29. 軍勢
"冒険者ユーリ"の原作において、ユーリに降り掛かった魔族の少年ザンによる襲撃イベント。
この事件を境にユーリは自身の内に秘められた力、母から受け継いだ魔族の血に目覚める事になる。
つい先程まで誇らしげに自らの夢を語っていたイルゼが、ザンの放ったドラゴンによって無残にも殺されてしまう。
友人の死に様を目の前で見せつけられたユーリはその光景から、かつての村の幼馴染の死に様を重ねる。
アンナの死、イルゼの死、目の前で大事な人間が死んだ事による怒りや悲しみの感情が、ユーリの内に眠っていた力を呼び起こしたのだ。
一年前に村で覚醒した時は、ユーリの体が内から湧き上がる力を受け止めきれずに暴走した。
しかし冒険者学校で鍛え上げた現在のユーリであれば、その力をギリギリの所で制御することが可能となっていた。
原作ではこの後、ドラゴンの背後から姿を現したザンに覚醒したユーリが襲いかかる。
そしてお供のドラゴンを圧倒的な力でねじ伏せ、那由多の斬撃をも防いだ障壁魔法を力尽くで破りザンに一撃を御見舞するのだ。
ユーリの変貌に驚いたザンはそのまま撤退、ユーリは力を使い果たしその場で倒れてしまい原作における進級試験編は終わりを迎える。
「…うわっ、危ねぇぇっ!! 良かった、間に合って…」
「あれ、私、生きてる…」
「えっ、克洋の兄ちゃん!?」
原作通りに話を進めるならば、此処でイルゼは死ぬべきであった。
イルゼの死を切っ掛けにユーリは自身の力に目覚め、この力を制御するために努力するようになる。
この力は後の戦いで重要な役割を果たし、この力が無ければユーリは原作の最後まで生き残ることは出来なかったであろう。
しかし此処に原作など糞食らえとばかりに、目の前の命を優先する馬鹿たちが居た。
ドラゴンブレスが放たれた地点から少し離れた所から、聞き覚えのある声がユーリの元に届いてきた。
そちらの方に顔を向けてみれば、そこにはユーリが憧れている冒険者の姿が要るでは無いか。
その冒険者、克洋の腕には呆然とした表情のイルゼの姿も有る、どうやら彼女は克洋の手によって救われたらしい。
原作における進級試験での悲劇、ザンの襲撃とイルゼの死は当然のように克洋に取っては既知の事項である。
そしてこの情報は既に学園の長であるルーベルトなどの関係者に伝わっており、しっかりとザンに対する備えを行っていた。
最初は進級試験を中止する案も出たが、克洋の言葉だけでは国が運営する冒険者学校の行事を中止することは不可能である。
加えて克洋と同じ現実世界からの来訪者の可能性が有るザンが、自分の行動が読まれている事を警戒して動かない可能性もある。
そのため克洋たちは進級試験を表向きは通常通りに進行し、密かにザンに対する警戒網を張っていたのだ。
「克洋の兄ちゃん、どうして此処に?」
「悪い悪い、ちょっと事情があってな…」
「やれやれ、漸くお出ましか…。 もう少し早く出てほしかったぞ…」
「えぇ、何でフリーダさんまで居るんだよ!?」
「…ッル!?」
ザンの標的はユーリであり今回はイルゼの件も有る、当然のようにユーリたちには護衛が付けられていた。
何も知らずに進級試験に挑んでいるユーリたちの後を、護衛チームたちが密かに着いて来ていたのだ。
そのような事情を知らないユーリは、この場に克洋やフリーダが居ることに心底驚いている様子だ。
フリーダはユーリたちを守るためにドラゴンの前に立ち、威嚇するようにドラゴンに向かって杖を構える。
本能的に彼我の力の差を感じ取ったのか、ドラゴンは何処か狼狽した様子で僅かに後ずさった。
「おいおい、一体何なんだよ? イルゼは大丈夫なのか?」
「何故此処にフリーダ様が…」
ユーリのパーティーメンバーであるレジィやローラは、突然の状況の変化に付いてこれないようだ。
いきなりドラゴンが現れたと思ったら、都合よく克洋やフリーダが自分たちを助けるために姿を見せる。
対抗試合の時にフリーダと面識があるレジィはともかく、どうやらローラの方もフリーダの顔を知っているらしい。
レジィとローラは伝説の魔法使いの登場に驚きを見せながら、とりあえずパーティーメンバーの無事を確かめるためにイルゼの元に近寄る。
イルゼの傍には一足先に来ていたユーリの姿が有り、イルゼの状態を確かめていた。
「おい、イルゼ。 大丈夫か、怪我は無いか?」
「う、うん…、私は大丈夫」
「よーし、お前ら。 此処はフリーダさん任せて俺たちは…」
「っ!? グルルゥゥ!!」
「げっ、こっちにもドラゴン!?」
「ああ、こいつは大丈夫だよ。 これは克洋の兄ちゃんのドラゴンだから…」
イルゼはドラゴンから受けたショックがまだ抜けてないようだが、とりあえず見たところ怪我は無い様子である。
パーティーメンバーの無事にユーリたちは一先ず安心するが、この場にはまだ危険なドラゴンが居るのだ。
克洋はユーリたちを避難させるため、ドラゴンをフリーダに任せて後退しようとする。
しかし克洋たちが行動する前に、克洋の足元に控えていた小さなドラゴンが虚空に向けて唸り声を上げたで無いか。
新米テイマーになった克洋の使役する魔物であるたつおは、何かを警戒するようにドラゴンの背後の空を睨みつけた。
するとたつおの威嚇に応えるように空が歪み始めた、何もない虚空が魔族の少年が姿を見せる。
「やれやれ、此処でも筋書き通りにはいかないか…」
「出たな、魔族め…」
「あれが…、ザン?」
その少年は軍服風の耳を身に纏い、人と違う種族である事を示す長い耳をしていた。
魔族の少年ザン、ユーリを付け狙う危険な魔族が原作通りに姿を現したのだ。
ドラゴンの背後に浮かぶザンは、目の前の状況を見て何やら苦笑を浮かべていた。
どうやらザンはイルゼが未だに生存しており、フリーダや克洋と言うイレギュラーが存在する現在の状況が気になるらしい。
"冒険者ユーリ"の原作を知らなければこの状況に違和感を覚える筈も無い、この反応から見てもザンが原作知識を持っている事は明白だった。
ユーリの村で一度ザンと相対しているフリーダは、敵意の篭った視線をザンに向ける。
克洋の方は漫画を通して姿こそ知っている物の、実際にザンを見るのは初めてであった。
目の前で実在するザンの姿は、少年のように見える幼い容姿に相応しくない怪しい雰囲気を纏う美少年だった。
「…見慣れない人間が居るな、もしかして君がイレギュラーの原因なのか。
君、名前は何て言うんだい?」
「…克洋だ」
「克洋、克洋か…。 僕の方は名乗らなくてもいいよね」
原作に影も形も存在しない人物である克洋の事を目敏く見つけたザンは、どうやら直感的にあれが原作の展開を変えている存在であると認識したらしい。
何が可笑しいのかザンは笑みを浮かべながら、克洋の名前を繰り返し呟いている。
「おい、あれて…」
「魔族、何でこんな所に…」
「一体何なのよ、これは!?」
何も知らないユーリたち冒険者学校のパーティーたちは、人類の天敵である魔族の登場に肝を冷やしていた。
直接魔族の姿を見たことは無いだろうが、魔族の特徴などは知っているのだろう。
ザンの姿からあれが魔族であると理解したらしいレジィたちは、呆然とした様子で魔族と克洋たちのやり取りを見ていた。
「おい、お前がザンって魔族何だろ!? お前の狙いは俺だろう、それなら何でイルゼを狙った!!」
「ああ、すまない。 別にその人間を狙った訳では無い、こいつには君を襲うなとしか命令していないんだ。
その人間が最初に狙われたのは偶然だよ。 否、これも避けられない運命って奴なのかな…」
「お前…」
他のパーティたちとは違い、村の一件でザンの存在を認識しているユーリは一人ザンに食って掛かる。
かつて魔族の王である魔王を討伐した勇者ヨハン、その息子であるユーリを魔族であるザンが狙っているのは解る。
しかしそれならば自分一人を狙えばよく、先ほどのように関係無いイルゼが巻き込まれる事をユーリは許すことが出来なかった。
ユーリの言葉に対して暗にユーリの周りの人間など気にも掛けてないと言うザンに、ユーリは明確な怒りを向ける。
自分の身が狙われている事より周りが巻き込まれる事が許せないらしいユーリ、その考えはまさに主人公に相応しい高潔な物であった。
「さて、半ば予想していたけど、今回も上手くいかなかったな。 この調子では次も…」
「いえ、あなた様は此処で終わりですよ」
「えっ、那由多!?」
そしてザンが居る場に、魔族の少年に敵意を持つあの少女が姿を見せない訳が無い。
何時の間にかこの場に現れていた着物姿の少女、那由多は刀の切っ先を因縁の相手に突き付きながら勝利を宣言する。
別のパーティーを組んで自分たちと同じように試験を受けている筈の那由多が現れた事に、ユーリは驚きの声をあげた。
原作の描写を見る限り、この進級試験での襲撃時におけるザン側の戦力はそこまで多くは無い。
ユーリたちの前に現れたザンとお供のドラゴン一体、後は撹乱のために数匹のドラゴンは他の場所にも現れたらしい。
このドラゴンたちによってイルゼを含む、ユーリの同級生たちは何人か帰らぬ人となった。
しかし冒険者学校の関係者によって撹乱用のドラゴンたちは討伐され、ザンを覚醒したユーリが追い払うことに成功する。
先のユーリの村での一件と比較したら、数人の犠牲者で済んだ今回は被害が軽微で済んだと言えるだろう。
加えて今回の進級試験では、克洋の情報を受けたルーベルトによって既に対ドラゴン用の戦力が用意されている。
原作通りにドラゴンたちが試験中に乱入したとしても、数匹程度のドラゴンたちであれば難なく排除することが可能であろう。
「…ふっ、そちらの準備は万端と言うことか。 ならこちらも、それ相応の対応をしなければな…」
「…一体何をしようと言うんだ?」
「何、丁度いいおもちゃを手に入れたんでね。 折角だから、此処でお披露目さえて貰うよ」
ザンたちの戦力が原作通りの物であれば、周到な準備をした克洋たちの勝ちは確定であった。
ユーリの村でザンが原作より多くのドラゴンを率いていた事から、今回もドラゴンの数が増えている可能性も考慮している。
ルーベルトを含む冒険者学校の精鋭たちが待機しており、ドラゴンの数が数倍になろうとも対処は可能であった。
しかしザンの戦力が克洋の知るそれとかけ離れた物であれば、事情は大きく変わってきてしまう。
そしてユーリの村の一件で現状が既に原作と違った道筋になっている事を察したザンが、何も考えずに原作通りに行動を起こす筈も無かった。
「「「「「ァァァァァァァァァッ!!」」」」」
「なんだ、一体この声は…」
「嘘だろ、これは…」
ザンが語る意味深な言葉と同時に、進級試験の舞台となる地域の各所から心胆を寒からしめるような咆哮が響き渡る。
勇者のパーティーとして様々な魔物と戦ってきたフリーダは、鳴き声だけで魔物の種類をある程度判別できた。
しかしフリーダを持ってしもて、この咆哮を上げる魔物の正体には皆目検討が付かなかった。
それはフリーダが全く聞き覚えのない鳴き声では無い、逆に聞き覚えの有る鳴き声が重なりあったような奇妙な咆哮だったのだ。
そして克洋だけはその声を聞き、脳裏にこの声の主の姿を想像出来ていた。
克洋がその存在に気付くのは当然であろう、何しろ克洋はそれに一度殺され掛けたのだから。
「グルルルゥゥゥ!!」
「うげっ、なんだあれ? 気持ち悪い魔物だな…」
「糞っ、やっぱりキマイラ?」
「ははは、僕があれを使ってもおかしく無いだろう? さぁ、これは僕からの心配りだ、楽しんでくれたまえ」
「…もう喋らないでください、これ以上あなた様の声を聞きたく有りません!!」
そして咆哮の持ち主は克洋たちの前に姿を現した。
ライオンの様な四足の体をベースに、体の表面はドラゴンの強固な鱗で覆われ、口や腕から鋭い牙や爪が見える。
何股にも別れた触手状の尾を激しく揺らしながら、その奇妙な魔物は三つの目を見開きながら克洋たちを威嚇するように唸っていた。
キマイラ、複数の魔物のパーツを組み合わせて作成された人造の魔物。
確かにこのキマイラと言う人造の魔物、これの製作者である狂科学者はザンの仲間に加わる事になる。
そのためザンがキマイラを使うのは、本人が言うとおり原作的には決しておかしな事では無い。
しかし原作でザンがキマイラと共に現れたのは今から数年先の話であり、現時点でキマイラを率いている事は有り得ないのだ。
どうやらザンは克洋と同じように、原作の知識を利用して一早くキマイラと言う戦力を手に入れたらしい。
ドラゴンとキマイラの軍勢を率いるザンが、克洋たちの前に姿を現した。




