35. 神頼み
古代龍の思念波を通じて、健児の要求は周囲一体へと伝わっていた。
しかしこの場に居る人間の殆どは、残念ながら現実世界で使われている日本語と言う言語を全く理解できていない。
彼らは頭上に現れた異様なドラゴンに恐怖し、直接頭に響いてくる見知らぬ言語の響きにただ狼狽えるだけであった。
「ね、ねぇ…。 さっき克洋さんの名前が出て来なかった?」
「もしかしてこの声は、あの人の事を呼んでいるのかしら…」
「カツヒロさん…」
耳慣れない言葉は理解できなくとも、単語程度であれば聞き取る事が出来る。
頭に響いてくる声の中から克洋の名前を見出したユーリたちは、自然と先程自分たちを救った冒険者の方へ視線を寄せた。
その件の人物は皆と同じくこの状況に混乱しているのか、若干青褪めた表情を浮かべながら何やらフリーダ・那由多と小声で話をしている。
「お兄様、翻訳をお願いします。 …お兄様?」
「畜生ぉぉぉ、何で俺があいつに狙われているんだよぉぉぉぉ!!
どうしてこういう時は、何時も俺ばかりなんだぁぁぁ!!」
あの龍の頭上に居る男が克洋の同胞である事を知っている那由多は、克洋に対して日本語の翻訳を求める。
しかしどうやら今の克洋には那由多の言葉は耳に入っておらず、ただただ自分に襲いかかる理不尽な不幸を投げていた。
半狂乱になる克洋の気持ちも解らなくは無い。
何しろいきなり古代龍と言う規格外の存在を引き連れて現れた奴が、よりにもよって自分の事を名指しで呼びつけてきたのだから。
「…端的に言えばあの龍の頭に乗っている奴は、こいつの身柄を要求している」
「あら、フリーダ様もお兄様の言葉が解るのですか?」
「以前に言葉が通じないだけで酷い目にあったからな、暇な時にこいつから日本語とやらを一通り教わっていたんだ…」
那由多の問いは克洋の代わりに横に居たフリーダが答えた。
実は密かに日本語をマスターしていたらしいフリーダは、克洋と同じく古代龍から発せられる思念波を理解出来る数少ない人間であった。
ちなみに天才と名高いフリーダは、僅か一週間足らずに日本語による日常会話をマスターしていた。
この時に日本語の教師役をやっていた克洋は、フリーダの規格外の才に心底驚いたらしい。
「あれは前にお前たちから聞いた、ゴブリンと同化した間抜けなテイマーだったな…。
どういう流れでそうなったかは解らないが、あの男は自分がゴブリンと同化した原因は克洋にあると先程から喚いている。
克洋を出せ、これは復讐だとな…」
「俺全く関係無いよね!? 俺があった時にはあいつ、既にゴブリンモドキになっていたよねぇぇ!
なんでそれで俺が復讐の相手になるんだよぉぉぉっ!!」
「あらあら…」
古代龍の思念波を通して語られる健児の恨み節は、克洋の取っては全く見覚えのない話であった。
事実、克洋は健児が既にゴブリンモドキと化した状態の時に初めて出会ったのだ。
自分のせいでゴブリンモドキとなったと言う健児の言葉は事実無根であり、甚だしい言い掛かりでしか無い。
しかしこの場に現れたのが健児が古代龍などと言うとんでもない存在を連れてきた事によって、事態は徐々に悪い方向に向かっていく。
「ああ、まずいな。 奴め、そろそろ痺れを切らしたらしい。
このまま克洋が出てこないなら、この一体を全て破壊すると通告してきた」
「…お兄様、私はお兄様の犠牲を無駄にはしませんわ」
「何、俺が犠牲になる話になっているんだよ! こんな冤罪で俺は死にたくないからな!!」
確かに此処で克洋が要求通りに出ていけば、この場は丸く収まるかもしれない。
ただしあれだけ恨み節を見せている奴の前にのこのこと顔を出そうものなら、下手をしなくても克洋の命はなくなるであろう。
仮に健児の言う通りに彼の同化の原因が克洋に有るならば、責任を取って犠牲になる事を少しは考慮してもいいかもしれない。
しかしどう考えても自分に否が無い事を分かっている克洋は、この場であの古代龍に出る気は皆無であった。
古代龍、古代より生き付けている伝説の龍の実力は"冒険者ユーリ"の作中において最強クラスと言っていい。
一部では生き神として信仰されている龍である、その力はまさに神の如き代物であった。
かの偉大な龍を相手にしたからこそ、原作でのユーリは魔人化と言う最強の切り札を身につけられたのだ。
魔人化をマスターするために作中で繰り広げられたユーリと古代龍の死闘、それはまさに人外の戦いであった。
事実、直接見る古代龍の姿からは、最早魔物という枠を超えた圧倒的な存在感を放っている。
この偉大な龍の前では、先程まであれほど恐ろしいと感じていたキマイラなどは小動物程度にしか感じられないだろう。
ユーリたちも古代龍の存在にショックを受けているらしく、中にプレッシャーに押されて震えている者も居るようだ。
「に、逃げよう! 古代龍に勝てるわけが無いです」
「駄目だ、あの男は正気じゃない。 此処であれを止めなければ下手をすれば古代龍をけしかけられて、人里の二つや三つが吹き飛ぶぞ」
原作を通して古代龍の力を理解している克洋は、早々にあれに立ち向かう選択肢を諦めた。
恥も外聞もなく克洋は若干震えた声で、この場からの離脱をフリーダに提案する。
しかしフリーダは古代龍を使役する健児を放置するのはまずいと、あっさりと克洋の提案を却下した。
思念波で聞こえてくる健児の言葉を聞く限り、あれはもう半ば正気を失っているようだった。
最早、支離滅裂に克洋への恨み言を垂れ流し、古代龍の存在を盾に脅しを掛けてくる健児は危険である。
それ故にフリーダはあえて危険を犯してでも、健児の暴走を止めようと言うらしい。
「で、でもあんなのをどうやって倒すんですか!? あんなに勝てる訳が無い…。
あっ、もしかして超級魔法を使う気ですか、確かにあれなら…」
確かにフリーダの懸念も理解は出来るが、一体どのような手段で古代龍に立ち向かうのか。
今この場に居るユーリは魔人化所か、克洋たちの介入の影響でまだ魔王の血すら目覚めていない状態である。
他の面々も才能こそあれ、現時点では冒険者学校一年目の学生たちでしか無い。
この場に戦力になりそうな人物はフリーダと那由多しか居らず、彼女たちだけで古代龍を倒せるとはとても思えない。
そもそも遥か上空に居る龍に那由多の剣は届かず、フリーダの魔法だけであれを撃ち落とせるとは考えづらい。
しかし克洋は此処でフリーダが持つある切り札の存在に気付いた。
超級魔法、人間が扱える上級レベルの魔法の壁を超えた、天才魔法使いフリーダが編み出した特大の大砲である。
きっと超級魔法なら古代龍を倒せる、希望を見出した克洋の瞳は輝きを取り戻していた。
「残念ながらあれはまだ未完成だし、そもそもあれは威力が有りすぎる。
あれでは古代龍が死んでしまうだろう」
「はぁっ!? 何でドラゴンの心配をする必要が…」
「心配が有るんだよ。 此処であれが死んだら、私達の戦力が大きく減ってしまう…」
「うっ…」
しかし克洋の希望はすぐに潰えてしまい、その瞳は輝きを失ってしまう。
克洋の情報によって超級魔法の開発は確かに原作よりは進んでいるが、現時点ではまだフリーダはそれを完成させていなかった。
そもそもフリーダは例え超級魔法が使える状態にあったとしても、此処でそれを使う気は毛頭無かったのだ。
原作に置ける古代龍の出番は、ユーリが魔人化の修得イベント以降にも存在している。
偉大な龍はユーリたちの味方となり、原作での最終決戦時に参加をして縦横無尽に活躍するのである。
作中の描写的にユーリたちは本当にギリギリの所で勝利しており、少しでも戦力比が変わっていたら結果は逆になっていただろう。
此処で古代龍と言う貴重な戦力を潰すと言う選択は、原作の情報によって先の展開を知る克洋たちには取れないのだ。
「なら古代龍を倒さずに、あのお兄様のお仲間だけを殺る気ですか?」
「相手はお空の上に居る古代龍の頭上で高みの見物をしているんですよ!
あ、俺が運ぶのは無理ですよ、俺の転移魔法で跳ぶには距離が有りすぎます。 多分二回か三回に分けて跳ばないと、到底あそこまでは…」
「そして道中にあの龍に見付かって終わりと…。
お兄様の言葉では有りませんが、この状況であれに勝つ手段が見付からないのですが…」
残念ながら地を這う克洋たちには、空の覇者である偉大な龍の頭上にまで手が届かない。
克洋のテレポートの連続跳躍であれば辿り着くこと事態は可能であるが、距離的に一回の跳躍ではあそこまでは届かない。
そして跳んでいる克洋の姿を発見した健児は、嬉々として古代龍をけしかけて来る事は明白だ。
克洋だけでなく那由多もフリーダの意図が読めないらしく、二人は不思議そうに伝説の魔法使いの顔を見やる。
「何、最後は神頼みという奴さ…」
「「はぁ?」」
神頼み、運を天に任せるある意味で究極の責任放棄と言っていい選択。
有ろうことからフリーダはこの状況で、神など言うあやふやな存在を頼ると言ってきたのだ。
正気とは思えないその発言に、克洋と那由多の偽装兄妹は珍しく仲良く同時に驚きの声をあげた。




