33. 届いた刃
古代龍、"冒険者ユーリ"の作中においてその存在は初期の頃から匂わされていた。
しかし実際に古代龍がユーリたちの前に現れたのは作中の終盤、そこでかの龍は物語の進行における重要な役割を担う事になる。
魔人化と言う言葉を覚えているだろうか。
魔人化、それはかつて克洋たちの前に現れた勇人と言う名の、現実世界からの来訪者が見せた力である。
それは本来はこの世界の主人公であり、人間と魔族のハーフであるユーリにしか使うことが出来ない力だった。
原作の終盤においてユーリは魔人化と言う、人と魔族の力を組み合わせた最終形態に辿り着く。
そしてこの力を使いこなすための試金石となったのが、あの古代龍だったのだ。
「一体何が起こっているんだ…」
「…お兄様も予想は付いているんでしょう。 あれはあの魔族の仕業ですよ」
「てっ、うわっ!? 何時の間に…」
なまじ原作の知識を知っている克洋には、ユーリたち以上に古代龍に対してショックを受けていた。
確か古代龍は此処とは遠く離れた、深い山奥を住居として定めている筈なのだ。
理由も無しに古代龍がこの場に現れる筈も無く、あれは何らかの目的があって現れたのだ。
克洋の頭の中には疑問符が次々に湧き上がり、古代龍の登場と言うイレギュラーな事態を間に思考がフリーズ寸前に陥っていた。
しかしそんな克洋に対して、何時の間にか傍まで来ていた偽装妹が待ったをかける。
「どうやら上手くアンナ様たちと合流したようですね。 結構な事ですわ…」
「まあこれも想定通りって奴だよ」
冒険者学校の進級試験は、幾つもの山が連なる広大なフィールドを会場として使用している。
そして他のパーティーとの協力プレイを極力排除するため、試験に参加する此処のパーティーはなるべ接触しないように割り振りがされていた。
そのため本来であればユーリたちがあんなに早く、アンナたちのパーティーに合流するのはおかしい事であった。
しかし通常の試験とは違い、今回はあの魔族の少年の襲撃が予想されている。
そのため原作と同じパーティー編成であるユーリ・ローラ・レジィ・イルゼのパーティー。
そして原作にはこの時点では影も形も居ない筈のイレギュラーたちをまとめた、アンナ・ティル・メリア・那由多のパーティー。
この両パーティーは万が一の場合に素早く合流できるように、密かにルーベルトの手配によって非常に近い位置に配置されていたのだ。
ある意味でこの両パーティーの合流は、克洋たちの想定通りの事なのである。
「それよりお前、何でこんな所に居るんだ…。 あれは一体、否、それよりザンの奴をどうしたんだ?」
「逃げられたよ、またしてもな…」
「あ、フリーダさん」
「奴め、逃げるついでにとんでもない物を呼び寄せようだ」
「やっぱりあれも…、ザンの仕業なのか」
克洋の疑問は那由多に続いてこの場に現れたフリーダが代わりに答えた。
どうやら克洋が内心で想像していた通り、この状況はやはりあの魔族の少年が引き起こした事態らしい。
またしてもあの魔族にしてやられたらしいフリーダは、苦々しげに事の経緯を語り始めた。
それは那由多の執念が実を結んだ瞬間だった。
ザンは涼し気な顔を崩すことなく障壁を展開し、何時ものように那由多の剣を防ごうとする。
少年の周囲に淡く光る半透明の膜が構築された、まるで薄いカーテンのようなザンの障壁であるがその強度は折り紙付きである。
その少年のような見た目に相反して、魔族の中で上位に位置するザンが展開する障壁はドラゴンのそれを遥かに上回る物だった。
かつて那由多はこのザンの障壁を打ち破るためにドラゴンを仮想敵にして鍛錬重ね、そして見事に敗れ去った。
この結果は那由多に剣の技術のみでザンを打倒する事を諦め、魔法という新たな活路を見出すことにしたのだ。
「…身体強化!!」
「ははは、その程度の小手先で…」
この日のために那由多が用意した奥の手、魔法によって擬似的に魔力による肉体強化を再現する身体強化。
普段、那由多などの前衛タイプの冒険者が行っている魔力による肉体強化と並行して、魔法効果による機械的な肉体強化が彼女の体に走った。
言うなれば別々のエンジンを二つ同時に乗せている不安定な状況を、生まれ持った剣才によって無理矢理に制御する。
二重の強化と言う無茶にさらされた事で体は軋み、もう限界だと言う事を痛みと言う情報を持って那由多に知らせていた。
この状態を長時間維持するつもりは無い、あの魔族に対して一度だけ剣を降る事が出来ればそれでいい。
那由多は身体中の痛みを微塵と顔に出さずに刀を鞘に収る、そして前傾の姿勢を取り鞘に収まった刀の柄に手を添えた。
肉体強化の効果を限界まで高める那由多が必殺と定めた居合の構え、その体制のまま彼女はザンへと迫った。
刀を構えながら向かってくる那由多の姿を前に、ザンは無駄な努力をする愚かな人間に対して嘲笑を浮かべていた。
次の瞬間、神速の居合がザンの障壁へと振るわれた。
「……なっ!?」
「…いい顔です。 漸くその癪に触る笑みを崩すことが出来ましたよ!!」
最初に感じたのは衝撃、そして次に痛みが走った。
そしてザンは目の前の光景に目を疑うことになる、なんと自分の腕に那由多の刀が刺さっているでは無いか。
三度目の正直、那由多はザンとの三回目の戦いにおいて見事にあの魔族の障壁を破ることが出来たのだ。
しかし那由多は完璧に障壁を破った訳では無く、かろうじてそれを突破したに過ぎない。
その証拠に本来ならザンの体を両断している筈の刀は、ザンの腕を半ばまで断つ程度にしか届いていない。
障壁の突破に運動エネルギーの殆どが奪われ、僅かに残った力はザンの腕を傷つけることしか出来なかったらしい。
「こ、こいつめ!!」
「あら、危ないですわ」
反射的にザンは刀を受けていない方の腕を構え、数十センチ先の所に居る那由多に対して攻撃魔法を放つ。
彼女のを追い払うかのように、ザンからガトリングの如き魔力の弾丸が放たれた。
しかし那由多はそれを悠々と回避していき、結局ザンの魔法は一発足りとも那由多に当たらなかった。
「くっ…、どうやら君の認識を改める必要があるね。 訂正しよう、君の剣は人間以外にも十分に通用する」
「今更褒めて遅いですよ…」
回避行動によって不本意な事であるがザンとの距離が空いた那由多は、再び斬ってやるとばかりに居合の姿勢を取る。
とりあえず自分の剣が人間専門だと嘲笑った、あの憎きザンに一矢報いる事は出来た。
しかしこれではまだ全然足りない、あの魔族には最初にあった時に自分を洗脳しようとした報いを味あわせなければならない。
全く闘志が衰えた気配の無い那由多は、悲鳴を上げている体の事を無視して次の瞬間にも飛び出しそうな勢いだった。
「やれやれ、人間は怖いね。 まさかこんな短期間で成長するとは…。
ふむ、なら僕も奥の手と言うやつを使おうかな」
「…剣、まさか私と剣を交える気ですか?」
「否、僕は君たちの流儀で言うなら後衛タイプでね。 とてもじゃ無いが君と剣で渡り合うだけの実力は無いよ」
苦笑を浮かべながらザンが無事な方の手を虚空へと伸ばす、すると何時の間にかその手に剣が握られているでは無いか。
それは小柄な少年程度の体格しか無いザンには不相応な、下手をすればザンの身長の同程度有りそうな大振りな剣であった。
その剣は刀身から柄まで全てが鮮やかな赤色で染められている両刃の西洋剣であり、華美な装飾は無く無骨な印象を那由多は持った。
ザンは無傷な片手のみでその剣を軽々と操り、その切っ先を那由多に向かって構える。
この状況で出したと言うことは、この赤い剣はザンに取っての切り札と呼べる存在である筈だ。
しかしザンの口振りを信じるならば、この魔族の剣の腕は那由多には及ばないらしい。
ならば目の前の魔族はどのような意図を持って、あの不気味な剣を取り出したと言うのか。
「…神の剣よ、その力を見せろ!!」
「なっ!?」
ザンはそれを剣として使う気は毛頭無かった。
自身を後衛タイプと例えた通り、ザンの戦闘方法はあくまで魔法を使用した物になる。
そしてザンが取り出したこの剣は、その戦闘方法の効果を最大限に高める効果があった。
徐にザンは剣に秘められた力を開放し、それによって剣は所有者の願いに呼応して赤い光を放ち始める。
この状態でザンはほんの少しだけ魔力を込めて、人間の冒険者で言うならば初級クラスの攻撃魔法を発動した。
しかしその威力は初級クラスとは決して言えない巨大な業火となり、正面に居る那由多へと迫っていく。
「危ない、那由多!! 火炎爆裂波」
「フリーダ様!!」
異様な魔力の気配を察知したフリーダが咄嗟に那由多を庇い、準備していた攻撃魔法を使ってその業火を相殺しようとする。
それはフリーダが邪魔なドラゴンやキマイラたちをまとめて倒すために準備していた、とっておきの上級レベルの攻撃魔法であった。
効果範囲が広い波動系の上級魔法は迫り来る業火へとぶつかり合い、互いに互いの炎を飲み込もうと喰い合う。
その余波はフリーダたちの元へと届き、火傷しそうなほどの熱風が彼女たちの頬にあたる。
やがて炎と炎は互いに威力を弱めない、周辺の木々や地面を燃やし尽くした後に消滅を迎えた。
フリーダはこの結果に内心で大きな衝撃を受けていた。
あの魔族が軽く放った魔法、自身が全力で放った上級クラスの攻撃魔法と同程度の威力だったのだ。
幾ら魔力の申し子である魔族とは言え、あの短時間であれだけの威力の魔法を放つのは不可能である。
先ほどのザンが放った魔法があれ程の威力を出した要因、それは状況的にあの赤い剣しか無いだろう。
「その剣は…」
「君たちなら知っているんじゃ無いか。 神の剣、神がこの世界に残したと言う四つの武具が一つさ
その効果はご覧の通り、少し力を込めただけでこの威力だよ」
「ちぃ、やはり貴様が回収していたか!!」
神の剣、現在克洋が所有している神の書と同じ神の武具と称される伝説のアイテム。
"冒険者ユーリ"の原作において確かにザンはこの神の剣を所有しており、その神の如き力を持ってユーリたちを追い詰めた。
しかし原作であればこの時期には、ザンはまだ神の剣を所持していない筈であった。
原作においてザンが神の剣を手に入れるのは、今から二年程先の事である。
東の国を舞台に単行本一巻分の尺を使い、ザンはユーリ一行と神の剣を巡る争いを繰り広げた。
そしてザンは作中でまんまとユーリたちを出し抜き、この神の剣を手中に収めるのだ。
どうやらこの魔族が原作の展開を前倒したのは、キマイラの件だけで無いらしい。
道理でフリーダたちが克洋の情報を元に神の剣を事前に回収しようと試みた時、既に東の国に神の剣が存在しなかった筈である。
神の武具が持つ基本的な能力とは、所有者の発動した魔法の威力を極限まで高める物だ。
それは神の名を冠するだけあって絶大であり、克洋のへっぽこ初級魔法を上級レベルまでに高める効果があった。
その効果は多量の魔力を消費すると言うデメリットが有るため、並の魔力しか持たない克洋はこの力を一回しか使用できない。
翻って魔力の申し子である魔族のザンであれば、克洋のように魔力の残量など気にする事無く幾らでもこの力を使うことが出来るだろう。
神の剣を持った魔族、まさに鬼に金棒と言う形容が相応しい那由多たちに取っては最悪の組み合わせであった。
神の剣の登場によってザンの戦闘能力は飛躍的に上がり、那由多たちは魔族の逆襲に備えて身構えていた。
しかしどうやらザンの方はもう戦う気が無いらしく、あろうことか先程取り出した剣を再び何処かへとしまってしまう。
まるで自慢のおもちゃを見せられて満足したとばかりに、ザンは見た目に相応しい無邪気な笑みを零しながらこの場を去ろうとする。
「ふむ、今日はこのあたりにしておこうかな。
では僕はもう帰るけど、君たちは最後の余興を楽しんでくれ」
「っ!? 逃がす訳が…」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」
勝手に戦いを止めてしまったザンに対して、那由多は当然のように異議を唱える。
しかし結局、那由多はザンをまたしても取り逃がすことになってしまった。
ザンが言う最後の余興とやらが、何処からとも無くこの場所にやって来たのだ。
天から降ってきた異様な一声を聞いただけで那由多たち、その存在の危険性を察する。
それに気を取られている間にザンは生き残ったお供と共に、何時の間にか那由多たちの前から消えていた。
一瞬で最早ザンに構っている余裕は無いと判断した那由多とフリーダは、そのまま先行した克洋たちに合流するために踵を返した。




