克洋のように魔法増幅のアイテムでは無くただの頑丈な武器としか使えなかったのかもしれない。
仮にそうだとしたらまともに剣の戦いに付き合うこと無く、遠距離から魔法を放てばあっさり勝てていた可能性もある。
まさしく宝の持ち腐れという奴であり、この程度の輩に貴重な神の武具を与えたザンの頭の中を疑う所業であろう。
まるでユーリたちに神の剣を差し出すために、わざわざこの来訪者をこちらに寄越したと言える程だ。
「…何故、あれはこの程度の来訪者に神の剣を与えた。 私達の中で神の剣を使えるのはユーリ様くらい、まさかユーリ様にこれを渡すために…、
否、あれの考えなど気にする必要は有りません。 私はあれを斬るだけでいいのですから…」
「おーい、那由多。 一応持ってきたけど、何か凄い武器じゃ無いか、これ?」
「おい、凄いプレッシャーだぞ!? もしかしてこれ、何かの伝説の武器とかじゃ…」
明らかに理に合わない神の剣を携えた来訪者の襲撃、那由多はザンの行動にとてつもない違和感を覚えていた。
今回だけでは無い、これまでのザンの行動は克洋から聞いた原作とは、明らかにかけ離れた行動を取ってきていた。
相手がどんな事を考えていようとも自分があの魔族を斬ることは変わらない、そう自分に言い聞かせながらも那由多は胸の内に抱いた疑問を消化できずに居る。
そんな那由多の考えなど露知らず、ユーリたちは回収した神の剣に興味津々の様子であった。




